第4話 あなたのために咲き誇る
王家の醜聞、なんてものではありませんでした。
「俺が生まれた日、母は俺に呪いをかけた。生涯、笑えなくなる呪いだ」
「し、生涯、笑えなくなる……ッ」
殿下のお言葉を繰り返して、そのまま、私は言葉を失いました。
我が子が生まれた日。
それは、子を持たない私でも理解できるくらいに、特別な日であるはずです。
なのに母親自らが、生まれて間もない我が子に呪いをかけた。そんな話が……。
絶句している私を見て、殿下は表情のない顔のまま、尋ねてきます。
「俺の母親については、知っているか?」
「はい。東の国の方、なのですよね?」
「そうだ。父上が東の国に出向かれた際、そこで見初めた。それなりの格の家の娘だったらしいが、俺もそこまで詳しい話は知らないんだ。何せ母は――」
そうでした。
殿下の母君は、殿下が幼い頃に病でお亡くなりになられていたのでした。
「俺は、母には愛されていなかったのだろう」
「そんな……」
私はまさかと思いました。でも、耳の奥にお母様の声が蘇ってきます。
『本当に、私はあなたが嫌いだったわ』
出しかけた言葉が、そのとき、消えました。
私には殿下のお考えに口を出すことができません。私も同じだから。
「母を早くに亡くし、あとに残ったのは第二王子という立場と、何をやっても笑うことができない自分だけだった。笑うことに見切りをつけたのは、いつだったか」
「殿下……」
殿下は、苦笑すら浮かべられずに、私に向けて語りました。
その声の響きの、何と切ないことでしょう。
出会って間もないのに、私は彼が抱える底なしの孤独を垣間見てしまいました。
「呪いを解くことは、できないのですか……?」
「できない」
殿下は、それをこともなげに断言したのです。
「父上は八方手を尽くして解呪の手段を探してくれたが、東の国に伝わる特別な呪いらしくてな。結局は父上も、俺が十歳になる前に解呪を断念されたよ」
「それでは、殿下が公式の場にあまりお顔をお出しになられないのは……」
「父上からの指示だ。仮にも王族である俺が呪われているなんて、万が一にも周りに知られるワケにはいかないから、俺としてもその方が気が楽だから助かるが」
「…………」
そこまで語り終えた殿下に、私はただ無言を返すことしかできません。
ラングリフ殿下はそれに気づいて、また、言うのです。
「だが別に、俺は自分が不幸だとは思っていないぞ、リリエッタ」
「それは、どうして……?」
「笑えずとも過ごせる場に、身を置いているからさ」
殿下の甲冑に覆われた手が、私の頬をゆっくりと撫でていきます。
「俺は不器用で、剣を振り回すのが精々な男だ。王子なんて立場は分不相応だが、部下は皆、気のいい連中だ。貴族共相手の愛想笑いは父上と兄貴に任せて、俺は自分の好きなことをやればいい。どうだ、不幸でも何でもないだろう?」
そう告げる殿下は、やっぱり表情を変えることはありません。
私には、わかりました。わかってしまいました。
「ラングリフ殿下……」
この人は、本当は笑いたいのです。でも、笑うことができないのです。
誰かと喜びを共有することができても、それを表現することができないのです。
親しい人と笑い合えない人生は、果たして、どれほど辛いものでしょう。
それなのに、この人は自分は不幸ではないと胸を張れるのです。
何て、お強い人。
そして、何て――、悲しい人。
「殿下はずっとそうして、耐え続けてこられたのですね」
私は手を伸ばし、殿下の頬に触れます。
少しだけ硬さを感じる殿方の頬を、私の指先がなぞるように触れていきます。
「リリエッタ」
ラングリフ殿下が、私に問いかけてきます。
「どうして、また泣くんだ? 俺は、またもや何かやらかしたのか?」
私は、泣いていました。
さっきよりももっと涙を溢れさせて、殿下を見上げています。
「いいえ、殿下は何もしておりません。これは苦しみの涙ではありません」
「では、一体……」
「ラングリフ殿下。……これは、殿下の涙です」
「俺の涙……?」
「笑えないと知ったあなたは、泣くまいと決めたのですよね。私は、それを感じました。だから私が泣いています。あなたが泣かない分、私が泣いているのです」
私がそれを告げると、殿下はその瞳を見開かれました。
やはり、当たっていました。私が感じた通り、彼はずっと我慢を重ねていた。
笑えない人生は、同じだけ泣きたい人生でもあったはずです。
それなのに、殿下はずっと前だけを向かれて、今まで歩み続けてきたのですね。
この人は、とても強い人。
けれど、私なんかよりもずっと過酷で厳しい境遇に身を置き続けてきた人。
この方の心には、どれだけの傷が刻まれているのでしょうか。
それを思うと、次々と涙が溢れてくるのです。私のことでもないのに、次々と。
「リリエッタ、俺を見てくれ」
「……殿下?」
私が見ている前で、いきなり殿下は自分の両頬を手で引っ張ったのです。
真剣な顔つきでそんなことをする彼に、私はポカ~ンとなってしまいました。
「ダメか……。では、これでどうだ?」
頬から手を離した殿下は、次に頬を膨らませて寄り目になりました。
これは、耐えきれませんでした。
「…………ぶふッ!」
「よし、笑ったな。我が策はこれにて完遂された」
顔を逸らして噴き出す私の耳に、殿下の満足げな言葉が届きます。な、何です?
