第6話 その笑顔に酔いしれて

 夜、馬車に揺られ一時間ほどで、王宮に到着しました。

 久しぶりに着たドレスは、マリセアさんが事前に用意してくださったものです。


「うん、すごく似合ってるぞ、リリエッタ」

「やめてください、もう……」


 ドレスの色は薄い黄色で、肩を出すデザインです。

 こんなに肌を出す衣装は長らく着ていなかったので、少し恥ずかしいです。


「それじゃあ、行こうか」

「はい、ラングリフ様」


 ラングリフ様の手を取って、私達は会場に向かいました。

 会場である宮殿は、煌々と輝く照明によって夜なのに真昼のような明るさです。


 中に足を踏み入れれば、そこにあるのは圧倒されそうなほどに華美な空間。

 そこで私はようやく思い出すのです。

 ここは貴族達の主戦場。人の闇を華やかな光で包み隠しているのした。


 パーティー会場である大ホールには、すでに多くの貴族達が集まっていました。

 用意された料理をお皿にとって、思い思いに談笑を交わしています。


 そこにいらっしゃる方々は、いずれも派手に着飾って、自らを誇示しています。

 辺りに漂うのは、いかにも濃密な香水の匂い。


 花の蜜を煮詰めたような甘さが、鼻先を衝いて些か不快でした。

 嗅ぎ慣れているはずの匂いなのに、こんな風に感じるのは初めてです。


 やっぱり、久しぶりに来たからでしょうか。

 一年以上のブランクのせいか、それとも私の感覚が以前と変わっているのか。

 おそらくは、両方なのでしょう。


「陛下もいらっしゃられるのですよね?」

「ああ。兄貴と一緒にあとで顔を出すだろう。俺達には関係のない話だがな」


 ラングリフ様は第二王子ではありますが、現在は王位継承権を持ちません。

 彼は、こういった公の場では一貴族として振る舞うようにしておられるのです。


「――さて、あいつはどこかな?」


 そう言って、彼は辺りに視線を巡らせます。

 私も一緒になって探すと、すぐにそれらしき人だかりを見つけました。


「ラングリフ様、あちらを」

「む、あれか」


 二人で、その人だかりに近づこうとしたときでした。


「あ~ッ!」


 そこにできている人の輪の中心から、威勢のいい声が聞こえてきたのです。

 ラングリフ様も私も、その声の主のことは知っていました。


「団長ォ~、姐さァ~ん! 助けてくださいよォ~~~~!」

「情けない声を出すな、レント。おまえのためのパーティーだろうが……」


 小走りで駆け寄ってきた青年に、ラングリフ様が眉間にしわを寄せます。

 彼はレント。ラングリフ様の騎士団に属する騎士で、今回の催しの主役です。


「主役なんてガラじゃないっすよ、俺ェ~。貴族になるなんて無理無理ィ~!」

「おまえの意思は関係ないぞ。今回の叙爵は国の決定だからな」


 レントさんの泣き言も、ラングリフ様にバッサリと切り捨てられました。


「そんなぁ~……」


 レントさんはひどく残念そうに肩を落としています。

 騎士が新たに爵位を授かるのは名誉なことと思うのですが、違うのでしょうか。


「元冒険者の俺が男爵とか、何の冗談っすかぁ~? こちとらテキトーに騎士やって、娼婦のおねーちゃんに適度にモテてりゃ、それでよかったのにぃ~!」

「……何てことを」


 彼があけすけな性格であることは知っていますが、ここで言うことかしら?

