第4話 不運

紫月は美謝那の生まれでも、皇子でもない。

本来であれば、令和の世で中学三年生を謳歌しているはずだった。

あれは何でもない日の、学校からの帰り道。

「しかし早くない?

 まだ中一の夏休みが明けたとこなのに、もう進学希望調査だなんて。」

一緒に帰っていた梨咲がぼやいた。

「何事も計画的にって先生が言ってたから、仕方ないんじゃない。」

「紫月は女子大の附属高校で、進学希望出したの?」

「うん、あそこはバレーの強豪だからね。

 高校と大学でもバレーやりたいから、そこ一本で行くことにした。」

「いいなぁ、一本で行けるなんて。

 まあ、紫月は頭良いから、それで十分だよ。」

「何言ってんの、梨咲だって頭良いじゃん。」

「それが成績落ちちゃってね、個人指導の塾の申し込みに今から行くの。

 あっ、時間あったら紫月も一緒に来てくれない?」

「すぐに終わる?

 私も一旦家に帰ってから、ピアノに行かなきゃなんない。」

「すぐすぐすぐに終わるって。

 ヤッター、一人では心細かったから嬉しい。」

それから紫月は梨咲と、地図を見ながら目的の塾へと向かう。


今から思えば、そのビルを見た時に嫌な気持ちになった。

でもそれは塾とは勉強する所で、きちんと勉強に励んでいる紫月からすれば、これ以上見たくない場所だから、こんなに心が拒絶しているのだと理由づける。

「待って、こっちこっち。

 エレベーターがあるよ。」

階段を上り始めた紫月を、梨咲が呼び止めた。

「もう三階くらい階段で行こうよ。」

狭くて汚れた扉のエレベーターに、申出を一旦断る。

「紫月は体力あるけど、帰宅部の私はひ弱なの。

 お願い乗って!」

「はいはい、わかりました。」

梨咲が、エレベーターのボタンを押す。

“チンッ!”

古めかしい音を立てて、扉が開いた。

先に乗ったのは紫月。

後から梨咲が乗ろうとした瞬間、誰も“閉”のボタンを押していないのに、扉は閉ざされた。

紫月だけが中に取り残される。

きっとパニックになっただろうが、それからのことを紫月は覚えていない。

そして目が覚めたのは、美謝那国の紫月の寝所だった。


もちろん第一声は。

「ここはどこですか?」

東堂は、ゆっくりと優しく答える。

「安心して下さい、私もあなたと同じです、名前を東堂と言います。」

 もう何十年も前に、ここに来ました。」

その言葉に、紫月は涙した。

「やっぱり、私、どこかに来てしまったんですね。

 この部屋の中、異国の昔の宮殿みたい。」

「その通りです。

 現代人のあなたからすれば、何百年も前にあった異国の王朝です。」

「家に帰りたいんです、帰らせて下さい。」

「はい、いつか一緒に帰りましょうね。

 でも今は無理です、私も術を探していますが、まだ見つけられないのです。」

憔悴しきる紫月に、東堂は図らずも追い打ちをかける。

「これからすぐ恒例の儀式があるので、お気の毒ですが、あなたはしっかりしなければいけません。」

「はっ、何を言っているのですか?」

「あなたがここへ辿り着いた時に、この国も形を変えたのです。

 あなたを、見謝那国の第三皇子として迎え入れました。」

「待って下さい、私は女ですよ。

百歩譲ったとして、皇子は無理です男だから。」

「それも承知済のこと。

 この秘密は国家最高機密であって、公に周知されています。

 紫月様は女の身でありながら、第三皇子を演じ生贄様として暮らす運命なのです。」


ここから素早く東堂が生贄様について説明してくれたが、頭が現実について行かず、全く理解できない。

それでも時間は、待ってくれなかった。

泣きじゃくりながら第三皇子として与えられた部屋で、拝謁用の衣装に着替えて準備する。

「私がいますから、大丈夫ですよ。」

東堂が側にいて慰めてくれるが、全然大丈夫じゃない。

「無理です、芸能人にだって会ったことないのに、皇帝だなんて漫画の世界でしか知らないわ。」

「それでも、お会いいただかなくてはならないのです。

 嫌でも何でも、紫月様のお兄様なんですから。」

紫月は、うずくまってしまった。

「ご衣裳にシワがいきます、お立ち下さい。」

「・・・・・・、何でこんなことになったの?」

ずっと泣きっぱなしだが、涙は涸れはしない。

「私もそればかり考えてしまいます。

 さっ、お時間が来ました。」


納得できないまま、東堂が教えてくれた道順で玉座の間へと向かった。

泣き過ぎたせいか頭は痛いし、皇帝に会う緊張感で吐き気もする。

「生きていなければ、元の世界に戻れないですよ。

 だから頑張って!」

と、東堂に送り出されたが、頑張れる気がしない。

だが到着してしまった、玉座の間に。

「えっ、無理無理、絶対無理。」

学校の体育館ほどもある大きな部屋の中に、皇帝が据わる玉座だけが置かれていた。

その前には説明を受けた通りの順番で、兄弟姉妹が並んでいる。

その姿は絢爛豪華。

紫月は物怖じしてしまって、足が一歩も動かない。

「やあ紫月、どうしたんだい?

 一緒に入ろうか?」

突然見目麗しい男性に声をかけられ、背中を押される。

この男性こそが、皇帝羅雨。


初対面のこの時に、不思議な現象が起こった。

優しく押されただけなのに、紫月はその場で崩れ落ち意識をなくしてしまう。

そして今度も目覚めた時は、自室の寝所。

今度は正式に看病のため、東堂が遣わされていた。

「あっ、お目覚めですか?

 極度の緊張からでしょうか、拝謁の前に気を失われてしまったのですよ。」

紫月は目をカッと見開いて、じっと天井を見つめる。

そして何かを思い出すように、自分に起こったことを語り始めた。

「兄様に背中を押された瞬間、僕の頭の中にあるはずのない記憶が映像となって見えた。

 僕は生まれた瞬間から、生贄様だったんだね。」

東堂は紫月の変化を察知する。

”私”から”僕”に、なっていた。

これ以降紫月は、家族の誰かに触られると、同じような現象を起こすようになる。

そして段々、本当の自分の記憶を失っていった。

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