第3話「99式自動貨車」(新しい免許制度の制定)

 99式の大量生産により、陸軍の自動車保有台数は大幅に増加した。


「こんなことなら、最初からこの車を作っときゃよかったなぁ〜」


そんなことを言いながら、多くの自動車学校の教官たちが涙を流したものだ。なぜなら、自動車が増えるということは、それを運転する兵がその2倍は必要だということを示すためだ。

 当時、自動車学校の教育は


「飛行科より厳しい」


と言われていた。


 自動車を運転するためには、

・自動車運転技術(現在の運転免許とほぼ同等)

・自動車整備技術(現在の自動車整備工の能力)

・交通法規

だけではなく、

・将官への姿勢・態度

というを学ぶ場所であったからだ。

 高官を乗せるということは、車内での会話を聞くことであり、直接『私生活』や『軍機』にふれる立場なのである。噂話レベルでも、少しでも軍機にふれることを話したら、次の朝に憲兵を出迎えることに繋がるのである。

 自動車運転というのは、現在と異なり「特殊技能」であり、軍隊にとって自動車とはトラック以外は

九三式四輪乗用車・九三式六輪乗用車・トヨタ 乗用車・九八式四輪起動乗用車

など(GMなどの外車を含む)の、いわゆるスタッフカー・高官送迎車を示すことであった時代である。つまり、現代のハイヤー運転手+整備工の能力が必要とされていた。

 陸軍自動車学校とすれば、この大量運転手教育にすべて対応することは難しいことであった。


 そこで陸軍自動車学校は

・甲種免許〜これまでと同一の教育(1年課程)

だけをにない

・乙種免許〜将官への姿勢・態度の教育課程を除く、運転・整備に特化(半年課程)

・丙種免許〜自動車運転技術・交通法規(軍隊のものだけでなく民間の法規を含む)(3ヶ月)

を、各師団の輜重部隊に任せ、陸軍自動車学校分校を日本や大陸に設立したのである。もちろん教育課程マニュアルといえるレベルではないは作られたが、運用は各分校に任せられ(日本特有の丸投げ状態)、1〜2年ほどは混乱が続いた。

 そして、これも日本特有の、


「上がバカなら、下で勝手にどうにかする」


ということで、輜重科の下士官たちがその自身のネットワークを活用し、情報を共有する中で有効な運用・指導法を次第にマニュアル化してしまったのである。

(本来は組織を上げたものか、士官を中心とした研究会(研究会自体は私的のものであり、現在の同好会・趣味の会に近く、反政府的なものでなければ推奨されていた)を設立して、マニュアル化すべきであったが、下士官レベルでの研究・実践が早期に始まり、輜重関係の組織は追認せざるをなかった。

 なお、昭和15年11月に輜重部隊を養成する部門が、陸軍輜重兵学校として分離・独立し「陸軍自動車学校」は昭和16年8月に「陸軍機甲整備学校」に改称するが、分校の名称は「第○師団自動車学校」のままであった。


 その対象としては、上等兵候補者(初年兵の中から選ばれた者が、上等兵候補者特別教育を受け、適任と認められた者が上等兵に進級した)であり、上等兵候補者特別教育の中で自動車運転の丙種免許教育を取り入れた。また、適任と認められず上等兵にはなれなくとも、一等兵のままでも免許は交付されている。

乙種免許に関しては、戦車(機甲)・工兵・輜重・(歩兵・砲兵の)整備などの部隊の下士官教育の中で行われた。

 先程述べた通り、その頃の運転免許は「特殊技能」であり、免許保持者は「特技兵」として特技章を付けることが許されていた。(自動車運転が一般社会でも普及された昭和38年には、大型・牽引・特殊車両の免許にのみ適応)


 自動車学校分校では選ばれた上等兵候補者などを、甲もしくは乙種免許を持った輜重などの兵・下士官が中心となって指導していた。

 この自動車学校の卒業生の多くは、のちに


「輜重に対する見方が変わった」


と語る。

特に、エリートを自称する歩兵科の兵にとって、

『輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョ、トンボも鳥のうち』

という意識があり、輜重兵からの指示・教育を受け入れ難い雰囲気があったが、輜重兵からの


「懇切丁寧な教育」



「それでも厳しい指導」


の中で、輜重に対する意識に変化が見られたのである。


「素人に自動車を壊されても困る」


とは、ある輜重下士官の言葉ではあるが、教官経験者のほとんどは頷くであろう。

 ただ、運転だけではなく、兵站やこのような機械を扱う際の定量的思考(物事の様子または変化などを数字に直して分析する)を重視する姿勢を若い(20歳前後)兵たちは僅かな期間でも学んだのは間違いない。


