第2話 生まれてきた理由
咲く理由を失った花は、辺りに茂る雑草と何が違うのでしょう。
自由に散ることもままならない、造られた花は――、
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
隣に妹のシルティアを置いて、サミュエル様はつまらなそうにこちらを見ます。
「こんな中身のない女に何の価値がある。婚約者などと、タチの悪い冗談だな」
「な、何ということを……ッ」
絶句する私に代わって、お父様が顔色を青くします。
それに対して、殿下は快活に笑って、
「何だ、別によいではないか、侯爵。姉と妹で変わりはしたが、おまえの家の娘が未来の王妃になること自体は変わらないのだ。違うか?」
そう語られる殿下の声を耳にしながら、私とお父様はシルティアへ向きます。
「これは一体、どういうことなんだ、シルティア……!」
「どういうことって、見たままよ、お父様」
言って、シルティアは殿下の腕に自分の腕を絡めるのです。私が見ている前で。
「お姉様も。今、殿下が言った通りよ。私が彼の婚約者なの!」
「待て、シルティア! 私はそんな話は聞いておらんぞ!?」
妹はわたしに向かっていったようでしたが、気色ばんだのはお父様でした。
サミュエル様が「まぁ、落ち着け」と軽くお父様を諫めます。
「おまえに話を通していないことは悪いと思ったがな、侯爵。だが決定事項だ」
「決定? バカな……! このようなこと、陛下がお許しになるはずが……」
「なったんだよ。それが。親父は俺が説き伏せた」
「な……」
「つい先日の話でな。連絡する間もなかった。後日、正式に認可も降りるだろう」
サミュエル様が、自分に腕を絡めるシルティアを笑って流し見ます。
そのまなざしにあるのは、私には向けられない、大切なもの慈しむ光です。
私は、目前にそれを見せつけられました。
着飾った私の体から、一気に熱が失せていきます。寒くて震えてしまいそう。
「……何故、シルティアなのですか、殿下?」
絶句していたお父様は眉間に深いしわを作って、サミュエル様を問いました。
「おまえも存外食い下がるな、侯爵。そんなに納得がいかないか?」
サミュエル様は呆れ顔を浮かべますが、お父様は承服しかねるといった様子で、
「シルティアは女だてらに馬に乗り、剣を振り、魔法を学ぶじゃじゃ馬でございます。とても貴族の令嬢とは思えぬ有様。殿下のお相手に相応しいとは――」
「だから、いいんじゃないか」
「……は?」
自分を遮って告げるサミュエル様に、お父様はポカンとなってしまわれました。
サミュエル様はまた肩をすくめて、
「あのなぁ、侯爵。おまえや親父が考えているような『貴族の令嬢』なんて連中は、俺からすれば市井で使われている作業用のゴーレムと何ら変わらないんだよ」
「ゴ、ゴーレムですと……!?」
「そうだ。見た目だけ優れていても、命令されなきゃ何もできないようではな」
そう言って、彼はやっと私を見ます。
その瞳の、何と冷たいことでしょうか。妹に向けたものとは、まるで正反対。
私は、必死に笑顔を保ちながらも、内心は委縮するばかりです。
けれど、サミュエル様はそんな私に軽く舌打ちをして見せるのです。
「見ろ。侯爵。俺にこれだけ言われても、この女はまだ笑っているぞ。なぁ、小娘。おまえには笑うこと以外に何ができるんだ?」
「ぇ、あ……」
いきなり問われ、私は答えに窮しました。
咄嗟のことすぎて何も言えずに終わる私に、サミュエル様はため息を一つ。
「もういい。聞いた俺がバカだった」
サミュエル様は興味をなくした風に言い、私から視線を外します。
「『女だから』という理由で持って生まれた才能を足蹴にするような老人も、それに従って自分の生き方を他人に委ねるような女も、俺の治世には必要ない。俺が求めるのはシルティアのような、自らの翼で羽ばたかんとする気概を持った女だ」
「な、し、しかしシルティアは……」
お父様は、それでも納得できないようでした。
私とて、内心は納得なんてしていません。できるはずがありません。
でも、私は『花』なのです。
そうあるように育てられてきた私は、自分の意見を言うこともできません。
