笑顔の花は孤高の断崖にこそ咲き誇る
楽市
本編
第1話 花の令嬢
彼は、私に言ったのです。
「俺はおまえと婚約するつもりなどない」
初めて会った私に、面と向かってそう断言したのです。
その瞬間、私という人間は『この世に生まれてきた理由』を失いました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
笑顔が素敵な『花の令嬢』リリエッタ。
パーティーに出るたびに、私は周りの方々からそのような称賛を浴びます。
老若男女問わず、皆様、口をそろえて言ってくださるのです。
あなたの笑顔はとても素敵だ。綺麗だ。美しい。と。
そうした美辞麗句をいただくたび、私は努めて笑顔を保ってうなずきました。
そして感謝の言葉を述べてお辞儀をして――、それっきり。
パーティーで私がやるべきことはそれで終わりです。
殿方に誘われてダンスに興じるでもなく、他の御令嬢方と歓談するでもなく。
皆様、私の笑顔を褒めてくださいます。
でも私と皆様の関わりは本当にそれだけなのです。
あとはずっと、壁の花。
煌びやかに彩られた会場で、私は誰からも声をかけられずに笑っています。
ふと視線を下ろすと、磨き抜かれた石の床に私の姿が映り込んでいます。
柔らかく巻かれた蒼い髪にはオレンジ色の花の髪飾り。
纏うドレスは淡い桃色。
あまり肌を出さないデザインで、清潔感を第一に考えたものになっています。
そして、自分に向かってあでやかに笑っているのが、私。
「ああ、今日も実に素晴らしいパーティーだな」
まだ終わっていないのに、私の方に歩いてきたお父様がそう言うのです。
お父様は、この国の筆頭貴族であるデュッセル侯爵家の当主を務めています。
背が高くて恰幅がよくて、威厳に溢れるお姿に、私は畏怖を禁じ得ません。
でも、この方はいつでも私を可愛がってくれています。
何かと私を気にかけてくれています。
どこでもまず私のことを案じてくださいます。
――デュッセル侯爵家を彩る花飾りとして、ですけど。
その証拠に、いつものように、お父様は私に確かめてきます。
「リリエッタよ、大丈夫だとは思うが、男と踊ったりはしていないだろうな?」
「はい、誘われてもいませんわ、お父様」
「うむうむ、そうか。やはり若造共に高嶺の花に手を伸ばす度胸はないか」
お父様は満足げにうなずかれます。
でもそれは、半分当たっていて半分間違っているのだと思います。
度胸がないという部分はきっと当たっています。
けれど、他の貴族が私に近寄らない理由は、私ではなく私の立場にあるのです。
そこに意識を及ぼすこともなく、お父様は続けて私に確認します。
「他の令嬢達とくだらん世間話などはしていないな、リリエッタよ?」
「はい、お父様。いつも通り、言いつけは守っておりますわ」
「それでいい」
お父様は笑って深くうなずかれました。
そうです。
私は、こうした席で他の御令嬢方と会話することを禁じられています。
何度か話しかけてくる御令嬢はいらっしゃいましたが、全て拒んできました。
禁止されている理由を聞かされたことはありません。
しかし、私が担う役割を思えば、想像することは難しくありません。
私が他の御令嬢と話すことは、私の『花』としての価値を貶めることに繋がる。
お父様はきっと、そんな風に思っていらっしゃるのでしょう。
花は、咲いてこそ花。
自ら動くことはせずに、喋ることもなく、ただその場に佇み笑顔を咲かせる。
それが、お父様が私に求める役割なのです。
他の貴族の皆様もそれをわかっているから、私に近寄ってきません。
私は花。
デュッセル侯爵家を飾る笑顔が素敵な『花の令嬢』。
私はリリエッタ・ミラ・デュッセル。
侯爵家の長女にして、王太子殿下との婚約が決まっている女。
そして、本当に笑えたことなんて一度もない、愚かで空っぽな女です。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
女は出しゃばるものではない。
お父様からは、私と妹が幼い頃からずっとそのように教えられてきました。
女は男を助けるもの。
妻は夫を支えるもの。
貴族の娘はすべからく男達に後ろに付き従い、楚々として笑っているべき。
つまりは『花』であらねばならない。
自らの我を通して思うがままに振る舞うなど、非常に卑しくはしたないことだ。
私と妹は、小さな頃からお父様にそのように教えられて育ちました。
この教えに異を唱える者は、家の中には一人もいません。当然、お母様もです。
それは当たり前でしょう。
侯爵家にあってはお父様こそが、絶対的な君主なのですから。
そして、幼き日の私にとって、家の中が世界の全てでした。
誰かと話すにしても、遊ぶにしても、学ぶにしても、相手は家の中の誰か。
