第三章(夏日の照り返し)5

五.

甚田功造は、大夢町アーケード商店街を追放になった。会長選挙直前の出来事だった。追放になった理由は、会長選に当選するために商店街住人に現金を配ったためだった。現金による買収行為は、いくら大まかな自治会規約でも禁止されている。


住民に現金を配ったのは、魚迅店主大賀幸助だった。

「金は功造さんが自分で配ると言いましたが、そんなことはさせられないと俺が代わりに配りました。こんなことになった責任は俺にあります。俺がいけなかったんだ。スーパー建設反対運動に、もう一度、火がつけば勝てるなんて功造さんに言ってしまったから。それが上手くいかなかったことが、功造さんを追いつめてしまった」


魚迅は、甚田功造から現金を渡され、夜更けに商店街を回った。魚迅から現金を渡された住民は断らずに受け取った。そして、翌朝すぐに長原天のところに、現金を持って行った。皆、冷静だった。誰もが、甚田功造の限界に気づいていた。だから、心のどこかで、このような事態も予想していたのだった。


長原米穀店には、長原天を始め商店主が集まって、魚迅と甚田功造の話を聞いていた。

「全て私の責任です。大賀さんには何の責任もありません」

功造がそう言って皆に頭を下げた。

二人は、いつもと違い会議室の真ん中に並んで座っていた。商店主は二人を囲む形で座っていた。二人と対峙する位置に長原天が座っていた。

「結論はもう出ています。私たちが商店街の人たちから聞いた話とあなた達の話が矛盾していないか確認したかったんです。そこで、事実関係に間違いないことが分かったので、結論として自治会の処分を伝えます。魚迅店主大賀幸助。あなたには、謹慎処分として一カ月の営業停止を求めます」

長原天の声に、魚迅は黙って頭を下げた。

「次に、ジンダシューズ店主甚田功造。あなたには申し訳ないが、この商店街を出て行ってもらうことになりました。あなたとは一緒に商売ができないという商店主の総意です。この大夢町アーケード商店街は信頼で成り立っています」

長原天の声は、いつもより、うわずっているような気がした。

「はい。分かりました。処分に従います」

功造は、いつもと変わらない声で返事をした。


エンゾとレジバも、商店街にいられなくなり、どこかへ行ってしまった。二人も事実上の追放だった。功造は、店の整理をした。店にあったスニーカーを割引セールで売った。この当時、ジンダシューズで扱っているようなスニーカーを割引セールで売ることなど、ほとんどなかった。だから、セール開催初日の一日で完売した。功造は店に溢れる客を見ながら、茫然とした。だが、全て売り切ってしまうと、すっきりとした気持ちになった。全て終わったという思いだった。


功造は処分が出てすぐ母に報告した。すると、千津は予想していたほど動揺しなかった。理由は、処分の意味が、功造が考えているような追放ではないからだった。功造は永久に追放されると考えたが、千津によると、しばらく経って、商店街の人たちの許しが出たら、戻って来られるということだった。どれくらいの期間かは分からないが、功造の場合、誰かの店の金を奪ったとか、誰かにケガをさせたとか、刑事事件になるような深刻なものではない。また、自治会の規約が大まかなのは、こういう場合に融通がきくように、ああしてあるのだと言った。

「功造は、生き急ぎすぎなんだよ。今回のことを機会に、ゆっくりと生きることを学びなさい」

母にそう言われた。


スニーカーを売り切った後、母の話を思い出しながら、店の整理をした。全てが終わるまでに、時間がかかって夜になった。明日にしようかと思ったが、母の話を思い出したことで、今なら、長原会長に会うことに気まずさを感じないと考え、そのまま長原米穀店に向かった。店の鍵を返し、挨拶をするためだった。

長原米穀店の前まで来ると、店から明かりが漏れていた。功造が腕時計を見ると八時だった。長原米穀店はいつも六時過ぎに店を閉めている。功造は店に入ろうとした。人の話し声が店の奥から聞こえてきた。先客だと思って、その場で待った。聞くともなく店の入り口で話を聞いた。二人の男の声が聞こえてきた。


「天さんを裏切って、功造君の応援をして済まなかった。しかも、追いつめられて金まで配ってしまった」

「幸助。聞いて欲しい話があるんだ。実は、商店街の中には、今のことを全て含めても、お前のことは許せるが、功造君のことは絶対に許せないという声がある」

「どうして?」

「幸助に金を配らせたことだけじゃないんだ。むしろ、それよりも、彼は商店街の和を乱す。和を以て貴しとなすっていうことがまるで分かってない。だから、彼には、商店街を出て行ってもらうしかないという意見がある」

「だから、出て行ってもらうんじゃないか?」

「そう。確かに、功造君に既に、そう言い渡した。そして、幸助も知っての通り、この処分は実際には、時期が来たら、商店街に戻って来てもいいという意味が含まれている。彼への今回の処分も当初、そのはずだった。だが……」

「天さん。何が言いたいんだ? 功造君は確かに、他人の感情に鈍感なところはあるが、いい青年だ。しばらく、どこかで頭を冷やしたら、きっとその辺りのことも分かるようになって帰って来る。そもそも、そのためにある処分じゃないか?」

「でも、それじゃあダメだって言う人がいるんだ。甚田功造は永久追放にしろと言う人がいる。絶対にこの商店街に彼を呼び戻すなと言う人がいる。そして、私はその意見に屈してしまったんだ」