それは淑女の振る舞いではないという思いが働くからです。
だから、私は願うしかありませんでした。
お父様がサミュエル殿下を翻意させることを願うしかなかったのです。
殿下が楽しげに語られます。
「こいつはすごいぞ、侯爵。剣も魔法も、俺に並ぶ。それだけではない。政治に対する理解があって、見識も深い。思想、哲学、どれもが高い水準にある」
「まさか、シルティアが……?」
「お父様は私のことを知らなすぎなのよ。これでも、頑張ってるのよ?」
胸を張るシルティアを見て、お父様はまた言葉を失っているようでした。
そして、ここからが私にとって最悪の記憶となるのです。
「だがなぁ、侯爵。俺も、おまえに一方的に泥を飲めと言うつもりはないぞ」
「……それは、どういう?」
「そこに突っ立っている女の嫁ぎ先を紹介してやる。俺の弟だ」
ハッ、と、お父様が息を呑むのが伝わってきました。
サミュエル様の弟君。それは、王家にいらっしゃられるもう一人の王子。
「――まさか、リリエッタを『断崖の君』に?」
「そうだ。その呼び名を知っているのならば、アレが宮廷でどういう扱いを受けているかも知っているだろう? おかげで、なかなか相手が見つからなくてな」
お父様が呟かれた『断崖の君』の名は、私も知っていました。
殿下の腹違いの弟である第二王子で、自ら王位継承権を返上された方です。
将来的には大公位を与えられることが内定しておられます。
母君が異国の方で、サミュエル様とは違って黒い髪と瞳をお持ちと聞きます。
かの方は、生来一度も笑ったことがなく、いつも険しい顔をしているとのこと。
夜会や、公式の場に顔を出すことはあまりなく、真偽は不明ですが。
それでも常に険しい顔つきをされているのは、本当のようです。
その、他者を寄せ付けない雰囲気から貴族の方々は彼を他者に心を開かず、単身で断崖に立つ孤高なるお方――、『断崖の君』と呼ぶようになったのです。
そんな御方のところに、私を……?
「どうだ、侯爵。娘二人が揃って王家に嫁ぐのだぞ。王妃の父親という立場のみならず、そっちの女も俺のお下がりとはいえ、弟の妻になる。宮廷におけるおまえの影響力は今とは比べ物にならないものとなるだろう。おまえの時代が来るぞ」
……サミュエル様の、お下がり。
サミュエル様の一言が、私の心臓を深く深く抉ります。
けれども、誰もそれを気にかけてくれません。サミュエル様も、シルティアも。
お父様は腕を組んで深く考え込んでいるようでした。
その隣に立つ私を、サミュエル様は一瞥して、不快そうに言ってきます。
「この期に及んでも笑い続ける、か。気味が悪い女だ」
「それはさすがにひどいわよ、殿下。お姉様はそれしかできないんだもの。それしかできない人にさせられたのよ。せめて憐れんであげなくちゃダメよ」
「フン、気味が悪いという点では、弟と同じだな。むしろ似合いの組み合わせか」
殿下とシルティアの会話が、私の心を切り刻んでズタズタにしていきます。
それが終わると同時に、お父様が一歩、前に踏み出しました。
「殿下、このたびは御婚約おめでとうございます! シルティアの父として、殿下のような素晴らしい方に娘をもらっていただけることを心より嬉しく思います!」
そう言って、お父様はへりくだった笑顔でサミュエル様に握手を求めます。
当然、彼はその手を握り返して、満面の笑顔でうなずきました。
「そう言ってくれるか、感謝するぞ、侯爵」
二人は、ガッシリと強くその手を握り合っていました。
そして殿下の隣で、シルティアが明るい笑顔でそれを見てうなずいています。
……私は、何を見せられているのでしょうか?
お父様、殿下と、妹がそこにいて、独り、私だけが離れた場所で。
どうしてなのです、お父様。
何でそんな顔に嬉しそうな顔をして、殿下と手を握っているのですか。
今日は私と殿下の御目見えの日ではないのですか。
私は、今日のために、これまでお父様のもとで学んできたのではないのですか。
なのに、殿下の隣にいるのはシルティアで。
どうしてお父様はそれを認めてしまうのですか。それでは、私は? 私は……?
