第6話「99式自動貨車」ケース<義烈>1 〜蠢動〜

自分の生命を愛しても憎んでもいけない。

だが生きてる限りは生命を大切にするがよい。

長く生きるか短命に終るかは、天に委まかせるがよい。

               (ジョン・ミルトン『失楽園』)




 これまで何度か経験した飛行機と比べ、グライダーというものの静かさと上下左右に軽くふわふわした感触は何度経験してもなかなか慣れないものであった。

遠くでけん引しているはずの重爆のエンジン音がまるで子守歌のように聞こえた。

 乗り組んだ時の緊張感がいささか緩んだ気がした。


 また夜である。

 私の戦場は大半が夜か雨中である。

 マレーでもビルマでも…

 明るい日差しが自分には似合わないのかもしれない。


「中尉殿だけでは行かせませんやぁ」


 だいぶ前に小隊長にはなった自分だが、昔なじみの伍長は今でも階級で呼ぶ。

戦場の拡大に伴う下士官・下位士官の不足により、開戦時に一等兵だった平井はいつの間にか伍長となっていた。


「死ぬなよ」

「中尉殿こそ」

「俺は生きるさ」


 平井はニヤリとした。たぶん自分ではにっこりと笑ったつもりだろうが、その南方で日焼けした肌の色と仁王様面ではニヤリとしか見えなかった。

 開戦の時にともに戦った残りの二人は、新しい車の配備に伴って別の車両を受け取り別れてしまった。


 ク8Ⅱと名付けられた狭い軍用グライダーの中には、99式自動貨車が細いワイヤーとロープで固縛され、それに乗り込むはずの3人が静かに時を待っていた。

 数か所空けられた窓から星が見える。

 あと数時間、死ぬつもりはない。


 生きるために戦うのだ。


 

 確か、この車は四台目かな…マレー戦の時の一台目はシンガポール直前の道路上で敵襲を受けてその役目を終えた。エンジンに数発被弾したのだから仕方がない。二人の負傷を受けて四人とも後送され、打ち身以外のなにものでもない「戦傷」の二人は自軍の勝ち戦の中、半分忘れられたような存在で連隊の野戦病院(以前は白人の邸宅だったらしい)でだらだらと二週間近くを過ごすこととなった。


「異常なし」


という軍医の声に送られ、私たち四人を出迎えた大隊長は


「生きていたか…」


と唖然とした顔をしていたのが何か不自然で面白かった。いくら勝ち戦と言えども情報は錯そうする、


『○○少尉は、○○方面において…勇猛果敢に敵陣に乗り込み…』


などという手紙が送られる手筈になっていた。



 二台目は長く持ち、マレー半島やビルマ南部方面を走り回り、雨期のエンジン下部がかぶるくらいの川とも道とも言えない中やタイヤがとられる泥濘の中を、何度も修理・調整しつつさまざまな作戦に導いてくれた。

 大小の傷や素人くさい溶接痕は年増女郎の圧化粧のように数回塗り重なれたペンキでさえ消すことができないでいた。


「替えませんか?」


 それから数回の新しいトラック配備のたびに車両整備の係が気を利かせてくれていたが、戦場でも行軍中もエンジンが止まることがなかったこの車を手放すことができなかった。

 エンジンが止まらない、それだけでも戦場では必要不可欠なことであった。


「ゲンがいいんだよ」


 第一この車に乗った者は負傷することがあってもすぐさま原隊復帰が当たり前で、私自身も何度か負傷したことがあったが、ほとんど軽傷と打ち身、一番ひどかったのは右足首の捻挫という始末であった。


