第一部 第一章 (傘はいらない)
一.
僕が子どもの頃、両親は、今はもう無くなってしまった商店街の中で喫茶店を経営していた。商店街の名前は、『大夢町アーケード商店街』といった。それほど大きな商店街ではなかったけれど、アーケードもあり、高度経済成長期には、商店街も人で溢れていたということだった。僕が子どもの頃には、もうそういう光景は見られなかったが、それでも、地元の常連客で商店街はにぎわっていた。僕が大夢町アーケード商店街に生まれ育ったことで、一番印象に残っているのは、雨の日でも傘がいらないことだった。アーケード商店街だから、当然のことではあるけど、大雨の日でも、傘をささずに、同じ商店街に住む友だちのところに遊びに行けることが、僕にはとても嬉しかった。アーケード商店街の人たちが皆、大きな屋根で守られている一つの家族のように思えたからだった。実際には、商店街の中にも、社会があり、難しい人間関係があった。それでも、僕は雨粒がアーケードをたたく音が聞こえる中を走りながらこう思った。
「僕たちは、いつも見上げれば空に天井がある。だから、僕たち商店街の住人は、特別なんだ。何が特別かって? 毎日、見上げると空に天井がある人たちなんて、そうそういやしない。青空と雲と星と夜空のかわりに、僕たちの上にはアーケードがあるんだ。これを特別と言わずして何と言おうか」
そして、僕は上を見る。すると、いつも空には天井があった。それが、僕の生まれ育った場所、大夢町アーケード商店街だった。
その商店街の中で両親が経営していた喫茶店は、『スタックス』という名前の店だった。店の名前は、父の好きなR&Bのレコードレーベルに由来した名前だった。だからといって、店内にソウルミュージックやブルースの曲が流れていたわけではなかった。音楽は流れておらず、代わりに、商店街の常連客の話し声や笑い声がいつも聞こえていた。僕は中学校から帰ると、すぐに店の窓際のテーブル席に座って宿題をしていた。面倒だからという理由だけで部活に入っていなかった僕は、いつも四時過ぎには帰宅していた。その時間帯は、ちょうど店も空いているから、カウンターの中にいる母も何も言わなかった。店が混んでくると「友弘。家でやりなさい」と母は言った。店の命名者であり店主である父は、店にいなかった。パチンコに行っているか、それ以外の時は、父は店舗の奥にある住居部分の居間にいた。自分で組んだ大きなステレオセットの前に寝転がってレコードを聴いていた。店名にもなっているスタックスのレコードやソウルやブルースの曲が、店内ではなく居間で流れていた。僕が店で宿題をする理由だった。大きな音で父が音楽を聴いているので、勉強に集中できなかった。ソウルシンガーがシャウトしたり、ブルースハープの音が鳴り響いたりしている部屋の中で、勉強に集中することは、僕以外の誰でも難しかったと思う。そして、もう一つの理由が、父が何もせずに居間にいる姿を見るのが嫌だからだった。父は、元々、大きな一流ホテルでコックとして働いていたプロの料理人だった。母は、そのホテルのレストランで接客係として働いていた人であり、料理については素人だった。母は華奢だった。その母が、毎日、一人でコーヒーを入れ、カレーチャーハンやハンバーグステーキを作っている姿を見ると、僕は痛々しく感じた。僕は、父にちゃんと働いて欲しかった。でも、父の左手を見ると、そう言えなかった。
父の左手の人差し指と中指は、常に真っ直ぐになったままだった。言い換えれば、指を曲げられないということで、何故、そうなったかというと、ホテルに勤めていた頃、父はその街のヤクザと喧嘩をして、指を潰されたのだった。
この話は、商店街の近くに住んでいた祖父から聞いた。
「指を潰されるって、どういうこと?」
と尋ねる僕に、
「指を潰されたっていうのは、了治が二度と、料理が作れないように、左手の人差し指と中指の関節の骨を粉々にされたっていうことだ。ヤクザっていうのは恐いんだ。そのヤクザと喧嘩なんかした了治が馬鹿なんだ」
祖父がそう教えてくれた。
