第2話 泣き虫エルグランド
オリバーがトカゲになって2日が経った。日中はエルグランドの制服の胸ポケットの中で大人しく過ごし、夜はエルグランドの部屋で過ごしている。初めて知ったのだが、エルグランドは驚く程努力家だった。夕食後は何冊も本を読みながら、夜遅くまでずっと勉強をしている。時折、机の上で丸まっているオリバーの背中や頭を指先で優しく撫でて微笑みかけてくるが、殆どの時間はずっと本に視線を落とし、カリカリとペンを動かしていた。
寝る前の少しの時間だけ、エルグランドはオリバーに話をした。自分の枕にオリバーの小さな身体を乗せ、オリバーを撫でながら、ポツポツと自分のことを話す。
エルグランドの両親も兄達も皆優れた魔法使いだ。エルグランドも彼らと同じく優秀であることが求められている。取り巻きの連中は正直うっとおしいが、離れさせるのも面倒だから放置している。魔法使いになることが嫌ではないが、本当は自由気ままに旅をする冒険者になりたい。息が詰まる家も学園も嫌いだ。
エルグランドはオリバーの背中を優しく指先で撫でながら、ポツンと小さな声で呟いた。
「オリバー。オリバーは何で今日も昨日もいなかったんだろう」
それは今この場にオリバーがいるからだ。エルグランドが小さな溜め息を吐いた。
「オリバー。彼は何でいつもされるがままなんだろう。『助けて』って言ってくれたら、いくらでも助けるのに」
いじめっ子達の中心人物が何を言うのやら。オリバーは半眼になってエルグランドの整った顔を見た。
「……オリバーはね、優しいんだよ。入学式の時にさ、俺が杖を落としたら拾ってくれたんだ。たったそれだけのことなんだけど、なんか気になっちゃって。最初の頃は友達になりたかったんだ。だけど、オリバーは俯いて俺のことなんか全然見てくれなくて。俺のことを見てほしくて、つい嫌なこと言ったりしてたら、周りの連中までオリバーのことを馬鹿にするようになって……馬鹿なことをしたって、今は分かってる。オリバーに嫌われてるのも知ってる。当たり前だ。自分をいじめる奴のことを好きになる筈がない。オリバーに構うのを止めたらいいだけの話なのに、それでもオリバーに俺のこと見てほしいって思っちゃって……俺、本当に最低だ……」
話しながら、エルグランドが目を伏せて、ポロッと涙を1つ溢した。
「オリバー。本当に今はどうしてるんだろう。学園を辞めるのかな。嫌だなぁ。こんなことなら素直に謝って、好きだって言っておけばよかった」
オリバーはきゅとんと目を丸くして、エルグランドの顔をじっと見つめた。エルグランドは本格的に泣き出してしまったようで、ポロポロと涙を溢しながら、ぐずっと鼻を慣らした。
「オリバーが好きなんだ。俺のこと、ちゃんと見てほしい。普通にいっぱい話をして、オリバーのことを知りたい。俺のことも知ってもらいたい」
オリバーはポカンと間抜けに口を大きく開けた。衝撃的過ぎる告白に頭の中が真っ白になる。エルグランドはオリバーのことを好き。呆然と固まるオリバーの小さな身体を抱きしめるかのように、エルグランドの右手が優しくオリバーの身体を包み込んだ。
「オリバーは俺のことなんか絶対に嫌いだ。過去に戻れるのなら、以前の俺をぶん殴ってやるのに。どうしようもなくオリバーが好きなんだ。恋人なんて高望みはしないから、せめて友達になりたかったのに」
ぐずぐずと鼻を慣らして泣くエルグランドを見ていると、なんだか少し哀れに思えてきた。エルグランドは孤独だった。家でも学園でも気を抜けず、本当に心を許せる相手はいなかった。こんな小さなトカゲを友達だと言って、嬉しそうに笑いかける程、エルグランドの心は寂しかったのだろう。オリバーにも友達はいないが、全力で愛してくれる祖父母がいる。祖父母とは頻繁に手紙のやり取りをしていて、祖父母はいつだってオリバーの身を案じてくれている。エルグランドの家はそんな家族の温もりが薄い家のようである。もしかして、エルグランドが幼い頃からこうして1人で泣いていたのだろうか。
