第一章 (傘はいらない)6

六.

長原の父の提案で、幸崎さんの店の中で話をすることにした。商店街を訪れた客だけでなく、表通りを歩く人まで僕たちを見ていたからだ。「幸崎さんの店の改装工事も今日は終わったようです。店内を見せてもらいましょう」と長原の父が提案し、幸崎さんが、「どうぞ、見てください」と喜んで皆を店の中に招いた。


店の中に入ると、年季が入り過ぎて元々は何色だったのか分からなくなっていた彦次郎そばの壁紙が、真っ白な壁紙に張り替えられていた。床ははがされてコンクリートがむき出しになっていた。彦次郎そばが、本当に無くなったことに、皆、感慨を覚えた。

長原の父も、店の真ん中に立って、しばらく店内を眺めていた。それから、説明を始めた。長原の父の前には、僕の父、幸崎さん、僕ら三人が集まった。そして、商店主が、その周りを取り囲んで話を聞いた。


「彦次郎そばが閉店して一年近くになります。その間、店舗を借りたいと見に来る人は、決して、多くはありませんでした。しかも、その人たちが、この店舗を借りたい理由は、家賃が、他のテナントなどに比べて安いからというのがほとんどで、この商店街だからこそ、店を開きたいというのではありませんでした」

この商店街は、かつては一等地だった。でも、現在の一等地は、大きなスーパーマーケットのある商業地域だった。それに、かなり離れた場所にだが、ショッピングモールの建設計画もある。大夢町アーケード商店街は世の中から取り残されつつあった。当然、他の場所に比べて家賃が安い。

長原の父は、店舗を見に来た人のリストを書き記したメモ帳をズボンのポケットから出して読み上げた。

「害虫駆除業者の事務所、健康食品販売店、爬虫類専門のペットショップ、カラオケ衣装専門店、新興宗教支部、ボディピアス専門店、猫カフェ、興信所、結婚相談所。メモ帳に書き残した、この店舗を使いたいと訪れた人の使用目的を挙げました。非常にバラエティに富んでいます。しかし、大夢町アーケード商店街の顔としては、相応しいとは言えません。決して、非難しているわけではありません。あくまでも、我々商店街の顔としては、相応しくないという意味です」

僕は、長原の父が読み上げる声を聞きながら、それぞれの来訪者には申し訳ないけれど、イレギュラーな店が列挙されていると思った。

「ちなみに、当商店街の、しっかりと商売のできる人、信頼できる人という条件はこの時点では既に外してあります。条件を設けていては、借り手がいないからです。ただ、これも、誤解があるといけませんので、申し添えますが、この方たちが、条件に該当しない希望者という意味ではなく、当商店街の住人の紹介で訪れた人たちではないことが、皆さんにも、ご理解いただけるはずという意味です。そして、結論として、こちらの望む人は誰も来ませんでした」

僕は、長原の父が、これらの店に対して、どう考えても、ネガティブな印象しか持てないにもかかわらず、一生懸命にフォローを入れていることが、少し可笑しくなった。とても真面目な人なのだ。

「私は、どうして我々商店街の求める人が来ないのか、来訪者の一人、健康食品販売店を開こうとしている人に尋ねました。私と同じ年代の女性でしたが、こう言われました。『この商店街は、今の時代に、よく繁盛していますよね。だから、買いに来るのには便利でいいんだと思います。でも、ここで商売をしようと思うと、将来が不安になるのだと思います。特に飲食店のように長い年月を視野に入れた業種には。私のように、場所をあまり問わない業種とは違うと思います』と言われました。的確な分析だと思いました。それだけに、その話を聞いてから、半ばあきらめていました。でも、そんな時、幸崎さんが現れました」


長原の父の話に、幸崎さんの名前が出た。すると、それまで、長原の父の話を黙って聞いていた商店主から次々に質問の声がした。この間、幸崎さんは、ただ、茫然とするしかなかった。

「幸崎さんには、申し訳ないけど、料理の腕はどのくらいなんだろう? あんたの店を、彦次郎そばを継ぐ商店街の顔にできるだけの腕があるのかねえ。脱サラして、いきなりハンバーグ屋なんて大丈夫なんだろうか? それに、この商店街にはプロの料理人の安森さんの店があるんだよ。ライバルになれるだけの腕前があればまだいいけど、全く足元にも及ばないなら、開店する意味がないんじゃないか?」

