第7話 再会は醜さと共に

 場の空気が一変しました。

 それまでは、何だかんだと賑々しい雰囲気に満ちていた会場ではありました。


 けれど、国王陛下の御到着という声が響いた瞬間、一気に静まり返ったのです。

 その反応は、私が知るものとは大きく異なっていました。


 私は、以前にも何回か陛下御列席の催しに参加したことがありました。

 思い返してみると、陛下御到着の際には、皆様、一層盛り上がっておりました。


 ですが、今回は違っていました。

 文官の報告に、私はてっきりもっと賑やかになると思ったのですが……。


「驚いていらっしゃるようですわね、リリエッタ様」

「オリヴィエ様、はい、少し……」


 陛下が出てこられるであろう会場の大扉に目をやって、私はうなずきました。


「そうか、リリエッタは知らなかったのだな」

「ラングリフ様……」


 いつの間にか、ラングリフ様が私のすぐ隣に立っておられました。

 彼も、同じく大扉を見つめています。でもその顔は、いつもより厳しいのです。


「俺も話に聞いただけなんだが、面白くないものが見れそうだな」

「そうですね。殿下とリリエッタ様には、あまり快いものではないでしょうね」


 あごに手を当てて語るラングリフ様に、オリヴィエ様も同調を示します。

 ラングリフ様が、ジロリと彼女の方を流し見ました。


「ふむ、リリエッタ、こちらは?」

「あ、この方は――」

「初めまして、ラングリフ殿下。お会いできて光栄ですわ。私は、今日からリリエッタ様の親友となりました、アドレーゼ伯爵家のオリヴィエと申します」


 え、し、親友……!?

 私がびっくりしてオリヴィエ様を見ると、ウィンクを贈られてしまいました。


「そうなのか、リリエッタ?」

「その、オリヴィエ様がよくしてくださっているのは本当です、ラングリフ様。ただ、親友かと問われれば、首をかしげざるを得ません。ですから……」

「ですから?」


 オリヴィエ様がオウム返しに尋ねてきます。

 照れくささからむずがゆいものを感じながら、私は精一杯に返します。


「こ、今度、お茶会を催しますので、オリヴィエ様をご招待したいです。あの、ご都合がよろしければ、一緒にお茶を飲んでいただければ、嬉しい、です……」


 意を決した申し出でしたが、勢いが足りず尻すぼみになってしまいました。

 何とも情けない話ですが、仕方がありません。

 家族以外の方をお茶会にお誘いするなんて、生まれて初めてのことなので……。


「あ~、リリエッタ様、本当に可愛らしいですわ~。お茶会に誘うだけなのに、そんなにいっぱいいっぱいになられて、何ていじらしい! 当然、OKですわ~!」

「我が妻の魅力をよく理解しているじゃないか、オリヴィエとやら」

「殿下ほどではございませんけれど、人のことはよく見ているつもりですのよ」


 ああ、何てことでしょう。

 お誘いしたのは私なのに、なぜかラングリフ様が意気投合しています。

 これは、私は拗ねてもいいのでしょうか。いいですよね?


「おっと、戯れはここまでだな。父上が来るぞ」


 声のトーンを一段二段低くして、ラングリフ様がそう告げられます。

 会場内で緊張感が高まりつつある中、ギギギと、大扉の軋む音がします。


 記憶の中にある景色では、扉がゆっくりと開いたのち、陛下が入場されました。

 数々の革新的な政策で国を富ませ、民草より賢王と謳われる国王陛下です。


 鮮やかな白のおぐしの上に栄えある王冠を戴く、威厳ある御方。

 私達の結婚式のときと変わることなく、元気なお姿を見せてくれるのでしょう。


 私は、そう思っていました。

 しかし、扉が開いてそこに現れた陛下の容貌は私の想像を覆すものでした。


「……え?」


 思わず、声を出していました。

 扉の向こうより歩み出てきたのは、確かに国王陛下です。


 けれど、これはどういうことでしょう。

 最後にお見かけしたのは、一年前の結婚式でのことでした。


 そのときには、苦悩の色こそあれど、陛下のお姿に変わりはありませんでした。

 なのに今は、それが嘘であったかのように、おやつれになられていたのです。


 その立ち姿は頼りなく、お顔もたった一年で随分と老け込んで見えます。

 さすがに、信じられませんでした。この変わりようは、一体何事なのでしょう。


「王妃様の件もあるのだろうか……」


 どこかから、そんな呟きが聞こえてきます。

 王妃様は、そういえばここ数年、病床に臥せっておられるのでしたね。


 では、陛下は王妃様を案じるあまり、心労であのようなことに……?

