後日談 隣にいてくれるあなたへ:承
ラングリフ様がお戻りになられました。
「ああ、ラングリフ様……! あなたがお帰りになられるこのときを一日千秋の思いでお待ちしておりました。もう、離しません。何があってもリリエッタはあなたのおそばを離れません。例え今日、この世界が終わるとしてもです!」
「ああ、リリエッタ……! 君を抱きしめられるこの日を、俺はどれだけ待ち焦がれたことだろうか。君の笑顔が恋しくて、毎夜毎夜、星空に君の姿を思い描いていたよ。もう、決して離さないぞ。例え、今このとき世界が終わってもだ!」
ヒシッ、と抱きしめ合う私とラングリフ様。
そんな私達をそばで眺めて、マリセアさんが呆れ調子で言ったのです。
「去年も同じことを言ってましたね。来年も同じことを言うのでしょうね」
かは。
な、なかなかに痛烈な一言ですね、マリセアさん。
いえ、まぁ、多分来年も同じことを言うのだろうとは思いますけど……。
「はぁ~、リリエッタがいる。マリセアがいる。……帰ってきたのだな、俺は、今年も無事に演習を終えて、帰ってこれたのだな。本当によかった」
ラングリフ様が、長く息をついて安堵されているようです。
この人のこのようなところを見るのは珍しく、新鮮な気持ちで受け止めます。
「演習は、お辛かったのですか?」
「それ自体は例年と変わらないのだが、リリエッタと会えないのが辛かった」
もぉ、この人は……。
聞いた私がバカでしたよ、ええ。だって私も同じでしたから。
「ところで、俺が留守の間に何か変わったことはあったか?」
ラングリフ様が、何気なくそれを私に尋ねました。
私は、ピクリと反応して、視線をマリセアさんの方へと送ります。
「余計な隠し立てはのちのちの禍根に繋がりかねませんよ?」
「ええ、そうですよね……」
予想通りの答えでした。
でも、そのおかげで背中を押された気分です。ありがとう、マリセアさん。
「む、何だ? 何かあったのか?」
「はい。ございました」
私はきっぱりと断言しました。
ここで隠すのは簡単ですが、マリセアさんにも言っていただけましたからね。
内心、かなり恐々として、手にはじっとりと汗をかいていますけれど……。
それでも、私は呼吸を整えて、ラングリフ様にそれを見せました。
「ラングリフ様、こちらをご覧いただけますか」
「これは、鍵、か……?」
私が取り出したのは、あの花の紋章の鍵でした。
ラングリフ様は、さすがにこのお屋敷の主だけあり、すぐに紋章に気づきます。
「この紋は、もしや、二階にある『開かずの間』の扉にあるものと同じ?」
「その通りです、ラングリフ様。これは、あのお部屋の扉の鍵です」
「ほぉ、ついに鍵が見つかったのか」
「見つかった、というか、託されたというか……」
興味深々といった様子で瞳を輝かせるラングリフ様に、私は歯切れの悪い返答。
それが気になられたようで、ラングリフ様が不思議そうに私を見つめます。
「託された? 俺の屋敷の部屋の鍵を、誰が持っていたというのだ?」
「それは、部屋に行くときにお話します。あの部屋に興味がおありでしょう?」
「ああ、あそこだけは今まで一度も入ったことがないからな」
ラングリフ様の声は弾んでいました。
それだけ、あの『開かずの間』への関心が高いということでしょう。
「リリエッタ、今から『開かずの間』に向かうことは許されるだろうか」
「そう言われると思っていました。でもダメです」
「ダメか……」
相も変わらずの無表情ながら、ラングリフ様はしゅんとされてしまいました。
そういう意味でいったのではありませんが。
「まずはお風呂とお着替えを済ましてくださいませ。ラングリフ様は遠征から戻られたばかりでしょう? どうせならさっぱりしてからの方がいいのでは?」
「む、それもそうだな。わかった、お楽しみはのちにとっておこう」
ラングリフ様は納得した顔で荷物を使用人に預けて、浴場に向かいます。
「お着替えの準備はしておきますので、どうぞごゆっくり」
「ゆっくり入れるといいのだがな……」
どうやら『開かずの間』を随分と楽しみにしるらしいです、この人ったら。
ラングリフ様が浴場に向かわれたのち、マリセアさんが私に言います。
「少し、心が痛みますね」
「そうですね」
私もうなずきます。
「きっと、彼も後悔するだろうと思います。でも……」
花の紋章の鍵を軽く握り、私はラングリフ様を思って、目を閉じました。
「――私は、どうしてもそれが欲しいのです」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
お風呂上がりのラングリフ様は、卑怯です。
「…………」
「どうしたのだ、リリエッタ。何故、無言になって俺から顔を背ける?」
よりによってタオルで髪を拭きながら戻ってきました、この人。
ああ、もう、直視できません。
そのラフに乱れた黒髪も、濡れた光を宿す瞳も、上気したままのお顔も。
「ラングリフ様はご自分の魅力にもう少し自覚的であるべきです」
「何の話だ……?」
やはり、長い間離れているというのはよくありませんね。
見慣れていたはずの景色が、急に特別なものに思えてきてしまうのですから。
「……はぁ、頬が熱い」
「大丈夫か?」
「ひゃっ」
ラングリフ様がいきなり顔を近づけてきて、驚きに飛び退いてしまいました。
「リリエッタ?」
彼は私の名を呼んで、不思議そうにしています。
ああ、本当に卑怯です。その色気あるお姿も、無防備で可愛げ溢れる表情も。
これ以上は、本気で恥ずかしくなってしまいそうです。
私は強引にでも話題を変えることにしました。
「ラングリフ様、それよりも『開かずの間』に行きませんか?」
