第6話 友達と過ごす夏の始まり
エルグランドは落ち着かないそわそわとした気分で、本日8回目となる荷物チェックを行っていた。
夏季休暇前の試験が終わり、魔法学園は今日から1ヶ月半の夏季休暇に入る。エルグランドは夏季休暇をまるっとオリバーの実家で過ごす予定である。
家には今年も帰らない旨を手紙で送っている。エルグランドは魔法学園に入学してから、1度も家には帰っていない。去年の夏季休暇も冬季休暇もずっと魔法学園の寮にいた。試験結果と共に家には帰らないと手紙を送ったら、母から返事がきた。母の手紙には、成績が悪い、不出来な癖に努力が足りない、休暇だからと遊ばずに勉強だけをしていろ、というような内容が書かれていた。エルグランドは今回も主席だった。しかし、母には不満な成績だったらしい。エルグランドの身を案じる言葉などない。いつものことだ。エルグランドは、父にも母にも兄にも期待なんかしていない。
5つ年上の兄アルンストはとても優秀な魔法使いで、両親の自慢の息子である。エルグランドは幼い頃から家庭教師から教わって魔法を学んでいる。エルグランドなりに頑張っているが、両親には、いつだって兄と比べられて、『不出来な息子だ。努力が足りない』と怒られる。兄のアルンストは、不出来な弟であるエルグランドに全く興味を持っていない。両親に褒められたくて、兄に認められたくて、がむしゃらに必死になっていた時期もあるが、今はもう殆ど諦めている。アルンストにエルグランドが勝る日なんてこないし、両親がエルグランドのことを抱きしめて褒めてくれることなんてない。
エルグランドは母からの手紙を小さく破って、ゴミ箱に捨てた。
エルグランドがそわそわと9回目の荷物チェックをしていると、コンコンッと部屋のドアがノックされ、ドアが開いてオリバーが顔を出した。
ボサボサの癖の強い黒髪に瓶底みたいな分厚いレンズの黒縁眼鏡をかけ、洒落っ気のない地味な茶色いシャツを着ている。素直にダサいが、エルグランドはオリバーの姿を見て、胸を小さく高鳴らせた。
「エル。おはよう。準備できてる?」
「おはよう。できてる」
「じゃあ、行こうか。朝ご飯は駅で買って食べようよ。駅の売店のチーズパンが美味しいんだ」
「うん」
オリバーが控えめに小さく微笑んだ。エルグランドは荷物でパンパンな鞄を手に取り、オリバーと共に自室を出て、寮の廊下を歩き始めた。
オリバーの故郷であるパディンには汽車で行く。王都の駅まで乗り合い馬車で移動して、始発の汽車に乗り、パディンに到着するのは夕方近い時間になる予定だ。魔法学園の入り口付近にある乗り合い馬車乗り場には、朝早い時間だというのに沢山の生徒がいた。きっと皆自分の家に帰るのだろう。なんとなく、ざわざわと賑やかな人の集団を眺めていると、オリバーがエルグランドの名前を呼んだ。
「エル」
「なに」
「次ので乗れそうだよ」
「うん」
視線を多くの生徒達から外して、じっとオリバーの顔を見ると、オリバーがへらっとゆるい笑みを浮かべた。
「楽しみだね」
「うん」
「僕、昨日は殆ど寝れなかったよ。ワクワクしちゃって、全然落ち着けないの」
「……俺もだ」
「ははっ。2人揃って汽車の中で寝ちゃうかもね」
眼鏡の分厚いレンズの向こうに見える柔らかいヘーゼルナッツみたいな色のオリバーの瞳が、楽しそうに輝いていた。エルグランドは微かに口角を上げた。オリバーが楽しそうで嬉しい。汽車に乗るのも、旅行に行くのも、生まれて初めてだ。それがオリバーと一緒なのが何よりも嬉しい。エルグランドはオリバーと共に乗り合い馬車に乗り込み、駅へと向かった。
