第二章(露見)4

四.

父は約束通り、幸崎さんにハンバーグの作り方を指導するため、サチザキを訪れた。父はせっかちだった。朝八時にサチザキに行こうとして、母に止められた。一時間遅らせて、九時にサチザキに向かった。僕も一緒にサチザキに向かった。それでも、店に着くと幸崎さんに「こんなに早く来ていただけると思っていなくて」と驚かれた。数絵さんは、店が休みなので、公矢君と美星ちゃんにテーブル席でゆっくりと朝ご飯を食べさせたばかりだった。


とはいえ、コック服を着た父が入ってきたのを見ると、幸崎さんも、すぐに厨房に行くと準備を始め、数絵さんは急いで子ども達の朝食の後片づけをした。僕はテーブル席でその様子を見ていた。しばらくして、長原と江美香が入ってきた。二人に続いて、魚迅の大将、肉辰のおかみさん、江美香の祖母、そして、長原会長が入ってきた。

「肉辰さんと甚田さんが心配そうに中の様子を窺っていたので、一緒に入ってもらいました」

会長がそう言った。

江美香の祖母の姿を見ると、「おばあちゃん」と公矢君と美星ちゃんが駆け寄った。

肉辰のおかみさんは、

「幸崎さんが上級肉に切り替えたことを黙っていられなくてすみません」

と幸崎さんに謝った。

「こちらこそ、ご心配をおかけしまして」

と幸崎さんと数絵さんが謝った。

真ん中のテーブル席に会長、魚迅の大将、肉辰のおかみさんが座った。その隣のテーブルに江美香の祖母、数絵さん、公矢君、美星ちゃんが座った。僕と江美香と長原は会長たちのいるテーブルの奥のテーブルに座った。それから、僕の母が店に入ってきた。父のことが気になったのだろう。僕らのいる席に座った。


父は最初に、肉辰の中級肉を使って幸崎さんにハンバーグを作らせた。他の材料はいつも幸崎さんが使う材料をそのまま使った。そして、父も同じ材料でハンバーグを作った。それから、ハンバーグを二人で並んで焼いた。焼き上がったばかりのハンバーグを切り分けて、皆に試食させた。僕も食べた。まず幸崎さんが焼いたハンバーグを食べた。美味しかった。四月に初めて食べた幸崎さんのハンバーグだった。次に父が焼いたハンバーグを食べた。全く同じ味だった。父が焼いたから旨いとか、そんなことはなかった。

「全く同じ味だ。しかも、旨い。これなら、何故、幸崎さんは上級肉に変える必要があったんだ?」

魚迅の大将が言った。

皆、頷いた。そして、父のほうを見た。

「上級肉を使ったハンバーグは、私も、一昨日の夜、食べました。味のことよりも、幸崎さんが苦し紛れに作ったことが分かりました。だから、今、最初に戻って、中級肉で作ったハンバーグを一つだけ焼きました。その上で考えます。まず、ある時期から急に売り上げが落ちた原因をひと言で言うと、飽きられたということになります。ただ、その飽きられたというひと言の中には様々な要因があります。サチザキのハンバーグはウスターソースとケチャップの家庭的なハンバーグです。幸崎さんのお父さんが作ってくれたハンバーグを再現したからです。でも、家庭で食べるハンバーグと同じものを、金を払ってまで外で食べる必要があるのか? そういう気持ちが、客の中に次第に生じてきたのだと思います。外食だから家とは違うものを食べたいという、ある意味で、当然の欲求です」

会長の隣に座った幸崎さんが言った。二人は椅子の方向を変えて、父に向き合う形で座っていた。父は厨房を背にして皆の前に立っていた。

「全くその通りです。実際に、お客さんから面と向かって言われたことがあります。もっと違うソースがかかっているハンバーグを食べさせてくれと」

「幸崎さんはショックだったと思います。でも、そのことは致命的な問題ではありません。何故なら、ウスターソースとケチャップのハンバーグ以外に、新しいソースを使ったハンバーグをメニューに加えれば解決するからです。それより、飽きられた問題の中で、もっと深刻なことがあります。それは、幸崎さんの技術的な問題なのですが、私は、かつてホテルに勤め始めた新人の頃、ベテランのコックからこう教えられました」

先ほどから、父は皆の前に立って話をしている。僕はかつて、こんな父の姿を見たことはない。そして、ホテルの修業時代のことにまで触れた。それだけ、父が、幸崎さんの店の建て直しに本気で取り組むつもりなのが分かった。


