第9話 これからも花々に囲まれて

 ある日のことです、ラングリフ様が言われました。


「最近、思うのだが……」


 お屋敷の庭園で、お茶をいただいているときでした。


「はい、どうかなさいましたか、ラングリフ様」

「いやぁ……」


 と、若干歯切れの悪い言い方をして、彼はすぐに言葉を続けました。


「俺の屋敷だよな、ここ?」

「何言ってるんですか、当たり前ではありませんか。殿下」


 疑問を口にするラングリフ様に答えたのは、私ではなくオリヴィエ様でした。


「うん、そのはずだよな……」

「そうよ、ラングリフお兄様のお屋敷よ、そうに決まってるじゃない!」


 不安そうに繰り返すラングリフ様に返したのは、私ではなくシルティアでした。

 ここでようやく、私が苦笑と共に口を開きます。


「ここ一か月、ずっと二人がウチに入り浸ってますからね」

「何でだよ。夫婦水入らずの時間をくれよ……」


 あの騒動から一か月が過ぎました。

 あれから、何故かオリヴィエ様が頻繁に我が家にやってくるようになりました。


 シルティアも一緒なのは、オリヴィエ様のお家に預けられているからです。

 アドレーゼ伯爵家は貴族教育の第一人者という、稀有なお家柄なのです。

 過去、幾人もの王妃教育を担当された実績から今回も任されたのです。


 妹は、能力面では全く不足がありません。

 あとは淑女としての振る舞いを身につけることと、心の未熟さだけが問題です。


「だって、毎日毎日、礼儀作法の勉強とか息苦しいんだもの……!」

「あら、シルティア様。そうやってお姉様に泣きつこうとするのは、レディとしてはどうなのかしら? 本日の行動評価にマイナスをつけてしまおうかしら?」

「やめて~~~~!?」


 シルティアが悲鳴をあげます。

 妹の教育係についたのが、実はオリヴィエ様なのです。


「シルティアはこれまで自分が学びたいことだけを学んできたから、窮屈なのでしょうね。でも、これからは『自分に必要なこと』も学ばなきゃいけないわ」

「ぅぅぅ、わかってる……」


 しゅんとなりつつ、シルティアはうなずいてくれました。素直は美徳ですね。


「シルティア様は奔放ではありますが、無責任というわけではありませんので、レディとしての常識を覚えるのもそう長い時間はかからないでしょうね」


 紅茶のカップを手に取って、オリヴィエ様がそう評価してくださいました。

 そうですね、この子は無責任ではありません。


 あの騒動のあと、シルティアは自らあの場にいた皆様への謝罪を行ないました。

 自分の足で皆様のお家を一軒一軒回って、頭を下げていったのです。


 誰に言われることもなく、自分で反省して、判断して。

 この子はそれができる子です。だから、私は見捨てられなかった。


「時間がかかるといえば、兄貴こそ復帰が認められるまで時間がかかるだろう」

「第十三騎士団送りですからね。あそこは規律に厳しいと聞き及んでいます」

「ああ。第一騎士団など問題にならない苛烈な部署だ。存分に揉まれるぞ」


 第十三騎士団は辺境防衛を任務とする騎士団で、国の端に駐屯しています。

 そこは魔物の大量発生地帯で、湧き続ける魔物の間引きを行なっているのです。

 団員はいずれも一騎当千のつわもので、ついた異名が『英雄のねぐら』。


 命を対価に力と名と誇りを得る場所、とも呼ばれています。

 どの騎士団とも違う、何もかもが異色の騎士団。それが第十三騎士団なのです。


「あそこは能力と、気質と、何より国への忠誠心が試される場所だ。当然だが、全騎士団中最も殉職率が高い。父上は一言『生き延びよ』と言って、兄貴をあそこに送った。王になるのであればそれくらいはして見せろということだろうがな……」


