第五話 それぞれの道
「今日の掃除はこれくらいね」
千歳は思う。夫人らしくないけれど、玄関を履き掃除をしている。蒼天の空を仰ぐ、母、咲江はあの向こうにいるのだろうか。葵の屋敷には大分慣れてきた。今日は葵は出張だ。使用人は帰っている。
「……わたし、これから夫人になるのね」
頬をペチペチと叩く。
(使用人の方々がお昼ご飯を作って、残してくださったのね)
久しぶりに一人でご飯を食べる。すごく美味しい。箸を置き、千歳は思う。今日一日、何もすることが無く、暇を持て余した。
身支度を済ませた。化粧をした。目には淡桃色の眼の化粧をした。肌は色白で、頬紅は薄い赤が肌の下から透けるように入っていた。艶のある、花咲くような口紅。傍から見ても、千歳はきれいだ。
桃花色の着物を着て、玄関をあとにする。
「あっ! もしかして、その姿は千歳かぁ!?」
朔太郎が気づいて手を振る。
「さ、朔太郎?」
千歳は朔太郎のところへ駆けつける。朔太郎は笑顔で顔をクシャッとした。
「千歳、久しぶりじゃん」
朔太郎はそう言う。
「……朔太郎。わたし、結婚するんだ」
千歳はそう言う。
朔太郎は驚いた様子で言う。
「えぇ? そりゃ良かったな!」
朔太郎は手をパチパチと叩き、拍手した。
「そうなんだ」
千歳もニコッとしてそう答える。
朔太郎は続ける。
「旦那さんは? ま、まさか! 黒川さま? 玉の輿じゃんか! おめでとう! 千歳に結婚お祝いの御品を贈っても良いか? 結婚式は挙げるのか?」
朔太郎は千歳をかわいい妹のように思っている。
「……挙げる予定だよ」
千歳はそう言う。
朔太郎は嬉しそうに答える。
「おお! そうか! 是非とも出たいなぁ、良かったなぁ! 俺、自分のことのように嬉しいよ。いや、実際、俺は千歳のことを心配だったんだよな」
朔太郎は顎に手をやって嬉しそうだ。千歳は満面の笑みでそう言う。
「結婚式に朔太郎を呼んでも良いかな?」
千歳はいまにも弾む気持ちだ。朔太郎はニコニコで千歳にお祝いの言葉を述べる。
「いいぞ! そりゃ、友達の結婚式だからなぁ!」
と朔太郎は言った。
「……千歳も、とうとう結婚とはなぁ。これから千歳を黒川ご夫人さまと呼ばないとなぁ」
朔太郎が心から笑っているのか解る。朔太郎も祝福してくれたんだ。
「荘司くんが寂しがってたぞ。奥さんの
朔太郎がコソコソ話をした。
「……ええ?」
千歳は目を丸くする。
ニコッと笑って千歳の肩を叩いた。
「それは荘司くんの口から聞いてやれよ」
朔太郎はそう言う。
朔太郎は少々演技がかり、荘司の真似をする。
「荘司くん、お姉ちゃんに言って置いてくれ俺からおめでたなのは言わないとか言って、完全に
朔太郎は快活にそう笑って言う。千歳は疑問符を浮かべる。
「す、拗ねた?」
と千歳は言った。
「最近、旦那さんにつきっきりだったから荘司くんは寂しかったってさ、俺からも荘司に拗ねてたって仕方ないぞと言ったらしゅんと項垂れてたぞ」
朔太郎は演技をしている、まあ当然、荘司の演技は冗談の
「確か、千歳の旦那さん、整った顔立ちで背が高くて、細身の体格の人だったよな」
と朔太郎が真剣な表情で言う。
「……よく知ってるね」
千歳はふふっと笑って答える。ここまで朔太郎と仲良しだともはや兄妹みたいだ。
「あはは。悪いな。俺、実は千歳が婚約したことも知ってたんだ」
朔太郎はそう言う。
「……え?」
千歳はぽかんとする。朔太郎はつい、嬉しかったからかっただけなんだ、ごめんなと付け加える。
「いやぁ、俺、結婚の報告をお前の口から直接、聞きたかったんだよなあ。千歳の家と俺の家は家族ぐるみの付き合いだったからな」
朔太郎は嬉しそうだ。千歳は思う。朔太郎は東から空に太陽が昇るように、周りの人々を照らす、明るい人だ。
「朔太郎、ありがとうね」
千歳はそう言った。
「そろそろ店に戻らないと! じゃあな〜」
朔太郎はそう言うと店の奥に行く。