駅の構内にある売店で朝食と土産を買い、汽車へと乗り込む。2人で並んで、そんなに広くもない座席に座った。お互い細身な身体つきなのに、座席が狭いので、どうしても二の腕が触れ合う。エルグランドは服越しに感じるオリバーの体温に、自分の頬が熱くなるのを感じた。オリバーは友達だ。でも、エルグランドはオリバーのことが好きだ。こうして体温を感じる程近くにいると、どうしても心臓がドキドキと激しく動いて、手に汗が滲んでしまう。エルグランドは話しかけてくるオリバーに素っ気ない返事を返しながら、嬉しくてドキドキして堪らない気持ちを誤魔化すように、朝食のパンに齧りついた。
入学式の時に、オリバーはエルグランドが落とした杖を拾ってくれた。『君も新入生?僕もなんだ。一緒に頑張ろうね』そう言って控えめに微笑んだオリバーに、エルグランドは目を奪われた。オリバーはとても地味な見た目だ。でも、分厚いレンズの向こうにある瞳は、エルグランドが知る誰よりも優しかった。エルグランドはオリバーと『友達』になりたいと思った。オリバーはいつだって猫背で俯いている。先に声をかけてくれたのはオリバーの方なのに、オリバーはそれ以降、全然エルグランドのことを見なかった。オリバーに自分を見てほしくて、エルグランドはオリバーにつっかかるようになった。友達なんていたことがない。どうやってオリバーと仲良くなればいいのか、エルグランドには分からなかった。嫌味を言ったり、わざと足を引っ掛けたり、今にして思えば、幼稚で嫌なことを沢山した。何をやっても、オリバーはエルグランドを真っ直ぐ見てくれなかった。いつも俯いて、ただ黙っていた。エルグランドは、オリバーが近くにいる時は、いつだってオリバーの存在を意識していた。オリバーが話しかけてくれないかと、初対面の時のように笑いかけてくれないかと、優しい瞳でエルグランドを見てくれないかと、いつも期待していた。我ながら自分勝手だったと本当に反省している。オリバーがエルグランドと友達になってくれたのは、本当に奇跡のようだ。オリバーと友達になって、食事や勉強を一緒にしたり、お喋りをするようになった。オリバーと話をして、オリバーのことを知れば知る程、オリバーのことを好きになっていく。エルグランドの小さな世界は、オリバーでいっぱいになった。
膝をポンポンと優しく叩かれる感覚で、エルグランドはハッと目覚めた。どうやら眠ってしまっていたようである。シパシパする目を手の甲でぐりぐり擦ると、やんわりと腕を掴まれた。
「エル。目をそんなに擦っちゃダメだよ」
「……うん」
「そろそろ着くよ」
「……どれくらい寝てた?」
「うーん。分かんない。僕も気づいたら寝ちゃってたから」
エルグランドはうっかり眠ってしまったことを後悔した。間違いなく先に寝落ちたのは自分である。オリバーの寝顔を見られるチャンスだったのに、まんまと逃してしまった。見たことがないオリバーの顔を見られたかもしれないと思うと、悔しくてギリギリと歯軋りをしたくなる。
エルグランドが思わず、むうっと小さく唇を尖らせると、オリバーが窓の外を指差して、エルグランドが好きな控えめな笑みを浮かべた。
「ほら。エル。あれが麦畑だよ」
「緑だ。小麦色じゃないのか」
「収穫時期はそうなるよ。今はまだ成長途中だから」
「ふーん。緑ばっかりだ。木がいっぱいある」
「この辺りは森が多いんだ」
「……森も初めて見る」
「家の近くに散策できる森があるから一緒に行こうか」
「うん」
「あ、着いたみたい。おじいちゃんが迎えに来てくれるから」
「うん」
汽車が完全に止まってから、エルグランドは足元に置いていた鞄を手に取り、オリバーと共に汽車を降りた。改札を抜けると、オリバーがエルグランドの肩に、ポンと優しく手を乗せた。オリバーの顔を見れば、エルグランドが大好きなオリバーの控えめな笑顔があった。
「パディンの町にようこそ」
エルグランドはパチパチと目を瞬かせてから、ふっと笑った。生まれて初めての楽しい夏が本格的に始まった。
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