第一章(傘はいらない)2

二.

とはいうものの、父はいつも寝転がってレコードを聴いていたわけではなかった。数人の学生が、ローテーションで一人ずつ店にアルバイトに入っていたのだが、全員が都合の悪い日がある。その日、店は母一人になる。特に大学の定期試験の時には、みんなバイトに来られなかった。その時には、父が厨房に入った。

父は一流ホテルのレストランで、しっかりと修業をしてきただけあって、野菜を切るスピードが非常に速かった。しかも、ランチタイムは特に忙しいから、よけいに速く切った。玉ねぎなど瞬時に切り終わった。ただ、その時、指が真っ直ぐな状態の左手を、そのまま玉ねぎに添えると、包丁で指を切ってしまう危険があった。だから、父は、左手の人差し指と中指をできるだけ、外側に逸らせて、玉ねぎを切らなければならなかった。もちろん、玉ねぎだけでなく全ての食材を。父は左手の人差し指と中指を外に逸らせつつ、その他の親指と薬指と小指は内側に向けた形で食材に添えていた。つまり、常に左手をねじって食材を切っていた。不自然な形で調理をする左手には、不自然な負荷がかかった。僕がカウンター越しに父を見ている時でも、父は度々、食材を切る手を休め、左手を振っていた。「左手がつりそうになる。それに筋肉痛になる」。父は顔をしかめてそう言った。僕はそれに対して何と答えていいか分からなかった。それでも、そうやって苦心して作った料理を食べる人たちから、「奥さんには申し訳ないけど、やっぱり、ご主人の作った料理は美味しいねえ。指のこともあるだろうけど、もっと店に出てよ」と言われると、父も嬉しそうな顔をしていた。そして、母がもっと嬉しそうな顔をしていた。

だが、こういう日は、例外なのだ。本当は、毎日がこういう日でなければならないのに、父は例外にしてしまった。この街に帰って来た時、父は祖父母に、不自由な手でも頑張ると言った。そして、祖父から商店街の会長に頼んでもらってまでして、店を借りたのだ。父もそのことを覚えているから、祖父母のところに行きづらくて骨董屋に近づかないようにしていた。祖父母は時々、遊びに行く僕に、父の様子を聞いては、ため息をついていた。


僕は、父が嫌いではなかった。でも、そんな父に反発を感じてもいた。僕が、学校から帰って来て、すぐに宿題をするのには、そんな気持ちもあった。僕には父が中途半端に思えた。だから、僕は中途半端な人間にならないと決めて、勉強をしていた。毎日、必ず決まった時間に、一定量の勉強をする。怠けたりしない。そうすることで、父に対する反発を解消していたのだ。同時に、抗議の意を表してもいた。ただ、父は全く気づいてくれなかったけど。それと、もしかしたら、これが、僕が店で宿題をする一番重要な理由かもしれなかった。それは、商店街の住人に対して、僕は一生懸命に勉強していますよ、というアピールのために店の窓際の席で勉強をしていたことだった。商店街の人たちの全てではないけれど、働かない父と僕を同一視して、批判的な目を僕に向ける人がいた。その人たちへのアピールだった。僕は小学生の頃は、勉強熱心でもなく、さりとて、不勉強でもない普通の子どもだった。でも、怠惰な父の子どもという色眼鏡で僕のことを見る人がいた。父は、本当は怠惰ではなかったのだけれど。そういう目で見る人に対しては、普通ではダメなのだった。普通以上に努力して、ようやく普通程度として認められるということに僕は気づいた。それが小学校の高学年の頃だった。その頃から、僕は店の窓際の席で勉強するようになった。その甲斐あって成績は上がった。そうしてようやく、「安森さんの子どもだから……」という陰口を聞かなくなった。ただ、それでも、少しでも何かあると、「安森さんの子どもだから、やっぱりね」と囁かれることを僕は知っていた。その偏見に負けまいと僕はもっと頑張った。そして、更に成績が上がった。ただ、そのこと自体は良かったのだけど、その努力に付随してなのか、僕は以前より頑なになった。だが、もしかしたら、その頑なさは、成長するにつれ、父に似てきたのかもしれなかったから、どちらとも判断がつかない。でも、僕が頑なになったことは事実だった。


