第32話 真夜中のトレーニング
ぽたっ・・・,ぽたっ・・・
大粒の汗が重力に引っ張られ,床の木目に弾ける.
「・・・フゥッ・・・フゥッ」
(九百さんじゅうなな,九百さんじゅうはち,九百さんじゅうきゅう)
すっかり寝静まった,丑三つ時のハジメ町.
その町の宿屋「かまど」の自室で,トモシビは片手逆立ち腕立て伏せをしていた.
ト:(九百はちじゅう・・・さんっ,九百はちじゅう・・・よんっ.)
苦しそうに息を吐きながら,肘を曲げて身体を深く下ろし,顔を手の甲すれすれまで近づけたあと,ゆっくりと元に戻していく.
決して楽をせず,肩に意識を集中させ,念入りに,念入りに筋肉を虐めていく.
──恐らく高確率で,Cランク相当,もしくはそれ以上の魔物と戦うことになるだろう──
ト:(九百きゅうじゅう・・・きゅうっ)
ぽたぽたっ・・・ぽたっ・・・
ト:(せぇー・・・んっ!!)
目標の千回を達成したところで,トモシビは重心を背中の方にかけ,ごろんっと床に大の字になった.
ト:「すぅー,フゥッ・・・すぅー,フゥッ・・・なんとか,千回・・・.」
トモシビは,ドクドクという心臓の鼓動を感じながら,真っ暗な天井を見つめ,「・・・すぅー,フゥー」と深く深呼吸する.
・・・両肩がぐったりしている.右と左,それぞれでの片手逆立ち腕立て伏せは,相当身体にダメージを負わせたみたいだ.
ト:(・・・久しぶりに腕立てやってみたけど,やっぱ落ちてんなぁ筋力.一年前の俺ならもっと余裕だった.・・・まぁ,仕方ねぇよな.素振り以外の筋トレなんて丸一年やってなかったし.・・・山イカと戦ったのは今から二,三カ月前.『ゲット・ザ・トレジャー』までの間に一年前の俺に戻るのは無理でも,せめて二,三カ月前の俺と比べてもそん色ないくらい,もしくはそれ以上のコンディションには戻さねぇとな.)
ト:「フゥー・・・よし!」
トモシビは,ガバッと上半身を起こし,そのまま立ち上がる.
ト:(とりあえず,筋肉休めるために一旦ベッドで休憩するか.日課の素振りはそれからだ.)
そうして,ベッドに向かおうと身体の向きを変えたそのとき,ふと窓の外を何かが横切っていくのに気が付いた.
ト:(あの輪郭・・・.そうか,あいつも頑張ってるんだな.)
そうして,温かい気持ちを胸に,ベットに向かっていくのだった.
────────────
ヒュー・・・
夜の風が,涼しく衣服をなびかせる.
メ:(夜の街並みも綺麗だなぁ・・・って,いかんいかん.これから訓練するんだから,鍛えることだけに集中しないと.)
服屋に浴衣を返した後,元の黒い衣装を身にまとっていたメリー.今は,土の仮面に水色の浴衣を身に着けている.万が一,誰かに見られてもいいように,訓練の時は浴衣を着るよう決めたのだ.
メ:(よしっ,それじゃあ今日から特訓だ.とりあえず,私が出来るようになりたいのは三つ.一つは
かくしてメリーは,月明かりの下,魔法の特訓を始めるのであった.
────────────────────────
ゴォーーーーーーッ・・・!!
建物の間を,メリーはジェット機のように飛んでいく.
メ:(ここっ!ここっ!)
目の前に現れた細長い建物や,屋根飾りを風弾を使って瞬時に縫うように避け,避け切れない幅の広い建物が現れた時は風弾で瞬時に方向転換していく.
メ:(ここで・・・ストップ!!)
ブワンッ!!
そうして,1分程度全速力で飛行したメリーは,目の前の建物に当たる寸前に強い逆風を全身にあて,空中で急停止するのであった.
メ:「はぁ・・・はぁ・・・.」
メ:(・・・今のは風弾というよりも
メ:「フゥー.・・・夜が明けるのもそろそろだろうし,今日は一旦帰ろっか.」
一息ついたメリー.身体を翻し,宿屋「かまど」に戻ろうとする.
メ:(・・・そういえば,魔力消費で思い出したけど,戦闘中に魔力が回復していくあの現象って何なんだろう?
ブワッ・・・
メ:「!?」
寒気を感じたメリー.それまでの物思いをシャットダウンし,とっさにその感覚が向かってきた方向に顔を向ける.
メ:(ああ,やっぱりタコちゃんか.びっくりして損した.私に何か用でもあるのかなぁ.・・・あれ?隣にいる人は・・・.)
そこにはメリーの方を見上げている二人の人物がいた.一人は,青髪の少女タコちゃん.手にランプを持っている.昨日から一緒に行動することになり,昨晩から同じ宿屋「かまど」に泊っている人物だ.そしてもう一人は─
メ:「ミラ・・・さん?」
─────────────────────────
フワァッ・・・タッ.
メ:「どうしたんですか?こんな時間帯に?」
地面に降り立ったメリー.若干訝しみながら,二人に尋ねる.
ミ:「・・・君に話しそびれていたことを思い出してね.いてもたってもいられず,スラ8号の助けを借りて君を訪ねることにしたんだ.訓練中だったんだろう?邪魔をして申し訳ないね.」
その言葉を聞いてメリーは慌てふためく.
