第2話 性 -サガ-
夜が明ける前に、必ず目が覚める。
十一月の中旬、月は美しいが厳しい冬の到来はもうすぐそこ。
朝の冷え込みに少し身を震わせたが、明かりも点けないで窓際に座り、しばしそこで時が過ぎるのを待つ。
「チュン、チュン。
チュン、チュン。」
「今日も時間通りだね。」
紫月は音を立てないように窓を押し開け、手が届きそうな距離まで近づいた雀に、隠し持っていたパンを細かくして置いてやった。
「いいよ、お食べ。」
小声で話しかけてから、立ち上がり身支度を始める。
「しまった!
今朝は、拝謁があるんだった。」
一度着た普段着を脱いで、拝謁用の衣装に着替えた。
紫月は美謝那国の第三皇子で、十五歳の少年。
この朝は皇帝である長兄、羅雨にご機嫌伺いをする拝謁があったため、着替え直していたのだ。
彼らが暮らす美謝那は、国土が狭くいわゆる小国だが、自然豊かな美しい国であった。
三方を標高が高い山々に囲まれ、残りの一方は魚が豊富に獲れる大海が広がる、天からの恩恵で成り立っている穏やかな土地。
だが逆を言えば、一旦自然が猛威を振るうと、災害が起こり人は為す術がない。
荒れ狂う海に狂気を感じたり、なぎ倒された木々が土砂と共に、山肌から崩れ落ちる姿に恐怖に震えたり、または長期間空から一滴も雨が降らず、畑が荒涼とした枯れ野原になるさまを目の当たりにし、愕然としながら古の人々は考えた。
これは全て神から与えられた試練、いかにすれば、許しを請うことができるのかを。
答えは、一つしかなかった。
天におわす自然の神々に、人の力ではどうにもならない天災が起こった時は、生贄を差し出すのでどうぞお静まり下さいと。
人道的に、最も卑劣な結論を導き出したのだ。
願いを聞き入れてもらうために神様に捧げる生贄なので、下品より上品、低俗より高雅、凡人より偉人がふさわしいとされ、この条件に唯一当てはまる存在、皇帝の子供が役目を担うこととなる。
しかし皇帝の世継がいなくなれば、国は存亡の危機だ。
だから皇位継承筆頭の第一皇子は生贄候補から当然除外、第二皇子は第一皇子が有事の際に皇位を継承しなければならないのでこれも除外。
第三皇子ともなれば皇位継承が回ってくる確立は低く、生贄として捧げられても国としての損失は少ない。
以来生贄様として、皇帝の第三皇子が生まれながらこの性を背負う決まりができた。
そして皇帝も皇子を何が何でも、三人生み出さねばならない宿命を課せられる。
今はこの性を、紫月が背負う。
「トントントン。」
紫月の部屋がノックされた。
「どうぞ、お入り下さい。」
紫月が声をかけると、中国の妖怪キョンシーみたいな衣装を着た男達が、ゾロゾロ朝食を持って入って来る。
そしてあっという間に、大きなテーブル一面に多種多様の料理が並ぶ。
「毎日申し上げておりますが、僕はこんなに食べられないので、品数を減らして下さい。
もったいないから、お願いします。」
悲しそうに、お願いする紫月。
しかし男達は首を横に振るだけで、一言も発することなく出て行ってしまった。
「暖簾に腕押しとは、まさにこのことだね。
あんなに大勢で来るのに、誰の声も聞いたことないや。」
紫月が愚痴を言ったのは、世話人と呼ばれる、字のごとく紫月の身の回りの世話をする者達。
生贄様として、生まれ落ちた瞬間から世話人がつく。
そう簡単に生贄として差し出されることはないが、自然災害はいつ起こるかわからないので、この世に未練が残らないように、生贄の役目を担った者は、何事にも執着を持たないように育てられる。
物心つく前に母親から引き離され、この世話人が生活一切の面倒を見て教育まで行う。
幼い時から、衣装・靴・おもちゃ・本・部屋の装飾品・友人にいたるまで三か月に一回、強制的に全て交換された。
言わずもがな、世話人もこれに準ずる。
もしも世話人に、毎朝雀にエサをあげているのを知られたら、すぐに止めさせられるだろう。
生贄様は、日課を持ってはいけないのだ。
紫月は結局、温かいお茶を少し飲んだだけで席を立つ。
「申し訳ない、もったいないことをした。
でも拝謁は家族が集まる場だから、気が重くて食が進まないんだ。」
と、大量の料理に頭を下げて部屋を出た。
皇帝が座する玉座の間は、紫月の部屋とは正反対の位置に置かれていて、拝謁以外会うことは全くない。
回廊に吊り下げられた灯篭が紫月の部屋近くのものより、少しずつ凝ったデザインになり始めると彼は頭を上げた。
更に明かりを灯すだけの灯篭でなく、機能性より芸術性を重視したものが並ぶ回廊に入ると、近衛兵が一定の間隔を置いて警護し始める。
その間隔がもっと狭くなり隣との距離が、ギリギリ腰に差した剣を抜ける幅まで近くなると、羅雨のいる玉座の間の入口に着く。
「遅いぞ、紫月!」
「申し訳ありません。」
次兄の舞霧に謝りながら、定位置に着く。
武術に長けていた舞霧は、羅雨の右腕となり将軍として国を支えている。
玉座の間は百人以上が入っても、ゆっくり座れるほどに広い空間だが、座具は皇帝が座する玉座しかない。
それは皆よりも三段高い場所に置かれ、皇帝は家臣のみならず家族である王族すら見下す形となる。
羅雨から見て右側に男性の王族、左側は女性が並ぶ。
「舞霧兄様、紫月はこの宮殿の一番端の暗い場所から来ているのです。
来ただけでも、労ってやって下さい。」
この含みがある物言いをしたのは、嶺零。
舞霧の実妹で紫月からすれば腹違いの姉、妖艶な美しさが漂う女性だが、意地は悪い。
「嶺零姉様、酷い言いようですこと。
碧水も、そう思うでしょう?」
「ええ紅水、私ならそんな言いようできませんわ。」
嶺零の横には双子の姉妹、碧水と紅水が愛らしさをひけらかすように立っている。
羅雨よりも華やかで豪華な衣装を纏い、施された化粧からは素顔を想像できない。
「碧姉様、紅姉様、見苦しいです。
彼は生贄様だから、もっと敬わないといけません。」
いつも最後に酷い一言を紫月に浴びせるのが、碧水紅水の実妹、橙泉の仕事だ。
美謝那国は皇帝羅雨を筆頭に、王族として存在しているのはこの七人。
彼らは異母兄弟姉妹の集まりだが、皆、親を早くに失ったので羅雨は絆を築こうと、一週間に一度会う場を設けたが、皇帝以外の人間は面倒くさがっているのであった。
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