その日も、店の窓際の席で宿題を済ませると、僕は、商店街のちょうど真ん中にある米屋に向かった。その米屋は、二店舗分の大きさのある店で、商店街の中で一番大きな店だった。そして、米屋のある商店街の真ん中という場所は、商店街における一等地だった。全国の商店街に共通することではないと思うけど、大夢町アーケード商店街においては、そうだった。アーケード商店街の入り口付近も商店街の外を歩く人から店舗や商品が見えるので良い場所だった。ただ、雨風が吹き込むという問題があるため、せっかくのアーケード街の良さが活かしきれない弱点もあった。それら諸々の事情を考えると、雨風が吹き込まない、そして、アーケードの両方の入り口から同じ距離に位置するこの場所が最も良いとされていた。そして、米屋『長原米穀店』が一等地に位置する理由は、長原米穀店こそが、大夢町アーケード商店街創設の呼びかけ人であり、初代会長の店だったからである。もう少し詳しく説明すると、僕の曾祖父が、土地を譲るのを申し出たのが、初代の会長であり、当時の店主だった。そして、その跡を継いだ現在の店主であり、現在の商店街の会長に、僕の祖父が頼んで、父が店舗を借りられたのだった。少しややこしいけれど、そうなる。しかも、まだあった。現会長の長男、つまり、次の米屋の店主を、商店街の住人は、次期会長候補としても期待している。更に、その長男の息子が、僕の幼なじみであり、中学の同級生だった。僕はその幼なじみに会うために米屋に来たのであった。商店街の人間関係が複雑であることの好例だった。この商店街で商売をするということは、こういう濃密で複雑な人間関係を引き受ける必要があるということだった。ちなみに、商店街の会長職は、世襲制ではないのだけれど、長原家の人は堅実で、なおかつ世話好きな人だったので、そうなっている。僕が遊びに行くと、現会長も、「お父さん、どうしている?」といつも心配してくれた。


店に着くと、僕は、いつものように中に入って、「則勝君はいますか?」と聞くつもりだった。長原は店の奥で仕事の手伝いをしていることが多い。でも、その日は、店の前まで行くと、既に長原が店の名前の入った紺色の法被を着て立っていた。背中には〇に長の字と裾の辺りに風に揺れる稲穂の描かれた粋な法被だった。ただ、店の者ですら商店街の祭りの時ぐらいしか着ないのに、長原は、いつもこの法被を着ていた。米屋の次の店主であり、次期商店街会長候補として皆から期待されている父の跡を継ぐのは、自分だという自負心の表れだった。そのため、中学生の時点から既に商店街のことに気を配っていた。今から、商店街の見回りをするのだった。見回りといっても、中学生の長原に特に何かできるわけではなかったから、文字通り、商店街を見て回っていただけだったが。また、彼は大学に進学するつもりはなかった。それよりも、高校を卒業したらすぐに家業に専念すると決めていた。長原米穀店は商店街の中心的存在である。その家業に専念することで、大夢町アーケード商店街全体の発展に貢献するつもりでいた。現実には、発展というより、商店街の生き残りをかけた、時代の流れとの闘いをする覚悟だった。長原は商店街への深い愛情を持っていた。


法被を着て立っている長原に僕が、「どうしたんだよ?」と尋ねると、

「お前を待ってたんだよ」と彼が言った。

それから僕らは並んで、商店街を歩いた。夕暮れにはまだ早かったが、春の夜の匂いがした。肌寒くなってきたので、僕はいつも着ているねずみ色のセーターの袖を少し伸ばして中に手を入れた。中学三年生の四月のことだった。

