[短編集]リザレクション・イチモツ

さぶ☆兄貴

リザレクション・イチモツ

   1


 朝、ジャージ姿の美少女が教室に入ってきた。

 歩くたびに体操服の下で巨大な質量が二つ、左右に揺れた。教室に激震が走った。主な震源地は男子の足元である。

 震災を免れた生徒——主に女子——は冷静に、訝(いぶか)しんだ。

「この子、誰だ?」

 邪心と不審、朝礼を待つ教室は騒然となった。

 当の美少女は歩みを止めず、物珍しそうに彼女を眺める男子の前までやって来た。眼前に立った彼女の胸が邪魔をして、眺めていた顔が見えなくなった。

 なので、声だけ聞こえてきた。

「いっちゃん。俺のイチモツがどっか消えたー」

 容姿に違わず、可愛らしい声であった。


   2


「ナツ。もっかいっ。もう一回『イチモツ』と言ってみて」

「イチモツ」

 美少女の姿形から少女の声で男性器が呼称される。クラスの男子のみならず女子も動きを止めた。若干名は〔イチモツ〕の意味が分からないのか、雰囲気の変化に戸惑っているようだ。

 そんな静寂を他所(よそ)に、うははーと独りアホみたいに笑っているのは〔いっちゃん〕と呼ばれた樹(いつき)である。先ほどビショウジョモドキの〔ナツ〕にイチモツと喋らせた本人だ。

「実に面白い。あのナツが巨乳で童顔の美少女になるとはな」

「揉んでいいよ」

「断るっ。気持ち悪い事を言うな。俺は変態ではない」

「キモいは酷(ひで)ぇよ、カズさん」

「『キモい』とかふざけた言葉遣いはしていない。気持ち悪い、だ」

〔カズさん〕と呼ばれた数馬(かずま)は心外だと言わんばかりに、眼鏡のブリッジ部を右手の中指で押し上げた。

 その横で太い腕を組み、成り行きを見守っていた男子が口を開いた。

「せめて下着を着けて来なかったの? 母親のでも借りてさ」

「タカオはオカンのブラジャー着けて外歩ける?」

「ごめん。家の中だって無理だ。学校を休まなかったナツ君は偉いな」

「うん、褒めて褒めて」

 百八十センチ超の高尾(たかお)は、広く無骨な掌でナツの肩をぽんぽんと叩きながら、偉い偉いと褒めてあげた。

 この時点で朝礼の時間はとっくに終わっている。一度は担任の岡田が教室に現れたが、彼女を見て職員室へとってかえし、そのまま授業も始まらず今に至っていた。ナツの家族に電話が繋がらないか、それとも繋がった結果が原因となり、会議で時間をくっているのだろう。

 一般的にこうした空き時間は自習と呼ばれる。よって生徒たちはコミュニケーション力の強化に励んだ。本日の題材はもちろん、教室に突如現れた巨乳美少女についてだ。活発にヒソヒソと議論がなされている。

 だが誰も彼女へ直接訊きに行こうとしない。

 何故か?

 彼女を囲む樹たちのクセが強すぎるためである。別に樹たちは排他的な訳でなく、むしろ友好的だ。ただし、会話に混ざると自分の常識が眩暈をおこす。

 事実、いまは非常事態で間違いないはずなのだが、樹・数馬・高尾の全員は常態である。彼女は本当にナツか? だとしても性別が? 胸が? 顔が? 皆が思うそんな事より、男性器と下着の着用有無が大事らしい。常々このような感じであったため、樹たちが集まると、まず誰も入っていこうとしない。