その時、僕は小学校の低学年だったが、祖父は、そうやって、ありのままを話した。祖父は僕を子ども扱いしない人だった。いつも対等に扱ってくれた。ただ、この話に関しては少し配慮してくれても良かったのにと当時の僕は思った。それから、祖父は、父と母について大事なことを教えてくれた。父と母が結婚し、商店街に店を開くことになった経緯についてだった。
祖父母は、流行らない骨董屋をやっていた。でも、骨董屋は半ば祖父の趣味でやっていただけだった。実際の仕事は、安森家が昔から持っている土地の上に建てた貸しビルとマンションの管理であり、安森家の収入は街に幾つもある貸しビルとマンションの賃貸料であった。この不動産事業を手がけたのは、僕の曾祖父だった。才覚のある人だった。でも、金儲けが目当てでやったのではなかった。戦後復興期、街が急速に開発されるとともに、それまで不動産価値のなかった安森家の土地の価値が上がった。元々は、農作地とその他用途のない漠然とした所有地が開発地区に入ったことにより、土地の値が高騰したのだった。これは決して喜ばしいことではなかった。何故なら、所有する土地の税金が上がり、安森家にとって大きな負担となったからだ。そこで、曾祖父はそれらの土地を不動産として運用することにした。結果、安森家は経済的に豊かになったが、曾祖父はそれ以上何かを求めることはしなかった。人間が欲深くなることの危険を知っている人だった。そして、祖父も基本的には同じだった。ただ、祖父は曾祖父と違い、何かをやってみたいという潜在的な願望のある人だった。でも、あれこれ考えるのは好きだったが、自分にはそれらを実行する力はないと思っていた。そこで、祖父は父に期待した。実際に、父は祖父とは違い子どもの頃から行動力があった。高校に入ると、父は祖父母に、当時、街にあったレストランでアルバイトをしたいと言った。小遣い稼ぎというより、一日も早く実社会に触れてみたい。その手段として、レストランでアルバイトをしたいと言った。祖父母は父に甘かった。学校に内緒でやるアルバイトにもかかわらず、むしろ喜んで許した。しかも、学校には見つからないようにという条件までつけて。だが、アルバイトを続けた父は、高校を卒業したら、どうしても、コックになりたいと祖父母に言った。実社会を知るために、コックのアルバイトを始めたはずの父は、そこで、コックの仕事に目覚めてしまったのだった。当初、祖父は反対した。大学に進学して、卒業してからは祖父に代わり、祖父の抱いていた漠然とした夢を父に実現して欲しかった。でも、祖父は懇願する父を見て考えさせられた。自分の夢の実現を息子に期待することは、親のエゴではないのかと。しかも、その夢とは、客のいない骨董屋で、一人、椅子に座ってぼんやり見ている白昼夢のようなものではないのか。そう思うと、祖父は、同じく反対していた祖母に相談して、父がコックになるため故郷を離れ都会に出ることを許した。
それから、十年も経たないある日、父は左指を二本折られて、羽津恵と名乗る若い女―当時の母―を連れてこの街に帰って来た。その時、祖父は後悔した。これならば、父の意志を尊重せず、たとえ、白昼夢であったとしても、自分の夢を押しつけて、この街にとどまらせておくほうが良かったのではないか。そうすれば、指を二本ダメにすることもなかったはずだからと。
「わしもばあさんも、ただ茫然とした。全てが終わった気がしたよ。でも、話を聞いてみると、了治は了治なりに今後のことを考えて帰って来たことが分かった」
と祖父は言った。
祖父が僕にその話をしてくれた場所は、骨董屋の事務机のところだった。僕は丸椅子に座って祖父の話を聞いていた。その時、祖母が、麦茶とオレンジジュースを盆に載せて持って来てくれたことを覚えている。客の来ない店だから、そんな込み入った話にもかかわらず、祖父は僕に、店先で話をしていた。入り口の白いカーテン越しに強い西日が差していた記憶があるから、夏の終わり頃のことだった。祖母は、その時、祖父の話を止めなかった。僕は、まだ小学校の低学年だったが、父と母のことについて、僕に教えておくべき良い機会だと思ったのだろう。祖母も僕を子ども扱いしない人だった。だから、何も言わず、机の上に麦茶とオレンジジュースを置いて、また奥に戻って行った。祖母は祖父とは違い、口数が少なく思慮深い人だった。ただ、祖父が浅慮な人だったということではない。祖父は背が高く、痩せていた。父も僕も祖父に似た。祖母は小太りな人でどっしりとした感じがした。対照的な夫婦だった。
