第3話:スライディング土下座

 せめて、今思っていることは伝えておこうと思い、ささやかだけど幸せを感じていた日本での暮らしについて話した。

 今日この国に何もかも奪われてしまったこと。それがとても悲しくて腹立たしいこと。残された人たちの気持ちを考えると、辛くて生きている心地がしないこと。

 願わくは全部返して欲しい。それが叶わないのなら、これ以上、いかなるものもわたしから奪わないでほしいとお願いをした。途中で感極まって泣いてしまったし、あまり上手く話せなかった気もする。

 彼らがどのように受け止めたのかは分からないけれども、わたしが話し終える頃、陛下の顔は凍りついたように真っ青。そして、くまんつ団長はカチカチに凍ったホッキョクグマになっていた。まるで凶悪犯に銃を突きつけられて脅迫でもされているような顔だった。

 どうしてそんな顔になるのだろう? と、頭の中のハテナマークは増えていく一方だ。

 ただ、陛下の態度が劇的に変わったので、何かしら伝わったのだろう。

 くまんつ団長はわたしのそばにひざまずいて、ハンカチで涙を拭いてくれた。優しくていい人だ。


 静寂を破ったのは、陛下がおいてけぼりにしてきた部下が走ってくる足音だった。

 バタバタバタバタ……

 ドカンッ! 「おあっ!」(多分ぶつけた)

 バァン!(ドアが開いた)と騒々しい。


 サロンに駈け込んできたオジサンを、くまんつ団長は「宰相」と呼んだ。痛そうに顔をしかめ、肩で息をしながらこちらへ向かってくる。

 陛下に比べると小柄で細身。理系っぽいクレバーな印象を醸し出している方だった。


「神薙様ッ!!」

「ひ……っ」


 宰相はわたしの前に滑り込むようにして膝をついた。

 びっくりした。その外見からは想像がつかないほど声が大きい。思わずくまんつ団長のぶっとい腕につかまってしまった。


「この度の魔導師団の不祥事! 誠に、誠に! 申し訳ございませんっっ!!」


 ひゃぁぁぁ……。

 初対面なのに、まさかのスライディング土下座だ。な、なんということでしょう。オデコが床のカーペットに着いている。

 くまんつ団長はハンカチでわたしの涙を押さえながら、サッと宰相から目を逸らした。見てはいけないものを見てしまったときの、バツの悪そうな顔をしている。


「うるさくて申し訳ない。宰相のビル・フォルセティだ。これでも普段は冷静で、私の良き右腕だ。はーやれやれ、今日は色々ありすぎたな。彼もいっぱいいっぱいだ」


 イケオジ陛下はちょっぴり呆れ気味で宰相を紹介してくれた。

 わたしが引きつりながらハジメマシテの挨拶をしている間も、宰相のオデコは床に着いていた。

 なんだか「もういいですよ」と言ってあげたい感じになってくるからズルイ。


 頭を上げた宰相は、陛下に向かってバーッと早口で報告を済ませると、再びわたしに向き直り「本当に申し訳ございません」と深く頭を下げた。


 わたしを監禁しようとした魔導師団は、くまんつ団長の判断で口裏を合わせられないよう全員独房に入れられたそうだ。現在も取り調べが続いており、宰相はその陣頭指揮を執っていたらしい。

 余罪があるらしく、新聞社に対する情報統制についての話もしていたので、もしかしたら、そこそこセンセーショナルな事件なのかもしれない。見事なスライディング土下座は、捜査の過程で判明した諸々を踏まえてのお詫びだったようだ。


「大臣がこぞって魔導師団を潰せと言ってきております」と、宰相が言った。

「構わん。すべて吐かせてから潰せ。私も神薙も、魔導師団など必要としていない」と、陛下が答える。


 くまんつ団長は陛下と宰相の会話を聞いて目をまん丸にしていた。魔導師団が潰されることも結構な事件なのだろう。


「奴らは二度とそなたに危害は加えられない。我々が絶対に近づかせないから安心してほしい」と、イケオジ陛下は言った。


 わたしが心情を吐露した際、陛下はきちんと謝ってくれた。

 謝罪を受けたからといって、わたしの置かれた状況が変わるわけではないのだけれども、ゴメンネの一言があるのとないのでは、こちらの気持ちが全然違った。



「──ところで、わたしをここに連れてきた目的は何ですか? それと、神薙とはいったい何なのでしょうか」


 神薙がいないと国が成り立たないと言うくらいだ。何かやらせたくてんだはず。しかし、この状況であれをしろ・これをしろと言われるのは、あまり歓迎できない。

 こんなに突然何もかも失くしてしまって、今のわたしのメンタルは決して良好な状態ではない気がする。その証拠に、日本のことを考えると軽くパニックになりそうだ。このままバナナで釘が打てて豆腐の角に頭をぶつけて死ねるような凍てついた精神世界へ突入するのはお断りしたい。


 できることなら、わたしのことは放っておいてほしい。

 なにせ馬車が走っている国なので、日本と比べて不便な生活になることはほぼ確実。それならいっそどこか静かな場所で、穏やかに暮らしていきたい。東京では実現できなかったスローライフ的な暮らしをするとか、とにかくのんびり暮らしたい。カフェ経営なんていうのも、良いのではないかしら。

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