魚迅の大将が、ずっと抱いていた疑問をぶちまけたようだった。

「魚迅さん。俺の話はいいですから。場所だって離れていますし、そういう風に捉えるのは、やめましょう」

僕の父が慌てて言った。

「そもそも、幸崎さんの責任っていうより、彦次郎そばの後に店が入らないから、焦って、幸崎さんを入れることにした会長に一番の責任がある。商店街の顔だったこの店舗のシャッターが、閉まりっぱなしになっていることに焦りを覚えすぎたんだ。顔になる場所だからこそ、もっとじっくり粘って新しく入る店を待てばよかったんだ」

一金の店主も言った。一金の店主も、僕たち家族には冷たい目を向けているが、商店街への思いは同じだった。

長原の父が慌てた。

「そんな言い方をするのは、幸崎さんに失礼です。その話はもうやめましょう」

「幸崎さんに失礼って言っても、この人も、もう商店街の仲間です。この度の経緯を全部知ってもらうべきですよ」

宝石店サファイアの店主も言った。皆、これまで黙っていた分、それだけ不満がたまっていた。

「確かに、私の父である会長が、かなり独断的かつ性急に決定した感は否めません。そのため、皆さんが、ずっと不満を抱いていたことにも気づいていたにもかかわらず、何の対応もできなかった私の力不足をお詫びします。ただ、幸崎さんの店はもう開店間近です。皆さん。どうか前向きに考えていただけないでしょうか?」

詫びる長原の父に対して、今度は、甚田のばあさんが、

「うちの息子が幸崎さんを紹介した手前、私もあんまりきついことは言えないけど、会長さんの商店街への愛情が、裏目に出る時には、必ず、こうなる。深情けみたいなところがある。私は、そのことを会長さんに直接ひと言、言いたい。今、会長さんはどこに?」

長原の父にこう詰め寄った。

「父は今、急用で外出していまして」

うろたえる長原の父に、更に何か言おうした甚田のばあさんを江美香が慌てて止めた。

「おばあちゃん。長原君も困ってるから、やめてよ」

そう言われて、孫の江美香の同級生の父親に詰め寄っている自分に気づき、甚田のばあさんは黙った。


その時だった。入り口の引き戸が勢いよく開いて、

「お父さん。お店の準備できた?」

「明日から、ハンバーグが焼ける?」

と小さな男の子と女の子が店に飛び込んできた。その後ろから、二人の母親、つまり、幸崎さんの奥さんが入ってきた。数絵さんといった。

その瞬間、商店主たちが、暗い表情を、さっと明るい笑顔に切り替えた。

「坊や。お父さんのお店は、もうすぐ開店だよ。楽しみだねえ」

「お嬢ちゃん。いっぱい、お客さんが来てくれて、お父さんのハンバーグをいっぱい食べてくれるといいねえ」

甚田のばあさんも、

「越造。とにかくお前は、しっかり幸崎さんの相談に乗ってあげなさい」

と言った。

それを聞いた数絵さんが、

「そのように言っていただけると、心強い限りです。商店街の皆様。どうぞよろしくお願いします」

と言って頭を下げた。

僕はその様子を見ながら、甚田のばあさんも、いいとこあるじゃないか。何で僕の家族を嫌うんだ? と改めて思った。

長原の父は、幸崎さんの家族が現れたことに救われたと思い、

「では、話が途中になりましたが、幸崎さんのご家族も来られましたので、幸崎さんからご挨拶を頂き、お開きにしたいと思います」

と幸崎さんに挨拶を求めた。

幸崎さん自身も、家族に救われた思いで、

「私、幸崎広史。証券会社を辞め、この度、大夢町アーケード商店街にハンバーグステーキ専門店を開くことになりました。家族四人、頑張ってまいりますので、皆様、よろしくお願いします」

と挨拶すると、深々と頭を下げた。

そして、この集まりはようやく散会となった。


僕の父と商店街の人たちが、親しくなるきっかけになることを願った集まりだったが、それどころか、集まりは、その場に不在の会長への糾弾のような形になった。でも、必ずしも、欠席裁判ということでもなかった。何故、幸崎さんの店のことについて、みんなが黙っていたのかの理由が、ようやく僕らにも分かり、しかも、その理由が妥当なものだと思われたからだった。だが、それにより、何かが解決したわけではなく、かえって多くの不安が生じただけのように思われた。そして、その不安は払拭されないまま改修工事は完了し、五日後に、『ハンバーグステーキ サチザキ』は開店したのだった。





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