後日談

後日談 隣にいてくれるあなたへ:起

 寂しい……。


「マリセアさん、ラングリフ様がお戻りになられるまで、あと何日でしょうか?」

「奥様、その質問は昨日もされましたよ。旦那様がお帰りになられるまで、あと二週間ほどです。年に一度の騎士団の大演習ですから、それぐらいはかかります」


 はい、申し訳ありません。

 昨日と同じ答えを律儀に寄越してくれるマリセアさんに、頭が上がりません。


 そうなのです。

 現在、ラングリフ様は騎士団の遠征により、王都を空けておられるのです。


 この時期、私は広いお屋敷で彼の帰りを待ち続けています。

 去年もこうして、ひたすら虚無な日々を送っていたのでした。思い出しました。


「ああ、ラングリフ様……」

「しっかりしてくださいませ、奥様」


「お姉様って、実は結構寂しがり屋さんだったのね。意外だわ」

「それだけ殿下を深く愛されていらっしゃるということでしょうけれどね」


 今日も今日とてお屋敷に遊びに来ている、シルティアとオリヴィエ様。

 現在は、リビングにてお茶会真っ最中です。


「私も、ここまで参るとは思っていなかったのです。ああ、ラングリフ様……」

「びっくりするくらい弱ってらっしゃるのね、見ていて面白いわ」

「オリヴィエ様、私のお姉様をおもちゃを見るような視点で眺めないで?」


 最近、少しずつ言葉遣いがよくなってきたシルティアが、私を助けてくれます。


「うぅ、ありがとう、シルティア。あなたはいい子ね。泣けてきます」

「あ、お姉様、本格的に弱ってるわね、これ……」

「笑顔が素敵な『花の貴婦人』にも、こんな弱点があったのですわね~」


 ……『花の貴婦人』?


「何ですか、オリヴィエ様、その呼び名は?」

「あら、ご自分のことなのに御存じないのね。リリエッタ様ったら」


 え、私のことなのですか?


「結構前から、社交界でずっと噂の種になってるんですって。『花の貴婦人』。ほら、お姉様はもう『花の令嬢』ではないでしょ?」

「あ、そうね、シルティア。令嬢ではないわね」


 でも、だからって『花の貴婦人』? いささか安直では?

 私、半年前のパーティー以来、夜会に一度も出ていないのですけど……。


「仕方がありませんわね。あの夜のリリエッタ様が皆様にとって刺激的すぎたのよ。今や非公式ファンクラブができているくらいですもの。大したものよね」

「ひ、非公式ファンクラブ……ッ!?」


 本人が知らないところで、何が進行しているというのですか……!


「会長はラングリフ殿下よ?」

「ラングリフ様が!?」


 二度目の衝撃が、私の頭をガツンと殴りました。

 私が見ていないところで、一体何をしておられるのですか、ラングリフ様……。


 あなたが会長なら、それはもう半公式なのでは?