いや、その反面、仕事自体はひどかった。戦後に


「日本軍は逃げる民間人を虐殺した」


などと言われているが、中国系のマレー・シンガポール人が武器を取ってゲリラまがいの活動をしていたのを制圧しただけに過ぎない。(いや、もう少し圧制だったか)現在の目からは、なぜマレーやシンガポールに中国人が?と思えるが、そのあたりはイギリス人の植民地経営の妙技とも言える。そのあたりの少数民族に「植民地経営の下部組織」を任せ、少数が大多数を支配(権利を与える)する事により、大多数の植民地の現地人はイギリスよりその下部組織を形成する人々に恨みを持つことになる。インドにおけるシーク教徒(日本人にとって「インド人=ターバン(シーク教徒)」のイメージは非常に根強いが、全体の2%以下でしかない)であり、マレー・シンガポールにおける中国系人である。日本軍の進行により中国系のマレー・シンガポール人はその特権を奪われ、それに反抗するためのゲリラまがいの戦闘であった。法律的(ハーグ法など)には、そのような民間の兵は山賊であり、犯罪者である。(レジスタンがもてはやされているのは戦勝国だからでしかない)判別即死刑が当たり前である。しかし、民間人でもある。


 死の意味を考える。

 絶望的な状況のなかで銃を取る意味は?

 死を目の前にして、それでも満足か?



 3台目は、18年に戦死・戦傷者、そして他の連隊に引き抜かれた者が全体の4分の1を超した時点で、連隊の再編成のために内地に大隊規模ごとに帰国した際に出会った。2台目は、他の装備ごとそのままマレーの連隊に置かれた。

新しい車は量産間もない丙型であった。


「いいもん見つけましたぜ」


と、引き渡し間もない車に城木軍曹が細長く大きな木箱を持ってきた。

中身は機関銃らしかったがかなり大きなものであった。初めて見る。

見た途端、ピクリと眉が上がった。


「どっから」


 こんなものを…という言葉は声にならなかった。そんな私の態度に城木軍曹はにんまりとした。以前から表情豊かな人物であったが、こんな嬉しそうな顔は久しぶりだ。


「員数外ではないですよ。倉庫に転がっていたから二丁もらってきました。」


もらってきた…などと当たり前のような口調で言う。が、そんな簡単なものではないだろう。つまりは、この大隊内部での力関係である。


「一丁はうちで使いますが、そっちで一丁使ってください。うちの中隊長には話がついてます。書類なんかは適当にしておきます」


有無を言わせないように早口で言いつのった。


「それに…」


小さい声で城木軍曹が続ける。


「中尉殿が活躍すれば、その分、こっちも楽になります」


冗談なのか?

その顔は先ほどと違いそれなりに真面目なものである。



 あぁ、そういえば徳島が死んだときに


「若いもんが先に死にやがって…」


と霧雨そぼ降る中つぶやいていたことを思い出した。雨期のじめじめした戦線の中で流れ弾に当たったのであった。

 新兵、補充兵の増加に伴う大隊再編成の際に二人は更に別の中隊へと移動となっていた。それでも私のことを何を気に入ったのか気がけてくれ、自分の上司でもないのに侮蔑ではない「少尉殿」と呼んでくれていた。そのおかげか自分の中隊の中でもそれなりの扱いを下士官・兵から受けていた。


 新車とともに、中尉の階級章を受け取り無事に小隊長となった私は、新兵補充兵の訓練を続け、自分の小隊を鍛え続けた。とはいえ、平井上等兵(伍長待遇)などの古参の下士官・兵の手助けは必須であった。五個支隊(小隊付き分隊一・機関銃分隊三・擲弾筒分隊一)60名に、小隊付きの車5台(小隊長指揮車一・火器支援車二・連絡車(補給を含む)二)とかなり贅沢なふるまいをされたものであり、中隊の中でも


「威力偵察や敵陣突破の役割を願う」


と大隊長自ら私に訓示を述べた。


 そして帰国から三か月後、私たちは久しぶりのビルマ戦線へと帰ってきたのである。ビルマは雨季の後半に入っていた。

 その雨の中、偵察に行かされたのにはかなりうんざりした。三台の車で、道なき道を走る。場合によっては斧やのこぎりと車のウィンチを利用して森を切り開く。そして到着したら簡易屯所を設けて、その先は徒歩での偵察。たった8人(全員が運転できる)が、敵味方の区別のつかない戦線を見て回ったのである。軍服もそうであるが、靴が10日以上土まみれに濡れた状態であったのには心底雨をうらんだ。

