第5話  納得できない結末

「湾岸から首都高に行きますか?それとも京葉道路から首都高?」


「少し遠回りで走って欲しいな」


「じゃ、京葉道路から首都高ですかね。霞が関から羽田経由横羽線と行きます」


「うん…」


 幕張に近い武石という田舎のインタ-より京葉道路に乗る。レガシィのボクサ-エンジンは2速3速で咆哮を上げて一気に100キロまで加速した。船橋、市川…車は少しづつ都内に近づく。京葉道路から首都高へ入っても城野さんは黙ったまま外を見つめている。


「あの…城野さん、もし話したくなければ無理に話さなくても良いですよ」


「うん…ありがとう。大丈夫だよ。もう少し待って」


「わかりました」


 ヘッドライトとオレンジ色の街路灯が道路を照らし、ビルとビルの間を縫うようにレガシィは車群に埋もれて走り続ける。


「あの…もし嫌じゃなければ遅くなりついでにもう一か所寄り道しませんか」


「え…うん。いいけど」


「私の都内で好きな場所なんですけど、排気ガスですすけたような場所です。行ったら笑われるかも知れませんが…一度新宿に車を向けます」


 首都高速は千代田区にある最高裁判所付近の地下トンネル内で羽田・横浜方面と新宿・中央高速方面へと分岐する。直進すれば帰路となる羽田・横浜方面だが敢えて車を新宿に向けた。


「新宿の夜景でも見に行くの?」


「高層ビルからの夜景ですか?夜景なんて事務所からも見えるじゃないですか。毎日うちの課長が東京タワ-にライトが点くのを楽しみにしてるんです…残念ですが不正解」


「違ったか…」


 いつも働いている事務所からは東京タワ-と六本木界隈が一望出来た。正に東京の中心部で働いているという事を誇りに思えるロケーションが揃っており、残業していれば夜景は嫌でも目に飛び込んで来る。増してやバブル全盛期の東京の夜景は今から考えれば確かに美しかったかも知れない。


 そして当時の東京タワ-は現在のようなライトアップではなく、タワーの形に温かみのある肌色電球の灯るイルミネ-ションだった。


「あの電気は手動で毎日夕方6時に警備の人がスイッチを入れる事になっているんだ。時々忘れてるのか点かない事があってね、その時は東京タワ-に電話して6時ですよって教えてやるとパッと点くんだよ。それが気持ち良くてさ…」


 その話は管理課長の中では自慢話であった様だが、傍から聞いている我々から見ればどうでも良い話であり、穏やかな見た目の割に趣味の悪い細かいオッサンだな…そんな事を思いつつ書類を見つめる日々。だから夜景はどうでも良かった。


 私は新宿出口で車を出すと小田急線の参宮橋駅方面への向かい、今度は代々木ICより首都高の小松川方向へと車を向けて代々木パーキングエリアを目指す。


 今でこそ立派な施設になっているが、当時は本線から導入路を辿ると本当に僅かなスペ-スに小さなコ-ヒ-ショップがあり、外に自販機が数台置いてある簡素な施設だった。


 正に昭和38年の東京オリンピックを控えて首都高速を急造し、モ-タ-リゼ-ションの進行を予測をしていなかった事が見え見えの狭いスペ-スで、頻繁に走っている人間ですら存在を知らない場所でもある。私が免許を取って初めて走った高速道路が京葉道路と首都高新宿線で、首都高に特化した地図を眺めて初めて立ち寄ったパーキングエリアでもあった。


「こんな所にパーキングがあったんだ…」


「知る人ぞ知る存在です。個人的な趣味ですが、実はここで缶コ-ヒ-を飲みながら本線上の滑るように走ってゆく車を眺めているのが好きなんです。何を飲みますか?」


「あなたはコ-ヒ-なんでしょ。私も一緒でいいよ」


 車内から自販機を見るとまだ冬の名残か温かいコ-ヒ-が売られていた。


「夜中で少し冷えて来たし、温かいのを買って来ます」


 ブラックとミルク砂糖入りの2本を買って車に戻ると城野さんは


「私はブラックね」


 と一言。それから再び会話が途切れた。制限速度60キロの首都高だが、深夜は異常に車の流れが速い。


「ここ…何だか不思議な空間だよね。あなたが好みそうな場所だわ。いつも一人で車走らせてこんな所にも寄ってるんだね」


「車で走るのが好きですからね。でもここに人を連れて来たのは城野さんが初めてです」


「あら…嬉しいな。じゃ、私のまだ誰にも言ってない秘密を教えちゃおうかな」


「秘密?話したい事って…」


「そう。話したかったのはこの秘密の話。だけど、朝から楽しい時間を過ごしてたから言おうかどうしようか迷っちゃって。ちょっときっかけを探してたんだよね」


「迷うって事はあまり良い話ではなさそうですね」


「あなたから見たらどうでも良い話かもしれないけどね…」


 一瞬会話が途切れた後に城野さんが切り出す。


「私、結婚するんだ…」


「え?だって恋愛すらした事ないって…」


「一週間前に私が佐渡に帰省したの知ってるよね?」


「はい。ノ-トにも4~5日帰省するって書かれてましたから」


「あれさ、お見合いだったんだよ。隣町の造船所の人で良さそうな相手だから会うだけでも会えって言われて行ったんだけど、あちらの本人と両親、家の両親まで乗り気になっちゃって私の意志も確認しないで話が始まっちゃった。私、東京に来て短大から社会に出ても独りで好き勝手してたからそろそろ年貢の納め時かなって思ってる」