「戦況を考えない、むやみな突撃はバカの証拠」


 少なくともこの歩兵の一言で、教官たちの苦労が報われるのではなかろうか。

自動車免許をもつ、上等兵・一等兵がそのような意識であり、初年兵にとって憧れの地位である上等兵が、教官であった輜重兵・下士官に敬礼する有様を見る(歩哨は一等兵には敬礼しなくても、上等兵には敬礼をしなければならなかった)ことがしばしばあり、兵の中で輜重兵に対する雰囲気が次第と変化していった。


 士官育成である士官学校等でも同様で、丙種免許の課程が組まれるようになったが、戦時移行に伴う短期学習のために兵学校では省略されることも多く、以下に述べる「運転助手」の制度を活用することが多かった。免許を持つ士官がそう多いわけではなく、そのため士官に下士官や兵が指導することが多かった。


「日本の軍隊は下士官が持つ」


などと以前から言われていたが、横柄な士官に丁寧に教えるような奇特な下士官・兵は少なく(前線で早期に戦死した士官の…)、嫌われた士官に同乗する下士官・兵は少なく、強要するような士官はますます嫌われるという悪循環が見られ、周囲の士官がそれを見つつ次第に下士官・兵への姿勢や態度の変化が見られたのである。


 さて、これらのように、士官学校や上等兵・下士官教育の中で、自動車運転ができる者が増加してきたのであるが、それでも部隊に配備される自動車が増加し一台につき免許保持者一〜二人という状況が続き、それでなくても多忙な上等兵勤務に支障をきたすこととなる。そのため「運転助手」の制度が始まった。免許保持者が同乗(できるだけ助手席)した際に訓練中の上等兵候補者に運転させるのである。言わば現在の「仮免許」である。「仮免許」と異なり、これは自動車学校課程が始まっていない兵にも対応され、運転技術を早めに学ぶことにつながっていた。また、整備・工兵・戦車(機甲)などの普段機械・エンジンに触れる機会が多い兵科に対しては、上等兵候補者でなくとも、中隊で選別された運転に向いている兵(輜重・整備などはほぼ全員が選択された)に対して対応され、半年以上の「運転助手」経験者の中で自動車学校で毎月行われる試験(実地・学科)を経て丙種免許が交付された。(この運転免許試験制度自体は全兵科に応用される)


 ところが、昭和12年に始まった日中戦争の長期化に伴い、現役満期(通常の陸軍徴兵は当時2年)即日再召集される場合が増加し、古参一等兵や古参上等兵が増加し、その中で運転免許を修得していない兵は自動車学校課程が必須となった。また現役満期経た後に充員召集・臨時召集の下士官・兵の中で運転免許をすでに持っている者や自動車整備工場経験者は優遇され、最初から乙種免許(送迎社用車などの運転手・ハイヤー・タクシーの経験者は場合によって甲種免許)を交付された。


 このように運転できる下士官・兵は増えていったが、戦時下の師団・連隊の増加に伴い、二桁師団後半や三桁師団(最終的には根こそぎ動員で、300番台から500番台までの聯隊が作られている。 総数で歩兵師団が169個、歩兵聯隊が427個)の中では、自動車学校(分校)の設置ができず、少数の免許保持者(優良師団からの師団・連隊訓練、編成の中核とするために出された中堅下士官・兵や充員召集・臨時召集の下士官・兵の中で運転免許をすでに持っている者)の下に「運転助手」を数名(本来はそれぞれ1名)置き、粗製乱造状態であったが自動車運転者(免許は持たない)を増加させた。(余裕があれば、自動車学校設置の師団・輜重大隊に出張・派遣の形で免許修得ができたが、日本内地に配備された師団・連隊以外は、実現が難しかった)

 ただ、このような後備師団・連隊に配備される自動車の台数は少なく、免許保持者だけでも十分運営できていたという意見もある。しかし以前の述べたとおり、免許保持者である現役もしくは

 現役満期即日再召集の上等兵(時に一等兵)や下士官はそれでなくともかなり忙しい存在であり、師団・連隊の増加に伴う二桁師団後半や三桁師団だからこそ、兵訓練・把握(日常生活を含む)ことに重点が置かれており、代わりに、基地内や周辺への兵員荷物移動・車両移動などにもある程度運転技術に精通した「運転助手」単独で呼ばれることもしばしばあったようで、もちろん制度的には違反ではあったが、戦時のために事故さえなければ見てみぬふりをされたようである。


 なお、終戦に伴い、この「運転助手」制度は停止されたが、運転免許制度はしばらく残り、終戦後に必要であった多数の運転手確保に貢献した。

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