正義っていう概念は、悪という概念の対義語って言えばわかりやすいが、誰が正義でだれが悪かって決めるのは、決めつけるのは、果たして誰にできるのかって話で。善悪二元論ってのは、フィクションの中だけの概念だ。


たとえば、人殺しってやつは悪だ。それはもう徹頭徹尾、悪だろう。そうすると世界で起こっている戦争は、悪と悪の争いってことになる。人がひとを殺してるんだからさ。が、当事者からしてみれば、自身は正義で敵対する国は悪と盲信してるだろう。

そう、見る視点が変わればどんなものでも、国でも人間でも、正義にも悪にもなりえるってことだ。


多数決ってのがある。これはわざわざ民主主義を持ち出さなくても、世界中に存在する制度だ。

だけど、僕が思うに、多数派が正義で少数派が悪、ってことにはならねーってこと。

多数派には多数派の、少数派には少数派の正義がある。


もしこの世界が悪だとしたら、僕は世界を敵に回してでも、己の正義ってやつを貫くことができるのかは、難しい問題だ。

それこそフィクションの世界では、「世界を敵に回しても僕はきみの味方だ」ってあのありふれた陳腐な台詞があるけれど、それは正義も悪も超越したなにかってやつなんだろうと思う。


僕が正義の味方になれると双葉は言う。

それはなんの根拠もない、ただの戯言なのかもしれない。

だけど、僕は思う。前言を撤回するようだけれど、世界を敵に回してもいいかもしれねーってな。まあ、暇潰しには少々荷が重いけれど、生きるってのはそういうことだろ。なあ、双葉?

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