第六話 灯湯の里
「行くぞ」
葵が声を掛ける。
「葵さま、すみません。もう少々お待ちくださいませ」
千歳は答える。
桜色の着物を着て、髪を片方に寄せて、花の髪飾りをつけて、編みおろしをした。
千歳は嬉しそうだ。
千歳は「うふふ」と言い、口に手を当てる。
「お待たせしました」
葵は振り向きざまに見遣った。千歳は深く
「良いだろう。では。行くぞ」
千歳は葵から一歩引いて歩く。比較的葵の屋敷は
千歳と葵は帝都駅についた。
千歳の好きそうな駅弁が売られていたりしている。
「美味しそうですね……!」
千歳は目を輝かせると、葵はこう切り返す。
「ただし、生物は痛むぞ、いいのか?」
と葵は言った。
千歳はしげしげと見て駅弁の売り場を去る。
「す、すみません」
千歳はそう言った。仕方なく、生物ではないものにする。列車の中で、二人で駅弁を食べていた。
「……お前、すごい量を食べているが大丈夫か?」
葵はそう言う。
「はいっ! とっても美味しいです!」
千歳はそう言い、帝都弁当をハフハフしている。葵は温泉旅行に思いを馳せる。よく親と交際していた女性と行ったものだ。葵は思う。今度は許嫁と行くんだ。
葵が窓越しの風景を眺めていると千歳がすぅすぅと寝息を立てる。葵の肩に頭を預ける。千歳はどこかまだ少女らしいのだ。
(千歳はなんだか大人なのに、子供らしいな)
人でごった返しす、駅内。扉は閉まる。列車は行く。
葵は荷物を持ってあげると千歳は眠たそうだ。
「大丈夫か?」
と葵は言う。千歳は目をこすって頷きながら言う。
「……そうですね。昨晩は楽しみすぎて眠れなくて。眠たくて」
葵はそう言う。
千歳は暖簾を潜ろうとするが、葵はそう言う。千歳はキョトンとしている。
「ここは混浴だが大丈夫か?」
「……こ、混浴?」
千歳はキョトンとしている。
「混浴ではないほうが良いか?」
葵はそう言うと千歳を見る。
「そ、そうですね……。分かれてるほうが良いかもしれません」
千歳は肩を縮こませながら言った。
そして二人はまた列車に乗車をした。駅は終点を迎える。
まるで佐月城と温泉街の風景が、女学校の授業で習ったモンサンフッシェルみたいに見えると思った。千歳は圧巻の美しさだった。
「
千歳はそう言う。
「……そうだ」
と葵は言った。
「こっ、こちらも混浴でしょうか?」
千歳はそう尋ねる。
「……ここは男女別だろう」
葵は呟いた。
「……千歳。行こう?」
二人は行く。
ここはただの道だ。千歳は歩く。葵と手を繋げたら嬉しいのに。
「……はっ、はう? はい!」
千歳は考え事をしていた。
葵に半ば強引に引っ張られた。
「言い出しっぺは見事にねむねむしてらっしゃるな」
葵はそう言うと城を見上げる。
「…え…? はい?」
千歳はそう言った。道を歩ききった。満潮のとき、海に沈む道をひたすら歩くのに十五分くらいかかる。
「まぁ、仕方あるまい」
葵は咳払いをする。葵は千歳を山奥の集落に連れて行く。佐月城についた。
「親の友人が温泉街を経営しててな」
葵はそう言うと千歳は尋ねる。
「……知り合い? こ、コネ?」
「いや? 違う」
と葵は言った。
「男女別温泉だが良いか?」
と葵は千歳に尋ねる。
「いいですよー」
千歳はそう言った。
「千歳、見上げなさい」
と葵に言われる。
千歳は見上げると山の奥の方に城と伝説の温泉の地と表記され、佐月村と言う大きな集落があった。
「あっ……ここは
と千歳は言った。
ずいぶん都会ね、千歳はしげしげと見上げる。ここも灯湯の里なのだろうか。千歳には佐月の読み方がいまいち解らない。
「……ここは灯湯の里。有名な温泉街だぞ。足元には充分注意すると良い」
と葵は言った。
城の奥の方は急な坂道になっている。千歳一行は平坦な道を
「可愛らしい風鈴が売ってますね」
と千歳は言った。
屋台のおじさんが言う。
「お嬢さん、風鈴をいくつにする?」
葵も乗り気な様子で、店主に銭を払う。
千歳は葵の端正な顔立ちが窺える勝機と思った。
「風鈴なら姉が好きだったな。買っていくか」
葵は千歳に尋ねる。
「……お姉様?」
と千歳は言った。
葵は空を見上げながら風鈴をいただく。
「姉さんなら、お前と許嫁になる前、
千歳に説明をする。葵の言葉に返事を返した。
