第一章(商店街平和大使)4

四.

サチザキでアルバイトを始めて十日が過ぎた。忙しさにも慣れてきて、僕は働きながら、店内の様子を観察するようになった。今日のランチタイムの客を見ると四人掛けのテーブルに男子大学生が四人。隣のテーブルには体の大きな男性会社員が二人。その他、八つのテーブルは全員男だった。五つ並んだカウンターも全員男だった。

「バイトさん。俺たち、急いでるから、ハンバーグステーキセット早めにお願い」

二人組の会社員からそう言われた。

僕は、早めにと言われてもと戸惑ったが、その時、厨房から、

「二番テーブルさん。ハンバーグセット二人前。できたよ」

と幸崎さんの大きな声がした。

僕は急いで料理を取りに行き、二人のいるテーブルに運んだ。

「いいねえ。さっと出来て、パッと食べる」

「すぐ食べて、得意先を回ろう。バイトさん。これライス大盛りだよね?」

二人の会社員はあっという間にハンバーグステーキセットを食べて、すぐ勘定を払い店を出て行った。

「あの、すみません。俺らもライス大盛りでした。言い忘れてた。並盛りじゃすぐ腹が減る」

四人組の大学生が言った。

カウンターの中年男性は、つまようじをくわえて、スポーツ新聞を読んでいた。同じく隣に座る中年男性は、煙草をくわえていた。店内禁煙だから、火をつけず、ただくわえているだけだった。そして、隣の男の読むスポーツ新聞を横から覗き見ていた。


元々、幸崎さんがこういう店を目指していたのなら構わない。でも、そうではなかった。食べる人に喜んで欲しいという思いと、亡くなったお父さんのハンバーグを再現するという大きな目標があった。僕らが、四月に開店したばかりのサチザキで、ハンバーグを食べた時、幸崎さんはその思いを込めてハンバーグを焼いていた。それが、今の幸崎さんは、いかに数多く客をこなすか。客の回転率を上げるかが料理を作る目的になっている気がする。幸崎さんに一体何があったのだろうと僕は思った。


二時に休憩に入り、数絵さんが作ってくれた弁当を今日も、公矢君と美星ちゃんと一緒に食べた。幸崎夫妻は、僕らが公矢君と美星ちゃんと楽しく話をしながら弁当を食べているのを見ると喜んだ。笑顔も見られた。僕ら二人が、アルバイトとして助っ人に入ったのである。幸崎さんと数絵さんの負担が心身ともに大きく減った。だから、自然と笑顔も浮かぶのだろう。でも、僕らからすれば、よく夫婦二人だけで、四カ月もの間、満席状態の続く店をやってこられたと思った。

長原が弁当を食べ終わると、幸崎さんと数絵さんに、

「どうですか? 時間もありますし、みんなで少し商店街を散歩でも」

と誘った。

数絵さんはどうしようか迷った。そして、幸崎さんの顔を見た。

「子ども達だけを連れて行ってやってください」

幸崎さんは言った。

「時間もあるし、せっかくだから、みんなで?」

「ハンバーグの作り方を今から研究したいので。すみません」

幸崎さんは断った。

数絵さんは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。


公矢君と美星ちゃんを連れて僕らは商店街を歩いた。僕は、この前、会長に話をした時、商店街への憎しみに矛盾があることに気づいた。そして、冷静さを取り戻した。だから、商店街に対する警戒心が消えた。僕は身構えることなく商店街を歩いていた。八月の日中の暑さは、アーケード商店街であっても逃げられるものではなかった。でも、子ども達は僕らの少し前を元気に歩いていた。公矢君も美星ちゃんも、商店街を歩きながら、建ち並ぶ店を珍しそうに見ていた。

「作戦失敗。誘いに乗って来ず」

「警戒してるようにも思えた。でも、何故だろう? 商店街を散歩するぐらいどうってことないのに」

長原と僕は幸崎さんについて、そんな話をしながら歩いた。


子ども達二人の目には、アーケード商店街はどんな風に映ったのだろう? 僕は子どもの頃、遊園地のように思った。古い硝子のようにくすんだ色合いのアーケードの下、公矢君と美星ちゃんは手を繋いで歩いていた。商店街にある何もかもを目に焼き写そうとしているかのように、じっと見ていた。肉辰、魚迅、一金、サファイア、八峰、それらの看板を見て、店の中を覗く。買い物客と店の者が話しをしている。世間話のほうに夢中なのは、どの店も同じかもしれない。みやび理髪店の前には、赤白青のサインポールが、ぐるぐるぐると回っている。店の大きなガラス窓には、男性モデルのポスターが貼ってある。髪型の見本だけれど、時代遅れだ。僕が幼い頃には既に貼ってあったのだから当然だ。公矢君も美星ちゃんも、今はもう見ないその髪型に、かえって、新鮮さを感じているかもしれない。二人は生まれて初めて見るのだから。酉壱ふとん店が、夏布団の売り出しをしている。鮮やかな赤の夏布団が店先に置いてある。色とりどりのタオルケットもある。商店街の中でも一際、目を惹く場所だ。長原米穀店の大きさには、二人も驚いていた。その大きさから、この商店街で、特別な意味を持つ店なのだということが二人にも伝わっていた。