徒歩で行く、するとたまたま、たこ焼き屋さんが出店している。たこ焼きを食べていると声を掛けられる。
「ねぇねぇ、その姿は千歳ちゃん? 相変わらず、美人だねぇ」
男が話しかけてくる。わざと千歳の隣に腰掛ける、年齢は同い年位と言ったところだろうか。色白で、少し、眼の細めの美男子だ。男性的な美男子だ。彼の顔つきから、解るのは高慢ちきで野性に溢れる性格なのが現れている、男は手を重ねてくる。千歳は男の手を嫌そうに払った。
「チッ……。無視かよ。本当に苛つく女だなぁ。確か、千歳ちゃんは黒川家に嫁ぐんだってな」
馴れ馴れしく話しかけてくる。紅蓮に絡まれても困る話だ。
「し、知りません」
千歳は否定する。
「俺は
紅蓮は千歳の頬を包んだ。腰に手を当てる。嫌らしい。嫌な人だ。
「……け、結構です」
千歳はそう言うとかばんを衝立にして、貴方とは話したくないと意思表示をする。
「この街じゃ俺は有名さ。知らないのか?」
千歳は白を切り通す。じゃないと厄介な話だ。
「知りません」
座る位置の感覚を開ける。
「連れないなぁ……」
紅蓮はなりふり構わずといったところだ。ひと目しかあったこともない人を信用できない。
千歳に手を重ねてくる。急いで引っ込める。
「辞めてください! 嫌です!」
店主のおじさんが血相を変えて、怒っている。
「辞めてやれ! てめぇ、有名な歌舞伎役者の息子なんだろうが、知らないけど、俺の店で好き放題するんじゃねぇ!」
たこ焼き屋の店主が激怒りだ。
こんなに怒ったところは見たことがない。
「……ハァ? テメェみたいなやつが? 俺に歯向かうつもりか? 俺の親にこの店のことをチクれば、いくらでも潰してやるけどよ。それで良いのか?」
紅蓮が金で脅すと、たこ焼きの店主は押し黙る。紅蓮が勝手にたこ焼きを取り始める。
「たこ焼きいくつにする、千歳ちゃん?」
千歳は慌てた表情で叫ぶ。
「け、結構です!」
千歳はやめてください、叫んだ。お客さんの女性の一人が止めに入る。
「お嬢ちゃん、嫌がってるんだから、辞めてあげなよ」
女性は怒っている。
「テメェは引っ込んでな!」
紅蓮は怒号を挙げる。
「ね? 千歳ちゃん?」
猫なで声でそう言うと甘えた猫のような手の構えをしてくる。
「……」
千歳は押し黙る。
「ね、この子は俺にはなにも言わないでしょ? だから俺はいくらでも、手を出しても良いんだ。まさか若奥様の抱き心地はふにゃふにゃなんだな! なんてな!」
紅蓮は素行が悪いことで有名な人だ。千歳の顔をジロジロ見てくる。千歳はシラーっとした表情をする。
「お、おやめください……!」
千歳は手を引っ込める。紅蓮は千歳の腰を引き寄せる。
「……やはり噂通りに美人だなぁ」
紅蓮は完全に鼻の下を伸ばしている。千歳を見て、ポワンポンになっちゃっている。
「千歳ちゃん〜。一回で良いから俺の家に来るか? もしかして
紅蓮はそう言う。
朔太郎が騒ぎを聞きつけて、駆けてくる。
「なにやってるんだ。この子は黒川様のご婦人だぞ。やめてやれ」
朔太郎が言い返す。
「は?
紅蓮は言い返す。
「……は? 人様の敷地内で好き勝手するんじゃねえ! このクソ野郎が! 千歳にそれ以上、馴れ馴れしく接するんだったら。小僧お前はここを出て行きな!」
朔太郎は紅蓮に対して、ものすごい怒号を挙げる。
「ッチ! 俺の親父が黙ってねぇぞ!」
舌打ちをして紅蓮はイキりはじめる。朔太郎は紅蓮に怒号を更に挙げ続ける。
「あんたの親父なんて俺には至極どうでも良いなぁ! テメェみたいな無礼千万な客はこっちから願い下げだね! 寧ろ、テメェみたいな客が来なくなってせいせいするがな! さっさとこの屋台から出ていきな! 出ていかなかったらどうなるかは解ってんだろうな? この舐め腐った若造が!」
朔太郎がすごく怒ってるので紅蓮は若干怖気づく。
「……す、すんません、そんな怒らなくても」
紅蓮は謝る。朔太郎は怒り続ける。
「……今更か?
