第3話 家族
「皇帝陛下のお成りです。」
宰相の迩留緯が低く大きな声で号令をかけると、玉座の間は一瞬にして緊張の糸が張りつめた。
「いやぁ、ごめんね。
皆集まってくれているのに、遅くなった・・・で、元気だった?」
羅雨の物腰柔らかな挨拶に、その場の雰囲気はすぐに和む。
長身で程よく均整が取れた体つきの美男子、誰しもが彼に会って抱く第一印象。
しかもこの通り、性格は温厚で人懐っこいので、国民の多くは皇帝に好意を持っている。
羅雨のこの性格の良さは、幼い頃の経験から形成されたものであろう。
五歳の夏に皇后である母親が、天国へと旅立った。
残された血縁は、父親だけ。
しかし皇帝陛下に世話なんて無理な話だから、羅雨は隣国から人質で預かっていた姫君睡蓮、つまり後の紫月の母親に預けられたのだ。
睡蓮の祖国甲越が飢饉に見舞われた折、美謝那の王は手を差し伸べた。
そのお陰で甲越は、多くの犠牲を出さずに済む。
だが美謝那国内で弱勢力だがクーデターが起こり、この機に乗じて領土を広げようと考えた甲越の王は、美謝那に攻め入る決断をする。
しかし全勢力で攻めたものの、美謝那との国境に一歩も入らないうちに負かされてしまう。
国の存続を必死になって懇願した王は、一人娘の姫君を差し出すことで、全てを許される。
羅雨を預かった時睡蓮は十八歳と若かったが、一人きりになってしまった彼の心に寄り添い、本当の母親のように大切に育てた。
それは紫月が生まれた後も変わることなく、二人に注ぐ愛情はいつも平等。
側室達は皇帝と睡蓮の結びつきがこれ以上強くなるのを恐れ、無理やり羅雨を奪い養育し出す。
しかし疎まれるだけでどこへ行っても、孤独と恐怖しか感じなかった。
疲れ果てた羅雨を見て睡蓮は皇帝に処罰される覚悟で、彼が健やかに生きられるよう引き取りたいと進言する。
その願いは叶えられ、紫月が生贄様として預けられた後もこの関係は続いた。
人質として生きる敵国での子育ては、彼女に生きる喜びを与えるもの。
羅雨と紫月を全身全霊で教育した。
その結果、今の二人がいる。
紫月が離れて一年もしないうちに睡蓮はこの世を去ったが、最後のその瞬間まで手を握っていたのは羅雨であった。
彼は心から思っていた、睡蓮が本当の母だと。
そして今睡蓮からの愛情のお返しに、紫月を特別可愛がっている。
「もうすぐ冬がやって来るから、紫月に暖かい肩掛けでもと狐を狩りに行ったが、一匹も捕まえられなかったよ。
すまないね、紫月。」
兄弟姉妹が居並ぶ中、羅雨の言葉は紫月一人に向けられた。
「ありがとうございます、兄様。
でもその狩りの途中で無理をなさったとか、私は大丈夫ですので、お身体をご自愛下さい。」
生き物が好きな紫月は、遠回しに遠慮の言葉を伝える。
可愛い動物が殺され皮を剥がれるなんて、狩りは賛成できない。
だが皇帝たるもの、狩りぐらい嗜んで当然という風習から、あからさまに非難はしなかった。
「もう兄様、また紫月ばっかり!
わたくしも狐が欲しゅうございます。」
泣きそうな顔で羅雨を見ながら、橙泉が話す。
「わかった、次は橙泉の分も覚えておくよ。」
そこに間髪入れず、舞霧が口を挟む。
「陛下、紫月は遠慮して申し上げませんでしたが、あなた様は我らが最愛の兄であって皇帝陛下でもあらせられる。
今回の落馬ではなんともありませんでしたが、御身に何かあっては国の一大事、お気をつけ下さい。」
「心配をかけてすまなかったね。
でももし私に何かあっても問題ないよ、お前が準備万端でいるから。」
羅雨の一言で、和やかな雰囲気は消えた。
彼は、ちゃんと理解している。
舞霧が自分の存在を快く思っていないことと、隙あらば皇帝の座を狙っているということも。
だからその慇懃無礼な言い方に、立場を慎めとメッセージを込めて皮肉で返した。
「陛下、お時間でございます。」
一同が青ざめて次の話題を切り出せないでいた時、迩留緯が絶妙のタイミングで声をかける。
睡蓮と紫月を失い喪失感に苛まれていた羅雨に、寄り添い支え励ましてきたのがこの迩留緯。
もう何年もこの一族を見て来たので、気の使い方は十分心得ている。
「残念だが、行かねばならん。
風邪など引くでないぞ、紫月。」
それだけ言うと、羅雨は出て行ってしまった。
問題はここからだ。
“もう、いつも紫月ばっかり!”と姉達の甲高い声での罵倒と、舞霧からの凍りつくような視線に耐えなければならない。
「はぁー。」
誰にも聞こえないように、紫月は覚悟のため息をつく。
「お話中、大変申し訳ございません。
紫月様、法師様が到着されました。」
紫月の部屋に朝食を運んできた世話人と、同じキョンシーの衣装を着た者が、お恐れながらと家族からのクレームの前に声をかけた。
「法師様が?」
深々とお辞儀をしたままの世話人に、心当たりがないのか疑問文で返す紫月。
「前回途中になった、説法の続きと仰っております。」
今度はきちんと顔を上げ答えた彼を見て、紫月はハッとする。
「あぁ、そうそう、そうでした。
それでは舞霧兄様お姉様方、お先に失礼いたします。」
「待って!」
突然、嶺零が呼び止めた。
「法師様の説法ならば、わたくしも伺おうかしら?
どこにおいでになるの?」
また含みを帯びた、物言いをする。
「紫月様のお部屋にございます。」
世話人がそう返すと、“ならば結構!”と彼女は言い捨てた。
来た回廊を世話人の後ろについて、紫月は早足で歩く。
吊り灯篭がただの明かりを灯すものになり、近衛兵がいなくなった所で二人は互いに向き合った。
「紫月様、お久しぶりでございます。」
「東堂、本当に助かった。
君は相変わらず心根が優しい人だね、会いたかったよ。」
「いえいえ、紫月様なればこそ、お助けしなければと思えるのです。
でも会いたかったなんて言っていただけて、本当に光栄です。」
「ところで今日は、どうして王宮にいるんだい?」
「はい、羅雨様からお許しが出て戻ることができました。」
紫月の顔が、パッと晴れやかになる。
「本当に?
じゃあ昔みたいに、また毎日会えるんだね。」
「いえ、この度は世話人を管理する役職で戻って参りました。
常時王宮にはおりますが、毎日お会いできるとは限りません。」
「そうか、でも同じ空間にいると思うだけで心が安定するよ。」
「まだ、あの不可解な現象が起こりますか?」
「ああ、昔と比べて回数は減ったよ。
でも起こると、脳ミソをグルグルかき混ぜられて、意識が遠のき世界が歪んでしまう。」
「お辛いですね。」
「仕方ないよ、僕はここの人間じゃないから。
僕が時空に悪さをしたのか、僕がされたのかわからないけどね。」
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