第二章(露見)

一.

魚迅の大将に父が幸崎さんのことを頼まれた日から、数日して、商店街はお盆休みに入った。商店街として、必ず、お盆休みを取らなければならないという決まりはなかったが、店を開けていても、客が来ないので休みになっていた。その他、これも商店街としての決まりではなかったが、どの店も十三日から十五日の三日間休みを取っていた。幸崎さんの店も、肉辰も、魚迅も、そして、スタックスも休みに入っていた。商店街に人通りはなく、空虚な感じがした。禁止されている犬の散歩をしている人がいた。犬はしきりと通りのにおいを嗅いでいた。飼い主と犬は、そのまま商店街を抜けて行った。


父と僕は城跡公園の石垣の上に登っていた。天守閣も何も残っておらず、その代わりに、大きな東屋のようなものが作られていた。いつもは、公園で遊ぶ子どもの声が石垣の上にまで聞こえて来るのだけど、今日は静かだった。ベンチに座って、父と僕は街を眺めていた。お盆休みは僕にとって暇だった。石垣の上から見下ろすと、祖父母の骨董屋の建物が小さく見える。そして、少し離れたところに、アーケード商店街のアーケードが見える。父は骨董屋で生まれ育ち、何年か都会に出て働いたが、指をケガして帰って来た。その後は、ずっとアーケード商店街にいる。母は故郷と疎遠で帰ることはない。僕には帰省するところはない。父は僕と同じ一人っ子だから、父の兄弟姉妹が祖父母のところに顔を見せに帰省することもない。だから、お盆休みというのは、僕にとって、何の変化もないつまらない日々だった。八月の大きな青空を見ると、空疎なエアポケットに入った気すらした。新幹線に乗って、故郷の祖父母のところに帰るような経験をしてみたいと思っても、僕の祖父母は骨董屋『大鳳凰』にいた。


「家のほうの掃除がもうすぐ済むから、それまで少し話をしよう」

父が言った。先ほどまで、父と僕で店の大掃除をした。今、母が家の掃除をしている。うちのお盆はいつもこんな感じだった。

「話って、幸崎さんのことだよね?」

「そうだ。あれから考えたんだけど、幸崎さんのためにしなければならないことは一つ。上級肉を使うのをやめさせること。そうしないと、肉辰のおかみさんの言うように本当にサチザキは破綻する。でも、そんなことは言われなくたって幸崎さんが一番分かってる。分かっているけど、使い続けなければならないのが問題なんだ」

「何故、幸崎さんは上級肉を使い続けるんだろう?」

僕が尋ねると父は言った。

「肉辰さんの話だと開店して二カ月ぐらいした頃から使い始めたって言ってただろ? そこから考えられることも一つしかない。店を始めて最初は順調に客が来ていたけど、二カ月になる前に、突然、客足が途絶えたんだ。理由は言いにくいけど、すぐに幸崎さんの作るハンバーグが飽きられたからだと思う。そこで、焦った幸崎さんは中級肉から上級肉に上げて、ハンバーグの味を良くした。それで、とにかく、客は戻った。でも、今度は、上級肉にかえて原価が跳ね上がって、利益が大幅に下がった。そうなると数を多く売って利益を上げるしかない。薄利多売っていうやつだ」

僕は幸崎夫妻の疲れ切った様子を思い出しながら言った。

「長原が言った男性専用早飯食堂にサチザキが変わった原因も、それなんだね。幸崎さんが客数をこなすことだけに必死になっているのも、そうしないと利益が出ないからか」

「客の回転率を上げると、客が男ばかりになるとは思わないが、とにかく早く料理ができて、すぐに食べられる。しかも、お腹いっぱい食べられて、早く仕事に戻れる店がいい。そういう客が男ばかりだというのは分かる。そんな女性はまずいない。それで、サチザキのハンバーグステーキセットの値段は?」

「ハンバーグステーキセット一種類のみで、◯◯百円」

「赤字すれすれなんじゃないのか……」

父はそう言ってため息をついた。そして、

「母さんと二人で、幸崎さんの店について考えた結果、今の話になった。まず間違いないと思う。俺と母さんもホテルに社員として勤めていた。スタックスを開店して初めて自営業者になった。だから、脱サラした幸崎さんのことが分かる。サチザキが従業員を雇わなかったのも、開店当初は、そこまで手が回らないぐらい忙しくて、気づいたら、あっという間に一ヵ月、二ヵ月が過ぎていたんだと思う。その後は、上級肉を使うようになって、雇いたくても雇えなくなったんだろう。サラリーマンから自営業者に転身すると、まめに帳簿をつけなければならないし、税金のこと、家賃のこと、光熱費のこと、その他、これまで会社がやっていたことを全部自分でやらなければならないから、慣れるまで大変なんだ。だからといって、上級肉を使ってもいいということにはならないけど、分かる気はする。ずっと母さんに任せ切りだった俺に偉そうなことは言えないが、勤め人には無い重圧は、俺も常に感じてきたから」

