第7話 オリバーの家

 エルグランドはガチガチに緊張していた。オリバーの祖父ヴァールと駅前で合流して、今は大きな馬が牽く小さな荷馬車に乗ってオリバーの家へと向かっている。ヴァールは穏やかな雰囲気のほっそりと痩せた背が高い老人で、柔らかいヘーゼルナッツみたいな色の瞳がオリバーとそっくりだった。

 しゃがれた声は優しくて、馬を操りながら話しかけてくれるヴァールに、エルグランドはどぎまぎしながら、なんとか受け答えをしていた。

 オリバーの家は町外れにあり、オリバーが話していた通り、周りには緑の畑と少し離れた所に森があるだけだった。赤い屋根の2階建ての家だ。納屋に荷馬車を納め、馬を馬小屋に繋ぐと、エルグランドはヴァールとオリバーの後ろを歩いて、オリバーの家へと入った。

 すぐに奥から老婦人が現れた。背が低いふくよかな体型の老婦人は、オリバー達を見るなり、輝くような笑みを浮かべた。予想外に素早い動きでエルグランド達に近づき、がばっと何故かエルグランドの身体を抱きしめた。突然の柔らかい体温に、エルグランドはピシッと固まった。



「オリバー!おかえりなさい!元気そうねぇ。また背が伸びたわねぇ。貴方がエルね!はじめまして。オリバーの祖母のオリガよ。『おばあちゃん』って呼んでちょうだいな!ご馳走をいっぱい作ったのよ!いっぱい食べてちょうだいね。エルは何が好きかしら?甘いものは好き?イチジクのケーキも作ってあるのよ。あと、クッキーもマフィンも!兎を貰ったからシチューにしたの。兎は好きかしら?ミートパイもあるのよ。オリバーが大好きなの。それから……」


「おばあちゃん。おばあちゃん。ちょっと落ち着いて。エルがビックリしてるから」


「あらあらまぁまぁ」



 オリバーが驚いてガチガチに固まっているエルグランドからオリガを離してくれた。オリバーがエルグランドの背中を優しく撫でた。



「エル。ごめん。ビックリさせたかな」


「……い、いや……」


「おばあちゃんのオリガだよ。おばあちゃん、この子がエルグランド。僕の友達」


「は、はじめまして。エルグランド・ルーカスです。その、あの、お、お世話になります……」


「あらぁ。ご丁寧にありがとう。よろしくね、エル。あ、エルって呼んでもいいかしら?オリバーの手紙にはいつも『エル』って書いてあるから」


「あ、はい」


「自分の家だと思って寛いでちょうだいね。ふふっ。学園に行ってから、オリバーが友達って紹介してくれたのはエルが初めてよー。オリバーと仲良くしてくれて本当にありがとうねぇ」


「え、あ、いや……」


「オリガ。エルと話したいのは分かるが、まずは部屋に案内してからにしよう。エル。オリバーの部屋の隣を使っておくれ。あぁ、シーツとかは全部新しいものにしてある」


「私が作ったのよぉ。枕カバーと掛け布団カバーもね。気に入ってもらえるといいわぁ」


「あ、ありがとうございます」


「オリバー。エルを案内してきておくれ」


「うん。行こう。エル」


「あ、うん」


「ご飯はできてるから、部屋に荷物を置いたら居間に集合よ!」


「はぁい」



 まだ微妙に固まっているエルグランドの腕をオリバーがやんわりと握り、家の奥に向けて歩き出した。エルグランドは無言でオリバーについて行った。オリバーの部屋は2階にあった。エルグランドが滞在する隣の部屋は、素朴で温かい雰囲気の部屋だった。オリガの手製だという掛け布団カバーは黄色とオレンジ色の可愛らしいものだった。落ち着いた雰囲気の深い緑色のカーテンを開ければ、窓の向こうに森が見える。なんとも静かな場所だ。ここでオリバーは生まれ育ったのだ。