 ラングリフ様は、どこか複雑そうでした。

 サミュエル殿下の行ないに憤る一方で、その身を案じてもおられるのでしょう。


「ですが、殿下はすでに貴族からの支持を半ば失っておられますわ。それを取り戻すための第一歩としては、第十三騎士団送りはちょうどよいかと存じます」


 オリヴィエ様の言葉に、ラングリフ様は複雑そうにしたままうなずかれました。

 第十三騎士団は、国内でも特に尊敬を集める存在です。

 そこに在籍した経歴は、殿下の汚名を雪ぐのに十分な効果を持つはずです。


「大丈夫よ」


 と、シルティア。


「サミュエルは頑張れる人よ。ちょっと調子に乗りやすいけど、自分がしなきゃいけないことはちゃんとやり抜けるわ。それがサミュエルだもの」


 妹のその言葉は、強い確信を帯びたものでした。

 彼女がそう言うのであれば、きっとそれはその通りなのでしょう。


「それよりも帰ってきてからの方が大変だぞ、兄貴は。尋常ではない借金を背負ったからな。父上も兄貴にしっかり首輪をつけたかったのだろうが……」


 見舞金は殿下の借金扱いとなりましたので、これも罰の一環ですね。

 陛下は、やるとなればそうした決断を即時にできる方でもあるのです。


「これで、俺を担ぎ上げようとする連中がいなくなれば、最高なんだが……」

「それもいずれは落ち着きますよ、ラングリフ様」


 騒動以降、にわかにそういった方々が出始めているのは確かです。

 サミュエル殿下に即位されると都合の悪い方も、国内には多少存在しています。


 そうした方々には、ラングリフ様が即位される方が望ましいのでしょう。

 けれど、勢力としては微々たるものでしかありません。


 サミュエル殿下が復帰されれば、それらの声も自然と消えてゆくはずです。

 ラングリフ様の継承権は、陛下に再度返上されましたし。


 お父様とお母様は、王都を追われました。

 今回、殿下とシルティアの暴走を招いた責任を取らされた形です。


 デュッセル家の家督と爵位は、私の叔父に当たる方に継承されました。

 そして二人は全てを奪われ、どこともしれない僻地に押し込められたのです。

 事実上の流刑です。


「何一つ、自由にならないだろうな」


 ラングリフ様が、そのようにおっしゃられました。


「これから先、あの二人に待っているのは『みじめな余生』だ。言うことを聞いてくれる者は一人もおらず、貧民と変わらない生活を強いられ、逃げたところで周りには何もないし、頼れる者も誰もいない。できることもない、悲惨な末路だよ」

「……こればかりは、自業自得ですね」


 私は呟き、シルティアは無言のまま、共に顔を俯かせました。

 あのような恥ずべき人達でも、私達の親ではあったのですよね……。


「皆様、そろそろお時間でございます」


 庭園にマリセアさんがやってきて、そう教えてくれました。

 気がつけば、そろそろ夕刻。空の色も少しずつ変わり始めています。


「もうそんな時刻ですのね。楽しいときはあっという間だわ」

「そう言って、どうせ明日も来るのだろう?」


 名残を惜しむオリヴィエ様ですが、ラングリフ様に問われて無言でニッコリ。

 この人、やっぱりよい性格をしていらっしゃいますね。


「それでは帰りましょうかしら。ね、シルティア様」

「ぅぅぅぅ、夜のお稽古の時間が来てしまうんだわ……」


「がんばってらっしゃい、シルティア。お姉ちゃんは応援してるからね」

「お姉ちゃ~ん……」


「さ、行きますわよ。立派なレディになりましょうね、シルティア様」

「あうぅぅぅぅぅぅ~、頑張るぅ~……」


 オリヴィエ様に引きずられるようにして、シルティアは帰っていきました。

 やるとなれば、何事も学ぶのは早い妹です。あまり心配はしていません。


「やっと帰ったか……」


 そう零すラングリフ様の声は、いつになくお疲れのようでした。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 お夕飯を終えて、夜。

 使用人も今はいなくて、やっと私とラングリフ様の二人きりの時間です。


 私とラングリフ様は、一階のリビングでくつろいでいます。

 彼は武器の手入れをしていて、私は書斎にあった本を読んでいます。


 リビングは広くて、そこに、私と彼だけ。

 お互いに何を言い合うでもなく、ただ同じ空間にいて、同じ時間を過ごして。


 何て、贅沢なひとときでしょう。

 私は本を読んでいますが、彼が武器を扱う小さな音が聞こえています。


 壁にかかった時計の音もかすかながら届きます。

 そうした音を背景に本を読む。そこにある楽しさを、私は堪能していました。


「なぁ、リリエッタ」


 ふと、ラングリフ様が私を呼びます。


「どうかされましたか、ラングリフ様?」

「思い出したんだよ。俺は、君に礼を言いそびれていた」


 お礼?

 何のことでしょうか……?


