第35話:厨房へダッシュです

 当日、わたしは久々に『ぺったんこ靴』を装備した。

 まずは侍女が護衛の騎士様を部屋から引き離す。

 そのタイミングを見計らって、いつも内側から鍵が掛かっている浴室のドアをそっと開錠し、裏から脱出。

 そこからはメイドさん達が使う従業員用の廊下と階段を使い、厨房へと一気に突っ走るだけだ。


「アレ、あっさり着いちゃった……」


 拍子抜けするほどスムーズに厨房へ到着してしまった。

 料理長が笑いながら出て来て「どうも、お早いお着きで」と言った。


「オーディンス殿に叱られるご覚悟のほどは?」

「お小言ぐらいではヘコむ気がいたしません」


 すっかり顔なじみの料理人たちは、口々に「さすが」と言って笑っていた。

 厨房の人々は先代の好き嫌いで大変な苦労をして来ており、何でも食べられて料理好きのわたしをいつも歓迎してくれる。今回のワガママにも、かなり前のめりで協力してくれた。


 バレないように料理をするには、仲間が必要不可欠だった。

 料理長には予め必要な材料と道具を伝えておき、事前に作業工程の打ち合わせもした。

 侍女トリオはわたしの部屋に残り、自作の台本に沿って三人で四役を演じている。まるでわたしがいるかのようにカモフラージュ中なのだ。隠れてこっそり見てみたいけれど、我慢我慢。


 エプロンに三角巾、さらに『はしたない腕まくり』をして手を洗い、振り返ると料理長が親指を立ててウィンクをした。


「準備は出来ていますよ、リア様」

「頑張りますっ」


 頼んでいた通り、作業台に冷え冷えの材料がドンと運ばれて来た。パイ生地づくりは温度が大事。材料が揃っていることを指差し確認し、いざ開始。


 用意しておいてもらったスケッパーを使い、粉の中でバターを手早く切りながら混ぜ合わせる。

 プロに見られながらの作業は少々緊張するけれど、時間もないし黙々と最少の手間で頑張るのみ。


「てっきり捏ねるのかと思っていました」

「捏ねちゃうとサクサクに仕上がらないので、手早く切り混ぜる感じですねぇ。手が冷たければ、後半は指でつぶすと早くて……」

「なるほど。よし、リア様に続け!」

「はいっ!」


 なぜかわたしと全く同じ分量で用意した材料を、料理人がこちらを見ながら真似をして同じように作り始めた。

 厨房にトントントントン……と、バターをカットする心地良い音が響く。


 お菓子の価値については、料理長から色々と教わった。

 王都ではクリーム系・バター系お菓子は、基本的に少し高価だ。ただ、すべてが高いかと言うとそうではなく、「冷蔵に費やしている経費による」という言い方が適していそうだ。

 この世界には電力がなく、その代わりに魔力がある。魔力は天人族しか使えないので、高価になりがちだ。

 この宮殿には、魔力を持った天人族の騎士が出入りしているので、大きな冷蔵室は常に冷えているし、氷も潤沢にある。食品の冷蔵には困っていない。けれども、ヒト族の一般家庭や商店でそういった環境を整えるのは、それなりに先立つ物が必要だし、維持するにもお金が必要らしい。

 その冷蔵にかかる設備費が商品代に転嫁されるので、商人のスペックによって高かったり安かったりするわけだ。

 わたしはこの恵まれた環境に感謝をしなくてはいけない。例えそれが、日本ではごく当たり前のことだったとしても。


 侍女長は「お粉が付いても目立たないように」と、ピンクベージュのドレスを準備してくれていた。

 リボンは後ろに大きなのが一つあるだけで、調理の邪魔にならないよう髪も編み込みでフルアップ。皆に協力してもらえたおかげで作業に没頭できた。


 冷水を加えて生地をまとめ、何層にもなるよう折り畳んでは伸ばす作業を繰り返す。

 ここまでやれば、あとは冷蔵庫様にお任せだ。乾かないようにして、一時間寝かせておく。


 「あとでまた来ます」と伝えて厨房をあとにすると、大慌てで階段を駆け上がり、浴室のドアから滑り込んだ。

 ベランダで服に着いた小麦粉をはたくと、侍女と集まり、ひそひそ首尾を報告し合った。



 一時間後、再び四人の連携プレイで厨房へ突撃。

 アーモンドスライスなどを乗せて仕上げ、焼き窯に入れたら料理人チームにお任せして厨房をシュバッと脱出。

 隠れて屋敷の中を移動するのは大変だし、もう、とにかく大忙し。

 しかし、苦労の甲斐あって、サクサクのアーモンドパイが三時のティータイムに並んだ。

 わぁい♪


 香ばしいバターの香りが屋敷中に充満する中、パイとお茶を頂く……。まさに至福の時間だ。

 もちろん日本の名店の「あのパイ」には敵わないけれども、こちらには焼き立てという最強のアドバンテージがある。


 わたしが厨房に行っている間、クローゼットがある支度部屋で、舞台(?)に立ち続けていた侍女三人は、「こんなに素敵なご褒美があるなら何度でもやりますわ」と絶賛してくれた。

 料理人たちが一緒に作ったため、大量のパイが完成し、宮殿中のスタッフに「神薙様のパイ」と言って振る舞われた。


 皆の笑顔が見られてほっこり気分。

 ティータイムは盛り上がり、今の王都ではこれ以上ないお礼の品だと太鼓判を押してもらえた。

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