「……お父様」
「リリエッタよ」
私の漏らした呟きに応じるように、お父様がこちらに向き直ります。
「祝福しなさい、リリエッタ」
「え……」
「殿下とシルティアの婚約を、この場でおまえも祝福して差し上げるんだ。さぁ」
そん、な……。
「祝福して差し上げるんだ。おまえの笑顔で、二人を祝って差し上げなさい」
お父様は、これまで私に言い聞かせてきたのと同じ調子で命じてきたのです。
私は、イヤでした。
サミュエル様を私から奪った妹を祝福するなんて、イヤに決まっています。
「さぁ、祝福しなさい、リリエッタ!」
けれども、お父様は私の気持ちなんて一つも斟酌することなく、怒鳴りました。
私、は――、私の気持ちは……、
「サミュエル様、シルティア。婚約、おめでとうございます」
いつも通りの笑顔で、私は二人を祝福しました。
変わることのない笑顔で、これまで教えられてきた通りの、最高の笑顔で。
「……声の震えの一つもなしとは。よくもここまで仕込んだものだな、侯爵よ」
「恐れ入ります、殿下」
「別に褒めちゃいないがな。最初から最後まで、気味が悪い女だったな」
「仕方がないわよ。だってお姉様だもの。ね、お父様?」
「いやぁ、ハハハハ。シルティアには敵わんなぁ、全く……」
気分悪げなサミュエル殿下と、明るく笑うシルティアと、恐縮するお父様と。
目の前の三人にとって、私はたった今、過去の人間になりました。
それでも私は笑っていました。
怒りも泣きもせず、ただ笑っていました。デュッセル家の『花の令嬢』として。
――私の心は、このとき死にました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
御目見えの日を境にして、家の中での私の扱いは一変しました。
「本日よりこちらがお嬢様のお部屋となります」
まず、真っ先に部屋を変えられました。
邸宅の中で最も大きな部屋から、一番狭い部屋に。
そこは、置かれている家具も古びていて、広さも前の部屋の半分程度です。
御目見えの日までは、シルティアが使っていた部屋でした。
「それでは、失礼します」
私をここに連れてきた侍女は、早々に部屋を出ていきました。
これで、私は一人です。
先日までは、常に何人かの侍女が付けられていたのに、それもなくなりました。
そしてここから、私が夜会に連れていかれることもなくなったのです。
お父様はそれまでずっと、私を夜会や晩餐会に伴っていたのに。
それも、シルティアの役割となりました。
私は何を求められることもなくなって、ただ、日々を無為に過ごすだけでした。
部屋を出れば、そこに侍女や使用人達の噂話が聞こえます。
「――シルティアお嬢様、大人気らしいわよ」
「――それはそうよ。だって明るくて活発で、話していて楽しい人だもの」
「――私達みたいな身分の人間にも分け隔てなく接してくれるものね」
「――それに比べてリリエッタ様は、いつでも澄まし顔でいかにもお貴族様よね」
聞えよがしとは、まさしく彼女達のことを言うのでしょう。
わざわざ私に聞こえる声で喋って、私が通りかかればそそくさといなくなる。
私が、彼女達に何をしたというのでしょうか。
いいえ、何もしてこなかったから、こんな風になっているのでしょう。
侍女や使用人達を使うことだけをして、感謝もしてこなかったのが、私です。
きっと、以前から使用人達の間ではシルティアの方が人気があったのでしょう。
今になって、私はそれを理解したのです。
だからってそれに対して私ができることは、何もありません。
お父様とお母様は、今夜もあの子を連れてパーティーに出かけています。
私だけが置き去りにされて、狭い部屋の中に取り残されています。
夜、暗い部屋の中で、私は窓から星空を見上げます。
そして、考えるのです。
「……私は、どうすればよかったのでしょう」
小さい頃からお父様の期待に応えられるよう、学び続けてきたはずなのに。
サミュエル殿下の婚約者という役割を全うしようとしてきたのに……。
けれど、その役割はシルティアが担うことになりました。
生まれてきた理由を妹に預けることとなった私は、何をすればいいのでしょう。
いえ、そもそも私は、リリエッタ・ミラ・デュッセルという女は――、
「私は、誰?」
呟く私の顔が、窓に映り込んでいます。
私は、笑っていました。
あの日と同じく、いつものように、教えられた通りに、学んできた通りに。
見せる相手もいない、華やか艶やかでそ空っぽな笑みを、浮かべていました。
私の中には、身を焼くような悔恨があります。
燃えるような怒りがあります。海より深い悲嘆があります。
それでも、窓に映る私は笑っていたのです。
一つも笑えないはずなのに。笑いたくなんて思っていないはずなのに……!
「ああ……」
吐息が漏れます。何もかも、シルティアの言う通りでした。
私には何もなくて、本当にむなしい生き方しかしてこなかった、みじめな女で。
だから、どなたか教えてください。
生まれてきた理由を失った私は、これからどう生きていけばよいのでしょうか。
どなたか、教えてください。
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