第3話「纏わりつく因果」
フエンという男に言わせれば。愛とは他者へ傾けるべき莫大な情熱と無二の執着である。対象は唯一でなくてはならず、その期限は永遠。それが彼の最も貴ぶべき価値観であった。
若年の彼は、一つの恋をした。年下の、良い家柄の娘であった。地球が崩壊し、月は堕ち、人々もコロニーという新たな地平を得た現代。家の繁栄を重んじる古い在り方は、末裔である娘を縛り付けていた。
科学者を志していたこと以外に取柄もなかったフエンは、娘を家から解放する術を持たなかった。二人は故郷を捨て、幾つもの宙域を渡った。他者からの認可など些末事であり、娘との愛があればそれでよかった。
究極的に互いだけを感じた日々。幸福の絶頂。されど盛者必衰の
個人が宙域を移動するには多くの危険が付きまとう。隕石群との衝突。国家間の
彼らの旅の
ミズガルズ宙域外縁を通りすがったところを賊に襲われ、拐かされた娘は。二度とフエンのところに戻ることはなかった。
宙域内のコロニーに不時着し、フォルセティ警察に助けを求めた彼に残されたのは、事件解決の知らせの他に、娘が賊どもによって徹底的に汚されたという残酷な事実のみ。
フエンは、最愛の人を喪った。
しかし、フエンに言わせれば。愛とは情熱と執着。対象はただ一つ、その時は永遠。
娘との旅の中、科学技術を学び、やがては宇宙をゆく船を造るに至った彼の頭脳は。甘い夢幻を叶えるには十分で。そして十分であるのなら、やはり彼に迷う余地はなかった。
ミズガルズ宙域のコロニー3。技術者が多く集うその地に居を構え、フエンは実験を行った。汎用アンドロイド製造技術を基にした、新たなアンドロイド製作の実験。目的は勿論、愛しき人の再誕。
合成金属と軟質素材を用いて限りなく人間に近づけたボディ。高精度かつ緻密な動きに耐えうる顔パーツや関節。柔軟で遊びのある思考フレームも。
知識と技術を結集し、フエンはようやく、一体のアンドロイドを完成させた。
作業台に寝かせた少女型アンドロイドはゆっくりと起動し、年老いたフエンの姿を認める。
実に三十年ぶりの再会。彼は在りし日と変わらぬ少女の頬を撫で、愛しいその名を口にしたのだ。
「おかえり、僕だけのハリエット」
「……ハリエット」
マーニにはその名を呼ぶことしかできなかった。対する少女があまりに悲痛に映る。
そしてそう感じるのは、恐らくまだ何かあるから。お揃いの青藍の瞳を覗き込めば、内に込められた思いが汲み取れる。恐怖だ。
「私は彼の望みを受けて誕生しましたが、彼の望み通りに愛を与えることはどうしても出来なかったのです。彼と過ごした記憶はあっても、彼を恋人とは見做せなかった」
ハリエットの声が震える。
「私は、失敗作なんです」
フエンの技術者としての腕は相当な域にあった。独力で一つの機械生命を生み出したその熱意も。
だが、その狂気ゆえに。道を踏み外したのだろう。
生まれたてのAIハリエットは、人間であったハリエットの代わりにはなり得ない。その姿を似せようとも、その記憶を植え付けようとも。人格は決定的に異なり、フエンを愛する心もまた然り。
「彼は私に愛を教えようと研究を続けました。求められたのは、女性としての心を宿すこと。恋を知るために小説を読まされ、恥を知るために時おり服を着ないで過ごすように命じられ、男を知るために彼の身体を余すことなく見せつけられたりもしました」
滔々とした口調。かえってマーニは下唇を噛んだ。創造主と被造物の間にある歪みきった関係に居た堪れなくなる。
設えられた衣装も、端整な作りの顔立ちも、首元に埋め込まれたチョーカー型の識別装置も。今となっては全てが悍ましいものに感じられ、それが只々悲しい。
「それでも芳しくない結果を得られなかった彼は、どこから連れてきたかも分からない人間たちを相手に実験を重ね……それで、それで……!」
「分かった、ハリエット。分かったから。一回落ち着いてくれ」
堰を切ったような口調のハリエットを制止する。アンドロイドにも拘らず彼女がここまで人間性を獲得するに至った経緯は、もはや十分すぎるほどに察せられた。
より高次の思考様式を得るために、あるいはよりヒトに近しいボディを作るために。フエンは禁忌とされる人体実験を繰り返した。筋と臓を裂き、頭蓋を割り、脳の電気信号を検知して。感情と欲求、愛情の所在はどこか、幾人もの人を相手に徹底的に調べ尽くす猟奇に塗れた作業。
人間である彼にとってはそれしきのこと。しかし、アンドロイドの彼女にとっては。
「私は、もう耐えられなくて。私のために積み重なっていく犠牲にも、それでも理解できない人の情にも。だから、彼が研究に行き詰って余裕を欠いた隙にこっそり逃げ出して」
所詮は、一方的に傾けられた愛など、最後まで一方的な儘で。ハリエットの心は、フエンの与り知らぬところで萌芽の時を迎えていた。揺れる藍の瞳がこの上なき証左である。
マーニは、腹を決めることにした。
「確かにあんたはある意味で失敗作かもしれない」
顔を伏せるハリエットに告ぐ。
何が理解できないだ。何が愛を与えることができないだ。
「だがその失敗は。あんたの葛藤と決断は。何より価値があるもんだ」
まずはその勇敢を讃えよう。少女の隣に腰掛けたマーニは、祝福を込めてその名を口にしたのだ。
「あんたは自分の意思でここにいる。今まさに、あんたは大切な一歩を踏み出したんだよ、ハティ」
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