 が、今日ばかりは違った。

「あのさ……」

 チキンばかりの教室にまことの女がいた。

 彼女、高山つぐみは勇敢にも言葉を続けた。

「タカオ君たち普通に話してるけど……彼女、その、本当に……代々木君なの?」

 それだ、とクラスの皆が思った。

「俺、代々木だよー」

「ナツ君だよ」

「ナツだな」

「開口一番『イチモツ』なんて言う奴、ナツしかおらん」

 樹だけは理由も提示してくれた。

「そこは普通、チンポだわな」

「お粗末だな。男根と言うべきだ」

「みんな奥ゆかしさが無いよー。イチモツもしくはマラでしょ」

「アソコぐらいで留めておこうよ」

 いっちゃん数馬カズさん、ナツ《ビショウジョモドキ》、高尾タカオの順に己(おの)が意見を述べていった。

「でもっ、でもだよ。女の子だよ、代々木君が女の子に変わってるんだよ! 普通おかしいでしょっ」

 高山つぐみはもっともな疑問を彼らにぶつけた。クラスメイトは再度、それだよく言った、と思った。

「その通り。普通では有り得ない事が起こっている。その原因究明は念入りに行わなければならない」

 数馬が中指で押し上げた眼鏡の奥に、何かしら粘度を感じ取った高山は、少し悪寒がした。

 しかし彼女は怯まなかった。

「だからっ、なんで男が女に性別変わってる事を当たり前に受け入れてんのかって聞いてるの。おっかしいでしょっ。普通は別人の成りすましだって考えないのっ?」

 これには樹が応えた。

「でもな高山さん、そうだとして、こんな馬鹿を引き受ける女性を見つけられるか? 同年代で美少女で巨乳ってだけでも希少なのに、さらに不法侵入させてイチモツと言わせなイカンのだぜ。引き受ける女のメリットが考えつかん。それにだ。そもそも別人と入れ替わったにしては、俺たちと話が合いすぎる」

「それにしてもっ——」

 思わず高山は言葉を挟んだが、樹はそのまま話し続けた。

「それよりも、何らかの理由で性転換したと考える方が、ゆ——」

「希望がある」

 樹に代わり、最後の言葉は数馬が引き受けた。

(コイツ……「夢」とかじゃなく『希望』って言ったぞ。怖っ)

 高山は今度こそ、確かな悪寒を全身に走らせた。

「大丈夫だよ高山さん。いま岡田先生がナツ君の家族に確認とっているはずだから、戻ってきたら偽者かどうか分かるよ」

 ああタカオ君だけはまともだ、と高山は安堵したが(そう言えば彼も代々木君と信じて疑わないし、ブラジャー野郎だしな)と思い直し、先ほどの認識を却下した。

 そうだね、とだけ言って高山は力無く自分の席へ戻って行った。その背後で「俺、代々木だってー」と声が聞こえたが無視した。

 彼女が席につくと同時に、数学教諭の竹下が教室へ入って来た。


「えー、彼女——いや彼は代々木で間違いないそうだ。みんな混乱していると思うが、いつもと変わりなく代々木と接してあげるようにな」

 竹下は生徒たちへそう告げると、普段通りに板書を始めた。

「開始が遅くなったからな。今日は駆け足でいくぞー」


   3


「ねえ、名前はなんて言うの?」

「ナツのお姉さんか妹さん? それとも従姉妹?」

「君が親戚のナツの所に同居することになって、それで冗談で入れ替わってるとか?」

「え? なにそれじゃ、今度ここへ転校してくるの?」

 昼休みになった。樹たちが集まる前にと、クラスメイトがナツを囲んで質問責めにした。

 と同時に、これは主に男子たちのだが、彼らの視線がナツの胸部を攻めた——チラチラとではあったが無論、褒められた行為ではない。しかし、LEDの高細密化では成し得ない質量がそこにあるのだ。仕方がない——誰の御前だと心得る。巨乳で有らせられるぞ、である。

 だが一方で、こちらは女子の視線が彼らの目線を捉えていた——めっちゃ見てるなそんなにお前らおっぱいが好きか——と。

 そのうち、質問に面白い傾向が見てとれた。男子は皆、彼女とナツは別人であるとして質問するのだ。「いったい土日で何があったの?」と聞いてくるのは一部の女子だけである——ナツの友人たちと違い、彼らには別人であるとの確信があるのだろうか? もちろん、常識で考えれば彼らの言う通り、別人と考えるのが正しいのだが——。

 そんな中、渦中の人であるナツは指同士を絡ませては解き、ちらと上を見ては下を向き、機を伺う様な仕草を見せていた。彼女がみせる小動物のような仕草に、クラスメイトの囲いは分厚さを増していった。

 やがて質問に間ができた。そこで美少女は少し困った感じで笑顔をつくり、彼らの方を仰ぎ見た。

 ——可愛い。

 全員が、はぁ、と息を漏らした。目が合った男子は顔に血がのぼるのを感じた。

「あの俺、本当に代々木ナツだよ」

 一言で全てを台無しにした。

 怒号が鳴った。

 チクショーとかなんでだよぉとか、そんなことがあってたまるかーっ、など、男たちの慟哭が教室に響き渡った。

 彼らがナツと眼前の美少女は別人とした理由。それは常識ではなく正気の問題であった。そうであってくれないと保てなかったのだ——俺の催した劣情がまさか男のモノになどとは——。