「誰がそんなことを言ったんだ? この商店街で天さんより力のある奴って言えば限られている。大鷹酒店のご隠居か? それとも、酉壱ふとん店のじいさんか? いや、たとえ二人がそう言ったとしても、永久追放なんて残酷な処分に天さんを従わせることはできない。もしかして、この商店街の住人全てなのか?」

「聞かないでくれ。もう決められてしまったことなんだ。ただ、このことを誰かに知っておいて欲しかったんだ。誰に命じられたにせよ、私は、甚田功造君に、もう永久追放を言い渡してしまったということを」

「天さん。そんなもの、取り消せばいいじゃないか?」

「できないんだよ。それができれば、お前にこんな話をしていない」


功造は、足音のしないように静かにその場を離れた。聞こえてきた男二人の声は、長原会長と魚迅の大将の声だった。幸助と天さん。二人は兄弟のように育った。そして、実の兄弟以上に仲がいい。だからこそ、長原会長は自らの苦悩を魚迅の大将にだけ打ち明けたのだ。そして、その内容は、長原会長でさえ逆らえない力によって、自分を商店街から永久追放にするというものだった。会長でも逆らえない力? そんな力があるのか? 魚迅の大将は言った。二人の店主の名前を。だが、最も重要な力として商店街の住人全ての意見が会長を従わせたと言った。確かに、商店街の住人の総意ならば、会長であっても逆らう訳にはいかない。ただ、その総意は、どこでまとめられ、いつ会長に伝えられたのか? この商店街には自治会とは別の意思決定の組織が存在するというのか? そんな組織があるはずがない。でも、自分が住民の総意で永久追放になっという事実は間違いないようだ。 暗闇の商店街を歩く功造は、その暗闇の中に自分を憎悪する人たちの目が潜んでいる気がした。そのため、恐怖のあまり彼は走り出した。真っ暗な商店街を走る功造の姿は、狂気じみていた。だが、それほどに彼は商店街にまん延する自分への見えない憎悪に恐怖していたのだった。そして、倒れるように履甚に帰宅した。彼は母にジンダシューズの鍵を渡して、そのまま逃げるように街を離れようとした。だが、母にとめられた。何があったのかを問われ、彼は全てを話した。彼の話に母も絶句した。話を聞いた千津には功造をとめることはできなかった。そして、功造は暗い商店街を抜け、そのままこの街から消えてしまったのだった。

千津は、功造がいなくなってからも、功造から聞いた話は誰にもしなかった。というより誰にも言えなかった。だが、不思議なことに、しばらくして、商店街にある噂が広がった。千津は、その噂を人から聞いて、功造の話と全く同じことに驚いた。そして、あまりにも同じであることから、その噂と功造の話の両方が真実であると確信した。真実を知っている商店街の誰かが、意図的に流した噂だと思ったからだ。でも、間もなくこの噂はタブーとなった。同時に、功造の存在に触れることも、タブーとなった。こうして、江美香の伯父甚田功造は商店街から事実上、抹殺されたのだった。


江美香の話を聞いている間、テーブルの上にコーヒーを置きっ放しにしていた。僕は、カップを手に取りコーヒーを口にした。コーヒーは冷めて苦かった。時計を見ると、もう六時になっていた。夏は陽が長い。窓の外はまだ明るかった。僕は彼女の話を聞く前に、格好をつけて「自分の生まれ育った商店街の真実を知りたい」と言ったことを悔いた。

「その噂がおさまった頃に、私の父が母を連れて、この商店街に戻って来たの。父は伯父が失踪したって思って、祖母のことが心配で帰って来たんだけど、その時はすでに伯父のことはタブーになっていた。祖母に聞いても、はっきりしたことを言わない。だから、ジンダシューズを閉店させずに継いでからも、ずっと疑問を持ったままだった」

「江美香のお父さんは、そんな風にして商店街に戻って来たのか。僕は、商店街が懐かしいから、わざわざ会社を辞めて、この街に帰って来たのかと思っていた。ところで、江美香のおじさんは、街を離れてから、どうしていたの?」

僕が尋ねると、江美香は言った。

「山の中のお寺で修行をして生活していた。伯父は仏門に入ったの」

「そうか。お坊さんになったのか」

僕は呟いた。

「亡くなる直前に、伯父は、病院のベッドで見舞いに来た父に、こう話したの。自分はあの日知った。人間は自分では気づいていなくても、必ず、何かを信じている。そして、それを心の拠り所にしている。私にとって、それがあの商店街だったということを知った。でも、同時に、あの日、その全てを失った私は、仏にすがるしかなかった。そして、仏門に入った。仏門に入ってからは、私は心穏やかに良い日々を送らせていただいた。そう思えば、あの日のことも、感謝するばかりだって」

江美香の話を聞いて、

「それがおじさんの本心ならいいけど、どうなのかな? 僕がおじさんならそんな心境には到達できないと思う」

と僕は言った。

それを聴いた江美香は、何も言わず、ただ黙っていた。


江美香の話を聞いた僕の頭の中には、こんなイメージが湧いていた。これまで僕が知っていると思ってきた大夢町アーケード商店街はフィルムのポジであり、実は、商店街にはネガもあった。江美香の話を聞いた僕の頭の中で、瞬間的に、商店街はポジからネガに反転したような、そんな気がした。そして、今、僕の頭の中にある大夢町アーケード商店街は、ネガフィルム特有の奇妙な世界として映しだされていた。

僕が、ぼんやりとそんなことを考えていると、

「友弘君。大丈夫?」

と江美香が心配して言った。

「大丈夫だよ。もう六時を過ぎてる。帰ろうか」

そう言って僕は席を立った。その瞬間、また、ネガの商店街が僕の頭に浮かんだ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る