 兵は交代できるが、この小隊に命ぜられれば私は必ず行かざるを得ない。そして偵察線が伸びれば伸びるほどその期間は長くなった。ただ、敵を見ることはなく、戦闘がないだけマシだった。顔見知りの死を見ることはない。

そんな中、禁止されていたことではあったが、幌付きの荷台で固形燃料を使った飯盒炊爨をしたおかげで、温かい食事は格別であった。


「おいおい」


と、初めて見たときにはあきれて怒ることもできなかった。


「黙ってりゃ、分かりませんて」


などと笑いながら缶詰をつつく古参兵。なんでもコーンビーフとかいう肉の塊の缶詰らしいが、いわゆる『チャーチル賞与』というシンガポール陥落の際の鹵獲品らしい。


 そうそう『チャーチル賞与』といえば、格段の『賞与』を手に入れることができた。

 短機関銃である。

 トミーガンとも呼ばれる米トンプソン社のものであるが、シンガポール陥落に伴い、数百丁が手に入ったという。この連隊にも50丁あまりが支給され、偵察隊に配備された。


「こりゃいいや」


頼み込んで、


「一弾倉、30発だけですよ」


まったく新しいもの好きだから…と苦笑気味の顔に見送られて試射させてもらった。

 全長が短く取り回しがしやすく、ジャングルでは使いやすそうだ。そこそこ重量があるので射撃時も安定している。自動装てん式だから反動も少ない。連射すると跳ね上がりがちだが抑えることは十分にできる。


「欲しいなぁ」


ぼそりとつぶやいた。これがあれば、生きながらえる、生きながらえる可能性が高くなる。

 ただ、偵察隊に対する配備であって、個人的に支給されたものではない。偵察任務が終われば、返却しなければならない。

返却するたびに恨みがましい目を向けるものだから、係の下士官は


「そんなに欲しいんでしたら、連隊長殿にお願いすれば?」


などとからかった。できるわけない。


 憮然とするだけであった私の手にその銃が手に入ったきっかけは、一つの戦闘であった。

 雨季に切り開いた獣道よりはましな道は、何度かの偵察任務とともに次第と敵前線へと繋がっていった。乾季を迎える寸前、我が小隊は数台の支援輸送用の車とともにジャングルの途切れる直前に屯所を構築した。といっても1か所には集まらず防水処理をした綿布の屋根に、偽装網を張り声が届く範囲に支隊ごとにキャンプ場を設置したようなものであった。大隊から通信分隊の援助もあり、輸送分隊を含め90名近くがとどまっていた。

 何度かの歩兵による徒歩の偵察を経て、ついにその日がやってきた。


 連隊からの命令


「威力偵察」


である。


 航空偵察によるとこの屯所から、20キロ先に敵大隊レベルの前線基地があり、敵方の勢力や装備、敵の出方などを把握するために、実際に敵と交戦することとなった。実際にはどうあがいても一個小隊規模の我が軍勢であるので、まともに戦うことは無理であり、自動車という機動力を生かして今で言うヒットアンドアウェイを行うのだ。敵の撃破は主目的ではなく、素早く撤退して情報を持ち帰ることこそが優先される。

 作戦は簡単なものとした。観測員を敵基地を囲む数か所に配置し、基地後方より車で突っ込む。もちろん内部には侵入しないが、その混乱時に観測員はなるべく敵基地に近づいて偵察・観測を行う。

 偵察班は徒歩で20キロ余りを敵兵に悟られずに敵前に侵入し、攻撃班は車で大きく迂回して基地後方から突入するのだからと、計画実施は五日後とした。


 計画は4日目にとん挫する。

 突入前日午後、敵基地まで7キロ程度まで近づいたところで道を発見する。航空機部隊からの報告からも妥当な発見でもあった。土木作業車両を用いたのだろう、我々のそれよりはかなり立派である。すぐさま道の基地に向かう道と離れる道に偵察を出した。