 ラングリフ様も、私と同じように感じられたようで、眉間のしわを深くします。


「そう思うなら、魔物の討伐などに参加しなければよかっただろう」

「はぁ~? そりゃ違うでしょう、団長! それはそれですよ! あのデカブツ仕留めなきゃ、街道は封鎖されっぱなしだ。困る人間がどんだけいるか!」


 貴族になりたくないと騒いだ口で、レントさんはそんなことを叫ぶのです。

 しかし、実に勇ましい今のセリフはラングリフ様の誘導でした。


「ああ、知っているとも。おまえはそういうヤツだ。だからこそ、この場で主役になってしまったんだよ。諦めろ、おまえはとっくに俺の自慢の種なんだよ」

「くぅ~、その言い方はズルいっすよ、団長……!」


 歯噛みしながらも、ラングリフ様に褒められたことがよっぽど嬉しいのか、レントさんの顔には押し殺しきれていない喜びの色がありありとにじんでいます。

 そこに、ラングリフ様が近づいて、レントさんに小声で告げます。


「そんなに女が欲しいなら、貴族の娘を漁ればいいだろ。今のおまえの立場なら、それこそより取り見取りだろう。御令嬢方は金をかけている分、美人揃いだぞ」

「……あの、ラングリフ様?」


 聞こえていますよ? 私にしっかりと聞こえていますよ?

 この方は、自分の部下に何ということをそそのかしているのでしょうか。


「あ~、貴族の女は厳しいっすね。見た目はいいですけど、どいつもお高くとまってやがりますからね。これなら馴染みの娼婦に貢いだ方が精神衛生上、全然マシってモンですわ。それにどいつも香水かけすぎ、鼻曲がりそうですよ……」

「……あの、レントさん?」


 団長が団長なら、団員も団員でした。こんな場でお話することですか!


「ああ、すまない。リリエッタ。レントが話しやすくて、つい、な」

「そうそう、ついつい、ってヤツですよ、姐さん。見逃してくださいよぉ~」


 ラングリフ様とレントさんが、二人して私の方を見てきます。

 どちらも、悪びれた様子一つ見せません。気安い友人同士のようでした。


「本当に、もう……」


 私は、ため息をついてしまいます。

 普段は威厳溢れるラングリフ様ですが、部下にはこうも砕けてしまうのです。


 ですが、それもこの人の魅力の一つであることを知る私は、強く出られません。

 全く、惚れた弱み、というのはこういうことをいうのでしょうね。


「ってワケで団長、ちょっと俺の話し相手になってくださいよぉ~。さっきから御令嬢さん達が話しかけてきてマジうっと~しいですよぉ~!」

「おまえがこれから貴族としてやっていけるのか、急に不安になってきたぞ……」


 私が見ている前で、また二人が話し始めました。

 レントさんを応援することも目的だったので、これはこれでよしでしょうか。


 ラングリフ様も面倒げに見えて、あれは確実に楽しんでますね。

 少し前から、表情を変えない彼の気持ちが、少しわかるようになってきました。


「もし、そちらの御婦人」


 私が会話する二人を眺めていると、急に男性に声をかけられました。


「はい?」


 くるりと振り返ると、そこには三人の青年が並んでいます。

 私の顔を見るなり、彼らは「おお……」と小さくどよめきました。何でしょう?


「お初の目にかかる。私はクラヴィル伯爵家の嫡男レイオットと申します」


 まとめ役らしき銀髪の青年――、レイオットさんが私に向かって一礼します。


「えぇと、はい。あの、私に何か……?」

「お一人で寂しそうにしていらしたので、話し相手になるべく参上した次第」

「私と、お話を……?」


 いまいちピンと来ずに首をかしげると、三人はまた驚いた風な顔をしました。

 そして、何事かヒソヒソと話し、レイオットさんがまたこちらに向き直ります。


「麗しき方、どうかあなたの貴重なひとときを、私共にお預けいただけませんか」


 彼は、やけに芝居がかった身振り手振りで私にそんなことを言ってくるのです。

 えっと、これってもしかして、私がこの方々にお誘いを受けて――、


「ならぬ」


 声は、すぐ後ろからしました。


「うわッ!」


 レイオットさんが仰天し、大きくのけぞります。傍らにいる二人も同様でした。


「おまえ達、この御婦人を我が妻と知った上で声をかけたのか?」

「……ラングリフ様」

「ひ、ラ、ラングリフ殿下にあらせられますか……!?」


 不機嫌そうな雰囲気を纏わせたラングリフ様に睨まれて、レイオットさん達三人が一様に顔色を青くします。周りの方々も、何事かとこちらを見ます。


「彼女は我が妻たるリリエッタである。おまえ達はを知った上で声をかけたのか」


 私を庇うようにして前に立ち、ラングリフ様が三人を睨みつけます。

 その眼力に圧倒された様子の彼らは、ブンブンと勢いよくかぶりを振ります。


「いえいえ、滅相もございません! 臣下である我々がそのような無礼を働くわけがないではありませんか! ただ、奥方様の笑顔がまばゆいほどに素敵であらせられましたので、それで声をかけてしまったのでございます!」