「あの、殿下、それは……?」
「君は俺のために泣いてくれると言ったが、どうせなら笑ってほしくてな」
カシャンと音を立てて立ち上がった殿下は、私に手を差し伸べてくれます。
「俺は人が笑っているところを見るのが好きなんだよ」
「人が笑っているところ、ですか……」
そういえば、部屋に入ったときも全身甲冑姿で驚かせてきましたね、この人。
マリセアさんは呆れ果てていたようですが、もしかして――、
「屋敷の人間にはすっかり飽きられてしまったいるけどな」
あ、やっぱりたびたびやってるんですね、そういうこと。
噂では孤高の人とされる『断崖の君』は、かなりお茶目な殿方のようでした。
「……フフ、おかしな人」
殿下の手を取って立ち上がった私は、小さく笑っていました。
だって、こんなにも威厳ある見た目をした方が、人を笑わせるのが好きなんて。
その落差に、ついつい口元を綻ばせてしまいました。
そのとき、私はかすかな心地よさを感じました。
作っていない自然な笑いを人前で見せたのは、いつ以来でしょうか。
私は笑いたくないと言いました。
でも、自然と出てしまう笑いというものは、快いものなのですね。
それを、何だか久しぶりに思い出したような気がします。
ああ、けれど、いけません。
殿下が私を見て、立ち尽くしていらっしゃいます。
もしや、呆れられてしまいましたでしょうか。
それとも気分を害されたでしょうか。私ったら、はしたない……。
「も、申し訳ありません。殿下、私ったら、はしたない……」
「ああ。いや、いいんだ」
殿下はハッとなってかぶりを振ります。
反応が少しぎこちないような。と、思っていたら、殿下が私を呼びます。
「リリエッタ」
「は、はい」
何やら、随分と改まった様子で、彼は私のことを真っすぐに見つめるのです。
そして殿下は、真顔のまま告げてきました。
「君の笑顔に惚れた」
「え?」
「君が見せた笑顔が、あまりにも素敵だった。胸が、高鳴ったよ」
「え、あの……、え?」
惚れ、た?
そんな、ラングリフ殿下が、私に? 私、なんかに……!?
「ああ、確かに君は『花の令嬢』だ。愛想笑いなんて君には似合わない。今見せてくれた君の自然な笑顔こそ、この世で最も可憐な『花』だ。見惚れてしまったよ」
「そ、そんな……」
私は、しどろもどろになってしまいます。
急に手放しの賞賛を受けて、さすがに嬉しさよりも戸惑いが優ります。
そんな私の前で、殿下は膝をついて右手を差し伸べてきます。
驚く私へ、ラングリフ殿下は至極真面目な顔つきで、
「改めて君に求婚させてもらうよ、リリエッタ・ミラ・デュッセル」
「ラングリフ、殿下……」
「どうか、俺の隣で、俺の分まで笑ってくれ。俺は、君の笑顔が欲しい」
その真摯な告白が、私の心を直撃して、激しく揺さぶります。
半ば以上呆然となりながら、私は問い返します。
「私なんかで、よろしいのですか……?」
「君だからいいんだよ。俺のために泣いてくれた、たった一人の君だから」
ラングリフ殿下は、そう言ってくれました。
私なんかの……、いいえ、卑屈になってはいけませんね。それは彼に失礼です。
「殿下、私は空っぽな女です」
「リリエッタ、そんなことは――」
「いいえ、いいのです。今は空っぽでいいのです」
私は首を横に振り、殿下の手を取ります。
「だって私は、これから殿下と共に自分を満たしていくのですから」
「……リリエッタ。それでは?」
「はい、ラングリフ殿下。あなたからの求婚、謹んでお受けさせていただきます」
うなずく私は、笑っていました。
自分でもそうとわかるくらいはっきりと、そして自然と笑っていました。
いつもの作り笑いとは違う、それは、心からの喜びによる笑みでした。
ラングリフ殿下は、恭しく私の手の甲にキスをして、喜びを表してくれました。
「俺のために咲いてくれ、我がいとしき『花』よ」
「はい、殿下。私はあなたのために咲き誇ります。一輪の気高き『花』として」
こうして、私は一度失った生きる理由を再び手に入れたのです。
それにしても、ラングリフ殿下ってご自分で言うほど口下手ではないですよね。
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