第4話「99式自動貨車」 ケース<マレー戦線>


わたしはあなたを目覚めさせ

行くべき道を教えよう。

あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。

               (詩篇 32章8節)




 12月だというのに、夜の生ぬるい暑さに汗が止まらない。

 アルマイトの水筒に口をつけても、その金属の飲み口自体の冷たさは感じられなかった。まあ、その汗も車上を流れる風に乾くのであったが、それでも涼しいとは感じられなかった。


 イギリス側の舗装がいいためか、軽い段差を感じるだけであり車輪を取られることはほとんどなく、ヨタヨンの調子は良い。休憩の時の整備もほとんど必要なかった。ガソリンを補充し、オイルとバッテリーを確認しただけだ。水温が若干高くなっているか…程度である。


 遮光処置したヘッドライトに、前方の黒々としたアスファルトと両側の南洋独特の樹木が黒くかすかに浮かび上がる。道の両側を後列の平井一等兵と徳島二等兵が目を光らせていた。それでも初日や昨日よりは余裕を持っていた。慣れもあるのだろうが、あまり気を張りすぎるなと、自動車運転の特償を持つ運転手の城木上等兵が口にしたこともあるだろう。


「イギリス兵も逃げてばかりで、いったいどこに行ったんでしょうね?」


徳島二等兵が流れる樹木から目を離さずに口にする。ちゃんと古参の教育が行きとどいているようだ。


「どっかで後退戦のための準備をしているのだろう」


平井一等兵は後席中央の対空銃筒に付けられた軽機関銃の銃把を軽く握ったまま何気なく答える。

 この車の実質的な指揮者である城木上等兵が何も言わないのだから、私も何も口を挟まない。会話でさえないのだ。みんな分かっていることでも、無駄口でも確認するためのものである。「分かったつもり」が集団の中でも油断を誘うこと、そしてちょっとした油断が集団を危険に誘うことを知っているからだ。


「敵」

「前方、右側、発砲あり」

「約300メーター」


報告・連絡は、なるべく簡潔に…私の指示は正しかったようで、無味ではあるが、まだまだ任官2年目のペーペーの私にでさえ、間違いなく伝わる。


「撃て」


こちらからも間違えようがない指示を出す。

 敵の発砲炎から、軽機関銃二丁を中心とした一個分隊程度の戦力と思われた。景気よく射撃しているが、


 城木上等兵は、事前の協議通り、車を止めず蛇行運転を始める。

 私自身、士官学校時の短期訓練のために車の運転はできるが、遭遇戦での戦闘などこれが数度目のことであり、「止める」・「速度を変化させる」・「蛇行する」などの戦闘時の行動については、古参の城木上等兵の判断に任せていた。状況に応じて…というか、行き当たりばったりでもある。もちろん、これまでに何度も状況訓練は行っている。

 その状況訓練どおりに、車は左右に蛇行し、私は助手席の軽機関銃を、後席の二人は座席を跳ね上げ足場を確保、平井一等兵は後席の軽機関銃を操作した。蛇行時に銃口を振り回すのは無駄玉になる。銃を固定し、蛇行に合わせ、敵が前方にある時に小刻みに撃ち込む。数発ごとの曳光弾のオレンジラインが敵に吸い込まれていく。いや私の弾道はややずれている。偏差射撃を忘れていた。固定目標ではあるが、こちらは移動しているのだ。比べて、平井一等兵の射撃は面白いように敵を捕らえているようだ。徳島二等兵は事前の指示通り、平井一等兵の邪魔にならないように縮こまり左側に小銃を構え、挟撃に備えていた。

 敵陣からの発砲があるが、こちらの距離や速度を十分に把握していないのか、頭上を通り過ぎるばかりであった。機関銃2、小銃幾つか。


「夜間は特に遠く感じますよ」


と、以前城木上等兵から助言を受けていたが、それを敵兵の射撃に思い出した。


 敵陣を通り過ぎる、と、車は直線運転になると同時に速度が上がった。

 銃口を上にあげ、数弾残っている弾倉を外し、新しい弾倉に変える。なかなかうまく入らない。


焦るな、あ・せ・る・な…。


暑さとは別の汗が噴き出す。



「車、回します」


声と同時に、ターンした。ぐいと足を踏ん張って振り回されるのを軽減する。

 ちょっと遠いか?