 じりじりと時間がたつ。

 普段は気にもしていない虫の羽音が気になって仕方がない。


 基地に向かっていた兵が戻ってくる。基地の左側につながっている道と分かった。後方警戒はかなり薄く、入口警護以外の巡回の兵も少なかったらしい。思っていた以上にこちらの動きが悟られていない。どうやら基地の左側後方より侵入するのがよさそうだ。


「小隊長殿、近づくトラック20台余り、敵補給部隊らしき姿を確認しました」


基地より離れる道を偵察してきた兵がかなり遅くに帰ってきた。


「会敵時間は?」

「およそ40分後だと思われます」

「車列の長さは?」

「約250メートル」

「よし、車長たちを呼べ」


 迷う暇はない。

 周囲の喧騒が何も入らなくなった。


 皆がそろうまでに決断しなければならない。

 そう、

 決断は自分だけでしなければならない。


 三つある。


 撤退・無視・攻撃だ。


 撤退は論外。相手に見つかったわけではない。計画を翻す必要はまだない。

 無視は安全策だ。次の日に攻撃する計画の変更も必要ない。一番妥当だろう。

 そして、攻撃…

 約7キロという距離をどう考えるかだな。


 一番離れていた有田上等兵が来て全員がそろう。


「攻撃する」


 口にしてすっきりした。今まで迷っていたことがうそのようだった。


「私が2台、前方から攻撃する」

「小松軍曹、2台で後ろからだ。任せる」

「有田上等兵、基地に3キロほど近づけ。逃れたトラックへの控えと…基地からの増援に

 備えろ、敵が来たら、すぐに逃げてこい」


 短い返答が続く中、細かい指示を手短に出して後、兵は散っていった。


 すでに平井伍長らはガソリンを補給し、手元に弾倉を集めていた。


「手早いな」

「敵さんとにらめっこばかりじゃ、気が晴れませんからね」

「頼むよ、それ」


 と助手席に固定されているものに目を向けた。


「これの初陣ですね」


 これとは

 97式自動砲

 である。本来は装甲を持つ車両を攻撃するものであり、今で言うところの対物狙撃銃(砲)である。大隊砲小隊に配備されていたが、直射しかできず、対戦車の武器としては能力が低かったために、(重いし高い)使い道が限られており、大隊でも持て余されていた。倉庫に眠っていたものを昔なじみの城木軍曹が拾ってこちちらにも一丁くれたのである。


「もらってくれるならばうれしい」


 などとあいさつに行った私に大隊砲中隊長が朗らかに言った。


「余りものだろ?使えるなら、使え使え」


 お前ならばうまく使えるかもなと言外に、報告に行った大隊長も好意的であった。

 一方、中隊長は辛辣であった。


「新しい玩具は気に入ったか?」


 全くもってそのとおりなので、苦笑いするしかなかった。


 初めてその20ミリの弾を持った時、そのずしりとした重さに驚いた。約300グラム、まさしく大砲じゃないか…56キロもあるその「砲」の重量感に圧倒された。そして試射。引き金を引くたびに槓桿を使うことなく一発の弾丸が銃口より飛び出る。自動砲だけのことはある。しかし7発入りの弾倉を一つ空にした後、的にした廃トラックを見てあきらめた。

