第一章 (傘はいらない)3
三.
当時の中学生男子の平均身長より、僕も長原も、かなり背が高かった。知らない人が見れば、高校生と間違えた。それに、二人ともマセていた。生まれた時から、商店街の大人に囲まれて育ったから、自然とそうなったのだろう。その二人が背伸びをすると、閉ざされたシャッターの上にある、かつて、彦次郎そばの看板があった部分に手が届いた。木調の風合いのある看板があったのだが、今は外されて、何もない。その何もない部分を触ると、プラスチック板と看板を引っかけていた金具が手に触れた。そして、僕らは手を降ろした。
長原がシャッターの閉まった店舗を見ながら言った。
「店を閉じるということは、店が死んだということだと僕は思う。シャッターが閉ざされた店舗を見ると、僕はいつもそう思うんだ。そして、早く次の店が入ってくれないかと思う。店が死ぬ。悲しいことだ。そして、日本中の商店街の店が死んでいっている。僕はこの大夢町アーケード商店街が、日本中の商店街の最後の砦だと思っている」
「この商店街を守り抜くために、長原は、大学に進学しないつもりなんだな。お前ぐらいの学力があれば、普通はもったいないって思うんだろうけど、それより、僕は、長原に目標があることが羨ましいよ。僕は目標がないから、進学するつもりでいる。何をしたらいいか分からないから」
「まだ、先のことじゃないか。高校に入ったら、その間に何かが見つかるかもしれない」
「そうかな? 長原は子どもの頃から目標がある。僕の父さんだってそうだ。コックになる夢があった。今は指がダメになったから、落ち込んでるけど、その気になれば、旨いステーキが焼ける。旨いステーキの焼き方を知ってるから。でも、居間に寝転がって父さんが聴いているからという理由だけで、R&Bに詳しくなった僕には何もない。長原。僕がギル・スコット・ヘロンを知っていることって実社会で役に立つと思うか?」
「ギル・スコット・ヘロン? 誰だろう。分からない。確かに、そう言われると、役に立つとは言えない。でも、そんな風に考えるなよ。きっと何か見つかるよ」
長原と僕はよくこんな風に話しをした。答えは出ないことは分かっていたけど、お互いに、それで良かった。
「店舗には今度は何の店が入るんだ?」
僕は現実的な話に戻った。
「それが、この前、父さんに聞いたんだけど、飲食店としか教えてくれないんだ」
「まだ、正式に決まってないんだ?」
「いや、決まってるはずなんだけど、何だかはっきり言わないんだ」
やっと、彦次郎そばの後に入る店が決まったのに、長原の父は、何故、長原に話さないのだろう? そういえば、商店街全体で会合をしているから、商店街の人たちもみんな知っているはずだ。それなのに何も言わない。僕の両親は知っていても、あまり子どもに商店街のことは話さない。たとえ新しく入る店が決まった話でも、噂話のようになることを懸念して話さないのが僕の両親だからだ。でも、商店街の人たちは、彦次郎そばの次の店が、同じ飲食店になったこと一つをとっても、喜ばしいはずだ。次の店にも、引き続き、商店街への呼び水としての役割を期待できるからだ。飲食店と聞いて、僕は同業者だから、少し気になる。でも、それ以外の商店街の人たちは、素直に期待しているはずなのに、誰も話題にしない。
僕は、その理由を自分なりに考えてから、長原にこう尋ねた。
「新しく店を借りる人って、僕たちもよく知ってる人かなあ?」
「どうして?」
「うちが店を借りる時、僕のおじいさんから、長原のおじいさんに頼んでもらって、ようやく店舗が借りられた話は知ってるだろ? だから、今回も商店街の人間と近い関係の人になるんじゃないかって。そうなると、僕らもよく知っている人になる可能性が高くなる。 もしかしたら、商店街中の人と顔見知りの人が店を借りるのかもしれない。だから、新鮮味がなくて、誰も話題にしない。長原のお父さんも、わざわざお前に話す必要もないと思って話さないのかもしれない」
「なるほど、確かに、それはあり得るな。そもそも、僕の曾祖父が決めたルールだった。でも、そうなると、この商店街の中は、ますます距離の近い人間ばかりになる。そういうのって、どうなんだろう?」