父は祖父母に、大夢町アーケード商店街に店舗を借りて母と二人で喫茶店をするつもりだと言った。喫茶店で軽食を作るぐらいなら、左指がダメになった自分でもできる。そして、経営が軌道に乗ったら、母と結婚するつもりだ。そのためにも、祖父から商店街の会長に話しをして欲しいと言った。祖父はその話を聞いて、なるほどと思った。全く知らない街で店をやるより、地元の商店街に店舗を借りて店をやるほうが、色んな意味で安全だ。父には短気なところがあり、それが、この度の喧嘩に繋がったと祖父は、父を自分たちの目の届かない都会に行かせたことを悔いていた。父自身も、祖父母の目のある場所に身を置くべきだと反省していたのだった。ただ、商店街に店舗を借りるのは、父だけでは無理だった。父も地元の人間である。商店街の人とも顔見知りだったが、商店街の一員として店を構えるとなると話は別だった。大夢町アーケード商店街は、しっかりと商売ができる人間、そして、信頼できる人間しか店を借りられなかった。それが、大夢町アーケード商店街の繫栄の秘けつだったからだ。戦後すぐに商店街が開設された時の初代商店街会長の信念であり、それがその後も、商店街に受け継がれていた。父の場合、大きな問題があった。ヤクザと喧嘩をしたこと、ハンディのある左手の問題、更には、土地の者ではなく、しかも、結婚もしていない女性と一緒に店をするということ。これらの問題を抱えた父を、商店街は受け入れるはずがなかった。そこで、父は、祖父から商店街の会長に頼んで欲しいと言ったのだった。何故なら、曾祖父が、戦後すぐに商店街を作る時、この場所に幾らか所有していた土地をほとんど無償に近い形で、商店街のために譲ったという事実があるからだった。このことからも、曾祖父が金儲けの人ではなかったことが改めて分かる。だから、父は祖父母に口添えを頼んだ。そして、祖父が、父と母のことを商店街の会長に頼むと、快く応じてくれたということだった。それから、祖父母は、父と母をすぐに結婚させた。祖父母は、父に連れられて来た母に最初は驚いたが、母と話をするうちに、その人柄を知り、信頼するようになった。母は、家庭的に恵まれず、帰る故郷もない人だった。そのことにも同情して、祖父母は父と結婚させて母のことも見守ろうと思った。祖父母は、一人息子の父に甘すぎるところがあったが、優しい人たちだった。
「喫茶店を開店する前に、すぐに籍を入れさせたんだ。了治も身を固めれば、商売にも本気で打ち込むだろうと、ばあさんと相談して。せっかく一流のホテルで修業していたのに、ヤクザと喧嘩をして指をダメにしてクビになった了治に、あんなに優しく接してくれる羽津恵さんのような人は二度と現れないと思った。だから、強引に結婚させたんだ。でも、羽津恵さんには悪いことをしたかもしれん」
祖父がそう言うと、複雑な表情をした。
僕が祖父の話を聞いた、小学校の低学年の時、既に父は、喫茶店は母に任せきりで、パチンコに行くか、部屋に寝転がって、レコードを聴いていた。だから、僕にも、祖父の言葉の意味がよく分かった。
父は、故郷に帰って来て、母と一緒に、やり直そうという意気込みがあった。そして、商店街に店を借りて喫茶店を始めた。真っ直ぐなままの左手の人差し指と中指を包丁で切らないように苦心しながら、料理を作った。カレーライス、チーズグラタン、ハンバーグステーキなど。どの料理も、好評だった。店は繁盛した。でも、ある日突然、父は厨房に立つのをやめた。ホテル時代に、作っていた料理と比べて、格段に味が落ちていることに絶望したのだ。そして、その原因が、食材費を安く抑えるために、ホテル時代のような高級食材を使わなくなったからではなく、ヤクザと喧嘩をして潰された左手の二本の指にあることに気づいたからだった。父は自分の愚かさに絶望したのかもしれなかった。そして、僕は、コックとして輝く父の姿を見たことがないまま成長した。代わりに、R&Bに詳しい子どもになった。学校の帰り道、いつも、インプレッションズの曲を口ずさんでいた。
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