 私がどうこうできるものではない。

 それでなくても射撃がうまいとは言えない自分がどうあがいてもうまく使える自信がなかった。

 ならばと、射撃の上手い平井上等兵に任せた。

 私の玩具はかくして平井上等兵とそのお仲間たちの玩具となった。



「まぁいいさ……」

 そうつぶやきながら、私は弾倉の弾薬を確認しつつ後部座席へ乗り込んだ。

 準備完了である。

 すでに太陽は中天から西に、地平線の方が近くなっている。

 運転を担う片岡一等兵に車を待ち伏せ地点へと移動させた。

 この数ヶ月の悪路運転のために、その技量は間違いない。




 襲撃自体はあっけなく終わった。

 前方より、平井上等兵と私が3台のトラックを潰したと同時に、後方のグループが2台を潰す。このような車列襲撃のセオリーだ。

 あとは蹂躙。片岡一等兵はアクセルを踏み込み、急発進させた。エンジン音と車体の軋みを響かせて、車は加速していく。

 まだ、こちらには気づいていないようだ。

 警戒のために1台を残し、車を回しトラックを一台ずつ潰していく。走りながら平井上等兵が撃ち漏らしたトラックの運転席を薙ぎ払う。トラックから飛び出る兵には余裕がない限り対応しない。ただ、一人、車の前方に飛び出た者は、車を止めることなく引き倒した。事前に知っていなければ自分が車体より投げ出されたかもしれない。鈍く重い衝撃が車体を襲った。無視だむし…やらなければならない。自分が生き延びるために。

 あの兵は映画の主人公だったのだろう。少なくとも自分の中では…ただ誰もが主人公にはなれない。ほぼほぼ脇役だ。主人公を光らせるためにその傍らで沈む脇役に過ぎない。

 いや、攻撃をしなければ、私の命は永らえることができるだろう。なのに自分は決断した。他者の命を奪うことを。


 十数台のトラックを通り過ぎた後、カーキ色に塗られたスタッフカーを目にする。攻撃を決めたのはこの車の存在だ。反対側に逃れようとしたこの車を一弾倉を潰し、弾痕だらけにした。他はどうでもいい。乗っているはずの上級士官を潰すことこそがこの襲撃の狙いだった。

 反対側の路肩に僚車がいったん止まる。

「あらかた潰しました」

 怒鳴るように報告した。指示を待っているようだ。

「一往復してこい」

 反対側から逃れる敵を追わせる。

「無理すんなよ」

 そう声をかけることを忘れない。


 トミーガンを手に下車し、スタッフカーへと近づく。

 警戒のために平井上等兵は後部席の軽機関銃へと移動する。

 四人乗っていた。いや、全員の服から血が滲んでいた。うめき声一つしない。

 後部席のドアを開け、一人を引きずり出す。

 かなり重い。襟章を見ると、少将らしい。かなりの高官だ。ポケットをあさり、書類らしき紙切れを見つける。地図に様々な書き込みがある。検証するのは後だ。内ポケットまで探る。

 次の一人を引きずり出す。黒い鞄を腹に抱えている。そして助手席の下士官。運転手。幸いなことに四人はすでに絶命していた。もしもこと切れてなかったら、トミーガンを人に初めて向けなければならなかったろう。