「長原のひいおじいちゃんが、この商店街を作ったんだ」

「ひいおじいちゃんって、おじいちゃんのお父さんでしょ?」

僕が二人に話すと、美星ちゃんがそう答えた。

僕らは、思わず微笑んだ。


そして、スタックスに到着した。すると、入り口から江美香が出て来た。僕の様子を見に来ていたのだった。僕は気まずくて黙っていた。江美香も同じだった。長原は「塾はどう?」と笑顔で言って、更に、商店街平和大使としてサチザキでアルバイトを始めたこと、今、休憩時間で、幸崎さんの子ども達と散歩をしていることを滔々と説明した。

「長原。暑いから、店の中で話そう」

僕はそう言って皆と店に入った。

テーブル席には誰もいなかった。ランチタイムが終わった後は、以前からこうだ。それに最近、客の数がかなり戻って来ている。だから、心配はない。それより、カウンター席に魚迅の大将一人しかいないことに驚いた。カウンターにはいつも、常連客が二、三人いる。

「今日は商店街の売り出しだから、みんな、忙しいんだ。俺も忙しいんだけど、ちょっと抜け出してきた」

魚迅の大将はそう言って笑った。


公矢君と美星ちゃんは、テーブル席に座って、フルーツパフェを食べていた。母が二人と一緒にいる。二人のために父がパフェを作った。フルーツを果物ナイフで切る時、僕らは、その様子をカウンターから見ていた。左手の使い方が、更にスムーズになっていた。リンゴ、バナナ、オレンジ、キウイと次々に切った。リンゴには、飾り切りまで施し、”木の葉”を作ってパフェにあしらった。それを見て、僕らは、父はもう大丈夫だと改めて思った。それから、魚迅さんが少し世間話をして、次に僕が、江美香に話しをした。江美香は、今日は、塾は休みだった。今日も、きれいにマッシュルームカットが切り揃えてあった。

「この前、突然、塾に行かないって言って、ごめん。全部、僕の失敗なんだ。標準進学コースを選べばよかったのに、安易に、特別進学コースを選んだから、ついていけなくなった。理由は、それだけなんだ。その後、どうしようか考えていたら、会長さんからアルバイトを頼まれて、今、サチザキを手伝ってる。幸崎さんと奥さん二人じゃ回し切れない混雑ぶりだから、それだけに、僕はバイトに入って役に立っていると思える。だから、これで良かったんだ」

僕が江美香にそう言うと、カウンターの中から父が、

「分からないまま塾に通ってても、仕方がないから、まあいいかと思って。実際、幸崎さんの店では長原君と二人で頑張ってるみたいだし。だから、俺も羽津恵も納得してるよ」

と擁護してくれた。

「そうですか。お父さんとお母さんに納得してもらっているなら。私も安心しました」

江美香はそう言った。

ただ、江美香が、本当に聞きたかったことは、江美香が伯父の話をしたことが、突然、僕が塾に行くのをやめたことに関係があるのではないかということだった。でも、僕は暗にそうではないと言っているし、皆の中で、もう過ぎたことになっていると分かって、彼女は、それ以上、考えるのをやめたようだった。

そして、江美香も、

「ところで、幸崎さんの店って、どうして、従業員を雇わないの? あれだけ流行ってるんだから、給料が払えないわけでもないのに」

と皆と同じ疑問を述べた。

「バイトに入ったら何か分かるかと思ったら、余計に分からなくなった」

「僕も同じ……」

僕らはそう答えるしかなかった。

「じゃあ、お店の感じは? 子どもを連れた家族が中心?」

江美香のその質問に長原が答えた。

「男性専用早飯食堂」

「何それ?」

江美香は驚いたが、僕は長原の言語能力に感心した。

そして、長原が、彼の造語の意味を説明すると、江美香だけでなく、父も驚いた。母にも聞こえていたらしく、驚いてカウンターのほうに来た。公矢君と美星ちゃんは、大人しくパフェを食べていた。すると、魚迅の大将が、パフェを食べている二人のほうを見て、