エルグランドに言われた酷いことやされてきたことを忘れた訳ではないが、なんだかエルグランドが可哀想に思えてきた。
オリバーはそーっと枕の上を這い、エルグランドの鼻先に自分の鼻先をくっつけた。すりすりと鼻先を擦りつけると、エルグランドが伏せていた瞼を開けて、涙で濡れた瞳で微笑んだ。
「慰めてくれるのか?オリバー。オリバーも優しいな」
別にオリバーは優しくなんかない。ただ、ちょっとエルグランドが気の毒になっただけだ。エルグランドが嬉しそうに微笑んで、優しくオリバーの頭を指先で撫でた。エルグランドが少し頭を浮かせて、オリバーの頭に唇をそっとくっつけた。
次の瞬間、ぽんっと間抜けな音がして、オリバーは背中からベッドの下にどさっと落ちた。
「……え?」
オリバーは呆然と自分の手足を見た。トカゲじゃない。人間の手足だ。顔をペタペタ触ると、慣れた自分の肌の感触がする。元に戻れた。オリバーは自分の人間の手を見ながら、ほっと頬を緩めた。そして何気なく視線を上げて、ピシッと固まった。
エルグランドが真っ赤な顔でオリバーを睨みつけていた。
「……オリバー。お、お前っ。騙したなっ!」
「ち、ちが、ちが……」
「変身魔法は使用許可されていない。この事は先生に報告させてもらう」
「ちが……テ、テッド達に、テッド達に魔法をかけられて……」
「……ちっ。あいつら……」
「そ、その……」
「おい」
「あ、はい」
「お前が見聞きしたことは全部忘れろ。全部だ」
「あ、あの……」
「お前は何も見なかったし、聞かなかった。いいな」
「……エルグランド」
「……なんだ」
「その……た、助けてくれてありがとう」
「は?」
「エルグランドが拾ってくれなかったら、もしかしたら干からびて死んでいたかもしれない。実際、その、踏み潰されそうになったし……」
「…………あいつら、調子に乗りやがって」
「エルグランド……その、君からされたことは僕はきっと死ぬまで忘れない。僕は確かに君に何度も何度も傷つけられた」
「…………」
「……でも、その……君に助けてもらったことも死ぬまで忘れない」
「……馬鹿じゃないのか」
「あー、うん。そう、だね」
「お、怒れよ!何言われても俯いてないでっ、ちゃんと怒れよっ!」
「……怒るの苦手なんだ。疲れるし」
「はぁ!?それで益々嫌な思いしてどうすんだよ!」
「卒業したら終わるしなって……」
「卒業まであと1年半もあるんだぞ。今回は特に、下手したら本当に死んでたかもしれない」
「そうなんだよね……」
「今回の件は先生に報告する。あの馬鹿共、明らかにやり過ぎだ。クソどもが」
「あー……その、エルグランド」
「……なんだ」
「僕のことを好きって……」
エルグランドの顔が更に赤くなり、泣きそうに歪んだ。
「わ、忘れろ馬鹿ぁ!」
オリバーはキョトンとエルグランドの顔を見上げた。何だろう。あんなに怖いと思っていたのに、今はエルグランドが全然怖くない。優しくて寂しがり屋な一面を知ってしまったからだろうか。
エルグランドに言われた嫌なことも、されたことも、全て覚えている。ただ、困ったことに、命を助けられて、優しくされてしまったせいで、どうにもエルグランドのことを憎めなくなっている自分に気づいてしまった。
オリバーは困ってしまい、情けなく眉を下げて、ポリポリとボサボサの頭を掻いた。