皆がわたしに言いました。お父様の教えを守りなさい、と。
だから、必然的な帰結として、私という人間はお父様の考えに染まりました。
誰よりも気品ある笑顔を身につけろ。
デュッセルの娘に恥じぬ美しさを磨き、国一番の『花』となれ。
お父様の監督のもと、私はずっとずっと笑い続けてきました。
礼儀作法を学び、ダンスを習いながら、笑うことの練習も欠かしませんでした。
全ては、私に与えられた役割を全うするために。
生まれた瞬間から、私は王太子殿下の婚約者となることが決まっていました。
未来の王妃として次代の王の隣に立つこと。
それが、リリエッタ・ミラ・デュッセルに与えられた役割なのです。
「おまえは王を彩る『花』となるために生まれたのだ。リリエッタ」
それもまた、幼い頃から言われ続けてきたこと。
私は、家の道具です。
私の命は家のもの。体も、心も、笑顔さえも、全ての所有権は家にある。
そのことに疑問を覚えたことはありません。
だって私は、国という大きなものを保ち続けるための部品の一つなのですから。
私の所有権が私自身になくても、それは不幸なことではありません。
何故なら、私を所有してくださるのはこの国で最も高貴なるお方なのです。
王太子殿下――、第一王子サミュエル様。
かの方は、容姿端麗にして文武両道。
鮮やかに映える金髪と堂々としたお姿から『金色の獅子』と称されるお方です。
彼は、若くしてすでに陛下に代わって政務の何割かを取り仕切っておられます。
すでに、国に影響する大きな成果を幾つも挙げられておられます。
――次代の名君にして稀代の英傑。
――我が国に新たな繁栄をもたらすお方。
皆、そんな風にしてサミュエル様を称えます。
そして、そのような尊きお方のもとに、私は嫁ぐこととなるのです。
本来であれば、私と殿下の顔合わせはもっと早くに行われるはずでした。
しかし、直前になってお父様がそれを変更したのです。
私を、サミュエル殿下に相応しい淑女として育て上げる。
この理由には陛下も納得せざるを得なかったと聞いています。
それが今から三年前のことでした。
去年、改めて顔合わせが行われる予定になっていましたが再び延期されました。
理由は、殿下の妹君が病によりお亡くなりになられたからです。
これもまた、顔合わせ直前でのことでした。
そうして、私とサミュエル殿下の顔合わせは今まで伸び続けてきたのです。
しかし、王女様がお亡くなりになられて一年が経ち、もうすぐ喪が明けます。
そんなある日のこと。
王都の邸宅で、私はお父様の部屋に呼び出され、こう言われました。
「殿下への御目見えが近い。リリエッタ、私はおまえを殿下の後ろに控えるに足る淑女として育て上げたと自負している。最高の笑顔を作れ。私に恥をかかせるな」
「はい、お父様。わかっておりますわ」
いつも通り、私は作り慣れた笑みを顔に張り付けて、お父様にうなずきました。
それに、お父様も「うむ」とうなずき返してくれました。
まだ当日ではないのに、私の体は緊張に冷たくなっていました。
それでも、私の笑顔が曇ることはありません。
どんな状況であっても私は作った笑顔を保ち続けられる自信があります。
私は花。
デュッセル侯爵家を飾る笑顔が素敵な『花の令嬢』なのですから――、
「シルティアお嬢様! おやめください! 危のうございます!」
外から使用人の悲鳴じみた声が聞こえてきました。
「何だ、何事だ?」
その声を聞きとがめて、お父様が窓から外を覗き込みます。
すると、白馬がたてがみを風に流しながら駆け抜けていくではありませんか。
私にもはっきりと見えました。
白馬に乗っていたのは、乗馬用の服を着た私の妹――、シルティアでした。
「ぁ、あのバカ娘ッ!?」
私が驚くくらいの声量で叫んで、お父様が怒りに顔を赤くして窓を開けます。
「何をしているのだ、シルティア! それは私の馬だぞ!」
「あら、お父様」
お父様の怒声が聞こえたらしく、妹は手綱を引っ張って白馬を止めます。
私も、お父様の後ろから窓に乗り出して、シルティアを眺めました。
妹のシルティアは私とは対照的な赤い髪をしています。
猫のような釣りをしていて、勝気で気ままな性分も、本当に猫そのものです。
「またおまえは馬になど乗って! デュッセル家の娘でありながら、どうしておまえはそうなのだ! 聞けば、魔法の私塾などに通っているそうではないか!」
「そうなの、今日も講義なんだけど、ちょっと遅刻してちゃいそうなの! だからお父様の馬を使わせてもらうことにしたの! ちゃんと返すから安心してね!」
と、シルティアはその顔に満面の笑みを浮かべて、元気に言ってくるのです。
私は、妹の言葉がまるで信じられませんでした。
貴族の令嬢ともあろう者が、市井の私塾に通って魔法の講義?
