第六話 灯湯の里
幼い千歳は無邪気に走り回る。朔太郎と隠れんぼをしていた。千歳は神社の石段に隠れた。すぐに見つかった。
『あぁ! 見っけ〜!』
見つかってしまった。
降参した千歳は朔太郎のお母様がおにぎりを作ってくれた、どうやら塩で握ってくれたようだ。木漏れ日の差す河原に座って二人で食べる。
『……美味しいな』
『うん、美味しいね』
『ねぇ、朔太郎』
朔太郎に二カッと微笑まれ、千歳は心より、嬉しい。
『朔太郎、あのね』
『どうしたんだ? 千歳、ほっぺたが赤いけど』
風に揺れる千歳の栗髪はきれいだ。
朔太郎もニカッと笑う。
『わたしね。朔太郎に話したいことがあったの』
『なんだ?』
と朔太郎は訊く。
『朔太郎がこの町に越してきたときからずーっと好きだったの。どうかわたしとお付き合いしてください!』
千歳は朔太郎に恋文を渡した。朔太郎は目を丸くして、驚いた表情だ。恋文を読んで、朔太郎はすぐ笑顔に切り替わる。
『千歳。勇気を奮って、俺に告白してくれてありがとう。俺も千歳に告白してもらえてすっげえ嬉しいよ。でも、ごめんな。千歳は俺の可愛い妹にしか見えないんだ』
『解ったわ。きっとこうだろうと思っていたから告白して気持ちがスッキリしたよ』
朔太郎の目に映ったのは千歳は泣き顔だ。朔太郎は顔をクシャッとして、千歳の頭を撫でる。
『泣くなよ、千歳。将来結婚する相手はきっと俺じゃない。千歳の将来の相手はなぁ。財力があって、千歳が、泣き腫らした目の涙を拭いてくれて、二度と悲しい思いをさせない、この世で最も漢らしい男の中の男だよ。俺は傍にいるより、千歳の友達として寄り添いたいんだ。俺とは千歳が成長するための過程のひとつに過ぎないんだ』
『これからも友達で居てくれますか?』
『もちろんだよ!』
うつらうつら千歳はまぶたを開くと天井の染みが幽霊に見える。葵の端正な顔立ちが窺える。たしか今日は葵と温泉街に行く日だ。
「……起きたか?」
「……葵さま? おはようございます」
千歳は上体を起こす。
「熱があるんじゃないか?」
と葵は言うと千歳のおでこを触る。心臓が早鐘を打つ。葵は色んな意味でドキドキさせられる。
「ずいぶん、よさそうな夢を見たんだな」
「……え?」
よさそうな夢とは? はたまた千歳は寝言でも呟いていたのか?
「朔太郎さんと呟いていたがおまえの幼なじみか?」
知らないはずだが葵は知っている。
「はい。朔太郎とはいまは単なる幼なじみですし」
と千歳は答えると葵は咳払いをし、「そうか」と答える。
(……絶対、葵さま怒ってそう)
「いささか不用意であったな」
「……申し訳ありません」
「謝れとは言ってない」
「その朔太郎さんと以前に恋に落ちたのか? 寝言を言っていたが」
葵は眉をひそめる。千歳は背筋がぎくりとした。
「……ま、まさか……。振られたんです」
「振られた?」
葵は続ける。
「そんなに怒らないでください」
「……いや? おまえが幼少期の頃だろう? 別になんとも思ってないが」
「……え?」
千歳は不思議だ。からかわれたのか? 相変わらず、我が許嫁は変わっていらっしゃる。千歳は身支度を済ませる。長い栗髪を片方に寄せて編み込んだ毛先を垂らしている。二人で屋敷を出る。徒歩で数分のところに帝都駅はある。葵は千歳の歩幅に合わせる。
「おまえ、今日は」
「え?」
葵を見ると不思議そうだ。
「まあなかなかだな」
「……うふふ。ありがとうございます」
「今日行くところは
「うふふ。そうなんですね」
千歳は花のようにふふっと微笑んだ。
列車に乗り込む時間だ。葵と一緒に駅弁の牛めしを買った。列車に乗り込んだ。葵はすぐまさ遅れを取っている千歳を後ろから手を差し出し、千歳は手を取った。
駅員が切符を切ってくれた。
終点の佐月城まで行く予定だ。駅弁を食べる。葵は痩せていて大食いでよく食べる。
(……なんだか葵さまは不思議な人ね)
千歳もまんざら悪い気もしない。お弁当を美味しくいただいた。列車はもうじきに夕暮れ時になる。葵は千歳に肩を預けている。千歳は本を読んでいる。西国立志編だ。葵が肩に埋もれる。
(……わたしは葵さまになにかご恩を返すことはできたかしら? 葵さまが他の女性とくっついたらそれはすごく嫌だ)
葵を見遣ると寝息とともに吐き出されたのは。
「……千歳が好き……だ」
恥ずかしさと同時に葵の言葉は心に灯された一路の明かりだ。だが同時に千歳は周りの客からの視線が集まる。千歳は頬を染める。
(葵さまは寝てらしているし、なんだか羞恥心を覚えるわ)
「……葵さま、ありがとうございます」