 ナツの辺り一面は嘆きの焦土と化し、焼死体に向ける女子の侮蔑がトッピングされ、うららかな春の教室は凄惨なものとなった。


   4


 放課後、教室で樹と数馬がナツを前に座っていた。高尾は部活だ。ナツも漫画研究会へ向かうところだったが二人に捕まったのだ。

「おいおいナツ、漫研に行ってどうする。チンポなんとかするんだろ?」

「そうそう、そうだよ。なんかこの体で普通になってた」

「大物だよ、お前は」

 樹が呆れたように言った。

 いま、教室には彼ら三人しか残っていない。皆、部活なり帰宅なり、各々(おのおの)の理由で教室から出て行ったあとだ。

 出て行く際、少なからぬ男子は、ナツの机に乗せられた重そうな胸を横目にし、苦悶の表情を作らされた。着ぐるみの中の演者を見てしまった人間の反応と似ている。

 さて調査が始まった。

「まず、何したらそうなったんだよ?」

「その通りだ。ナツ、吐け。何をして美少女に成(な)った?」

 樹の問い掛けへ被せるように、数馬がナツの鼻先まで眼鏡を近付け、詰問した。眼鏡の奥で、切れ長の目がナツを見据えている。

 数馬はなかなかの美形である。よって側(はた)から見れば、眼鏡をかけた長身のインテリが美少女を口説き落とそうとしている場面に見える。刺激的な絵だ。

 実際は、自身の欲望に忠実な変態が、元男に顔ごと詰め寄っている図である。絵の背景はおぞましかった。

「カズさん、キモいキモい」

 樹が世界を代弁して、数馬に元の位置まで下がるよう促した。「気持ち悪いと言え」と抗議はしたものの数馬は従った。

 ナツは少し記憶を整理して、

「ニモニンを観終わったら、女の子になってた」

 と、言った。

 ニモニンとは日曜の朝〈にちようモーニング〉に放送されているテレビ番組を指す。そしてナツがニモニンと言う場合、それは少女たちが悪と戦う変身物のアニメである。長年に渡って続いている人気シリーズだ。視聴者はターゲットの年齢層を含みつつ、上の方にも大きく広がっている。

 ナツは言葉を続けた。「すごい回だったんだよ神回だよ!」を皮切りに、熱弁を三分きっかり続けた。

 そして、

「最っ高の回だったの。もうっ、もうねっ。頑張る彼女たちが愛おしくて愛おしくて可愛くて。『ああっもうもはや俺自身がみかんちゃんになりたいっ』て思っちゃうほどで。……で、気が付いたらこうなってた」