真っ赤な顔で涙をいっぱいに溜めているエルグランドの瞳から、今にも涙が零れ落ちてしまいそうだ。なんだか可哀想だし、不思議と少しだけ可愛い気がする。多分、普段の冷めた態度とは違う、年相応の顔をしているからだろう。今のエルグランドはいじめてくる嫌な奴でも、周りを冷めた目で見ている冷たい奴でもない。単なる寂しがり屋の恋する少年だ。
オリバーは首を傾げて少しだけ悩んだ後、口を開いた。
「エルグランド」
「な、なんだ」
「話をしてみる?」
「は?」
「僕と話がしたかったんだろう?」
「だっ!そっ!それはっ!忘れろとっ」
「トカゲじゃない僕は友達じゃない?」
「ぐっ……と、友達なんかじゃない……」
「僕と恋人になりたいの?」
「……なれる訳がないだろ」
「なんで?」
「……お前、俺がしてきたこと忘れたのか」
「忘れる訳ないでしょ」
「…………」
「エルグランド」
「……なんだ」
「そんなに泣くくらいなら素直に言いなよ。『ごめんね』って」
「……う、ぐ……」
我慢の限界に達したのか、エルグランドがボロボロと大粒の涙を溢し始めた。オリバーは状況を忘れて、キレイだな、と思った。オリバーの翠玉みたいな瞳から零れ落ちる涙はなんだかとてもキレイだ。恥ずかしそうに、悔しそうに顔を歪めているエルグランド自身もキレイだ。
オリバーは小さく溜め息を吐いた。我ながら馬鹿すぎるというか、お人好しすぎる気がするが、どうにも子供みたいに泣いているエルグランドを放っておけない。
「エルグランド」
「……う、う、ぐっ」
「『ごめんなさい』は?」
「…………」
「『ごめんなさい』」
「……ご、ごめん、なさい……」
「うん」
オリバーはゆっくり立ち上がって、ベッドの上に座り込んでいるエルグランドを見下ろした。数え切れないくらい撫でてくれたエルグランドを真似するように、優しくエルグランドの頭を撫でる。
「もういいからさ。エルグランド」
「…………」
「君が自分自身のやったことを後悔してるなら、そのまま一生後悔しててよ」
「…………」
「そんで、後悔した分、別の形で償って」
「……どうやって」
「まずは僕と友達になることからかな。あ、その場合、いじめっ子連中とは縁を切ってよね」
「……うん」
「恋人になれるかは今後の君次第」
「…気持ち悪くないのかよ」
「何が?」
「……男の俺に『好き』って言われて」
「んー。そこまでないかな。というか、今は色々驚きすぎて多分混乱してるんだと思う」
「……うん」
「エルグランド」
「うん」
「これからはさ、普通に話しかけてよ。トカゲの僕みたいに。そんで、いっぱい話をしよう」
「……オリバー」
「うん」
「……ごめん」
「うん」
「……ありがとう……」
「エルグランド。とりあえず握手しよう」
「……うん」
オリバーはエルグランドに右手を差し出した。エルグランドがぐしぐしと手の甲で乱暴に自分の濡れた目元を拭い、おずおずとした様子でオリバーの右手を握った。エルグランドの力加減は、まるで小さなトカゲのオリバーを包み込んでいた時のように優しかった。
オリバーはなんだか少し可笑しくなって、小さく笑った。なんて素直じゃなくて可愛いんだろう。
虚勢を張っていない本当のエルグランドは、きっととても繊細で本当に優しい。
オリバーは、エルグランドとの付き合いが長くなるような予感がした。きっと予感は外れない。
握手をしたまま、照れたように長い睫毛を伏せているエルグランドを眺めながら、オリバーは口を開いた。
「とりあえず何の話からする?」
エルグランドが本当に嬉しそうに小さく微笑んで、ぽろりと1つ涙を溢した。
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