「ああ、そうだな。汗も流したし、行くとしよう。何があるのか楽しみだ」
そのラングリフ様のお言葉に、裏は一切ありません。
彼は純粋に、入ったことのない部屋に何があるのか気になっているだけです。
そこにあるのは未知に対する強い興味と、無垢な探求心なのでしょう。
私は、花の紋章の鍵を手に、ラングリフ様と一緒に二階にと上がっていきます。
今の時点で、すでに私の心臓は緊張から鼓動を速めていました。
この先に何があるのか、私はすでに知っています。
「リリエッタは、すでに部屋には入ったのか?」
「マリセアさんに協力してもらって、一度。危険の有無の確認は必要でしたので」
「そうか。そうだな」
ラングリフ様も必要性を認めて、うなずかれます。
使用人に最初に入ってもらい、それから私とマリセアさんで確認しました。
「大丈夫だったのか? 危険はなかったのだな?」
部屋へ向かう途中、彼はそれをしつこく尋ねてきます。
でもそれは自分の身に危険が及ぶ不安からではなく、私を案じてのことでした。
「はい、大丈夫でした。リリエッタは目の前に立っているでしょう?」
「ならば、よかった」
ラングリフ様はホッと胸を撫で下ろされました。過保護な人。嬉しいですけど。
もうすぐ『開かずの間』というところで、今度は私が問いかけます。
「ラングリフ様にとって、王妃様はどのような方だったのですか?」
「アンジェリカ様か?」
「はい。私は、あの方が亡くなられるまで、一度もお話しできなかったので……」
「そうだったな。……アンジェリカ様は、俺の母親同然の人だったよ」
母親同然。
その言葉は、敬愛の念と共に発せられました。
王妃様が亡くなられたときは、彼もその死を大変悼んでおられました。
この方は、心の底からアンジェリカ様を敬われていた。それを感じました。
「母に疎まれ、呪われた俺を、我が子ではないにも関わらず慈しんでくれた。気性の激しいところはあったが、それでも俺を想ってくれているのは伝わったよ」
「そうですか……」
「アンジェリカ様が、どうかしたのか?」
さすがに、このタイミングで話に出せば気づかれますよね。
私はごまかすことなく、率直に告げました。
「この鍵を託してくださったのが、アンジェリカ様なのです」
「何……?」
「正確には、間に人を介して私に渡されました。……着きましたね」
私と彼の前には、鍵と同じ花の紋章が描かれた扉があります。
そこが『開かずの間』。ラングリフ様も入られたことのないお部屋です。
「何か、無駄に緊張するものだな……」
言葉通り、彼のお顔はかすかに強張っていました。
この先にあるものへの期待と興味が、そろそろ最高潮に達しつつあるようです。
「開けますね」
「頼む」
彼に確認をしたのち、私は花の紋章の鍵を鍵穴に差し込んで、回します。
カチャリ、と、小さく。けれども確かな、鍵の開いた音。
ノブを回すと、扉はゆっくりと奥へ向かって開かれていきました。
窓がない部屋で中は暗いですが、魔法照明は生きているので、それをつけます。
天井の魔法陣に光が走り、部屋を明るく照らし出します。
そのときの一瞬の眩しさに目をつむりますが、それもすぐに収まります。
「ここが……」
耳元に聞こえる、ラングリフ様の声。
明かりの下に見える『開かずの間』が、彼にはどう見えるのでしょう。
私が無言でラングリフ様の反応を窺っていると――、
「何というか、拍子抜けだな……」
ちょっと残念そうな声で、彼はそう言ったのです。
それもわかります。部屋の中は、いっそ殺風景とすらいえるものですから。
「小さな机に、ベッドが一つ。それと棚だけか。随分とこざっぱりした部屋だ」
部屋の中に入り、ラングリフ様は中を改めて見回します。
しかし、今見えているもの以外に、何か隠されているということはありません。
その部屋は狭くて、そして何もない部屋でした。
部屋の真ん中に立ち尽くしているラングリフ様に、私は種明かしをします。
「このお部屋は、ルリカ様のお部屋です」
私が告げたそのお名前に、ラングリフ様の肩が小さく揺れます。
そして彼はこちらを振り返り、その唇を震わせました。
「……母の?」
そうです。
ルリカ様は、ラングリフ様の生母。彼を生んで早くに亡くなられた方です。
「はい。ルリカ様は生前、このお部屋を使われていたそうです」
「そうだったのか。それは、驚いたな……」
ラングリフ様が声を硬くします。
でもそれは、驚きによるものではありません。私にはわかります。
拒否感。
ルリカ様のお名前を聞いた途端、彼の全身から、強い拒否感が発されたのです。
「奥様」
後ろから、声をかけられました。
そこにはマリセアさんの姿。頼んでおいたものを持ってきてくれたようです。
「そうか、ここは母が使っていた部屋か。期待外れに終わったな」
彼はこちらに気づかないまま、そう結論づけて部屋を出ようとします。
しかし、私は彼の前に立ちはだかって、それを阻みました。
「お待ちください、ラングリフ様」
「何だ、リリエッタ。そこをどいてくれないか。出られないのだが……」
「お部屋を出られる前に、こちらをお読みいただけませんか」
マリセアさんから受け取ったものを、私は彼に差し出します。
それは、古びた日記帳でした。扉や鍵と同じく、花の紋章が描かれています。
「この日記帳は、私がこちらを確認した際に見つけたものです」
「では、まさか……」
差し出した日記帳に目を落とすラングリフ様に、私はうなずきました。
「そうです。これは、ルリカ様の日記です」
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