父がベテランコックから教えてもらった話は、そのコックの友人の陶芸家が若い頃に積んだ修業の話だった。ある程度、作陶ができるようになると、大きな旅館などから注文された数百個の湯呑みを一人で作るよう師匠から命じられる。陶芸家の好きに作って良い陶器ではなく、寸分の狂いも許されない全く同じ寸法の湯呑みを数百個作る。謂わば、機械で大量生産するのと同じものを手で作るのであった。この際、人間には自覚できない誤差が必ず生じてくる。その誤差を限りなく無くすために何百、何千という湯吞みを作るのが、この修業だった。そして、誤差を生じさせることなく、全く同じものを作る技術を体得することは、その後の作陶の大きな基礎になるということだった。

それから、父はこう続けた。

「ベテランのコックは言いました。料理も同じだ。一品上手く作るのは誰でもできる。それと全く同じものを何百品作れなければプロじゃない。人間は忙しさの中で料理を作る時、自分では同じ味の料理を作ったつもりでいても、狂いが生じるものだ。焦りや疲れが味覚を狂わす。そして、味の不安定さは、その店の不安定さを表す。客が求めるのは、いつ訪れても同じ味であること。つまり、同じ味に帰れる安心を求めている。だから、常に同じ味を保てるようになった時、ようやくプロの料理人として認められるんだ。ベテランのコックから私はそう教えられました。幸崎さんは、今、落ち着いて慎重に一つだけハンバーグを焼きました。だから、上手く焼けました。でも、幸崎さんは店を構えるプロの料理人です。一つだけ上手く焼けても仕方がないのです」


幸崎さんは、父の話を聞いて言った。

「安森さんのお話の通りです。開店当初は良かったんです。それが日を重ねるにつれ、作るたびに、ハンバーグの味がバラバラになっていきました。自分でも味が変わっていることは分かっているんですが、元の基準になる味が分からなくなってしまって、収拾がつかなくなりました。そのうちに、客離れが始まりました。そして、焦った私は、ついに肉辰さんの上級肉を使うようになりました」

数絵さんも話した。

「夫が上級肉を使い始めた時に言ったんです。上級肉に変えても、味が不安定になるのを克服していないのなら、結局、また同じことになると。案の定、お盆休み明けにそうなりました。ショックでしたが、近いうちに、こうなることは覚悟していました」

お盆休みに、父が城跡公園で僕に言った話の通りだった。根本的な問題を解決しないまま、肉のランクを上げてもどうにもならない。これが今のサチザキの状況だった。

「それで、解決策はあるのかね?」

長原会長が父に尋ねた。

「ホテルでは、新人の頃に、この修業をして、それが出来るようになったら、ようやく本格的に料理を作れるようになっていました。でも、幸崎さんの場合、いきなり、店を始めて、料理の第一線にいる訳です。その状況で、新人の修業をしても、毎日の厨房での仕事の中で、また味に狂いが生じて元に戻ってしまうのではないかと思います」

「つまり、解決策はないということかね?」

「簡単な解決策はないと思います」

そう答えると、父は幸崎さんにある質問をした。

「幸崎さんが、どういう経緯で、ハンバーグステーキ店を開店したのかは、友弘から聞いて知っています。その話の中で気になることがあります。幸崎さんは自分でハンバーグの作り方を研究し、店の開店まで、ほとんど独力で成し遂げました。大変な努力だと思います。ただ、幸崎さんが、お父さんの死に衝撃を受けたからだとしても、昨年の三月からハンバーグの作り方を練習し始めて、僅か一年で開店してしまったのは、早過ぎる気がするんです。幸崎さんなら、お父さんの死に衝撃を受けたとしても、それから、じっくりと準備に時間をかけて店を開いたはずだと私は思いました。基礎的な技術訓練もしっかりと行い、開店してから、味が狂うようなことがないように準備に時間をかける。幸崎さんはそういう人だと思うんです。何故、一年という短期間で店を開いたのか? 何か急がなければならない事情があったのか? もしかしたら、そこに、幸崎さんのこれからのヒントになることがあるのではないかと私は思ったんですが?」

僕は幸崎さんを見た。幸崎さんは、しばらくうつむいたまま黙っていた。それから、父の質問に答えた。

「確かに、本来の私の性格なら、十分な準備期間をかけてから、開店に至ったと思います。でも、その時、私はそれが出来ませんでした」

「何故ですか? その時、幸崎さんは大手の証券会社に勤めていて、会社が経営難に陥って慌てて辞めなければならなかった訳でもなかったはずです。何が幸崎さんを開店に向かって急がせたのでしょうか?」