紅蓮は屋台から逃げ出した。
「チッ! またな千歳……」
捨て台詞を吐きながら去っていった。
「千歳、大丈夫か?」
朔太郎は千歳を心配する。
「……あ、ありがとう」
千歳は丁寧に礼を述べる。
「良かった。あの客はいつも俺の親が偉大だとか言ってるんだよな。あの客は出入り禁止にしたから来ねぇよ。安心しな」
朔太郎は千歳の頭をポンポンとした。
千歳はほっと胸をなでおろした。
普通にたこ焼きの真田は「お嬢ちゃんたこ焼きいくつにする?」と気にかけてくれる。
朔太郎は千歳の初恋の人だった。
昔から、弱きを助け強きを挫くみたいな人だ。千歳が十五歳くらいのときに朔太郎に思いを告げる、と。
『千歳は俺のかわいい妹にしか見えない。ごめんな』
と告白を丁重に断っている。
『告白してもまだ友達でいてくれますか?』との問いに対しては『ああ、もちろんだ。俺とお前は友達だからな』と言われている。朔太郎はいつも優しい人だ。
「朔太郎。今度、葵さまを連れてくるね!」
千歳はたこ焼きを頬張ったあと、そう言った。
「ああ、ありがとうよ!」
朔太郎は手を振った。
その笑みが自分だけに向けられればよいのに、と考えたこともある。けれど、いまの千歳の心には葵がいるからだ。
千歳は思う。葵の笑った顔が見たい。いつも葵は仏頂面だから。次こそは笑わせるぞ、と意気込んだ。
千歳は思う。実家に寄ってみるか。
実家は甘味処が一階で二階が主人たちの家だ。店の奥には父がいる。跡継ぎの荘司が出迎えてくれる。
「姉さん!」
弟の
「おう、千歳か?」
店の奥から、店主の寅次郎が現れる。
寅次郎は御膳を持って、お客さんの方に行った。
「久しぶりだな。今日は葵さまはいらっしゃらないのか?」
「はっ、はい!」
「これ、姉さんのだよね? 俺、姉さんの部屋を家探ししてたら見つけたんだ」
これは近くの神社のお守りだった。朱色に染まったお守り? 古びて切れている。脳裏になにか過る感覚にとらわれる。
「葵さんとはうまくやってるの?」
「う、うん……」
「実は俺は妻の菫が懐妊したんだ」
「菫は二階に居るんだけど、話してみる?」
「うん!」
「呼んでくるよ。菫ー!」
義妹とは二年前からの付き合いだ。
千歳は人付き合いがあまり不得意な苦手な人物だが義妹とは会ってみたいものだ。
「お姉さま?」
「菫ちゃん?」
菫は人懐っこい性格から街中から人気だ。
「お姉さま〜っ! 会いたかったです〜!」
菫は手を取ってきた。
千歳は思う。菫のような素直な優しい性格だったら、もっと葵とも打ち解けるのだろうか。
「朔太郎に伝えてって言ったら直接姉さんと話してやれってさ。姉さんは許嫁の人とはうまくいってるの? 姉さん長椅子に腰掛けてやってよ」
荘司の話を聞くと菫は二人目が子供を身籠ったらしい。菫は遠回しに悪阻が酷いらしく、近くの町医者に行くと言って、千歳に姪の
「ふ、二人目を?」
千歳は目を丸くした。荘司は嬉しそうだ。
「うん」
荘司は千歳とは違う性格で明るく朗らかだ。荘司は長椅子に腰掛けてそう言う。荘司がお茶を淹れてくれた。そのお茶はとても美味しい。
「はぁ〜。良かったぁ……俺、少し安心したよ。姉さんは表面上の付き合いはするんだけど、あまり人と深く関わらないから、俺、結婚出来るのかな? って思ってたんだ」
荘司はそう言うと話しを続ける。
「姉さん、葵さんとは?」
荘司はそういい顎に手をやった。
「え?」
千歳は目を丸くした。
荘司は続ける。
「葵さんは線の細い色男だろう? 当然、女性から慕われることも相当あっただろう?」
荘司はそう言い、千歳を見る。千歳は目をウロウロさせる。千歳は紡ぐ言葉に悩んだ。
「……そ、そうね……」
「姉さんが狙われることもないの?」
荘司はそう言うと手にとったお茶を飲んだ。
「ねっ、狙われる?」
千歳はなんて言ったら良いか悩む。
「そうそう!」
荘司は快活にそう言うと空を仰ぐ。
お天道様が差す、ひだまりの中で千歳は悩みを悩んで出した答えはこうだ。
「そ、そうね……? 今のところないわね」
荘司は眉間にシワを寄せ、怪訝な表情だ。
「さっきあんな騒ぎがあったのに? 自覚ないのか? 姉さん、さっき口説かれてたよね?