「え?だってまだ一週間ですよ。戦時中じゃあるまいし…そんな前時代的な…私は納得出来ません」


「私もあなたの移住話に未だに納得出来ていないもん。もっと一緒に働きたかったし話もしたかった」


 これは私に引き止めろと言っているのか…?いろいろな思いが頭を巡るが、これから東京を去って未知の北海道へと旅立つ私に引き止める権利などなかった。


 無責任に引き止めて城野さんが結婚を止めたとしても、今度は都会に置き去りにされたような運命を辿るような気がしてならなかったのだ。また、飛躍的な考えで「仮に」北海道に一緒に来て貰ったとして、どんな事が待ち受けているか分からない土地で一歩間違えれば酷い苦労をさせるかも知れない。


 だから「一緒に北海道に来てください」なんて口が裂けても言えなかった。


「で、あなたはいつ退職予定なの?」


「6月末にしようかと思っています。7月8月でいろいろと準備をして9月にはあちらに行く予定です」


「そっか。お互いに何だか納得しない結末を迎えちゃったみたいだね」


「いや…城野さん、私の事はともかくもう一度結婚話を考え直すつもりはないんですか?相手の事もよく知らないんですよね?」


「造船所に勤めている肌が浅黒いおじさんよ。一応会社員。そう言われればそれ以上は知らないかな。でもね、私の生まれた所ではこういう感じでお見合いをして短期間で結婚するのは普通の出来事なの。だからまぁ良いかなって今は思ってる。昔はそう云うのが嫌で東京に来たんだけどね」


「そうですか…でも納得できません」


「あなたは北海道に移住して私は田舎の佐渡ヶ島に帰って結婚する。お互いに心機一転だね。物事はドラマのようにハッピ-エンドにはならないんだよ。ま、どの結末がハッピ-エンドかは分からないけど」


「事実は小説よりも奇なりってやつですか」


「そうそう。それ」


 私は何とも言えない気持ちになっていた。動揺していたようにも思う。でも極力平静を装ってレガシィのエンジンを掛けた。ボボボボボッ…ボクサ-エンジンが静かに回転を上げる…。


「帰りましょうか。私は明日課長に退職の申し出をします」


「そっか。私はもう少し後に7月末って言おうかな…」


「まさかもう結婚式の日取りまで決まっちゃってるんですか?」


「そうじゃないんだけど…急げって言われてる」


「確かに城野さんが佐渡に戻ればご両親も安心するんでしょうけど…でもやっぱり…」


「納得できない?」


「はい」


「あなたと私が生活しているこの東京と地方の考え方は違うのよ。東京にはいろいろな考えの人が出入りしていて沢山の想いが生まれるし、最新のファッションや流行りのものも入って来る。でも、地方では昔の考え方に凝り固まっているの。外部から人が引っ越して来ると表立っては言わないけど、陰でよそ者のレッテルを貼られる。もしあなたが佐渡ヶ島に来たとしたら東京者って言われるんだよ。ちょっと怖いでしょ」


「今私の住んでいる地域も閉鎖的で…。家の移住話もその部分が発端となっている部分があるんです。城野さんの田舎も同じなんですね。ひょっとして俺も北海道に行ってもまた同じ事の繰り返しなんだろうか…」


「かもね。でも北海道っていろいろな地域からの集合体って言うから…もしそうなったとしてもあなたならきっと大丈夫よ」


 レガシィは再び車群の中に吸い込まれて深夜の首都高を走り神奈川を目指す。後ろから走って来た長距離トラックが追い越し車線を轟音を上げて抜いて行く。


「また車で出掛ける時には付き合ってください」


 しかし、トラックの轟音で「また車で出掛ける時」というのは城野さんの耳に入らず「付き合ってください」だけが聞こえたようだ。


「何言ってるの」


「いや…そうではなく…」


 でも否定はしなかった。それから会話はなくなってしまった。


「もうこの時間なので社宅の皆さんも寝てるでしょう。玄関前に付けますね」


「うん。ありがとう」


 社宅は5~6世帯が入る大きさの建物。どの家も電気は消えていた。


「今日はありがとうございました。楽しい一日でした」


「私こそありがとう。ご飯ごちそう様。また明日」


 レガシィのドアを閉めて玄関に入って行く城野さんの後ろ姿は少し寂し気だった。

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