第5話
私は題目の順序どおり日本の童謡から初めて、途中休憩も入れながら9曲を演奏した。最後に十八番の子守歌を演奏し始めた。3番のエンディングのパートは得意のトレモロで郷愁をさそった。7小節目にかかった時、席の後ろの方から済んだハーモニカの音がトレモロを追ってきた。クロマチックハーモニカの音だ。私は一瞬指が止まりそうになりながらも必死で演奏を続けた。
ハーモニカの音に負けないように必死に最後まで音符を追った。演奏が終わると若い介護士さん達が総立ちで割れるような拍手をしてくれた。私もそれにつられて一緒に拍手をし、ハーモニカの音を探した。
白髪の老人が席の後方から立ち上がり、私に向かって深々と頭を下げている。
私は老人の輪郭がハーモニカの音とともに遠い記憶の中からはっきりと浮かび上がってくるのを感じていた。親父?
親父は39年前の50歳の時家族の前から忽然と姿を消した。私が大学を卒業する年の4月だった。親父ははQ県の職員で県内を転々としていたが50歳を機に山間部の出張所に配属を命じられた、たいていの転勤は自宅からの通勤圏であったが、今度は単身赴任をせざるを得なかった。そのことに、親父お袋も淡々としていて、親父は配属日が近ずくとそくさくと家を出て行ってしまった。私は少しわびしい気もしていたが同居していた姉も母同様にこれといった反応を示さなかった。その後の親父は全く音信不通で39年が経ってしまった。私の中では突然消えてしまった親父であり、また突然の親父でもある。私は老人に近づき軽く頷くと親父は私が来たときから私を認識していたらしく、涙目で首を縦に振りながら私が元気でやっていることを喜んだ。私は親父に自分は昨年定年したことや、実家に1人で住んでいること、お袋の他界や近況等を立て続けにしゃべったが親父は淡々と聞いているだけだった。
親父は少し疲れたらしく部屋に戻るといい「じゃあ」とひとこと言って背中を向けた。私は親父にに「またくる」と言い返した。
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