 そう考えかけた私へ、オリヴィエ様はそれを見透かしているかのように、


「それもあるけど、主な原因は別なのよ、リリエッタ様」

「オリヴィエ様……?」


 何故でしょう、何故、オリヴィエ様は侮蔑の表情を浮かべているのでしょう。

 その双眸は、陛下の方へ向けられていますが、陛下を見ていません。


「来ますわ、陛下をあのような姿にした元凶が」

「……元凶?」


 私がそう問い返した、次の瞬間でした。


「みんなァ~! 私が来たわよォ~!」


 会場にけたたましく響き渡る、いつか聞いた覚えのある、その声。


「フン、退屈そうな催しだな。だが来てやっただけ感謝してほしいものだな」


 続いて、これもまた私の記憶に残っている、かつて私を深く傷つけた方の声。


「アハハハ、サミュエルったらエラそうね~! いいじゃない、美味しいものが食べられるんでしょう? だったら参加しておけばいいのよ! そうでしょ?」

「おまえは簡単だな、シルティア。もう少し知的な発言をしてくれ」

「知らないわよ、そんなの! 本当は今日は本を読んでいたかったのよ、私!」


 シルティアと、サミュエル殿下でした。

 多数の貴族が集まるこの公の場で、二人は何と普段着姿で入場してきたのです。


 続くように、今や貴族筆頭の立場にあるお父様とお母様も入場してきました。

 こちらは、さすがに盛装しているようです。


 それにしても、あの二人はあんなにも醜かったでしょうか。

 お父様は去年より肥え太り、お母様は下卑た優越感がはっきり顔に出ています。


 私を含めた一同が何も言えずにいる中、殿下がニヤニヤと笑い出しました。

 彼は、あごに手を当てて人を小馬鹿にするような目をします。


「ほぉ~、無能な貴族共が雁首揃えて集まってるじゃないか。壮観だな」


 シルティアも一緒になってせせら笑いながら、これ見よがしに肩をすくめます。


「何で貴族の人って、こんな風にお金をかけて騒ぐのかしら。もっと別のことにお金を使えばいいのに。体裁とか格式とか、いちいちくだらないわよね~」


 その言葉は、まさしく貴族という存在を全否定するものでした。

 貴族の皆様は一様に表情を硬くして二人を眺めています。

 中には、込み上げる抵抗感を隠し切れなかった方もいらっしゃって――、


「おい、そこのおまえ」

「えッ」


「その不満げなツラは何だ? 何か俺達に文句でもあるのか?」

「いえ、あの……」


 サミュエル殿下に絡まれた男性は、顔面蒼白で視線を逸らそうとします。


「次期国王たる俺に向かってそんな態度に出るとは、叛意ありと見ていいな?」

「お、お待ちください、殿下! それはあまりにも無体な……!」


 男性は血相を変えますが、それは殿下の怒りを煽るだけでした。


「あ~ん? 俺に口答えする気か、おまえ? 次期国王である、この俺に!」

「う、ぅぅぅ……、申し訳ございません。お許しくださいませ……」


「平伏しろ。床に這いつくばれ。そうしたら考えてやっても――」

「ひ、ひぃぃ……」


 目に涙を浮かべ、死にそうな声で、男性は四つん這いになろうとしました。

 何ということでしょう。

 面子が何よりも重い貴族に対し、こんな、生き恥を晒させるような真似を……!