 心当たりがない私は、軽く首をかしげます。

 ラングリフ様は穏やかな目で私を眺めて、教えてくださいました。


「あの騒動のとき、君は俺にしてくれたわがままのことさ」

「あ……」


 ――この国の王様になってください。


 あれ、ですか。

 思い出した私は、込み上げてくる後悔に顔を俯かせようとします。


「俺から目を逸らしてほしくないな、リリエッタ」

「むぅ……」


 許されませんでした。あんまりです。


「あのときは、申し訳ございません。私ったら、とんでもないことを……」

「そう畏まらないでくれ。礼と言っただろう」


 ラングリフ様は手入れを終えた武器をしまって、こちらに歩いてきます。


「君があのわがままを言ってくれなければ、俺は見て見ぬふりを決め込んでいたかもしれない。君から切り出してくれたから、俺も勇気を奮って踏み出せたんだよ」

「そんなこと……」


 そんなことが、あり得たでしょうか。

 私が知るラングリフ様でしたら、レントさんを侮辱された時点で行動に出そうな気もします。私がそう思っていることを、彼もわかっているようで、


「俺は、呪われているからな。どうしてもそれが心の枷になってしまうんだ」


 生まれた日に施されたという、生涯、笑うことができない呪い。

 今もラングリフ様を苛むそれが、彼自身を行動することから遠ざけていた、と。


「君がいなければ、俺はきっと踏み出せなかった。ありがとう、リリエッタ」


 ラングリフ様が頭を下げてきます。

 私は、ふと窓から外の景色を眺めました。


「――外に出ませんか、ラングリフ様」

「外に?」

「ええ、今夜は星が瞬いて、とてもきれいな夜です。風に、当たりませんか?」


 顔をあげられたラングリフ様が、私と同じように窓を眺めます。

 そして、そこにあるものに気づいて「そうだな」とうなずかれました。


 私と彼は、部屋を出て、夜の庭園へと向かいます。

 そこにあるのは、冴え冴えとした丸い月と、煌びやかに瞬く数多の星々と――、


「香るな」

「ええ、とても」


 庭園に咲き誇る無数の花々でした。

 ラングリフ様が育てられた花達は春の夜風に揺れて、甘い匂いを漂わせます。


「ラングリフ様、聞いてくださいますか」

「何だろうか?」


「シルティアが子供のまま育ってしまったのは、私のせいでもあるんです」

「何だって……?」


 花の香りに包まれながら、私は過去を思い返します。


「父は、私をサミュエル殿下に相応しい『花』にすべく、多くの時間を費やしました。あの人はずっと前から、シルティアにはあまり関心を持っていませんでした」


 いいえ、それどころか根本の部分では私に対する関心も薄かったのでしょう。

 あの人にとって重要なのは、いかに殿下に取り入るか。それだけでした。


「母は、私を嫌っていました。自分と同じ『貴族の道具』にされていく私を見ていたくなかったのでしょう。その分、シルティアをとことん甘やかしていました」


 父と母に忖度して、使用人達ですらシルティアを放任したのです。

 誰も、妹を導こうとはしませんでした。誰も……。


「私だけが、あの子に教え導ける立場にあったのです。でも、私はそれをしませんでした。そのときの私はお父様の『道具』で――、いえ、言い訳ですね」


 結局は、私もシルティアを放置した。それは同じなのですから。


「あのとき、レントさんを傷つける言動をした妹を見て、私は思ったのです。ここでどうにかしなければ、私はあの子の姉ではいられなくなってしまう。と……」

「それが、あのわがままに繋がったということだな?」

「はい。ですので、ラングリフ様にお礼を言われるようなことではないのです」


 むしろ、私はこの人を利用した形です。

 それは礼を言われるようなことではなく、恥ずべきことでしょう。なのに、


「いいじゃないか、それで」

「え?」


「理由なんて関係ないさ。君は動いた。そして俺を動かした。その結果、事態は収まった。君の内心はどうあれ、あの場にいた人間にとってはそれが全てだよ」

「私の内心はどうあれ、ですか……」


 ええ、まさにその通りですね。その通りです。

 どんな動機でも、それで行動に移せるなら、見ているだけよりはマシですね。


「それと、前にも思ったが、君は自分の生きる理由を奪った妹にも優しいんだな」

「あの子を教育できなかったことへの負い目もありますから」

「負い目か。……やはり君は優しいよ、リリエッタ。不本意だろうがな」


 ラングリフ様が、私へと静かに右手を差し伸べてきます。

 私はその手を取って、ラングリフ様に近づき、彼の大きな懐に抱かれました。


「花の香りがするな」

「ええ、風も心地よくて、とても気持ちがいいですね」


 私はゆっくりと顔をあげます。

 そこには、ラングリフ様のお顔が間近にあって、その向こうに丸い月と星空。


「笑ってくれないか、リリエッタ」

「はい、あなたのために、ラングリフ様」


 そう返し、私は笑みをますます深めて、最愛の夫を見つめます。


「あなたがいてくれるから、私はずっと笑っていられます。上辺だけの笑顔ではなく、心からの笑顔を、あなたに捧げることができるのです。ラングリフ様」


 ただ飾られるだけの『花の令嬢』はもうどこにもいません。

 私は、あなたのためにあなたの隣で咲き誇る、一輪の『花』なのです。


「ずっとずっと、私の隣にいてくださいね、ラングリフ様」

「ああ。俺は君を離さない。……いや、離せないな。君に惚れ抜いているから」


 庭園に風が流れて、春の匂いが辺りを染め上げます。

 乱れ咲く百を越える花々に囲まれながら、私と彼は唇を重ねました。


 ――あなたがくれるいとしさが、私を満たして笑顔にさせる。

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