 エルグランドは目を細めて、小さく笑った。


 生まれて初めてかもしれない賑やかな食事が終わると、エルグランドは風呂に入ってから、オリバーの部屋で一緒に温かいミルクを飲んでいた。オリガが作ってくれた温かいミルクには蜂蜜とシナモンが入っており、優しい甘さがとても美味しい。

 オリバーの部屋には、勉強机と本棚、青色と緑色の掛け布団カバーがつけられている布団があるベッド、古ぼけた衣装箪笥があった。掛け布団カバーは、オリガがエルグランドの為に用意してくれたものと色違いのお揃いだった。なんとも嬉しくて、だらしなく頬が緩んでしまう。

 自分のベッドに腰かけているオリバーが、ゆるい笑みを浮かべて口を開いた。



「エル。疲れたでしょ。移動が長かったし、おじいちゃんもおばあちゃんも興奮してたし」


「いや。問題ない。……2人ともいい人だな」


「うん。優しいよ。おばあちゃんは怒ると怖いけどね」


「そうなのか?」


「うん。明日の午前中は家の周りを案内するよ。課題と勉強は午後からでいい?」


「うん」


「エルに見せたい所がいっぱいあるんだ」


「……楽しみだ」



 エルグランドはワクワクする胸をそっと片手で押さえた。今日からオリバーとずっと一緒だ。オリバーの故郷で、オリバーと一緒に過ごせるなんて、本当に夢のようである。

 温かいミルクを飲み終えると、2人で階下の台所へ行ってマグカップを洗って片付けてから、其々の部屋に引き上げた。布団に潜り込んでから、エルグランドはほぅと小さな溜め息を吐いた。こんなに幸せでいいのだろうか。オリバーが本当にすぐ近くにいる。エルグランドを見て、話しかけて、笑いかけてくれる。嬉しすぎて、なんだか急にそわそわと落ち着かない気分になり、エルグランドは枕に顔を埋めて、足をバタバタと意味もなく動かした。興奮して眠れる気がしない。

 エルグランドは枕を抱きしめて、布団の中で小さく丸くなり、自然と寝落ちるまで、今日いっぱい見たオリバーの控えめな笑顔を、ずっと頭の中で思い返して過ごした。







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 夏季休暇10日目。

 エルグランドの1日は、オリバーを起こすことから始まる。オリバーは実は朝に弱かった。魔法学園では早起きなのに、家では叩き起こさないと起きてこない。エルグランドは家で飼っている鶏の元気な鳴き声で目覚めると、すぐに着替えて、隣のオリバーの部屋に行く。ぐっすり眠っているオリバーの寝顔をベッドに腰かけて暫く眺めてから、オリバーに声をかけて起こす。パディンに来てから、初めて眼鏡をかけていないオリバーの顔を見た。地味だが、割と整っている。癖のない顔立ちで、優しい雰囲気の男前だ。髪がボサボサなのが少し勿体無い気がする。髪を整えて、ダサい眼鏡を外して、背筋をすっと伸ばしたら、結構モテそうな感じだ。他の誰にも渡したくないので、今のままの方がいいと思う。オリバーはモテる必要はない。オリバーが目覚めて、優しいヘーゼルナッツみたいな色の瞳がエルグランドを真っ直ぐに見上げてくる瞬間は、いつも胸がときめく。寝起きの僅かに掠れた声で名前を呼ばれると、堪らなくドキドキする。毎日、エルグランドの心臓は朝から忙しなく動いている。


 起きて着替えたオリバーと共に鳥小屋へと行き、飼っている鶏から卵を分けてもらう。朝食を作るオリガの手伝いをしてから、4人で朝から賑やかな朝食を楽しむ。ヴァールは口数が少ないが、オリガはとてもお喋りだ。既に数年分の会話をした気がする程、エルグランドはオリバーの家に来てから沢山喋っている。