長原はシャッターの閉まった店舗を見上げながら、そう言った。
「僕もそう思う。もっと違う立場の人を入れないと、商店街全体に視野が狭くなっていく気がするんだ」
と僕も言った。
すると、突然、後ろから、
「何を二人でそんなに一生懸命に喋ってるの?」
と声がした。
その声に僕らが振り返ると、肉辰のおかみさんだった。
「二人が大きな声で話しているから、表通りの人も見てるわよ」
肉辰のおかみさんに言われて、僕らは、表通りを見ると、通りを歩く人がこっちを見ていた。
僕らは話に熱中しているうちに周りのことを忘れてしまっていた。しかも、彦次郎そばがあった店舗は、商店街の玄関である。大きな声で喋っていた僕ら二人を、表通りを歩く人が不思議に思って見るのは当然だった。僕らは通りの人の目に戸惑った。それを見て肉辰のおかみさんは笑った。おかみさんは肉屋のおかみさんだからということではないのだけれど、恰幅のいい人だった。僕らを見て笑う時も、「アハハハッ」と大きな口を開けて笑った。
「すみません。この店舗に次はどんな店が入るかを話していたら、つい周りのことを忘れて」
長原が謝った。
すると、おかみさんが、
「別に謝らなくていいのよ。それより、長原さんの息子さんでも、知らないの? 変ねえ。私は知ってるわよ。次に入る店は、ハンバーグステーキ屋さんよ」
と言った。
「どうして、そこまで知ってるんですか? 僕も父から飲食店だっていうことまでは教えてもらったんですが。それにしても、ハンバーグステーキ屋ですか?」
「そうなんだって。でも、ハンバーグステーキっていえば、安森さんのお店があるでしょ。しかも、安森さんのお店は、その他にもメニューがいっぱいあるのに、ハンバーグステーキだけで勝負するなんて、よっぽど味に自信があるのかしら?」
と肉辰のおかみさんは僕を見て言った。
「店をやる人はどんな人なんでしょう? 僕の父のように、コックとしての修業を積んだ人でしょうか? そうじゃないと、おばさんが言うように、ハンバーグステーキ一本で勝負するなんてできない気がします」
僕は、内心、少し動揺しながらも、それを隠して言った。
「そうよねえ。でも、私もどんな人が店をやるかまでは知らないのよ。商店街の会合には、いつも、うちの人が出てるから。それで、次に入る店の話を聞いても、何だかはっきり言わないのよ」
「僕の父と同じですね。何ではっきり言わないんですかね?」
長原が尋ねた。
「それは分からないけど、私が今、話したことは甚田さんから聞いたことなの。だから、甚田さんに聞けば、詳しく教えてもらえるわよ」
それを聞いて僕が、思わず、「甚田のばあさんですか?」と言いそうになったが、その前に、「履甚さんですか?」と長原が言った。
「違うわよ。そっちの甚田さんじゃなくて、甚田さんのお孫さんから聞いたの。あの子、あなた達の同級生でしょ? 直接聞いてみなさい」
肉辰のおかみさんはそう言った。そして、おかみさんは、商店街を出て表通りを歩いて行った。今から、近くのスーパーに行って閉店前に割引になっている肉を買って来て、品質のチェックをするということだった。肉辰は、ライバルであるスーパーの精肉のリサーチをしているのだった。僕らは、肉辰の企業努力に頭の下がる思いがした。
甚田のばあさんの孫とは、僕らの幼なじみの甚田江美香のことだった。甚田のばあさんと違い、江美香は僕や僕の家族を敵視していなかった。僕は女の子のことを下の名前では呼べないし、呼び捨てにすることなどもっとできなかった。だから、普通なら、甚田江美香のことも、「甚田さん」としか呼べないはずだが、小さい時から、江美香と呼んでいたので、彼女だけは例外的に呼び捨てで呼んでいた。それだけ、異性という意識も薄かったのかもしれない。肉辰のおかみさんに言われた通り、僕らは、江美香のところに話を聞きに行くことにした。法被を夕暮れ前の春風になびかせて歩く長原とともに、僕はアーケード商店街を江美香の店に向かった。江美香の店は、履甚の三軒隣りにある『ジンダシューズ』という靴屋だった。
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