 いえ、私個人はあまり認めたくはないのですけどね……。


「ちなみに私も会員ですわ」

「私も~! お姉様のファンクラブですもの、当然よね!」

「な、な、な……」


 平然と言ってのける二人に、私は絶句するしかありませんでした。

 そして、同時に思いつくのです。


「そ、それでしたら、ラングリフ様の非公式ファンクラブなどもあるのですよね? あのパーティーで活躍なされたのは、ラングリフ様の方ですものね!」

「え、ないわよ」

「何故、何故なのですか……」


 シルティアの一言に、私が抱いた淡い期待は打ち砕かれてしまいました。

 何故でしょうか。ラングリフ様ほどの御方なら、あってもおかしくないのに。


「仕方がありませんわよ」


 紅茶を一口啜って、オリヴィエ様が肩をすくめます。


「だってあの方は『断崖の君』ですもの。面白い方であることは私も知ってますけれど、人はまず外見から入るものしょう? 近寄りがたいのよ、どうしても」

「……そういうものでしょうか」


「そうですわよ。あの立食パーティーでもリリエッタ様が隣にいらっしゃるのに、一度も笑顔にならなかったでしょう? そういうところが、ね」

「…………」


 オリヴィエ様の言葉を聞いて、私はシルティアを見ます。

 あの方の呪いについて知っている妹も、私と同じく複雑そうな顔をしています。


 そう、そうでした。

 半ば忘れていましたが、ラングリフ様は『断崖の君』と呼ばれる方。


 周りに人を置くことのない、決して笑わない孤高の人。

 滅多に社交の場に顔を出さないことから、そんな噂が信じられているのです。


 あれで、中身は人を笑わせるのが好きなお茶目さんなのですけど。

 時々、お茶目が過ぎて、始末に負えない事態になったりもしますが……。

 例えばチョコレートの花束事件とか。


 ただ、噂の一端は当たってはいるのです。

 生まれて一度も笑ったことがないと揶揄されるラングリフ様ですが、事実です。


 あの人は、笑うことができない呪いにかかっているのです。

 この世に生を受けたその日、ほかでもない自分の母親に呪われて。


 その呪いを解くすべは、今のところ見つかっていません。

 今後も見つけられるかどうか、わかりません。


 本人は、とっくに諦めたようなことを言っています。

 でも、そんなはずはないのです。


 ずっとそばで彼を見てきた私は知っています。

 ラングリフ様は、心の底では『笑うこと』を望んでいます。憧れています。


 叶わないからこそ、焦がれてやまない。

 そういったものの一つや二つ、誰にだってあることでしょう。


 彼の場合は、それが『笑うこと』なのです。

 何てささやかで、そして切ない渇望でしょうか……。


 いつか、ラングリフ様が笑える日が来るのでしょうか。

 その日が来るのなら、それまでは私が彼の分まで笑い続けようと思います。


 ああ、それにしてもラングリフ様、早くお戻りになられませんでしょうか。

 寂しい……。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ラングリフ様がお戻りになられるまで、あと数日という頃。

 私は、王宮に呼び出されました。


 王宮の片隅にある、古びた小さな礼拝堂。

 私達の結婚式が執り行われたそこで、その御方は待っておられました。


「あの……」

「来たか。時間通りだな、リリエッタよ」


 綺麗に掃除された広くない礼拝堂の中、待っていたのは一人の老紳士。


「……はい、陛下」


 何と、国王陛下でした。

 そこにおられたのは陛下一人で、他には誰もいません。


 陛下も、華美なお召し物ではなく、随分と目立たない服装です。

 とはいえ、いくら王宮内とはいえど、お一人でいらっしゃるのは不用心では?