 足元・ダッシュボード、トランクなどをあさる。まるで山賊だ、と苦笑いしていると


「小隊長殿」


 後方を警戒してた軍曹が交代してこちらへと近づく。


「何人か逃れたようですが」

「被害は?」


「数名が撃たれました。重傷者はいません」


「ならば、もういい。」


 追撃を止める。トラックは潰した。狙いのスタッフカーからは情報らしきものを手に入れた。


「次に備えよう」


「で、よろしいでありますか?」


 軍曹は生真面目な口調で、長年の軍隊生活の中で培われた、見事な敬礼を見せてくれた。

 ねらいは分かっている。山賊の子分だ。


「一車、三箱まで。大きなものはあきらめろ。ガソリンがあったら一缶ずつ」

「はっ」


 私は下手くそな敬礼で返す。


 警戒の兵を除き、家探しが始まった。

 菓子・酒類・タバコ、嗜好品が中心だ。戦場では常に不足していて、基地内やその周辺の現地人とは貨幣代わりになる。

 また機関拳銃トミーガンやステンガンなどは使い勝手の良い武器として結構人気だ。

 ピストルはいけない。イギリス軍のピストルと言ったら…


 15分後、すべての車両に火を放つ。残りのガソリンを振りかけたトラックは勢いよく炎に包まれる。その立ち上る黒煙は敵陣からも遠目で見えるだろう。

 しばらくすると前方警戒の車が近づく。他者が用意していた嗜好品入りの箱、ガソリンを手早く積み込む。

 既に他の車は敵の道路を基地とは反対方向へと離れていった。


「ついてこい。万一の場合は、自力で戻れ」


 詳細を伝える時間がもったいない。


 道路の路肩をさかのぼる。その周辺は様々な轍が草むらや木々の間を走っている。敵基地から現れるはずの援軍を惑わせるために先行した車に無茶苦茶な軌道の跡をつけさせた。

 そして最後尾の破壊されたトラックを過ぎて1キロあたりで道路を大きくそれる。

 先行者を走らせつつ、車がいける場所を探させてゆっくり目に走らせる。雨季上がりの草むらといえどあちこちに水たまりがあり、またとても走らせることができない場所もある。これまでと一緒だ。

 先行者を交代させつつ、敵陣の右後方1キロほどについた時には熱帯特有のじりじりとした日の光も弱くなり、太陽は地平線すれすれにとなっていた。

 敵陣のざわめきが聞こえはしないが、多数の兵がうろうろとしている様が観察できた。たぶんトラック襲撃を受けて、慌ただしく何かしらの対応をしているのだろう。ただ、外部への控えは薄いものであった。

 30分ほど観察しても、こちらからの襲撃を受ける可能性をあまり考えていないようだ。立哨の数も増えてない。中には煙草を吹かす見張りもいる。


「平井、全部使え」


「了解」


 車をじわじわと近づける。





 襲撃が終わった時には、西日のほてりが消えかかっていた。

 後方を囲む形で、偵察隊の他車も攻撃を加えていた。弾丸を撃ち込めるだけ撃ち込んで逃げる計画。それも次第になくなり、聞こえるのは敵の射撃音ばかりであった。よく聞けばこちらの機関銃と敵の機関銃の音の違いが判る。