「そうですか〜!」
と千歳はそう相槌をうつと言うと、葵は尋ねる。
「姉さんにお土産でも買っていくか? 近々お前に会いに行きたいと言っていたが」
千歳にそう言う。
千歳は目を丸くして、葵の問いかけに答える。
「わたしもお金を出してもよいですか?」
と千歳は言った。
千歳は思う。義姉のことなら会ってみたいものだ。
「別に。構わないが。お土産ものを買ったらその温泉街に行くか?」
葵は顎に手をやって、千歳に尋ねる。すると千歳は腕を掴んだ。
「お、お前……! 俺の腕を掴んでなにをする……!」
と葵は言う。千歳は腕を掴んで背中をツンツンした。そこには
「葵さま! ここの屋台でおうどんを食べましょう?」
と千歳は言う。
「……屋台?」
と葵は言った。
つるつるした頭の店主らしい、おじさんがそう言った。
「お兄ちゃん。一つ言っておきます、うちのうどん美味いッスよ」
とおじさんはそう言った。葵は仕方なく入店した。二人はおうどんを食べる。
「ツルツルっと入るな」
と葵は言う。
すると千歳は頬張る。
箸の持ち方が千歳はきれいだ。
「うふふ。おうどん、葵さま! 美味しいですね〜!」
と千歳はふふっと花のように笑う。
すると店主のおじさんが声をかけてくる。
「あんちゃん、顔を似てるからもしかして兄妹?」
おじさんはツルツル頭だった。
ポリポリ頭を搔きながら、言う。
「許嫁です」
と千歳は言う。
おじさんが更に言う。
「あら、そうなの〜? うちの店、夫婦や許嫁で食べるとお値段を負けますよ」
おじさんはニコニコ顔でそう言う。
千歳はそう言った。
「……やったー!」
千歳は万歳をした。おじさんは言う。
「暖簾に書いてありますよ〜。あんちゃん、名前は葵っていうの? あんちゃん色男ね! 俺は羨ましい限りだよ〜!」
ほぼ、夫婦うどんはおじゃま虫だ。
「いや?」
と葵は嫌そうに答えた。すると屋台のおじさんは問うた。
「お嬢ちゃんは十七歳? 随分お若い許嫁さんだね」
とおじさんは言う。千歳は嬉しそうに答える。
「そんな事はありませんよ〜! 今年で十九です」
と千歳は言うと、葵は蚊帳の外だ。
葵の表情が険しくなる。だんだん片方の眉間のシワが寄ってくる。
千歳はおじさんは少々馴れ馴れしいとは思った。だが、嬉しいものは嬉しい。おじさんは千歳に声を掛ける。
「お嬢ちゃん、随分、
とおじさんはニコニコしながら言う。
千歳はあまりお世辞を言わなくてもいいと思う。千歳はそう言う。
「そんな〜!」
と千歳はそう言った。
「因みにお名前はなんていうの?」
とおじさんは聞く。
「千歳です」
と千歳は答える。
「おお、俺の名は
道夫は自己紹介をし始める。おじさんは葵を見遣った。
「……あんちゃん、どうしたの? 焼いたの?」
葵はもう暖簾を潜って出てしまう。
「……違う」
と葵はそう言う。
葵は千歳を見遣った。
「ご馳走さまでした。千歳、そろそろ出ないか?」
と葵は言った。
「えっ……?」
千歳を引っ張って連れて行った。
千歳は葵に長文句を言いながら引きずられていく。
「……えっ。もう少し西園寺さんと話したかったのになぁ〜」
千歳はそう言う。葵は振り向かず、静止した。
「……その相手は俺じゃ駄目なのか?」
「……えっ?」
と千歳は言った。
葵は振り向いた。頬が少し紅い。
「……まぁ、積もる話もあるしな」
と千歳の肩を抱きかかえる。
「……ええ?」
と千歳は言った。
千歳は目をパチクリした。積もる話は何の話だろう? 葵の気配がいつもより、怒ってる感じだ。
「
「と、藤堂さん?」
温泉街を葵と行く中、花嫁修行のため、千歳は最近食事を絞っている。葵には気づかれないと良いのだが。
「……お前」
と葵は言った。
「……はい?」
と千歳は言う。
「今日は食ったほうだな」
千歳の方を向き、葵はそう言う。
葵に図星を突かれる。千歳は手を振っていつもの量です、と弁解する。
「そんな〜! いつもの食事の量ですよ〜」
と千歳は弁解する。
「お前、最近顔色が良くないが大丈夫か?」
と葵は言った。
(まさか! 葵さまに勘付かれてる?)
「そんな事はありません」
と千歳は頑なだ。
すると葵は問いかける。
「……おむすびを食いたいか?」
(……美味しいごはんの……ゆ、誘惑?)
