第3話 夢じゃなかった
オリバーは喧しい目覚まし時計の音で目覚めた。布団の中でもぞもぞと寝返りをうち、手を伸ばしてベッドのヘッドボードの上にある目覚まし時計のスイッチを軽く叩いて音を止める。オリバーは自分の手をまじまじと見た。ちゃんと人間の手をしている。細い節くれだった手だ。オリバーはほっと息を吐き、ゆっくりと起き上がった。
昨夜までオリバーはトカゲの姿に変えられていた。いじめっ子達に変身魔法をかけられて、2日も小さな黒いトカゲのままだった。無事に人間に戻れることができて、本当によかった。
オリバーはベッドから降りると、部屋にある小さな洗面台に行き、顔を洗った。鏡を見ながら、ボサボサの癖っ毛を少しでもマシになるように弄る。パジャマから制服に着替えて、今日の授業予定表を見ながら鞄に教科書を詰めていく。
オリバーが準備を終えたタイミングで、部屋のドアが開いた。同室者のグラットンが入ってきて、オリバーを見るなり舌打ちをした。
「何だ。辞めたんじゃないのか。陰気野郎」
「……お、おはよう……」
「一人部屋になるかと思ったのに」
「…………」
グラットンが忌々しそうにオリバーを睨んだ。オリバーは俯いて、グラットンの視線から逃れるように、そそくさと鞄を片手に部屋を出た。基本的に魔法学園の寮の部屋替えはない。グラットンと同室になった最初の頃は、割と普通に話をしていたが、オリバーが成績優秀者の集まりであるエルグランドを筆頭とするいじめっ子連中にいじめられ始めると、グラットンはオリバーから距離を置くようになり、今ではグラットンもオリバーのことを嫌っている。オリバーの陰気で根暗な雰囲気がイライラすると言われたことがある。
オリバーはとぼとぼと俯きながら寮の食堂へと歩いて行った。食堂にはいつも早めの時間に行く。人がまばらな食堂のカウンターで朝食が乗ったプレートを受け取り、広い食堂の隅っこのテーブル席に座って食べ始める。もそもそと朝食のパンを食べながら、オリバーは昨夜までのことを思い出していた。トカゲに変えられてしまったオリバーは、エルグランドに拾われた。エルグランドはトカゲのオリバーにとても優しかった。自分の食事をオリバーに分けてくれて、手ずから食べさせてくれた。オリバーの頭や背中を撫でる指先は優しくて、自室や周囲に誰もいない場所だと、オリバーに話しかけて、優しく微笑んでくれた。
エルグランドはオリバーのことが好きらしい。昨夜、人間に戻った時に、エルグランドと友達になった。エルグランドが取り巻き連中と縁を切ったらという条件付きではあるが。エルグランドは本当に取り巻き連中と縁を切るのだろうか。昨夜までのことはオリバーの都合のいい夢で、本当はエルグランドはオリバーのことなんか好きではないのではないだろうか。
オリバーは後ろ向きなことを考えながら朝食を食べきり、カウンターにプレートを返却してから、学舎へ向けて歩き始めた。
誰も来ていない教室の隅っこの席に座り、オリバーは鞄から教科書を取り出した。2日も無断欠席してしまったので、授業の後に教師に事情を説明しに行かなくてはいけない。授業内容自体はエルグランドの胸ポケットの中で聞いていたので多分今日の授業にもついていけると思うが、きっと無断欠席をした罰課題が出されるだろう。なんとも憂鬱である。オリバーは小さく溜め息を吐いて、教科書を読み始めた。
バァンっと机を叩く大きな音がして、オリバーはビクッと身体を震わせ、バッと顔を上げた。冷たい無表情のエルグランドが、オリバーを見下ろしていた。エルグランドの顔立ちは、まるで人形みたいに整っている。表情がないと、人間味が薄くて、正直少し怖い。やっぱり昨夜までのことはオリバーの夢だったらしい。
反射的にびくびくするオリバーを、エルグランドがじっと見て、口を開いた。
「テッド達のことは、さっき先生に報告してきた」
「え、あ、う、うん。お、おはよう。エルグランド」
「……おはよう。あいつら全員2週間の謹慎処分だ。反省文と罰課題の山にひーひー言うだろうな」
「あ、そうなんだ」
「……あいつらに『今後二度と近づくな』と言った」
「え……ほ、本当に?」
「嘘を言ってどうする」
「あの……あ、ありがとう……」
「……部屋に行ったのにいなかった」
「ん?」
「……朝食、一緒に食べようと思って」
「あー……僕、いつも食堂が開く時間に行くんだ。人が少ないし」
「昼は。いつも食堂にいないだろ」
「お昼ご飯はいつも食堂でサンドイッチを買って裏庭で食べてる」
「……そうか」
「エルグランド」
「なに」
「あのー……僕達って、その、友達になった……よね?」
「今更嫌とか言うのか」
「言わないっ!言わないけど……その、あんまり現実味がないというか、昨日までのことは夢だったのかなって思っちゃってたから……」
「……俺も全然実感がない」
「あー……だよね。遅い時間だったから結局すぐに部屋に戻ったし」
「……食事を一緒にしたい」
「3食?」
「3食」
「うん。今日から一緒に食べようか」
「うん。……ん。これ、昨日までの授業のノート」
エルグランドが少しだけ表情をゆるめて、鞄から1冊のノートを取り出した。オリバーがきょとんとしてエルグランドの顔をじっと見ると、じわじわとエルグランドの白い目元が淡く赤くなりだした。
「……いらないなら……」
「あ、いる。いるよ。ありがとう。エルグランド」
「別に……」
「エルグランド」
「なに」
「もしかして緊張してる?」
「……悪いか」
「あ、いや、全然」
「……分かりにくい所があったら聞け」
「うん。エルグランド。ありがとう」
「……エルでいい。と、友達になったし」
「あ、うん」
「……昼前の選択授業、一緒じゃないから、食堂の前で」
「分かった」
「昼食は裏庭で食べる」
「え?いいの?」
「食堂は人が多い。……落ち着いて話せないだろ」
「あ、うん」
「じゃあ、あとでな」
「うん」
エルグランドが本当に小さく笑って、オリバーの前から離れていった。エルグランドはいつも教室の前の方の席に座っている。教室にどんどん生徒が入ってくる時間になっていた。もう少しで授業が始まる。オリバーはエルグランドから貰ったノートを開いた。パラパラとノート全部を見て、オリバーは少しだけ首を傾げた。とてもキレイにまとめられているノートだ。真新しいノートには、2日分の全ての授業内容が丁寧に書かれていた。もしかして、わざわざ用意してくれたのだろうか。昨夜、オリバーが人間に戻って自室に帰ったのは、かなり遅い時間だった。それからこのノートを作ったのだろうか。オリバーは前の方の席に座るエルグランドの後頭部をじっと見た。今朝も朝食を一緒に食べようと誘いに、わざわざ部屋まで来てくれたのだろう。エルグランドは本当の本当にオリバーと友達になるつもりらしい。なんだか嬉しくて、胸のあたりがむずむずする。オリバーは俯いてノートに書かれたエルグランドのキレイな文字を眺めながら、こっそり口角を上げた。
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