メ:「えっ,いや,全然大丈夫ですよ.ちょうど今帰ろうとしたところでしたし.わざわざこんなところまで訪ねさせてすみません.」
ミ:「・・・本当に,君はいい子なんだね.」
優しい笑みを浮かべるミラ.
メ:「そうですかね?」
ミ:「ああ,そうだよ.・・・.」
少しの沈黙.
メリーは,心を落ち着かせる.
メ:「・・・それで,話って何ですか?」
ミ:「・・・私は,魔女を三人殺している.」
メ:「!!」
その一言に,メリーの胸はドキッと苦しくなった.
ミ:「私は,そのことに対して後悔していない.必要なことをしたと思っている.」
メ:「・・・.」
ミラは,淡々と話を続ける.
ミ:「殺した魔女の中には,君のご家族や友人と関係の深い人がいたかもしれない.君自身とも,関わりの深い人がいたかもしれない.」
メ:「・・・.」
メリーは,視線を落とす.
ミ:「君はそれでも,私たちの任務を引き受けてくれるのかい?」
ミラは,まっすぐメリーを見つめる.
メ:「・・・話してくれてありがとうございます.」
メリーは,しばらく考えた後,顔を上げ,話を続けた.
メ:「・・・私があなたたちの依頼を引き受けたのは・・・この機会を逃したら,海底遺跡に訪れることなんて一生できないかもしれない!っていう娯楽的な理由もあります.・・・けれど,一番の決め手になったのは,今後の人助けの活動に,魔女の名誉を挽回する活動に有益だと思ったことです.・・・今も,今後のためになると確信しています.だから,だから私は引き受けます.あなたが魔女を殺していたとしても,それが,私にとって,村のみんなにとって,いい未来につながると思うから.」
ミ:「・・・君には─
タ:「お前に恨みはないのか・・・?」
ミラの言葉を,タコちゃんが遮った.
メ:「・・・.」
タ:「同族が殺されているんだぞ?お前の知ってる人が,お前の知ってる人にとって大切な人が,殺されているかもしれないんだぞ?・・・お前には思うところがないのか?お前には悔しい思いはないのか?お前には,復讐したいという気持ちが,こんな奴らと手を取り合いたくないという気持ちが,恨む気持ちが,本当にないのか?」
タコちゃんは,心の底から理解できないというような様子で,メリーに疑問をぶつける.
メ:「・・・もちろん,思うところはあるし,悔しい気持ちもあるよ.でも,恨む気持ちはわいてこない.」
タ:「なぜだ?」
メ:「だって─
メ:「だって,私の大好きな人達からは,『人を恨むこと』なんて,教わらなかったから.」
タ:「・・・.」
静けさが,三人を包みこむ.
メ:「それにね,・・・私は,自分に誇りを持っていたいの.私の大切な人達に,誇りに思ってもらいたいの.私のお母さんに,友達に,村のみんなに,胸を張ってもらえるような人でありたいの.私が復讐に走ったら,皆は多分悲しむと思う.私の大切な人達は,自分の幸せよりも他の人の幸せを願える人達だから.だから私は・・・そんなみんなに報いるために,そんなみんなが幸せに,自由に暮らせる世の中を創るために,行動するって決めてるの.国中の人達に,いい魔女がいるってことをちゃんと知ってもらいたいの.それが私の,恨みを持たない理由だよ.」
心の奥底から出た言葉,その気持ちをそのままに,タコちゃんに伝えるメリー.
ミ:「・・・本当に,君のことを,君の周りにいた人達のことを尊敬するよ.」
ミラは,心の底から感心した様子で,メリーに声を掛ける.
タ:「・・・詭弁だ.」
しかし,タコちゃんは違った.
ミ:「スラ8号・・・.」
タ:「お前の考え方は,なんの現実味もない考え方だ.目の前で大切な人が殺されても,お前は同じことが言えるのか?お前の友達が母親が,目の前で惨殺されても,同じような熱意を持ってそんなことが言えるのか?・・・不可能だ.お前の熱意は悪意に,ドス黒い復讐心に必ず変わる・・・!!お前はまだ,大切な人が殺されていないからそんなことが言えるんだ!お前は何もわかっていない!敵意も悪意も,その背景にあるモノも,お前は何にも理解していないっ!!だからそんなことが言えるんだっ!!だからお前は─
メ:─タコちゃん.」
静かな声に,静かだが,意思を持った声に,タコちゃんは口をつぐむ.
タ:「・・・.」
メ:「私を見ててよ.絶対に,理解させてみせるから.」
真剣な表情.その強い意志を持った眼差しを前にして,タコちゃんは,それ以上先の言葉が出てこなくなった.
タ:「・・・ふん.」
ミ:「・・・さて,メリーちゃん,君の考えはよくわかった.繰り返しになるけど,私たちの依頼を承諾してくれて本当にありがとう.今後,何か困ったことがあったら,ぜひ連絡してくれ.私にできることはなんでもするつもりだからね.」
メ:「ありがとうございます.ミラさん.」
ミラは,口に薄っすら笑みを浮かべ,身をひるがえす.
ミ:「それじゃあ,またね.・・・スラ8号,途中まで送ってもらえるかい?」
タ:「・・・御意.」
メ:「・・・さようなら,ミラさん」
ミ:「ああ,さようなら.」
夜空の星が,キラキラと見守っている.
こうしてメリーの,日課のトレーニングが始まるのであった.
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