「本当は、あの子達じゃなくて、幸崎さんと奥さんを連れて来たかったんだろ?」

と呟いた。

「魚迅さん。幸崎さんについて何か知っていることが?」

長原が魚迅の大将を見て聞いた。

すると、魚迅の大将は、こんな話を始めた。

「この前の会合で、会長が幸崎さんの話をし出した時、俺の頭の中に、甚田功造さんのことが浮かんだ」

江美香が、はっとして魚迅の大将を見た。

「それで、次の日、会長に尋ねたんだ。幸崎さんのことと功造さんのことに何か関係があるんじゃないですかって。すると、会長はあるって答えた。そして、則勝から忠告されたと言った。則勝は友弘君から相談を受けた。そして、会長のところに来たって言ったんだ。会長選で功造さんと一緒に処分を受けた俺だから分かるんだが、友弘君がこんなに詳しく事情を知ってるはずはない。だから、会長に友弘君は誰からこの話を聞いたんですかって尋ねたら、甚田さんの孫の江美香さんだって」

江美香は、魚迅の大将の話を聞くと、

「魚迅さん。伯父は悪くなかったんですよね? 私が死ぬ前に会った伯父は悪い人じゃなかったんです」

と叫ぶように言った。

「功造さんは悪くなかった。良い人だったよ。そして、商店街の人たちも悪くなかった。みんな、良い人だ。悪いのは、功造さんの成功を妬む気持ちだった。人間の嫉妬とは恐いものだとあの時、俺は思い知らされた。そして、今、成功している幸崎さんの店を見るたび、功造さんのことが頭に浮かんでた。だから、会長が、二人をアルバイトとして幸崎さんの店に入れて、何とか商店街の人たちとの間に交流が生まれるようにと努力している気持ちが痛いほど分かる」

江美香は、「ありがとうございます」と静かに言った。

僕の両親は、江美香の伯父と入れ違う形で商店街に店を構えたため、あまり事情を知らないようだった。

「そこで幸崎さんなんだが、あの人は商店街の中で、肉辰、せがみ、魚迅の三軒だけ利用している。幸崎さんにとって最も重要なのは肉辰だ。ハンバーグの合い挽き肉を買っているからだ。次が、野菜を仕入れているせがみ。うちの店からは、家族で食べる分の魚を買っている。肉と野菜は商店街で買って、魚だけスーパーに買いに行くのは面倒だからだろう。まあ、そのことはいい。それよりも、さっき江美香ちゃんが言った、サチザキは流行っているから、給料も出せるのに、何故、従業員を雇わないのか? この言葉は普通に考えればそうなんだが……」

魚迅の大将の話の意味は誰にも分からなかった。

すると魚迅の大将は続けて、こう話した。

「流行っているから、儲かっていると考えていいのだろうか? 功造さんが始めたジンダシューズは流行っていたし、儲かっていた。利益が出ていたからだ。でも、幸崎さんの店は流行っているが儲かってはいないと俺は思う。何故なら利益がほとんどないからだ」

「どういうことですか? 分かりやすく教えてください」

僕が尋ねた。

「実は、この前、肉辰のおかみさんに相談されたんだ。ある時期から、幸崎さんの店は肉辰で売っている上級牛肉を合い挽き肉に使い始めたんだ。開店して、二カ月した頃からだったとおかみさんは言っていた」

魚迅の大将の話を聞いて、父がすぐに言った。

「肉辰の上級肉は、他の肉屋で言えば、特上ランクの肉です。肉辰は、中級と上級の二つしか種類がありませんが、中と上では大きく違う。うちも肉辰さんの牛肉を使っていますが、中級の肉です。それでも十分に旨いし、値段も相場並みです。でも、上級を使ったら、旨いのは当然だけど、利益が極端に薄くなる。何故、幸崎さんはそんなことを?」

「俺にも分からない。でも、幸崎さんが商店街と関りを持とうとしない理由は分からないが、今の話から、幸崎さんが何故、人を雇わないかの理由が分かるように思わないか?」

魚迅の大将の話を聞いて、長原がとっさに言った。

「幸崎さんの店、バイト代を払う余裕もないんだ。僕ら二人、アルバイトしていていいのか?」

そして、魚迅の大将は、父にこう言った。

「肉辰のおかみさんは、このままのやり方だとサチザキはもたないって心配している。でも、俺は魚屋だ。ハンバーグのことは分からない。だから、了治さん。幸崎さんのことをあんたに頼みたいんだが?」

父はためらった。だが、テーブル席に座る二人の子どもを見て、「分かりました」と頷いた。


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