長原が、歩きながら、僕に説明した。

「例の商店街の空き店舗だけど、借り手が決まったんだ。だから、見に行こうと思って」

「やっと決まったのか。でも、借主は今、店舗にいるの?」

「分からないけど、一応、見に行こうと思って」

「いなかったら、シャッターが降りているだけだから、何も見られないじゃないか。多分、誰もいないだろうし」

僕らは、そんなことを話しながら歩いていた。

すると、向こうから来た『魚迅』の大将が、

「則勝君。今日も見回りかい。頼もしいね」

と笑顔で話しかけてきた。

長原は、空き店舗を見に行く話をして、それから、「友弘も一緒に行くんです。スタックスの安森さんの長男です」

と大将に言った。

すると魚迅の大将は、

「友弘君のことなら、この子が小さい時から知ってるよ。それに、お母さんが、いつも、店で使う魚を買いに来てくれるんだ。毎度どうも。ありがとね」

と僕のほうを見て笑った。そして、自分の店に向かって歩いて行った。長原は、とても親切な奴だった。商店街の見回りに僕を同行させるのも、商店街の住人に僕を理解させるためであった。「安森家の長男は、こんなに良い子ですよ。それに、安森家の人たちも皆、良い人なのですよ」と伝えるために、長原は見回りに僕を同行させていたのだった。ただ、長原は、抜けているところがあった。商店街の人間模様は彼が考えているより、ずっと細かなものだったのだ。つまり、さっきの魚屋の大将同様、肉屋の『肉辰』とか、青果店の『せがみ』のように、直接、うちの店と取引のある店に関しては、父に対しても、僕に対しても偏見はないのだった。皆、喫茶店にもよく来てくれる。問題は、そういう取引のない、つまり、交流のない店、履物屋『履甚』の甚田のばあさん―と皆から呼ばれていた、金物屋『一金』、宝飾店『サファイア』などが中心となって、僕たち家族を嫌っていたのだった。甚田のばあさんが、僕らを攻撃するリーダーだった。小柄で、いつも、地味すぎて何色か分からない着物を着ていた。その他の商店街の住人は、僕たち家族に対して、特別な感情を持っていなかった。甚田のばあさんの発言に同調する時もあれば、長原の会長さんにいさめられて、僕たち家族の味方になる時もあった。つまり、気まぐれなのだった。という細かな商店街の人間模様を把握しないまま、長原は僕を見回りに同行させていた。だから、魚迅の大将に改めて僕を紹介したりするのだった。でも、長原の良さは、そのちょっと抜けているところだった。そういう緻密すぎない、少し間の抜けたところがあることが、かえって、商店街の住人に安心を与え、信頼を得ているのだった。これは、長原の父、祖父も同じだった。もちろん、意図的にそういう性格を演じているのではない。自然にそうなるから、皆に愛されていた。


それからも、長原はすれ違う商店街の人たちに、「いつもご苦労様です」と如才なく挨拶をして歩いた。

その隣で、僕は甚田のばあさんのことを考えていた。何故、あの人は、僕たち家族をあんなに憎んでいるのだろうと改めて不思議に思った。実際、そんなに恨まれるほどのつき合いもないのだ。

そうやって、うつむいていた僕に、「おい。友弘、着いたぞ」と長原が声をかけた。

そして、長原の声に我に返って顔を上げると、空き店舗の前まで来ていた。空き店舗は表通りに面した米屋に次ぐアーケード商店街の一等地の入り口にあった。以前は老舗のそば屋だったのだ。老夫婦がやっていたのだけれど、夫が亡くなり、妻も高齢のため廃業した。跡取りもいなかった。この店は、アーケード商店街にとって、重要な意味があった。アーケード商店街の玄関口であるこの場所に、このそば屋があることで、表通りを歩く人たちが、そば屋から漂ってくるだしの香りに惹かれ、そば屋に入り、ついでにアーケード商店街で買い物をするという、謂わば、呼び水的な効果があった。それだけではない。そば屋は、『彦次郎そば』という店だったが、戦前からの長い歴史がある店で、戦後、アーケード商店街に移ってきた時には、既に地元で知らない人のいない老舗有名店だった。だから、大夢町アーケード商店街が出来た時、彦次郎そばが長年培った信用が、にわか作りだった商店街を支えてくれた。彦次郎そばは商店街の顔だった。そのそば屋が廃業したのであった。商店街にとって大きな痛手だった。僕らは、長年そば屋だった空き店舗を二人並んで見ていた。シャッターを下ろした空き店舗は永遠に沈黙してしまったように思われた。



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