家で雇った魔導師の先生に学ぶのではなく?
いえ、それよりも貴族の令嬢が魔法を学ぶ、ですって?
こともあろうに、この国の筆頭貴族であるデュッセル家の令嬢が!?
そんな、何てはしたない。
血のつながった妹でありながら、私はシルティアの行動が信じられません。
「そこで待っていなさい、シルティア! 今日という今日は――」
「いやよ、お父様。今日の講義は前から楽しみにしてた内容なの。遅刻だけはしたくないから、お馬、借りていくわね! 行ってきま~す!」
「待て! 待つんだ、待ちなさい! シ、シルティア、シルティア~!」
普段は何事にも動じないお父様は、妹の名を呼びながら部屋を出ていきました。
蹄の音は遠ざかって、窓の外にはへたり込んでいる使用人の姿が見えます。
「……何て子」
思わず、私は呟いていました。
あれが私の妹、シルティア・レナ・デュッセルです。
厳格なる侯爵家に生まれながら、妹はどこまでも自由に振る舞いました。
女性なのに殿方のように馬に乗り、魔法を学び、挙句、剣を振り回すのです。
それは、あり得ないことです。
貴族令嬢は、淑女であらねばなりません。
そして淑女とは、常に殿方の傍らに控えて、花の如く笑顔を咲かせるものです。
それをしようとしない妹は、デュッセル家の恥でしかありません。
幾度、私は彼女を諫めたことでしょう。
幾度、父は彼女を叱ったことでしょう。
しかし、シルティアはあっけらかんとした調子でその全てを受け流しました。
そしてあるときには、こんな反論をしてきました。
「お姉様は空っぽね。私はそんな生き方はイヤ。何事も楽しみながら生きていきたいわ! だって私の人生の主人公は、ほかの誰でもない私自身なんだから!」
そう、笑いながら言ってきたのです。
貴族令嬢らしからぬ、気品のかけらも感じられない、町娘がするような笑顔で。
妹の主張は、お父様の教育方針を真っ向から否定するものでした。
お父様はシルティアを修道院送りにしようか検討したこともあるそうです。
それが実現しなかったのは、お母様が反対したからだと聞かされました。
家の恥部ではあっても、やはり娘は娘。
母親として、見捨てるのは忍びなかったのでしょう。
でも、私からすると、それは妹にとってあまりに酷な判断のような気がします。
この先、あんな男勝りな妹を一体誰が娶ろうというのでしょう。
サミュエル様に嫁ぐ私とは違って、妹は生涯独身で終わることになるでしょう。
ああ、かわいそうなシルティア。
教えに背いたばかりに、貴族としてこの上ない恥辱を味わうことになるのね。
『お姉様は空っぽね。私はそんな生き方はイヤ』
どうしてか、いつか妹に言われたそれが耳の奥に蘇ってきました。
このときのわたしには、それが何故かわかりませんでした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ついに、御目見えの日がやってきました。
私は、お父様が用意した最高級のドレスを纏って、お父様と共に登城しました。
「わかっているな、リリエッタ」
通されたのは、私から見てもとても立派な、王宮の一室。
そこにある椅子に深く身を沈めて、お父様がわたしにそう言います。
当然です。わかっています。
「はい、お父様。私は今日、このときのために生まれてきたのですから」
私は椅子に座らず、お父様の傍らに立って閉ざされたままの扉を見つめます。
あの扉が開かれたとき、そこに、殿下がいらっしゃるのですね。
私という花を胸元に飾ってくれる御方が。
そう思うと、身が引き締まる思いがします。このときのために、私は――、
「む……」
扉がノックされました。