「もうみんな逃げたかな?」


 ところどころ火災も発生して、大混乱の状態である敵基地より離脱し、車を走らせた。何かが弾けた音が時々耳を打つ。

 明るさが残っている間になるべく距離をとらないといけない。

 敵陣のどこを狙っているか分からない乱射の嵐が次第に遠ざかっていく。


 小隊の屯所に集合したのは、2日後の夕方であった。それからぽつぽつと前方観察の兵が返ってきた。


「小隊長殿、話が違うじゃありませんか」


 と少なくとも12時間後の襲撃予定を前倒しにしたために帰着の挨拶もそこそこに憤慨する兵もいた。

 まあまあと、戦利品のタバコひと箱と全員分としてウィスキー二本を渡すと、それでもぶつぶつしていた兵たちもとりあえず矛を収めてくれた。


 ただ前倒ししても、偵察隊は敵陣が慌ただしく動き始めたことをきっかけとして、夕闇迫る中、敵陣の直前まで偵察線を伸ばして敵基地の詳細を観

 察してくれていた。


 簡単な連絡は昨日すでに終わっており、次に偵察隊の報告、個々の報告書をまとめようとしたところ、連隊本部から


「至急、帰隊せよ」


 の連絡が来た。




「すさまじい爆弾を投げてくれたものだ」


 と、連隊長どころか師団の参謀長が私に投げつけるように言った。

 例のカバンとメモ10数枚は、帰隊したとたん師団の参謀連中が待ち構え、奪うように持って行った。それが昨日のこと、参謀長は寝不足の目頭を指で揉む。


「いや手柄は間違いない。大手柄だ。一階級特進ものだ。」


 連隊長は、秘密にしておけと言いつつ


「敵の反抗計画だ。それも詳細がわかるものだ。貴官が襲った基地は現在は大隊規模だが、最終的には1個師団の前方補給基地となるはずのものだった」


「こちらの動きがつかまれている。少なくとも一個軍が反抗計画に載っている。最低でもだ。へたをすればこちらの三倍だ。このまま計画を進めていたら…」


 参謀長が口をはさむ。


「インドに入ってから全滅しただろう」


 一万単位、へたすると十万を超える死傷者が出るはずだ、とつぶやくように声にする。


「無理だ。どう考えても無理に無理を重ねていた計画が、我々が反対していた計画が初っ端から破綻する」


 中尉風情が聞いていいものではない。どう反応せよと?直立不動のまま、黙ったまま聞くしか方法がなかった。


「なぜ私に?と聞きたいのだろう?」


 図星であるが、うなずくことさえできない。


「すでに他の師団の師団長や参謀連中には情報を回した。貴官がもたらしたものはすべて翻訳してる。現在は根回し中、まずは計画停止の具申だ。その後、中止、永久に。」


「敵の計画を得ているのだから、それに対抗できると言う馬鹿もでるだろうが、すでに計画の第一段階が進んでいる。計画の練り直しには最低一か月はかかるだろう、そして連絡・配置換え…全体に計画修正を伝えようとしても二か月はかかる。下手すれば三か月だ。その間にどのくらい備蓄が消えるか、考えたくもない。作戦の途中でまた雨季にはいる。にっちもさっちもいかなくなる」


「そして、計画が中止になれば恨まれる。分かるだろ?」


 と、話を受けた連隊長が右腕を軽く上げ、ひとさし指を上の方に伸ばす。自分のメンツが部下の多数の命より大切な人がいる。そんな人物なのだろう。


「多分だが、師団長クラスと参謀の半数は飛ばされる。大隊長辺りは大丈夫だろうが、連隊長クラスも…」


「計画を破綻させたきっかけを作った貴官も間違いなく恨まれる。いや分かっている。どう見ても逆恨みでしかない。」


「しかし、飛ばされる理由を知っていた方が気が楽だろう?」


 参謀長は仲間内だけで見せるような朗らかな顔で笑った。

 思わず顔をしかめた。同類である。

 せっかくツーカーの仲になっている小隊から干されるのか…


「大陸の方か、どっかの小島の駐留基地か。おい、どっちを選ぶ?あ、本土は無理だぞ。山下中将殿はシンガポール後に大陸に飛ばされた。本土へ一度も帰れないまま…」


 どっかの馬鹿のせいだと、参謀長はその顔をゆがめた。




 まあ、「死刑」になることはないだろうなどと暢気に構えて、帰還した小隊のこざこざを片付けていたら、私にも『爆弾』が降ってきた。あれから数日しか過ぎていないのに、上も上の存在である軍のお偉方が面会しに来た。大佐の襟章をつけているが、我が連隊長よりも立場的にはかなり上らしい。


「わが方面軍の誉れだ」


 思ってもいないことを口にすると真面目な顔になるらしい。冷たい甲高い声が耳に触る。


「我が軍の英雄にふさわしい戦場を用意する」


 顔の変化はないくせに、まるで鬼の首を取ったかのように嬉しそうな声へと変化した。

 間違いなく作戦計画は停止されたようだ。だからその原因である私に死ねと…


「内容は言えないが、大本営の秘密計画がある。そこで自動車での戦闘に詳しい人物が必要だと聞いた」


 なるほどそれが私か。


「貴官には、ぜひこの作戦に参加してほしい。計画に涙して、我が軍から少しでも援助できないかという軍団長のお心、どうか分かってほしい。それだけの価値があるものであり、貴官にはその力があると信じている」


 台本を読むかのように抑揚をつける。自らの演技に酔っているかのような…

 私はずっと冷めたままだ。

 悪魔が自己の力を示すような響きで、


「義烈」


 お偉いさんは、言葉を力強く切る。自分の舞台を終わらせるかのようだった。


「それが部隊の名だ」


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