第三話 祭り

 冷徹な葵に悲しく思う。千歳はじんわりと眼から涙が流れる。葵はこんな人だったのだろうか。幼馴染の朔太郎さくたろうにも会いたい。けれどもそれも邯鄲かんたんの夢なのだろうか。


「千歳!」


 千歳はびっくりした。

 嗚咽おえつを漏らしていると、許嫁の葵が襖をスパンと開けて、声をかけてきた。


 千歳を抱き締めてくれた。


「お前がそんなに涙を溜めていたということは、相当辛かったんだろうな」


「千歳。俺はお前にここにいて欲しいんだ。他の誰でもない。お前に」


 千歳の眼から涙がこぼれ落ちた。声が枯れるまで泣いた。葵は優しく頭を撫でてくれた。


「なにかあったのか?」

「外出の予定でしたのに、取り乱してしまってすみません」

「構わない。気が済むまで泣くと良い」


 葵との優しい時間が流れる。


 ◇◇◇


 日が暮れ、せみが鳴く声がする。


 葵は組紐で髪を結んでいた。

 葵は思う。千歳の身支度がそろそろ終ったか。


 すると、葵は妻となる千歳を思う。千歳は町の誰よりも美しい。千歳の絶世の美貌は凄まじい。千歳は凄い美人だ。


 千歳は豊かな栗髪を揺らした。前髪を作り、後ろは垂れた、たおやかな髪。色素が薄く、二重まぶたの大きな潤んだ瞳。ほっそりとした華奢な体格。


 葵は語気と言葉がきついのは重々承知の上。葵は時折、言葉足らずで相手を傷つけてしまう。千歳が家に入ったとき、葵が慕っていた父、雅竜まさたつの命日だったこともある。ただ、父の死は吹っ切れている。葵は街中をみどりと一緒に歩いていた。もちろん千歳の好きなもの、欲しいものを探るため。翠と一緒に街中を歩き回った。自分は言葉がきつく、言葉が足りない。千歳に欲しいものはあるか、聞こうとしたが、ついつい、言葉足らずな聞き方をしてしまった。千歳は言葉を喉の奥に詰まらせ、悲しげに目を伏せた。その琥珀こはく色の瞳から、涙が浮かんでいた。


 千歳のあの器量の良さと性格、上品さであれば、自分より格上の人物に巡り合えるだろう。それならば、あの涙ぐむ姿は見ずにすんだろうか。


 葵が密かに知っていたことだが、千歳は隣の寝室で度々、御守りを抱いて、ひそひそと隠れて、泣いている。あの涙はもしかしたら秘めたものかもしれない。


 葵は思う。もし、千歳が自分の資産目当てなら、あのように涙を流すことはない。あの御守りは家族のものだろうか。それとも突然黒川家に嫁ぐこととなり、家が恋しくなったからだろうか。


 胸の中ですすり泣く千歳を見て葵は声をかける。


「取り乱してしまってすみません。葵さま」

「大丈夫か?」


 千歳は頷く。


「無理をさせてしまってすまない」

「大丈夫です。すぐに行きます」


 千歳は豊かな栗毛を下ろして髪飾りをつけている。葵は、随分と自分の許嫁は綺麗だと思った。千歳は元から顔の良さと、今日のお化粧も相まって更に綺麗だ。


「葵さま。お待たせしました」

「構わないが。今日のお前凄く……。なんでもない」


 ◇◇◇


 星々の灯りは二人を優しく照らす。徒歩で数分経った後、葵と千歳は夏祭りをする町につく。夏祭りで人がごった返す。


 葵の髪からこうの匂いがする。


 千歳は色気あふれる大人の男性とはほとんど話したことも、こうして二人で歩いたこともない。千歳は寅次郎から訊いた。葵は実業家の名家で、親共々、莫大な資産を持つ。だが、葵の父親が早くに亡くなり、後を継いだ。千歳の家は葵の家のように物凄く稼ぎの良い家ではない。千歳は思う。何故、そんな有名な人物が千歳の許嫁なのだろう。


「お蕎麦屋に行きたいか?」

「あっ、はい……!」


 お蕎麦屋さんで食事をする。夏の日には蕎麦が美味しい。葵は尋ねる。


「美味いか?」

「はっ、はい。とても美味しいです」

 千歳と葵は食事を済ませ、店を後にする。

 すると、りんご飴を見た。千歳は美味しそう、と思う。


「りんご飴が食べたいか?」

「は、はい!」

 長椅子に腰掛け、二人でりんご飴を食べる。とても美味しい。


「……美味しいです」

「なら、良かった」


 葵が沈黙を破る。


「千歳、空を見上げなさい」


 千歳はなんなのだろうと思って夜空を見上げる。空には星々の舟が浮かんでいる。群青の空に箒星ほうきぼしが浮かび、一年に一度の天の川にはあの恋人たち祝福を迎えられている。あまりにもの美しさに千歳は言葉を失う。