荘司はそう言う。荘司に騒動の事を一通りのことを話す。
「ええ? わたし、言い寄られてたの?」
荘司は額に手を当て、頭を抱える。
「というより、姉さん、自覚なさすぎでしょ……? 葵さんと温泉旅行でも行ってきたら?」
葵と温泉旅行など恥ずかし過ぎる。千歳は頬に手を当て恥ずかしがる。
「お、お、温泉……?」
千歳は眼をパチパチさせる。
「好きなだけ葵さんを独り占めできるよ」
荘司はお茶を飲み干した。
「……葵さんが違う女性とくっついたら姉さんはいやでしょ? 今のうちに愛を育むんだよ」
荘司はそう言うと肘をついた。たしかに荘司の言うことは真っ当だ。
「うん」
千歳はそう答える。
荘司はこう切り返す。
「葵さんに温泉旅行の話でも提案してみたらどうかな?」
満天の空には太陽の光が照らされる。
千歳は日傘を差して帰宅した。内に秘めた想いを胸に抱きながら。
◇◇◇
「葵さま、おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
葵は今日は紺色の羽織で、
いつもの着物に着替える。葵が夕食を食べているところに話しかけてみようと思う。
箸を置き、千歳は尋ねる。
「葵さま、こ、こ、こんどご一緒に温泉旅行に行きませんか?」
千歳の急な申し出に葵はびっくりしている。千歳の桃花色の着物を着て、前髪を作り、片方に編み込んで、毛先を下ろしている。千歳はほぼ噛み噛みで言う。
「……まあ、いいが。なぜ?」
葵はそう言うと千歳はこう返す。
「今日実家に帰ったら、弟からそう申されまして」
千歳の声は少々儚げな声で言う。
千歳は受け入れてもらえるか心配だったが葵はこう答える。
「……荘司さんが?」
千歳は眼の前に見目麗しい葵がいることで更にモジモジして、頬を朱色にする。
(……千歳が目を泳がせて、頬も赤い? なぜ、そんなにモジモジしている?)
「……いいだろう」
千歳は思う。葵と仲良くなれるかな、と。葵の答えは「
「ありがとうございます……!」
千歳は更にモジモジする。
「荘司さんとは話せたか?」
荘司の事を知っているのかな、寅次郎から聞いたのかな、と推測した。
弟夫婦は家業を継ぎ、父は老年ながら、仕事を手伝っている。
「はっ、はい……!」
千歳はそう答える。
「俺のところにも、菫さんが、二人目を身籠ったと申されていた」
葵も知っていた。菫は人懐っこい性格だ。菫のような性格だったら葵とも仲良くなれるのかな、と千歳は思う。
「葵さまはどうして自分のような女を?」
自分は葵とは相応しくないと思ってしまう。すると葵はこう話す。
「前からも言っているだろう? それはお前と生涯をともにしたかったからだ」
茶の間で葵は
「……お前がここの屋敷に来た日は丁度、父の命日だった。正直俺は
葵はそう言う。
葵が急に謝ったので良いんですよ、と言う。
「……葵さま、いいんです。そうでしたか、御冥福をお祈り申し上げます」
千歳は丁寧な言葉で言う。葵は話をそらした、きっとこれ以上言うのは心苦しいと思ったのだろう、葵のその表情は物憂げだ。
「俺の母親がお前との縁談を持ってきたんだ」
「……お母様が?」
千歳は目を丸くする。葵は「あの人はご隠居してるから良いんだ」と付け加え、お茶を飲む。
「千歳は今日はいつもと印象が違う感じだが?」
葵はそう尋ねる。千歳はこう答える。
「今日は久しぶりのお化粧したんです」
葵はほぼ男らしい性格だが、少しの変化に気づくタイプだ。
「化粧?」
葵は千歳に顔をグイッと近づけ、そう言う。
「たしかに。唇に血色感があって、艶のある感じだが。化粧好きなのか?」
葵はきれいだ、と付け加える。
「はい!」
千歳はモジモジしながら言う。
「……そうか」
千歳は緊張した面持ちなので特に聞かなかったが。なにかあるのだろうか。
(化粧をした千歳がきれいすぎる。言葉にできない。すっぴんのときも睫毛がふさふさで、きれいだな)
千歳はお風呂からあがり、葵もお風呂あがる。千歳は櫛で、嫋やかなその髪をきれいに梳かす。
「お前夢見が悪いのは直ったか?」
「はっ、はい……!」
「消灯するぞ」
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