 と、締め括った。

「見てる間に何か食べたか?」

「食べない食べない。息つく暇もなかったんだよっ」

 ナツは食いかからんばかりの勢いで、樹を否定した。

 次に数馬が質問を引き継いだ。

「朝食、または前日の夕飯におかしなところは?」

「ないよ」

「土曜の夜で見た夢はどうだ? 女神か悪魔か願いか呪いか、もう何でもいい。そういった原因は出て来なかったか?」

 数馬は、知的なその容姿に反して、意外にもメルヘンな質問をした。

「それもない。そもそも土曜は徹夜したし」

「まあ聞いてみただけだ。他者の介在を考慮し出せばキリが無くなるしな」

「だったら決まりだろ。みかんちゃんだわ」

 安直極まりない樹の結論だったが、数馬も同意した。

「強く『なりたい』と思えば性別すら変わるか……素晴らしい。物心ついてから今までで一番の朗報を聞いた。よくやったナツ」

 数馬はナツへ心からの賛辞を送った。そして宙を見上げ、まだ想いが足りなかったか、と呟いた。このインテリモドキはどうも女になりたいようである。

「原因がそれなら、男に戻る方法も同じでいいよな」

 心の世界へ旅立った数馬に代わり、樹が話を進めた。

「みかんちゃんレベルで、なりたい、って思える男キャラなんていないよー」

「じゃ、そのままだ。それはそれで良い人生になるんじゃないか?」

「やだよ。俺、男となんか恋愛したくない」

 突如、数馬が旅から帰郷してナツを睨みつけた。

「お前は馬鹿か。男なんぞと付き合う必要があるか。美少女なら美少女らしく美少女と付き合え」

「カズくんは好きだね、百合」

「美しいものが美しいものと重なるのだ。美の相乗効果だ。求めないはずがない」

「んーでもなー。俺はやっぱり、女の子にイチモツを挿(い)れたいよ」

 とんでもなく穢(けが)らわしい言葉が少女の口から漏れ出した。

「お前は最っ低だ」

 と、罵る数馬の心も同じく穢れていた。

 そんな二人の掛け合いを、面白そうに見ていた樹が、

「ほら、答え出たわ」

 と言い、ナツと数馬は二人して彼に振り向いた。


   5


「で、なんでこうなった?」

 樹が問うた。高尾が横でほぉと感心している。その横では目に隈をつくった数馬が歯噛みをしている。

 そして、その他のクラス全員——男子と、そして女子さえもが彼女を見つめたまま、動かなくなっていた。心奪われてしまったのだ。

 昨日まで純真無垢だったはずの美少女が、姿そのままにただならぬ妖艶さを纏(まと)わせて、樹の前に立っていた。

 もはや美形だとか巨乳だとかの問題ではない。存在自体が美であり淫なのだ。

「男としてセックスがしたい。そう強く願えるよう、ナツにポータブルSSDごと俺のコレクションを渡したよな」

「……うん」

 そのたった一言で、男子たちの頬が赤らんだ。

「だから……その……女の子の体ってね」

「あン?」

「すごく……良かった」

 魔性の女が見せた恥じらいは、狂気じみた猥褻さだった。ナツの友人を除く、全ての生徒の顔が真っ赤になった。何人かは堪(たま)らず教室を走り出た。

 クラスの様子を困った顔で見回した高尾は、彼女へ意見した。

「ナツくん、想いを高めるには我慢すべきだったんじゃないかな」

 高尾の「ナツ」という言葉を聞いた男子たちは、先ほどまでの自分とそうさせた対象の正体を慈悲も無く認識させられ、ついには咽び泣きだした。

「うん、ナツくん。今日は早退にして帰ろう。みんなの心が持ちそうにないよ。あと、今日は我慢するんだよ?」

 高尾の懸命な判断に従い、ナツは一限目の授業を受けずに帰っていった。

 それでも、生徒たちが持ち直すに昼までかかった。午前中の授業は形ばかりのものとなったが、教師たちは何も言わなかった。早退のため職員室に来たナツを見ていたためだろう。

 二限目だった数学教諭の竹下は(まぁ仕様がないわなあれは、特に男どもにはなぁ……)と生徒たちに同情したものだった。


   6


 次の日、ナツは学校へ来なかった——数馬は教室を観察して過ごした。

 その次の日も、ナツは学校へ現れなかった——数馬は終日、教室を観察し続けた。

 そして、金曜日の朝になった。

「やったな、ナツ。やりやがったな、カズさん」

 樹の前には男に戻ったナツと、そして長身の美女——数馬が立っていた。

「頑張った、俺、超頑張った。女の子を知っちゃった体で三日も我慢したんだよ。もう、もうね。地獄だったんだから。畳のうえ転げ回ったほどだよ」

 ナツはさあ褒めろと言わんばかりに胸を張った。

「観察とイメージトレーニングの賜物だ。ナツという実例を目の当たりにしていたからな。為せば成ると信じ抜けたのが大きい」

 低く艶のある美声で数馬は応えた。ナツの場合と異なり、既に女子用ブレザーを着用していた。

「イメトレは何となく分かるとして、何を観察していたの?」

「女子生徒たちをだ」

 その瞬間、教室に戦慄が走った。

「女子生徒の一挙手一投足、全てを百合に変換しつつ、つぶさに観察を行った。帰宅してからは、その世界に自分を登場させるイメージトレーニングを行った。寝食も惜しんで没入に励んだ」

 うっとりと自身の体を眺めながら、数馬は説明をおこなった。

 教室が、しんと静まりかえった。

 事態を把握した高尾は「説明させてごめんね」と小さな声で謝ったが、恍惚とした数馬には届かなかった。


 その日の数馬が女子からどう扱われたかは、言うに及ばないだろう。

 途中「イツキくん、俺たちフォローに入った方が良くない?」「やめとけ。俺たちまで焼かれることはない」という会話が高尾と樹の間で行われた。


 休日を終えた月曜の朝、数馬は男の姿で教室に現れた。

 高尾は肩を、樹は背をポンポンと叩いて慰めた。

 その日の放課後、高尾とナツは部活を休んだ。

 四人でマクドナルドへ行き、みんなで数馬にポテトLサイズとビックマックを奢ってやった。

 数馬はポテトを一つ手に取り、ポツリと「現実の女は怖かった」と呟いた。

 高尾は肩を、樹は背をポンポンと叩いてやった。

 ナツは口を付けてない自身のシェイクを、数馬の前に置いてやった。

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