お父様が気づいて、椅子から腰を上げます。
「俺だ、入るぞ」
扉の向こうから聞こえたのは、今まで幾度か聞いた覚えのあるあの人の声。
そのとき、私の胸は確かに高鳴りました。
あの方が――、『金色の獅子』と謳われたサミュエル様がついに私の前に。
この心の昂揚は言葉にできません。
まだお顔も見ていないのに、私の心は感激と緊張に震えてしまっていました。
扉が開かれます。
そして、その先に今まで遠くで拝見するばかりだったサミュエル様が……。
「おお、殿下! ご機嫌麗しゅうございます! 御壮健で何よりでございます!」
お父様が腰を低くして殿下を迎えられました。
普段の威厳あるお姿からは想像もできない、へりくだった笑顔を浮かべます。
「久しいな、侯爵。噂は聞いているぞ、随分あくどい稼ぎ方をしているとな」
「いやぁ、ハハハ……。これも全ては国王陛下の威光の賜物なれば、わたくしなどはそのお零れに預からせていただいているだけでございますよ」
「――フン」
顔中を汗まみれにされているお父様に、サミュエル様は軽く鼻を鳴らします。
一見、傲慢な態度にも見えますが、彼にはそれが許されているのです。
本当に、獅子のようなお方。
間近に彼を見て、私はそのように感じました。
威風堂々としたその立ち姿は覇気に満ち溢れていて、風格すら感じられます。
私は、こんなにも素晴らしい方の妻となれるのですね。
その事実に、私は感動もを新たにして、涙を浮かべそうになりました。
サミュエル様が私の方を見てくれたのは、まさにそのときでした。
「侯爵。そこにいるのが、おまえの――」
「はい、はい! リリエッタにございます、殿下!」
お父様は、揉み手をしそうな勢いで言って、こちらに視線を送ってきました。
ああ、今なのですね。
まさにこの瞬間のために、私はこれまで、笑顔を磨いてきたのですね。
それを察して、私は私が思う最高の笑顔を浮かべて、殿下に挨拶をします。
今まで学んできた全てを、この瞬間に――、
「初めまして、サミュエル殿下。私はリリエッタ・ミラ・デュッセルと――」
「俺はおまえと婚約するつもりなどない」
…………え?
私の挨拶は、けれども彼に遮られてしまいました。
驚かされた私は、それでも何とか笑顔を保ち、殿下の顔を見上げます。
そこにあったのは、こちらを露骨に蔑む、サミュエル殿下のしかめ顔でした。
彼は、言いました。
「――なるほどな。これは聞きしに勝る」
「あの、殿下。それは一体……?」
お父様も戸惑った様子で、殿下にそう尋ねられました。
すると、彼はますます顔を歪めて、お父様に向けて告げるのです。
「何ともつまらない女を育てたものだな、侯爵」
……つまらない、女? 私が?
「な……ッ!?」
呆然となる私の隣で、お父様も狼狽の声をあげました。
殿下は、もうこちらを見ようともせずに、強く舌を打って肩をすくめるのです。
「確かによい笑顔だ。だが、それだけだな。これは想像していた以上だ。おまえの言葉は大げさだと思っていたがむしろ控えめだったんだな。なぁ?」
「でしょでしょ~、私の言った通りだったでしょ~!」
聞き覚えのある声と共に扉は開かれて、そこにいたのは……、
「シ、シルティア……?」
そこにいたのは私の妹のシルティアでした。
いつもは着ないようなドレスを着て、彼女はサミュエル殿下の隣に立ちます。
殿下は、何も言えずにいるお父様と私の前でシルティアの肩を抱いて、
「紹介してやろう。俺の婚約者のシルティア・レナ・デュッセルだ」
わけが、わかりませんでした。
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