千歳は眠っている葵に言葉を返した。
(いつもより一層かわいらしいわ……。眠ってらしているわ)
千歳は手を小さく握り返した。葵の肩に頭を預ける。千歳は目が覚める。葵が手を引いてくれた。
「着いたぞ。ここが灯湯の里だ」
葵は千歳を見遣った。
佐月城と温泉街が融合した施設だ。佐月城は石垣が高く、非常に美しい城だ。佐月城への一本道が通っており、満潮になると海に沈む道だ。今日は満潮ではないから歩ける。
「歩けるか?」
「はいっ!」
二人で満潮になると沈む道を歩いた。夕暮れ時とこの道はとても幻想的だ。葵は歩幅を合わせてくれて、葵を三歩下がって歩く。
「はぐれるなよ」
後ろから手を差し出してくれた。
千歳は手を取った。
佐月城のグネグネをした坂道を歩くと模擬店が出店している。風鈴が売られている。千歳はかわいらしい風鈴を見る。
「……姉が風鈴が好きだったな。お土産でも買っていくか」
「お義姉さま?」
「姉なら
「わたしもおいくらかお義姉さまに贈り物を出しても構いませんか?」
と千歳は訊く。
「……ああ、構わないが」
葵は答え、空の移り変わる色を見る。空が曇ってきている。
「お嬢ちゃんあんちゃんおいくらにする?」
と模擬店のおじさんが尋ねる。
千歳は義姉に贈り物を買えたので満足気な様子だ。
「あっ、小雨……?」
千歳に葵の羽織が掛けられる。
「羽織れ。おまえは女だろう? 濡れて身体を冷やして風邪でも引いたらどうするんだ?」
「ふふ。ありがとうございますっ! 葵さまは?」
「……俺は大丈夫だ」
雷がゴロゴロと鳴る。近くに出店していた提灯が目についたので、千歳は葵の腕を引っ張って
「ここは夫婦うどん屋と言います。一言言っておきます。うちは旨いっスよ?」
「ツルツルっと入るな」
と葵の隣に腰掛ける。
「二人顔似てるから兄妹?」
「許嫁です」
「いやぁ……べっぴんさんだねぇ〜! 俺、
西園寺はそう囃し立てる。千歳を見てはニヤニヤしている。
「許嫁のお兄ちゃん、すごい色男ねぇ〜!」
「あんな色男の許嫁がいたら、お嬢ちゃんは女性からも妬まれることないの?」
「たまにです〜」
「あらそうなのね〜!」
「ちなみにお嬢ちゃんおいくつなの?」
「えっ、今年で十九です」
「いやいや、お嬢ちゃんは十七くらい見えたよ〜! その歳だったら許嫁がいてもおかしくないもんね〜!」
と西園寺は完全なるお邪魔虫である。
「そんな〜」
千歳は謙遜をする。
「あんちゃん嫉妬?」
西園寺が葵に見て訊く。
葵はますます眉間にシワを寄せる。千歳の手首を掴んで暖簾をくぐる。
「西園寺さんともう少しお話ししたかったのになぁ」
「……その相手は俺ではいけないか?」
「えっ?」
「……俺は意地悪だったな」
葵は咳払いをする。
「葵さま、意地悪とはなんでしょうか?」
「……おまえが他の男と話すと俺は嫉妬してしまう」
「うふふ。葵さまはかわいらしいご理由ですね」
千歳は口元を隠してふふっと微笑んだ。千歳を思い、葵が手を引いてくれた。
「あちらが温泉街でしょうか?」
活気あふれる温泉街が目に付く。
「……そうだ。もう閉館時間だな」
葵は答える。
(朔太郎が言っていたわ……。好きな人と手を繋げるのは気持ち良いし、至福のひとときだって……葵さまは手を握り返してくれるかな?)
もうすぐ店を閉じる閉館時間を知り、強引に葵は千歳の手首を掴んで走り出した。
「もう閉館時間になる!」
「あっ!」
千歳は息が切れている。だが、葵は対して余裕そうだ。
「夫婦と許嫁で入場すると三割引きだそうだ」
「……そうなんですねぇ」
「葵さまとこれてとても嬉しいです」
千歳は葵の手を握って嬉しそうだ。白髪頭のおばあさんが現れてこう挨拶をした。
「ようこそ灯湯の里にお越しくださいました。部屋は三百三号室に振り分けられていますので、ゆっくりとどうぞお上がりください」
白髪頭のおばあさんは部屋まで案内してくれた。おばあさんが千歳ご一行を三百三号室に連れていく。そこには夕陽に照らされた美しい風景が待っていた。決して安くない部屋だ。葵が支払ってくれたのだろうか。
「きれい……!」
「食事の支度ができ次第運んでまいりますのでゆっくりおくつろぎください」
「個室だな」
(……ふ、ふたりきりで温泉に浸かる?)
「食事が済んだら入ったらどうだ?」
「いいんですか?」
「俺が良いと言ったんだ」
「はいっ!」
きみがため 朝日屋祐 @momohana_seiheki
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