第7話 結婚式の日
残暑が厳しい8月に入り、様々な準備がピークを迎えていた。移住まで1カ月…。バタバタと1日が過ぎて行く。忙しさに紛れて極力城野さんの事は考えないようにしていたのだが、一度だけ未だに何となく納得出来ない思いに私は受話器を上げた事がある。市外局番は0259。何かあれば電話をして欲しいと渡されていた自宅の電話番号だ。1回2回…信号が鳴る。すると不愛想な男性が電話に出た。
「はい」
「城野さんのお宅ですか?」
「はい」
「あの…裕子さんはご在宅でしょうか。東京でお世話になった者なんです」
「裕子はでがげでる。帰りの時間はわかんねぇ」
浜言葉であろうか…明らかに警戒している雰囲気が読んで取れた。
「そうですか。わかりました。改めます」
そう言って電話を切ったが再び掛ける事はなかった。
しかし、8月11日の晩になると妙に気持ちがソワソワと落ち着かなくなり何時までも眠れないでいた。
「あの人が結婚してしまう…。この納得できないという拘りはどうしたら良いのだろう…?」
そんな思いが胸を駆け巡る。ふっと窓の方を見ると雨戸の隙間から光が差し込んでいる。
「そうだ。新潟の佐渡の見える所に拘りを捨てに行こう」
そう思い立ち始発のバスに飛び乗る。京成電鉄検見川駅で上野駅までの切符を購入して各駅停車に乗った。津田沼駅で急行か特急上野行と連絡する筈だ。出来れば正午までには着きたい…そんな思いでJR上野駅より上越新幹線「あさひ」に乗り込んだ。
昔は新潟まで「急行佐渡」か「特急とき」だった。「夜行急行佐渡」は乗り心地はイマイチなれど良い宿の代わりだった。しかし、新幹線は在来線の急行や特急を廃止に追いやり、乗客の移動に関する選択権は大幅に狭められてしまった。
それでもこの日は新幹線が有難い存在だった。上野~新潟が2時間弱…昼に間に合うかも知れない…。11時過ぎに到着した「あさひ」に感謝しつつ駅前からタクシ-に乗った。
「あの、この新潟市街から佐渡ヶ島と汽船の航路が一望できる場所はありませんか?」
タクシ-ドライバ-は少し考えると
「あぁ、ありますよ。ここからだと20分位掛かりますがよろしいですか?」
「お願いします。ついでにコンビニがあったら寄ってください」
「わかりました」
コンビニで飲み物を買って、佐渡ヶ島の見える場所であの人の結婚を祝って拘りを捨てよう…そう考えた。静かにタクシ-は市街から郊外へと走る。車窓からは青い日本海が広がっていた。
「今日は天気が良いので日本海と佐渡ヶ島が良く見えます。あそこの展望台でどうですか?島に向かう汽船の姿も見えますよ」
「ありがとうございます。帰りも迎えに来て貰えますか?」
「はい。何時頃に来ましょうか?」
「14時30分にお願いします」
ドライバ-はこの場所にそんな長時間いるのか?と訝しげな表情をしたが、
「わかりました」
と言ってゆっくりと去って行った。私は日本海を隔てて佐渡ヶ島を眺める。確か両津港の近くだって言ってたな…。
あの島で城野さんの結婚式がもう直ぐ始まる。そうすれば生活をして行く中でいつの間にか私の事も忘れてしまうであろう。そんな事を思いつつ腕時計が正午になるのを確認してコンビニ袋から缶コ-ラを取り出して呟いた。
「城野裕子さんご結婚おめでとうございます。乾杯」
こんなにおめでたい日なのにアルコ-ル抜きでごめんなさい…と心の中で謝りながらコ-ラを飲んでひたすら海と島を眺めて今までの事を思い出していた。
「今日はあの納得出来ない思いを捨てに来ました。あなたが一緒に寄り添ってくれた日々を私は忘れません。幸せになってください」
いつしか時刻は14時を過ぎていた。沖合をジェットフォイルが島に向かって行く。電話で話していた3時過ぎには到着するという船であろう。
私は最後の「交換ノ-ト」に添えられていた桜の花びらを包んだ和紙をバッグから取り出した。そしてゆっくりと開いて陸から海へ吹く夏の風に乗せた。花びらは青い日本海に吸い込まれるようにどこかに消えて行った。
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