「もうやめぬか、サミュエル」


 腕組みして笑う殿下を、見かねた陛下が諫めようとします。

 なのに殿下は止まりません。それどころか、反抗的な目を陛下に向けるのです。


「親父は黙っていろ! この男は王家に逆らおうとしたのだぞ!」


 貴族そのものを否定しておきながら、平然と『王家』という言葉を用いる。

 殿下の言い分の、何と都合のよいことでしょうか。


「そうよ、陛下は口を出さないで! これはサミュエルの問題なんだから!」


 さらにはシルティアまで、殿下に便乗して陛下に口答え。

 国王陛下に対して、何て無礼なことを。これはさすがに常軌を逸しています。


 それなのに、どうして誰も声をあげないのでしょう。

 何故、誰もサミュエル殿下やシルティアを諫めようとしないのでしょうか。


「ねぇ、お父様、お母様? 私達、悪くないわよね? こいつが悪いのよね?」


 男性を指さしたシルティアが、お父様とお母様に意見を求めます。

 二人はヘラヘラと笑うばかりで、お父様に至っては揉み手をしそうな勢いです。


「ん、ああ、そうだな。殿下の気分を害したその貴族が悪いな」

「ええ、そうね。次期国王のサミュエル殿下の気分を害するなんて、最悪だわ」


 太鼓持ち。

 私の脳裏に、そんな言葉が浮かびました。


「――見ての通りよ」


 オリヴィエ様が、小さな声で耳打ちしてきます。


「シルティア様とご結婚なされてから、殿下はずっとあの調子。元々、傲慢な部分もおありでしたけど、シルティア様のせいでそれが悪い方向に加速してしまったようなの。あんな風に、陛下の言葉にも耳を貸さない有様でしてよ」

「どうして、そんなことに……? 国王陛下の言葉を聞き入れないなんて……」


 あんな不敬が、何故見過ごされているのですか。

 あの二人の行き過ぎた横暴が、どうしてこの場でまかり通っているのですか。


「半分は俺のせいだよ、リリエッタ」


 その疑問に答えてくれたのは、ラングリフ様でした。


「この国には、兄貴以外に王太子になれる者がいないんだ」

「あ……」


 そう、でした。

 ラングリフ様は自らの血筋と呪いを理由に、王位継承権を返上されています。


 そして陛下には、他に王子はなく、兄弟もいらっしゃいません。

 陛下は、サミュエル殿下を廃嫡できない状況に置かれているのですね……。


「兄貴の顔を拝むのはかなり久しぶりなんだが、見ていられないな。結婚前から尊大な男ではあったが、あれほどではなかった。女は男をああも変えるのか……」


 ラングリフ様の呟きには、ひどいむなしさが感じられました。

 サミュエル殿下は、大きくあくびをして横柄な態度で全体を見渡します。


「今夜はアレだろ、西に出た魔物を討った騎士の叙爵なんだろう? だが、たかが男爵程度に、わざわざ俺達が出張る必要なんてあったかァ? 甚だ疑問だな」

「な、何てことを……」

「国を守ってくれた英雄に向かって……」


 つまらなそうに言う殿下に、さすがに貴族の方々から驚きの声が漏れます。

 でもそれに、シルティアが声を張り上げて噛みつきました。


「何よ、男爵なんて下っ端の下っ端じゃない! 私達みたいな上位の人間がこうして顔を出してあげただけでもありがたく思いなさいよね、冗談じゃないわ!」


 先程の殿下と同じでした。

 貴族を否定しながら、自分は特権階級として振る舞うのですね。あの子は。


「シルティアの言う通りだ。それに街道を封鎖するほどの魔物というのも、怪しいモンだ。大げさに報告して、手柄を大きく見せようとしただけじゃないのか?」


 憤りを露わにするシルティアと、鼻で笑って肩をすくめるサミュエル殿下。

 誹謗中傷という言葉でも表し尽くせない、侮辱にまみれた発言です。


「……クソ」


 貴族達の中に混じっているレントさんが、小さく毒づくのが聞こえました。

 命を賭して魔物を討ち果たした彼の功績に、今、泥が塗られました。


 私は、目を閉じます。

 まぶたの裏に浮かぶのは、向こう見ずで、お調子者で、でも正義感溢れるレントさんの姿です。ラングリフ様の率いられる騎士団は、そんな方々ばかりでした。


 私は、目を開けます。

 そして、隣に立っているラングリフ様に、言いました。


「ラングリフ様」

「何だろうか、リリエッタ」


「私は今日まで、あなたにとって良き妻であろうと常に努めてきたつもりです」

「ああ、そうだな。君からのわがままなんて、これまで一度もなかったな」


「だって、何も言わないでも、あなたは私を満たしてくれるから……」

「嬉しい言葉だ。……それで? 君は俺に、どんなわがままを言うつもりだ?」


 問われてしまいました。

 きっと、ラングリフ様もおおよそ見当はついておいででしょうに。


「一度だけ言います。それが無理なら諦めます」

「聞こう」


 そう言ってくれるラングリフ様に、私は一生に一度のわがままを告げました。


「この国の王様になってください、ラングリフ様」

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