「……千歳。お前がどんな暗闇を抱えているかは俺には到底解らないだろう。だが、俺はお前とわかり合いたい。つらいことがあるなら、俺が話を聞こう」


 葵はいままでの仏頂面ぶっちょうづらの儘だが、嬉しそうなのは千歳も解る。


 葵は千歳を見遣みやった。


「……つらいこと。わたしが先日、お塩を買いに行ったんです。たまたま葵さまが女性と歩いていらしたんです。あの方は何方どなたでしょうか?」


 千歳は葵に傍にいて欲しいんだよと思う。


「俺が女性と歩いていた? どんな特徴だったんだ?」

 葵は質問する。


「肩くらいの髪の長さで首にほくろのある女性です」

 千歳は説明をする。


「……肩までの髪の女性と首にほくろがある? ああ、それは俺の姉の翠だ」


 随分と顔が似てる姉弟だ。

 だが、翠は小柄でふっくらとしているが葵は長身痩躯だからだ。


「お、お姉様?」

 千歳はそう言う。

「まあ」

 と葵は言った。

「え?」

 千歳は葵見るとぷいっと顔を逸らされてしまった。

「お前もそんな顔をするんだな」

 葵はそう言う。


「いまなんて?」

 千歳はよくわからないモヤモヤしたものを抱える。葵は冷たかったのではない。たた、言葉足らずなんだ、と悟った。


「俺が姉さんと街を歩いていたのはお前に贈り物を選んでいたんだ。姉さんに特に恋愛感情はない」


「……そ、そうですか」

「お前は器量も良い女性だ」


「性格も一見、社交的で素直で明るそうに思えるが本当は繊細で情が細やかで。お前がその……きれいだと思ったからだ」


 千歳は恥ずかしそうに微笑む。

 自分に対して言葉で伝えようとするがなんたが、これはこれで葵のたがった伝え方で良い。


「え?」

 千歳は口下手くちべたな葵が言葉を紡ぐのが、かえって嬉しい。


「……俺に何を言わせる。まぁ、お前は容姿も性格もとてもかわいいと思うが……。目が大きく、丸くて」


 葵は咳払いをする。


「少し、強情な姉さんより、俺は素直でかわいいお前の方が良いと思う」


 千歳はふふっと笑う、葵がとても可愛い。


「千歳。なら、お前は? 俺のような口数少ない変わり者でも良いのか?」


 千歳は思う。この人となら構わない。

 千歳はたぶん、葵と許嫁になるために生まれてきたんだ。


「はっ、はい……!」

 千歳は葵を見る、端正な顔立ちが千歳の眼に移ろう。


「今日は祭りだな。もう少しまわろうか。お前は? 疲れてはいないか? 今日のお前の浴衣も、まあ良い方だな。一緒に茶でも飲むか?」


 葵の提案は嬉しい。

 千歳はきっと葵と恋をするために生まれてきたのではないかと思うくらい運命を感じる。


「はい……! ほ、ほうじ茶?」

「このほうじ茶は美味い。お前も飲んでみるか?」


 千歳は、ほうじ茶をちびちびと飲んだ。葵は優しい目つきで千歳を見つめた。千歳の頭に手を当てて。


「……ほうじ茶。美味しいです。葵さまは飲まれないのですか?」

「俺か? ……まぁ、俺はお前にそのほうじ茶を飲んでもらいたくて。ただ、それだけだ」


 確かに美味しいな、と付け加え、葵は茶を飲み干した。


「どうかされましたか?」

 千歳は問いかける。


「……いや?」

 葵のきれいな横顔が見える。千歳は葵に恋している。


「……お前は俺とは違う人だ。好きなものも違えば苦手なものも違う」


 葵は続ける。


「確か甘味処で家業の手伝いをしていたとき。お前が出してくれたほうじ茶を懐かしく思っただけだ」


 葵はそう言い、夜空を仰いだ。

 千歳は思う。なんでそんな事まで知っているのだろうか。


「ということは……。わたしのことをどうしてそんなにご存知なんですか?」


 千歳はそう質問をする。葵は釈明しゃくめいをした。


「……それは、お前に俺の趣味が悪いとは思われたくないだけだ」


 千歳は思う。趣味が悪いと思われたくなかったとはなんだろうか。というより千歳にとって、葵は可愛い。


「趣味……?」

 千歳はそう言う。葵は続ける。


「……はぁ。解らないか。俺はたまたま仕事で用事があるとき、甘味処はなみつに寄ったりした。確かに休憩に寄ったりしたが実は俺はお前が目当てで」


 千歳が目当てだったか。

 千歳は思う。葵は口下手な性格からきっと色んな人から誤解を受けたのだろう。だが、葵の容姿が目当てで近づいてくる女性もいたのだろう。けれど、きっと葵の言葉足らずさに辟易へきえきしたのだろう。けれど彼の温かさならきっと声をかけられ、好かれる筈だ。


「わたしが、め、目当て? どうしてでしょうか?」

 千歳はそう言う。目当てだったのはなぜだろうか。


「どうして?」

 千歳は尋ねる。

 千歳はふと遠くの空を見るとパアン! パアン! パアン! と花火が打ち上がる音が聞こえる。この花火はきれいだ。


「……何度も言わせるか。俺は本心では甘味処で会ってから、お前のことがずっと好きだった。つまり、めとりたいと思っていた。お前は?」

 葵は千歳に手を重ねる。千歳は柔らかく握りかえす。千歳は思う。この人とならついていきたい。


「わ、わたしは恋愛もしたことがなく……。わたしは葵さまの仰るような器量が良い女でもなく、葵さまの望むような女ではありません。ですが、わたしが甘味処の家業の手伝いをしているときからずっと葵さまのことか好きでした」

 千歳はやっと言えた。葵は変わらぬ硬い表情の儘。


「礼を言う」


 千歳は葵に頭をポンポンとされた。


「千歳。そろそろ行こう」


 千歳は綺麗な桜色の浴衣を着て、千歳は髪飾りをつけている。葵が千歳の手を引いて、美しい華が開くのを見た。


「は、花火?」

「凄く、綺麗だ。ここの花火を俺はお前と見たくてな」


 丘で華が散るとき。千歳は葵の手を無意識に握っていた。気づく、と。ふと、千歳は葵を見上げる。葵の端正な顔立ちが花火の灯りに照らされる。

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