と言った。

「サチザキへの嫉妬なんて心配している場合じゃなかった。潰れるかもしれないのに……」

僕は、つい呟いてしまった。

「そう深刻になるな。俺はまずお盆明けに、会長に相談する。上級肉のこと、サチザキの経営状態のこと、そこまで、立ち入ったことを幸崎さんに話せるのは、長原会長だけだから。その上で、同じ洋食店の店主として手伝えることがあればやる」

父はそう言った。

僕は、江美香と長原には、この話を伝えると父に言った。二人とも、スタックスで魚迅の大将の話を聞いたけど、そこまでで終わってしまっている。だから、父の話を伝えて、幸崎さんが何故、上級肉を買うようになったのかまで教えてやりたいと言った。特に長原はサチザキでバイトをしているだけに知っておかなければならないと思うと僕は話した。父は頷いた。

それから、父は、ふと思い出したように、

「そういえば、この前、魚迅の大将が幸崎さんの話をしに来た時、江美香ちゃんのおじさんの話もしてただろ? 俺も母さんも、甚田さんが商店街を出て行った後、店を開いたから、ほとんど知らないんだ。この前も、甚田さんの部分については、何の話をしているのか二人とも分からなかった。でも、幸崎さんのことにも何か関係してるのなら、知っておかなければならないと思ったんだ。だから、教えて欲しい」

と言った。

僕は「分かった」と言って、江美香の伯父の話をした。但し、父が聴かせたビートルズの「レボリューション」の影響を受けて、江美香がマッシュルームカットにしたことまで遡って話すことはやめた。それに、江美香の伯父の話も、重要なところだけ話すことにした。全部話すと丸一日かかっても終わらないと思ったからだった。


甚田功造は、商店街を永久追放された。会長選の直前に住民に現金を配ったからだ。でも、永久追放とは、名前だけのものであり、通常は時期が来れば、商店街に戻って来られるものだ。にもかかわらず、功造は本当に永久追放された。理由は、彼が商店街の和を乱したためだとされる。これが、江美香が僕に話したことだ。だが、長原は、更に、そこに重要な見解を加えた。住民が功造を永久追放にした本当の理由は、甚田功造が始めたジンダシューズの成功への住民の嫉妬だったというものだ。長原は、現在のサチザキの成功にもそのことを重ね合わせていた。そして、第二の甚田功造に幸崎広史がなることを危惧し、祖父で会長の長原天にそのことを忠告した。すると、長原天もそれに同意し、孤立した幸崎広史と商店街の交流をはかるべく、長原と僕をサチザキにアルバイトに行かせたのである。


僕は、父にこのように説明した。そして、早くに父を亡くした功造が、弟である江美香の父を大学に進学させるため、自らは進学を諦め履甚の跡を継いだことなど、甚田功造の人間性を理解するうえで重要なエピソードも伝えた。江美香が彼女の父から聞いた話だから、甚田功造に同情的な偏りは必ずある。だから、公平、客観的な内容ではないことは彼女からこの話を聞いた時から分かっていた。でも、だからこそ、できるだけ、偏りのない形で父に話をするように僕は努めた。江美香の伯父の話は、伝言ゲームのように伝えるたびに、簡単に内容が変わってはいけない性質のものだと思ったからだ。そして、僕は、甚田功造の話より、むしろ、この話が、今の幸崎さんに繋がっていることを強調した。それを父も聞きたがっていたからだ。


だが、父はこう言った。

「甚田功造さんに対する嫉妬には、経済的な成功の他に、若さへの嫉妬があったと俺は思う。友弘には分からないと思うし、若い頃の俺にも分からなかった。でも、歳を重ねるごとに、そういう気持ちが分かるようになった。そして、若さへの嫉妬とは若者への恐怖でもある。若者が活躍することはそれより上の世代にとって、とても怖いんだ。自分たちが作り上げてきたものをひっくり返されるような気がする。特に甚田功造さんのように鋭敏な若者は商店街の上の世代の人間にとって脅威だったと思う」