「その顔、余の心配をしておるな」

「ぁ、いえ……」

「構わぬ。そなたの懸念は当然のことであるからな。だが、心配は無用だ。ちゃんと供回りはつけておる。ただ、この場に顔を見せておらぬだけよ」


 陛下は、ニコリと笑ってうなずかれました。

 私にはわかりかねますが、周りにどなたかいらっしゃるのかもしれません。


「そなたと顔を合わせるのは、何か月ぶりになるかな?」

「はい、陛下。王妃様の葬儀以来となります」

「そうか……。そうなると三か月ぶりであるな。時の流れは早きものよな」


 そう呟くと共に、陛下は少し陰のある表情を浮かべます。

 三か月前、かねてより病床にあった王妃様がお亡くなりになられたのです。


 私とラングリフ様も、葬儀には列席しました。

 王妃様は気性の激しい方でしたが、友人も多く、葬儀は盛大に行われました。


「それで、あの……」


 と、私は陛下に用件を窺おうとします。

 でも、激しい緊張に身が震えて、舌が上手く回りません。どうしましょう……。


「む? ……ああ、そうであったな」


 私の変化に気づかれて、陛下はポンと手を打ちます。


「――いや、すまないね。どうにも気を張るのが普通になっていて」

「え……」


 急に、空気が和らぐのを感じました。

 陛下のお姿に変わったところはないのに、纏う雰囲気が完全に変わっています。


「これでどうだね、リリエッタさん。楽になったんじゃないかね?」

「あ、あの……」

「ああ、喋り方は気にしないでくれ。こっちが素でね。公には出せないけど」


 一瞬前まで貫禄溢れる印象だったのに、今は穏やかさが優っています。

 とても優しそうな、子供に好かれそうなお顔をしておいでです。


「国の顔となる立場に、大人しさというのはマイナスなんだよ。困ったことに」

「そ、そうなのですね……」


 まだ驚きから立ち直れずにいる私に、陛下は柔らかく微笑まれました。


「今の今までお礼を言えてなかったけどね、ラングリフによくしてくれて、本当に感謝しているよ。君と出会えたことは、あいつの人生最大の幸運だろう」

「……ありがとうございます、陛下」


 やっと、認識が現状に追いついて、私は陛下にお礼を言うことができました。


「私こそラングリフ様には大変よくしていただいております。あの方と出会えたことは、私にとってもまさしく至上の幸運で、今は、とても幸せです」

「そうか、そう言ってくれるか。嬉しいな。……ああ、とても嬉しいよ」


 国王陛下は、噛み締めるように言って、何度もうなずかれました。


「サミュエルとラングリフと、他にも幾人か娘がいるが、どれも年をとってから授かった子供達だ。それだけに可愛くてね。サミュエルは甘やかしてしまったが」

「きっと今頃は鍛えられていますよ」

「死んだという話は届いていないからねぇ。頑張っているんだろう、あいつも」


 なかなかとんでもない会話ですが、第十三騎士団とはそういう場所らしいです。

 一度入隊したら、肉親の葬儀に出席することも許されない、という。


 それから、私と陛下は数分ほど近況報告や世間話をしました。

 素の陛下はとてもお話がしやすくて、ついつい、話し込んでしまいました。


 私ったら随分と不敬なことをしているのではないかしら。

 ある程度話し終わったところで、やっとそんなことを考えたくらいです。


「あの、それで陛下、本日はどういった御用件で私をこちらに……?」

「おっと、そうだったね」


 陛下も気づいたように笑って、おもむろに懐に手を差し入れます。


「君にこれを」

「これ、は……?」


 陛下が差し出されたのは、古びた鍵のようでした。

 私は、それを受け取って目を落とします。鍵の持ち手の部分には、花の紋章?


「その鍵を君に渡すよう、頼まれていてね」

「私に、ですか……? 一体、どなたに頼まれたのです?」


 国王陛下にそのようなことを頼める人など、いたでしょうか?

 私には思い当たりませんが、陛下が、教えてくれました。


「私にそれを頼んだのは、この間亡くなった私の妻、アンジェリカだ」

「王妃、様ですか……?」


 意外なお答えでした。

 私個人は、王妃様とは結局一度もお話する機会がなかったのですが……。


 ラングリフと結婚したときには、すでに王妃様は床に臥せっておられました。

 もしかしたら、私のことも知らないのではないかとも思います。


「正確には『ラングリフの妻』に渡すように、頼まれていてね」

「それは、一体……」


 陛下はそのように語られますが、私にはまるで話が見えませんでした。


「私は、ラングリフ様と結婚して一年以上経ちます。それなのに、何故、今?」

「……それがね」


 陛下は、どこか言いにくそうに若干顔を逸らし、しばし考え込まれました。

 そのあとでついた嘆息は、踏ん切りをつけるためのもののようでした。


「アンジェリカは、死に際にこの鍵を差し出してきたんだよ」

「王妃様が……?」


 それは、どういうことなのでしょうか。

 聞かされた話に、疑問は大きくなっていくばかりです。


「これを私に渡すとき、アンジェリカは謝っていた。『ごめんなさい、ごめんなさい』とね。意味は、私にもわからない。あれは何に対する謝罪だったのか」


 陛下が語る王妃様の話は、本当に不思議なものでした。

 もちろん、私に対しての謝罪ではないでしょう。


「推察できることはあるが、それが当たっているかは今となっては知りようがない。とにかく、私は頼まれたことを果たそうと思って、君をここに呼んだんだよ」

「そうなの、ですね……」


 まだ、全部を飲み込めたわけではありませんが、私は再び鍵を観察します。

 その鍵に刻まれた花の紋章を、どこかで見たような気がするのです。


「陛下」

「何だね、リリエッタさん」


「今、おっしゃられた、陛下のご推察は、お聞かせいただけるのでしょうか」

「それは――」


 私の問いかけに、陛下は言葉を濁されました。その瞳が、虚空を彷徨います。

 しばしして、答えは返ってきました。


「いや、やめておこう。これは私の胸の内にしまっておくことにするよ」

「そうですか……」


 残念に思う私でしたが、話したくないというのでしたら、仕方がありません。

 ですが、陛下のお話はまだ終わっていませんでした。


「ただね――」

「はい」

「アンジェリカがこの鍵を持っていたことには、とても重大な意味がある。私はそう感じているよ。これを、君に託すよう私に頼んだことにもね」


 それは私も同じでした。

 王妃様が、死の間際に陛下に託された鍵です。とても大切なもののはずです。


 でも、この場ではそれを知ることはできなさそうですね。

 私に向かって、陛下が切り出されます。


「今日は、来てくれてありがとう。リリエッタさん」

「こちらこそ、貴重なひとときをありがとうございました」


 こうして、私は礼拝堂を出て、そのまま王宮を辞しました。

 本当の陛下は、あんなにも穏やかな方だったのですね。驚かされました。


 帰りの馬車の中で、私は受け取った鍵を眺めています。

 この紋章、どこかで……。でも、どこで?

 思い出せずに悶々としていると、やがて、脳裏に閃くものがありました。


「そうです、この紋章……」


 私は、そこに刻まれた花の紋章に心当たりがありました。

 お屋敷の二階に、閉ざされている扉があるのです。


 そこはどの部屋の鍵も合わない『開かずの間』で、ずっと気になっていました。

 ラングリフ様も、その部屋には入ったことがないと言っておられました。


 扉です。その部屋の扉に、花の紋章が描かれていたのです。

 そうですね、間違いありません。この鍵に刻まれたものと同じ紋章でした。


「一体、何があるというのでしょうか……」


 期待よりも遥かに大きな不安を胸に、私は花の紋章の鍵を強く握りしめました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る