「だっ、大丈夫です」
ぐうと鳴る。
(絶対、バレてはいけない)
「……俺の握ったおむすびでも食うか?」
葵は惚れた目つきで千歳に問うた。
「……はう?」
葵の眼は千歳に完全に惚れている。
千歳に問いかける。
「……お米も充分に美味しいぞ?」
と葵は言った。
───数分後。
千歳は、おむすびを頬張る。
「葵さま。こんな美味しいおむすびを作ってくださって、どうしてでしょうか?」
と石段に腰掛け、千歳は問うた。
「……どうとでも?」
と葵は言う。
「そろそろ動き出すか」
と葵は言い、重い腰を上げると空を見上げる。
「この温泉旅行の話は荘司さんから?」
と葵は言った。
「……はい。葵さまのいらっしゃらないとき。紅蓮さんという青年と少し人悶着があったので……」
と千歳は言う。葵は怪訝な表情をした。
「……紅蓮?」
と葵は聞きなおす。
そして言葉が紡がれる。
「千両役者の相賀家の一人息子か?」
と葵は言った。
「……はい」
千歳はそう答える。
「そうか。お前は人に対して警戒心が薄い気もするが……。紅蓮に至っては少々仕方あるまい。あれは完全な遊び人だからな」
と葵は言った。
千歳はまさかと思う。再度、聞きなおす。
「遊び人?」
と千歳は問うた。
「……どこからどう見てもそうだろう? 解らないか? 相賀家の紅蓮は色街で豪遊してる。関わらないに越したことはない」
と葵は言った。
「なにもされてはいないか?」
と葵は言う。
「はっ、はい……!」
と千歳は言う。
肌寒くなった。葵は羽織を千歳にかける。
「朔太郎が守ってくださって」
と千歳は言う。
「……朔太郎? お前の友人か?」
と葵は言う。
千歳は朔太郎の話題なら盛り上がれるわ、と思った。
「はい! お友達です、今度葵さまに会いたいって言ってて」
と千歳は言う。
「別に。会いたくもない」
葵は腕を組みなおす。
「え? どうしてですか?」
と続ける。
「……なぜ? 俺は勧んで、朔太郎さんにそんなに会いたくもないが」
葵はそう言う。
「どうしてですか? 朔太郎は、葵さまに会いたいと仰ってて……」
千歳は狼狽える。葵は言う。
「こういう温泉街でなぜ、その理由を俺は言わなければならない?」
と葵は強めの口調で言う。
「聞きたくない話ですか?」
と千歳は訊く。
葵は空を見つめながら言う。
「まぁ……」
と葵は言った。
「どうして……? なにか不穏な影もありますか?」
と千歳は訊く。
「無い」
と葵は言った。
「ならどうして?」
「……俺が朔太郎さんにそんなに会いたくない理由が知りたいか?」
と葵は少し意地悪だ。
「はっ、はい……!」
と千歳は言う。
「お前が他の男性と話していると俺は嫉妬してしまう」
葵は小声で言う、耳が赤くなる。
「……え?」
と千歳は拍子抜けした答えを返してしまった。
「お前にはその事は話したくはなかったんだが。朔太郎さんが悪い人という訳では無い。寧ろ人の良さそうな男性のご友人だ。お前の交友関係に首を突っ込みたくもないのも少々あるが。大半はそれだな」
と葵は言った。
「……そ、そうですか」
と千歳は答える。
千歳は思う。葵のような人も嫉妬するか。
葵は嫉妬の感情とは無縁そうだし。葵は普通に女性とも話したりすることもあるだろうと思ったからだ。けれど話を聞きたくないのは嫉妬心からだったのかな?
せっかく許嫁なんだし、葵と手を繋ぎたい。自分とは手を握ってはくれないのだろうか。
(朔太郎が言っていたわ……好いた人と手をつなげるのはとても気持ちが良いし、ドキドキするって……)
千歳は顔を赤くし、頬に手を充てる。葵はそれを横から見ていた。
「温泉街が見えてきたな」
と葵が言った。
「はっ、はい……」
と千歳は答える。
(娯楽施設かしら? しかも入場が……あと数十分で閉めてしまう?)
「千歳! 急ごう?」
と葵は言った。
疾走して葵に半ば強引に手を繋がれる。
葵の手のひらには
男性と手を繋いだのは生まれて初めての経験でキュンキュンしてしまう。
千歳は玄関に着くと息がハァハァする。葵は
「親子、家族連れ、許嫁、夫婦で入ると割引だそうだ」
と葵は言った。
「……そ、そうですか」
と千歳は辺りを見渡した言う。
白髪頭のおばあさまが案内してくれる。
葵と一緒に暗い廊下を歩く。
部屋につくと窓の向こうは海が有り、山並みも美しい景色だ。これは絶景の景色だ。
「き、きれい……」
と千歳は言葉を失う。
「きれいだな」
と葵は言った。
夕暮れ時なのか、陽が海の向こう側に沈む風景も見られる。とてもきれいだ。
「お料理です、襖を開けてもよろしいでしょうか?」
「はい!」
白髪頭のおばあさんが料理を運んでくる。蟹と海鮮料理が主だ。ついつい食事を摂る誘惑に負けそうだ。
「俺は海鮮料理好きなんだ」
と葵は言った。
「わたしは少しいただきます」
二人は箸を持った。
きみがため 朝日屋祐 @momohana_seiheki
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