「ぉ、おい、それはぶっちゃけすぎ……!」

「何だ、本当のことを言っただけじゃないか! 実際、見惚れてただろう!」


 三人は、慌てふためきながら互いにそんなことを言い合っていました。

 それを聞いたラングリフ様は、ジッと三人の睨み据えて、


「ほほぉ、我が妻の笑顔に見惚れたと、おまえ達はそう申すのだな?」

「うぅ、その通りです……。あの、本当に殿下の奥方とは知らずに……」


「それは、別によい」

「え、いいんですか……?」


 え、いいんですか……?


 レイオットさんの驚きの声と私の胸中の呟きが、見事に重なりました。


「それより、リリエッタの笑顔がおまえ達にはどのように映ったかを知りたい。世辞はいらん。本音のみを語って欲しい。教えてくれれば、この場は見逃そう」

「……ラングリフ様!?」


 な、何を言われるのですか、この人はッ!


「許せ、リリエッタ。君の笑顔の美しさをこの世で最も知っているのは俺で、独占したいという思いもある。だが同時に、他者に自慢したいという欲もあるのだ!」

「や、やめ、やめてくださいッ!」


 急に何を言い出すのです、この人。本当に、何を言い出してるんですか!


「え、え~? そうですね……。率直に言わせていただきますと、見ていて心の濁りが除かれていくような、とても純粋で透き通った笑顔でした。目にしたこちらが同じように笑顔にさせられてしまう、とでも申しましょうか……」

「うむ、うむ。わかっているじゃないか」

「ラングリフ様、腕組みして深々とうなずかないでくださいませ!」


 あああああああ、騒ぎに気づいた方々がどんどん周りに集まってきています。

 視線が、数多の視線が私に集中しています。


 今さら注目なんてされたって、恥ずかしさに顔を赤くすることしかできません。

 いつの間にか、レントさんもいなくなっています。逃げましたね、あの人!


「――何だ、何の騒ぎだ?」

「――見ろ、ラングリフ殿下じゃないか、あれ」


「――『断崖の君』ですわね。それに、隣の女性はリリエッタ様では?」

「――リリエッタ? あの『花の令嬢』の? いや、違うんじゃないか?」


「――そうだな、リリエッタ様はこんなところで人と話す方じゃなかっただろう」

「――あんなに生き生きとした表情をする方でもなかったぞ。別人だろう?」


 周りから聞こえてくる声に、私は軽く戸惑いを覚えました。

 ここに参加なされている方々の多くは、以前の私を知っているはずです。


 なのに、私だと気づかれていない?

 前の私と今の私、そんなにも違っているのでしょうか。自分ではわかりません。


「あの、リリエッタ様、ですわよね?」


 注がれる視線に縮こまりかけていたら、今度は女性から声をかけられました。

 恐る恐るそちらを向くと、そこに立っていらしたのは見知った顔でした。


「まぁ、オリヴィエ様!」


 鮮やかな栗色の髪を真っすぐ伸ばした、黒いドレスの御令嬢でした。

 貴族内でも強い発言力を持つ伯爵家の令嬢、オリヴィエ様です。

 以前、数えるほどですが壁の花だった私に話しかけてくださった方でした。


「やっぱり、リリエッタ様だわ!」

「ご無沙汰しております。お会いできるとは思っていませんでした」


 はしゃぐように声をあげる彼女に、私はお辞儀をしました。

 すると、何故かオリヴィエ様はこちらを見つめて、しばし無言になるのです。


「あの、オリヴィエ様……?」

「リリエッタ様ったら、随分とお変わりになられましたのね」


 にっこりと明るく笑って、彼女はそのように言いました。

 自覚のない私は、やっぱり困惑してしまいます。そんなに、変わったかしら?


