第30話:もう本当に大胸筋です
我が家にも時々光ってイケメンになる仏像様がいるけれど、このイケメン様の生物兵器っぷりは比べ物にならなかった。
なにせ件の仏像様は普段が普段だ。石像が超高性能な音声合成ソフトを介して喋っているようなもので、彼は七三分けとメガネと無機物化スキルを駆使してフェロモンの流出を抑える技に長けている。
しかし、こちらの御仁は一切の対策を施しておらず、抑えようという意思すらも感じられない。
女子を悶えさせる有毒ガスが、継続的に体内で生産されており、既に飽和状態にある模様。
それは、おそらく油田から無害なガスと一緒に出て来る硫化水素のようなものだろう。吸うと瞬く間に呼吸中枢をやられてノックダウン。下手すると死に至る。
酸素を求めてハァハァ悶えたくないのなら、大至急、避難した方がいい。
「あの、もう本当に……」
彼の胸とわたしの顔の間にある隙間が徐々に狭くなって来ていた。彼の服に顔が付かないよう、左手を差し入れる。
すると、わたしの指にふかっとした感触がした。
あああああっ!
大・胸・筋……!!!!
俗に言う「雄っぱい」である(悶絶)
「もっ、だっ、大丈夫ですので」
うっかり「大丈夫」を「大胸筋」と言い間違えそうになった。
ええ、もう本当に本当に大胸筋です……。
悶絶している間にも、顔と大胸筋の隙間が減ったような気がした。
ちょっと待って頂きたい。
頭を整理させて頂きたい。
わたし、この方のお名前も知らないですよね?
っていうか、あの……どちらさまでしょうか?
こちらの動揺を嘲笑うかのように、彼は耳元で「まだふらついている。無理は駄目だ」と囁き、わたしの残り少ない精神力をガスッと削り取る。そしてさらに力を入れて抱き寄せた。
あああ~~~ッッ……!
本日のわたしの罪状に「イケメンにギュッてされる罪」が追加された。もう、殺すか離すかどちらかにして頂きたい(泣)
なんで……
なんでこんなことに……?
足元はおぼつかなかったものの、どうにかして彼から離れようと、両手でグッと彼を押し返そうとした。
ところが右手に強い痛みが走って力が入らず、「ただ彼の大胸筋に両手で触れただけ」という、大変不本意な結果に終わってしまった。見方によっては、もう痴女と大して変わらないところまで来ている。
今日は何をしても駄目だ。何かするたびに、物事がマイナスの方向へと向かって行く。
「帰ったら医者か治癒師に診てもらった方がいい」
彼は少し力を緩めると、優しげな微笑みを落として来た。天然なのか、それともわざとなのか……いずれにせよ、尊い微笑み。
心臓に杭を打たれた吸血鬼のごとく、わたしの心は断末魔を上げた。
彼の腕の中は、ピタッとハマったジグソーパズルのように居心地が良かったけれど、いくらなんでも公道で長時間この状態はおかしい。
助けて頂いた御恩は後日お返しすることにして、イケ仏様の元へ戻ろうと考えた。
「もし、ご迷惑でなければ、後日お礼をさせて頂きたいのですが」
わたしの足りない脳みそだと菓子折とか高級フルーツくらいしか思いつかないけれど、侍女トリオに相談すれば良いお礼の品を選べるはず。
「いや、お気遣いなく。しかし……」
「はい」
「もし、お困りのことがあれば連絡を。必ずお役に立てると思う」
彼はジャケットのポケットから手帳とペンを取り出し、わたしを胸の中にしまったままの状態で、器用に何か書いて渡してくれた。名前と騎士団宿舎の住所が書かれていた。
「ヴィル、エ、ルムさん?」
「ヴィルヘルム。ヴィルと呼んで欲しい」
「ヴィルさんは、騎士様だったのですね」
彼はふっと微笑んで「うだつの上がらぬ一兵卒というやつですよ」と言った。
微笑んだ時の顔面が神々しすぎて、ほぼゼロに近い精神力が底まで削り取られた。
見た目だけなら第一騎士団っぽいけれど、彼は違う組織の人だ。
なぜなら今日、第一騎士団は全員が出勤している日で、二か所の訓練所に分かれて厳しい訓練を受けているからだ。私服で街中を歩いている人はいないはず。
「ご令嬢が一人で外出とは考えにくいのだが、護衛の方々は?」
「多分、大通りでわたしを探していると思います。そろそろ戻らなくては」
「では、通りまで送ろう」
「何から何まで、ありがとうございます」
彼はわたしが落とした文具店の買い物袋を拾ってくれた。
こんなにカッコよく落ちた物を拾う人がいるんだなーと、つい見とれてしまう。はっと我に返って慌ててお礼を言った。
大通りに出て左右をキョロキョロしていると、少し離れた場所でイケ仏様が血相を変えてわたしを探しているのが見えた。
こういう時に背が高いと助かる。
「あ、いました。良かったぁ」と言うと、ヴィルさんは「良かった? 貴女を見失った護衛なのに?」と、眉をひそめた。
「とても頼りになる方たちです」
「そうか。そんな護衛を撒いた貴女は、相当なお転婆とお見受けした」
「う……っ」
ぎゃーん、ちょっと気にしていたのにー。
顔から火が出そうだったので肩に落ちたヴェールを被り直そうとすると、彼がクスクスと笑いながら掛けてくれた。
また罪状が増えた(泣)
改めて頭を下げてお礼を言うと、彼は痛くない方の手の甲に軽くキスをして「またお会いしよう」と言い、買い物袋を渡してくれた。
表面上どうにか平静を保って別れたつもりだけれど、もしかしたら顔が真っ赤だったかも知れない。
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