気色の悪いボール 


投球練習はすべてナックルだった。


90キロに満たない軌道なき魔球。

それが、突然力尽きて舞い落ちる。

落ち方もいろいろ …

真っ直ぐだったり、揺れたり、曲がったり …


やはりテレビでみるのとは大違い。

実際に受けるとその凄さは想像の遥か上を行く。


ナックル自体はさほど珍しい球種ではない。

大学のチームメイトにも投げるピッチャーはいたし、練習の時に遊びで投げる奴なんていくらでもいた。


当たり前だけど、トーヤさんのナックルはそれとはぜんぜん違うものだった。


トーヤさんの魔球は生命を宿している。

そして、その生命が消える。

そう表現するしかない。


ドームは驚めきに包まれたままだった。

ラインナップの発表から、スタンドのボルテージが完全に振り切っていた。


スタンドの顔、顔、顔。

皆が皆、まあるい顔をしていた。

まるで浮き浮き感が止まらない。


ここに座って眺める光景には、おれだって浮き浮きする。

このしろくまのベストメンバーはヤバい。

とにかくヤバいくらい魅力的だ。


そして …

目の前のマウンドに立っている憧れの人が、おれに向かってあの魔球が投げ込む。

夢のような映像。

それは観客だけでなく、ナインもスタッフも皆同じ思いだろう。


しろくまドームのマウンドに立つ西崎透也。

それはしろくま関係者にすれば夢のような奇跡なのかも知れない。


オープン戦、トーヤさんは一度も登板しなかった。

ずっとブルペンで調整をしていた。

この開幕戦は日本中が …世界中が待ちに待った西崎透也の日本復帰戦だ。

だから今、トーヤさんが投げる 1球1球には、強烈な熱視線がヒシヒシと感じられた。

その視線は、当然おれのキャッチングにも向けられることになる。

ここでパスボール連発、なんて姿は死んでも見せられない。


投球練習はすべてミットに収めた ……ミットのポケットには 1球も収まらなかったけど … とりあえずキャッチ出来た。


プレイボール前、サインの確認のためにトーヤさんの元へ走る。

近づくとトーヤさんのオーラ、やっぱり凄まじい。



「しろくまの人気、とんでもねーな。こりゃぁ、ワールドシリーズの雰囲気以上だわ」


トーヤさんが白い歯を見せた。


「これは全部、トーヤさんのせいですよ」


・・・リラックスしてるなぁ


「いや、俺の人気は物珍しさ半分だろうが、さとしたちの人気は本物だな。いや異常だわ。 ……ん?さとし、なんか緊張してねーか ?」


「緊張というよりも、ビビッてます」


「ビビる ? ああ ……確かにこの雰囲気にはビビるよな」


「いや、パスボールが心配で ……」


「ん ? そんなもん出して当然だし」


「当然 ……ですか ?」


「ああ、あんな気色の悪いボール、俺だったら絶対捕れねーもん。あれだけ捕れれば充分さ。それより今日、さとしのサイン通り投げるからよろしくな。俺、割と緊張してるんで、配球考える余裕ねーし ……何ならナックル率10パーくらいでもいいぞ」


・・・緊張って、まさか


「10%ですか ?」


「ああ、ナックル以外が日本でどれだけ通用するかも見たいし、配球は全部任せる」


・・・全部任せるって


「こんな凄い雰囲気なんだ。まあ、とにかく野球を楽しまんと勿体ない。行こーぜ」


そう言って、トーヤさんに背中を押された。



試合開始だ。

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