「以前のリリエッタ様もお綺麗でしたけど、今の方が全然素敵。表情の一つ一つが眩しくて、何より笑顔が別人のように可憐でお綺麗でしてよ」

「べ、別人なんて……」


 そこまで言われると、さすがに面映ゆくなってしまいます。

 気恥ずかしさに目を逸らす私に、オリヴィエ様はグッと顔を近づけてきます。


「ご結婚なされたからかしら、とても素晴らしい恋をしたのでしょうね」

「もぉ、やめてください、オリヴィエ様……!」

「いいえ、やめないわ。周りの声に耳を傾けてごらんなさいな、リリエッタ様」


 周りの声?

 言われた私は、深く考えずに言われた通りにしてみました。そうすると――、


「――やっぱり、リリエッタ様だ、あの御婦人!」

「――そんな、嘘みたい。あんなにも美しい方だったのね」


「――前も美しくはあったが、絵画のような作られた美しさであったな」

「――ああ、それが今はどうだ。どのお顔もまさに輝かんばかりじゃないか」


「――ラングリフ殿下があの方の心を射止められたのか。何と羨ましい」

「――惜しいな。ああも変わるならば、こちらから声をおかけするべきだったか」


 納得の声。

 感嘆の声。

 惜しむ声。


 聞こえてくる声は様々ですが、どれもこれも、私を称賛するものばかりでした。

 オリヴィエ様が「ね?」と、悪戯っぽくウインクをしてきます。


「信じられません……」

「あら、あなたが信じなくてもこれが現実よ、リリエッタ様。素晴らしいものを素晴らしいと評価するのは自然なこと。だから自信を持っていいと思いますの」

「だとしたら、それは全てラングリフ様のおかげです」


 頬が熱くなるのを感じながら、私はチラリとラングリフ様の方を見ます。

 そこには、レイオットさん達とすっかり打ち解けておられる彼の姿があります。


「うむ、おまえ達は俺ほどではないが我が妻リリエッタの素晴らしさを理解したようだな。ならば、俺はおまえ達を同志と呼ぶこともやぶさかではない」

「おお、殿下! 何と懐の広い……!」


 打ち解けて、打ち解けて……、あれ、何か、妙な絆が結ばれているような……?


「放っておいてよろしいんですの?」

「止めても止まられる方ではないですので、諦めました」


 笑うのを堪えているオリヴィエ様へ、私はそう返す以外ありませんでした。

 お屋敷に帰ったら、お説教です。ラングリフ様……!


「ラングリフ殿下って『断崖の君』と呼ばれる割に、随分お茶目さんですのね」

「ええ、あの方は勇ましく、雄々しく、何より可愛らしい人です」

「フフフ、王都広しといえど『断崖の君』をそんな風に言えるのはあなただけよ」


 おかしそうに笑ったオリヴィエ様が、指先で私の頬をつついてきます。


「やめてください、オリヴィエ様!」

「いいじゃない。少しだけ心配していたんですのよ? サミュエル殿下の御婚約以来、あなたはどこの夜会にも顔を出さなくなってしまっていたから」

「それは……」


 言われた私は、恐縮してしまいます。

 こうして、私を案じてくれる方にお会いできたことが、嬉しくも申し訳なくて。


「幸せそうでよかったわ、リリエッタ様」

「はい、オリヴィエ様。今の私は堂々と胸を張って『幸せです』と言えます」

「あらあら、羨ましいわね。妬いてしまいそうだわ」


 私とオリヴィエ様は一緒になって笑いました。そして彼女は、何故か嘆息。


「こうなると、サミュエル殿下はもったいないことをしたのかもしれないわね」

「え?」


 サミュエル殿下が、何ですって?

 オリヴィエ様は私の視線に気づいて「ああ」と何かを納得した様子を見せます。


「そのお顔、社交界を離れていたあなたはやっぱり知らないのね、リリエッタ様」

「何です、オリヴィエ様? サミュエル殿下が、一体――」


 私が言いかけた、そのときでした。


「御一同、静粛に! 王太子殿下、並びに国王陛下のおなりにございます!」


 広い会場に響き渡る文官の声。

 たった今、サミュエル殿下と国王陛下が、御到着されたのでした。

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