 鶏の世話も、料理の手伝いも、何もかも初めてのことばかりだ。エルグランドはオリバーに色んなことを教えてもらいながら、オリバーの家での生活を心の底から楽しんでいた。毎日が賑やかで、楽しくて、殆ど色がなかったエルグランドの世界が、劇的に色鮮やかに変化していく感じがした。素朴で温かいオリバーの家は、エルグランドの心まで柔らかく優しく温めてくれている。


 居間のテーブルで午前中いっぱい勉強をすると、昼食後に、エルグランドはオリバーに誘われて近くの森へと向かった。森の匂いはとても新鮮で心地よく、エルグランドは歩きながら大きく深呼吸をした。すぐ隣を歩くオリバーが、そんなエルグランドを見て、小さく笑った。

 エルグランドよりもオリバーの方が背が高い。しかし、オリバーは猫背なので、目線はそんなに変わらない。



「エル。今からちょっと悪いことしない?」


「は?悪いこと?」


「変身魔法の練習」


「……学園の外で魔法を使うのは原則禁止だ。正式に魔法使いの資格を取らないと」


「うん。知ってる。だから、ちょっと悪いこと」


「……トカゲになるのなら付き合ってもいい」


「いいよ。エルってトカゲが好きなの?」


「小さくて可愛い」


「エルは猫になってね。授業でやった時、すごく可愛かった」


「そっ、そうか?」


「うん。赤い毛並みが艶々で美人さんだった」


「……ま、まぁ、いいけど」


「やった」



 エルグランドは急速に熱くなった自分の頬をゴシゴシと片手で擦った。オリバーは時折、さらっとエルグランドのことを褒めてくれる。自分の容姿を気にしたことはないが、オリバーに、可愛いと、美人だと言われると、嬉しくて、でもなんだか恥ずかしくて堪らなくなる。まぁ、今褒められたのは猫の姿のことなのだが。


 森の中のちょっと開けた場所で、2人は変身魔法を使った。黒い小さなトカゲになったオリバーを見て、エルグランドは目を輝かせた。とても可愛らしい上に、オリバーの優しい瞳はトカゲの姿になっても変わらない。エルグランドは猫の姿で、そっとオリバーの小さな身体に近づき、鼻先をオリバーの鼻先に近づけた。オリバーがちょこんと自分の鼻先をエルグランドの鼻先にくっつけてくれた。猫の小さな心臓がドキンドキンと大きく高鳴る。ゴロゴロと勝手に喉が鳴ってしまう。エルグランドは目を細めて、ご機嫌に尻尾を揺らした。

 トカゲのオリバーがちょこちょこと動いて、エルグランドの腹の辺りにもふっと顔を埋めた。エルグランドはできるだけ優しくオリバーの黒い背中を肉球のある手で撫でた。なんだかこうしていると、世界に2人きりになったような気がする。今、エルグランドの側にはオリバーしかいない。どうしようもない程の喜びが胸の中で湧き上がってきて、エルグランドは自然と口角を上げた。


 気が済むまで2人で戯れ合うと、変身魔法を解いて人間の姿に戻った。

 エルグランドの頭に、オリバーがそっと手を伸ばした。思わずドキッとすると、オリバーの手がエルグランドの髪に優しく触れて、すぐに離れていった。



「葉っぱついてたよ」


「あ、ありがとう」


「エルの髪って柔らかくてさらさらでいいよね。僕、剛毛で癖っ毛だから羨ましいよ」


「……そうか?」


「うん。触ると気持ちいい」


「さ、触りたいなら……いつでも触っていいけど……」


「いいの?」


「……うん」



 エルグランドは少し俯いて、熱くて堪らない自分の頬を片手で擦った。ぽすんと優しく、再びオリバーの手がエルグランドの頭に触れた。わしゃわしゃと髪を優しくかき混ぜるかのようにして、頭を撫で回される。まるで心臓が耳のすぐ側にあるかのように、自分の激しい心音がやけに耳につく。


 こんなに幸せで、ドキドキすることばかりで、自分の心臓は夏が終わるまで保つのだろうか。

 エルグランドは少しの不安を感じながら、のほほんと微笑んでいるオリバーを見つめて、小さく微笑んだ。


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