会長が、幸崎さんに尋ねた。


皆の疑問に答えるため、幸崎さんは、彼の父が失踪した後の幸崎さんと母の人生について話し始めた。

「父が失踪後に身を寄せた母の実兄の家は、経済的に余裕のある家でした。そして、私にとって伯父に当たるその人は、母と私のために、経済的な援助をしてくれました。伯父と伯母の間には子どもがなかったこともあって、私のことを二人とも可愛がってくれました。父が失踪した悲劇に襲われた母も私も、伯父夫婦のお陰で、安定した生活を送ることが出来ました。でも同時に、世の中というのは、恐ろしく意地悪にできているということを母と私は、その時、知りました。『夫に逃げられた妻』『父親に捨てられた子ども』『母子家庭』。母と私は、これまでにはなかった色眼鏡で、常に見られている自分たちを知りました」


幸崎さんと彼の母は、伯父夫婦の家の近くに住むために遠い街まで引っ越した。にもかかわらず、近隣の住民も、幸崎さんが通い始めた小学校の同級生も、何故か、皆、彼の父が失踪したことを知っていた。その時、幸崎さんは思った。世の中には悪意のネットワークが張り巡らされている。噂が噂として機能するためには、それが広まらなければならない。噂は人の悪意のネットワークに乗るからこそ、拡散する。つまり、世の中は善意ではなく悪意でできている。けれど、幸崎さんは負けないと思った。既に「父親に捨てられた子ども」というレッテルを貼られた限り、これから生きていく中で、常に、そのレッテルにより苦しむだろう。でも、そこで挫けては、世の中の悪意に屈したことになる。父が失踪したことを自分はハンディとは思わない。世の中がそう捉えるのなら、努力して跳ね返してやる。レッテルも自分の努力ではがしてやる。幸崎さんは穏和な外貌に反して、強い反骨精神の持ち主だった。

僕は、父が居間に寝転がってレコードを聴いていた頃、「あの安森さんの子どもだから」と思われるのが嫌で、店のテーブルで一生懸命に勉強していたことを思い出した。でも、壮絶さが違った。僕の父は仕事をしない父であったが、いつも居間にいて、忙しいと店の手伝いをしていた。それに対して、幸崎さんの父はある日突然、失踪したのだ。事件である。しかも、その後、二十年以上経って、知らないアパートの一室で孤独死していたのである。僕はこの時、初めて、幸崎さんが持っている人生への根源的な恨みのようなものを感じた。


「転校先の学校で最初はいじめられました。でも、猛烈に勉強をして私が優等生になると誰も私をいじめなくなりました。中学に進学してからも、必死に勉強しました。高校でも必死に勉強しました。その甲斐あって、希望した大学に進めました。一流企業への就職率の高い大学でした。私は経済学部で一生懸命勉強しました。そして、就職活動をしました。とにかく一流の大企業に入りたい。その一心で片っ端から入社試験を受けました。しかし、私は、入社の動機もはっきりしないまま、いたずらに大きな会社の入社試験を受けていたため、面接で、そのことが露呈し、就職活動を失敗しました。でも、一社だけ合格しました。それが、私が勤めていた証券会社でした。私が望んでいた大手一流企業でした。私は迷わず、その証券会社に入社を決意しました。母に電話をすると、喜んでくれました。その時、私は、世の中の悪意に勝ったと思いました。もう『父親に捨てられた子ども』などと世間には言わせない。私はエリート証券マンなのだから。そう思いました。でも、入社して、私はその証券会社の人事制度を詳しく知るにつれ、世の中は、私の考えているような善悪二元論ではないことが分かり始めました。私は、世の中というものが、善悪などではなく、持てる者と持たざる者、金があるか否かで、はっきりと二分されていることを知りました。それは努力して、どうなるものでもありませんでした。私は持てる者たちの前に、自分の惨めさを思い知らされ、遂に、会社を辞めたのです。父の死を知り、父のハンバーグを再現するために、店を開いたのは本当です。でも、僅か一年で開店にまでに至ったのは、会社から逃げたかったという気持ちが、そうさせたのです」

幸崎さんが何故、僅か一年で開店に至ったのかを話し終えた。

話を聞いた皆の中に、一つの疑問が残った。

父が皆を代表して、そのことを尋ねた。

「幸崎さんを退職に追い詰めた人事制度とは一体何なのでしょうか?」

幸崎さんは、こう答えた。

「社内身分制度です」

皆、幸崎さんの答えを聞いて、更に、分からなくなった。かつては、この国にも封建時代のように厳然たる身分制度はあった。でも、幸崎さんは、今の時代の話をしているはずだった。そして、誰も問いを発することが出来ず、サチザキを沈黙が支配した。



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