「商店街の人たちは、甚田さんを脅威に感じてたの?」

「ああ。人は歳を取るにつれて、活躍する若者を見ると、自分が時代から取り残されていく気がするんだ。そして、それは、ある意味では、事実だと思う。甚田さんが、運動靴屋じゃなくてスニーカーショップを始めた時の、商店街の大人たちの恐怖は本当に大きかったと思う。同時に、時代を切り拓いていく甚田さんの若さが羨ましかった。そして、甚田さんから置いてけぼりにされていく自分たちが、どれだけ歳を取ったかを感じさせられて悲しくなったんだと思う。だから、いっそのこと、甚田さんを追放してしまえって思った。そうすれば、自分が時代から取り残されていくのを感じなくて済むからさ」

父の話を聞いて、商店街の人たちの身勝手さに腹を立てたと同時に、僕は商店街の人たちの悲しみが分かるような気がした。僕みたいな中学生がこんなことを理解するのは変かもしれないが、それは、老いる悲しみなのだと思った。

それから、唐突に、父は僕に尋ねた。

「ところで、友弘。平和大使はどうなっているんだ? 幸崎さんと商店街の人たちとの交流は上手くいっているのか?」

「それが、全然上手くいってないんだ」

僕は正直に話した。

アルバイトを始めてから、お盆休みまでの間、僕らは、何とか幸崎夫妻を商店街に連れ出そうとしたが無理だった。頑なに拒むのだ。代わりに、公矢君と美星ちゃんを連れて行ってくれといつも幸崎さんは言った。僕らは、仕方ないので、二人を連れて商店街を散歩した。ほとんど毎日、二人を連れて歩いたので、公矢君と美星ちゃんは、すっかり商店街の人気者になった。でも、子どもたちだけでは意味がないのだ。スタックスで魚迅の大将が言ったように、大人二人を連れ出さなければならないのだった。そして、幸崎夫妻を商店街に連れ出す良いアイデアも浮かばないまま、お盆休みに入ってしまった。僕らのバイト期間は、学校が始まるまでの八月いっぱい。もう残り約二週間になった。

父は僕の話を聞いて笑った。

「幸崎さんは、一人で、ハンバーグ屋を立ち上げただけあって、努力家だけど、相当な頑固者だな」

「幸崎さんが商店街に行かない理由は、言わないけど、やっぱり、何かあるみたい。でも、父さんが言う通り、僕も相当な頑固者だと思う」

「さっきの話の続きだけど、幸崎さんは、甚田さんほどは、鋭敏な人じゃないし、ハンバーグ屋っていう馴染みやすい店を始めた人だ。それなら、商店街の人たちから、幸崎さんに親しくなろうと近づいてもいいんじゃないのかな? あるいは、店にこもりっきりの幸崎さん家族を心配して様子を見に行くとか? それが、誰も幸崎さんに近づこうとしない。第一には、父さんもあの夜の会合で見た、商店街住人の幸崎さんの成功への嫉妬がある。そして、もう一つ、幸崎さんの若さや未来への嫉妬もあると父さんは思う。会長はそこを評価して商店街に幸崎さんが店を出すことを許したんだろうけど、商店街の人たちは、警戒しているんだと思う。だからといって、お前と長原君に、こうすればいいという具体的なアドバイスが言えないのが申し訳ないけど、甚田さんの時と同じで商店街の人たちは、きっと怖いんだ。だから、幸崎さんに近づけない」

父の話は説得力があった。

更に、父はこんな話をした。

「そして、その幸崎さんだけど、上級牛肉を使ったハンバーグにお客さんが飽きたら、次は、どうするつもりだろう? 商店街を出て、肉辰以外の肉屋にもっとランクの高い牛肉を買いに行くのかな? ハンバーグステーキセットの定価を上げてでも。でも、その牛肉にも飽きられたら、どうするんだろう? 友弘。幸崎さんは根っこのところで間違っているんだ。だから、このままでは、幸崎さんは日本中、世界中の肉屋を走り回らなければならなくなる」

「それを、父さんに治して欲しい。そう魚迅の大将が頼んだんだね?」

「そうだ。でも、幸崎さんは、他人の意見を受け入れるのが嫌いな人みたいだ。俺も厄介なことを引き受けた」

そう言うと、父は苦笑いした。そして、立ち上がって石垣の上から街を見下ろした。

僕も並んで街を見下ろした。

商店街のアーケードが、陽の光を浴びて輝いていた。きらきらと輝いているのではなかった。かつては透明だったアーケードも、長い年月の間にアーケードそのものが色味を帯び、今は、鈍く光を反射するようになっていた。それは不思議な色であり、僕は、子どもの頃から、アーケード色と呼んでいた。


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