 右側の敵陣が、左側に移る。

 数回の点射のあと、あたりをつけて弾倉を空にする勢いで引き金を引く。真鍮製の薬莢が足元に転がりちゃりちゃりと音を立てる。

 銃架が車体に固定していることもあって、銃口が跳ね上がることが少ない。そのわずかな跳ね上がりも力でねじ伏せる。弾丸は敵陣に収束しているようだ。

切り刻まれて飛び散る葉っぱが夜中なのにしっかりと見える。

 平井一等兵は、すでに二つの弾倉を消費し、三つ目に交換していた。


 二回目の敵陣前通過は、敵からの攻撃を受けず仕舞いだった。

 数百メートル離れた場所で、車は再びターンをし、右側の路肩に停車した。アイドリング時の軽い振動を感じる。


「徳島、左を頼む」


私の乾いた口からのつぶやきのような小声にも徳島二等兵は無言のまま小銃を構えて後部座席から直接飛び降り、道の左側路肩の立木の陰に隠れた。


「少尉殿」


城木上等兵は前に目を向けたまま私に声をかけた。


「俺が行くよ」


すでに敵陣からの射撃はない。しかしそれが欺瞞であるかどうかは分からない。


「もう1往復してくれ。注意を逸らしてくれるだけでいいから、攻撃は疎らでいい」


 城木上等兵は「はっ」と短く答え、後部席の平井一等兵は軽機関銃を構えなおす。助手席の弾倉を平井一等兵に2つ渡し、私は私物のピストルを取り出しつつ車から降りた。この数日の経験から軍刀は車に乗るには邪魔だし、それでなくとも射撃が下手な私にとって小銃はこけおどしにしか使えなかった。


「話に聞く短機関銃があればな」


などといった愚痴めいた考えをしつつ、ピストルを右手に右側の木立の陰に隠れる。


と、

 車がエンジンをふかし、今度は直線移動を行う。その隙に私と徳島二等兵は木立に隠れつつ前進していく。多少は葉が揺れるが車の移動に伴う風のせいだと思われるだろう。身体を低くし小刻みに移動停止を繰り返す。敵陣からの発砲はあれ以来ない。

 敵陣からもう数十メートルの距離に近づいていた。左側の徳島二等兵は木立の中をかなり先まで進んでいるようである。

 車がまたターンをして、敵陣の前を通り過ぎる。かなりのスピードだ。その音に紛れて敵陣の後方右側から侵入した。むあっと何かの強い匂いがする。切り刻まれた葉や枝の匂い、そして血の匂いだ。

 地面に倒れ伏す人間の影が、それでもここからでも幾つか見ることができた。


「少尉殿」


徳島二等兵が敵陣左側から入ってきたようで、私に声をかける。多少距離がある(敵陣のど真ん中で集まる方が馬鹿だ)が


「徳島、周囲警戒」

「はい」


徳島二等兵が、中腰になり音をたてないように辺りを注意深く探る。敵陣後方に進んでいく。

私は土嚢を重ねただけの機関銃座にうつ伏せ状態の敵兵に近づく。茶褐色の肌の色からインド兵かと判断した。半袖の兵隊服につやのある黒々とした滲みを見せていた。

軽機関銃やライフル銃が他の兵隊とともに転がっている。死者は数名か…思ったより少ない気がする。半個小隊くらいかと思っていたのだが。


「少尉殿、こちらに…」


徳島二等兵が呼んでいる。敵陣にかかわらず大きな声を上げていた。状況を報告するのが先だろうに…と怪しんでいると、徳島二等兵の目の前にイギリス人らしい兵隊服の死者がいた。前線とは反対方向にうつ伏せている。イギリス独特の平皿状のヘルメットがかなり前方に飛んで、それが守っていたと思われる頭から血や体液らしき液体が黒々と流れ出していた。


「逃げようとしたのか…」


多分、一回目の往路の攻撃を受けたか、射撃が止むわけだ。指揮者が逃げようと

して死に、取り乱したインド兵は散り散りに逃げてしまったのであろう。地面を見ると、引きずったような跡がうかがえる。戦傷した戦友を見捨てることができなかった、というところか。死者しかいないわけだ。降伏?こんな夜中に降伏しても、それを察せられないと思ったかもしれない。


「徳島、車を呼べ」


憶測ではあったが、どうやら危険は去っていったようだ。気を抜くことはまだできない。けれど生きている。


「はい」


徳島二等兵は戦場の跡から逃げるように走り出す。


そういえば徳島二等兵にとって、初陣じゃなかったか?少なくともまともに敵に向かう戦闘は初めてだったようだ。発砲はしなかったものの、自分の役割をきちんと果たそうと努力していた。城木上等兵が目をかけている兵の一人であるだけのことはある。


などと益体もないことを考えていると、急にのどの渇きを覚えた。しまった、水筒は車の中だ。思っていた以上に緊張していたようだ。今回はうまくいった。想像したよりもうまくいった。しかしそれがいつまで続く?死んだイギリス兵は、うまくいくはずだと思っていたことだろう。自分の死を考える。明日?来月?来年?


「この戦いは1年以内で終わる」


などと言った上官は、何を根拠に言ったのだろうか?あのイギリス兵と同様に、うまくいってほしいという願望からのものかもしれない。


 ふと引きずった跡を目で追うと、木立の奥にも死体が転がっている。多分重傷だった戦友を逃げるために放置したのかもしれない。ピストルを構えなおし、そこに近づく。

 若いインド兵のようだ。仰向けにこと切れていた。瞳が開いている。うつろな目は何を訴えようとしているのか。知ろうとすることもないし、知りたくもない。半開きの口元に白い歯が場違いに見えた。


「おい、お前の戦争は終わったな」


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