第六話(後編) 血の海の上

 部屋の中は、血の海だった。

 赤い血が部屋を染めている。


 ……真っ赤な空間だ。そこに、黒いスーツの男が……いた。

 さっき、追いかけられた相手とは違うだろうが、やはり拳銃は持っていたようだ。

 弾丸が周囲に転がっている。


 さっき聞こえた銃声は、きっとここだったのだろう……そして、倒れている一人の男性。

 顔は、血溜まりの中に突っ込んでいるため、読み取ることはできなかった。

 が、年齢は三十代くらいだろう……、雰囲気でなんとなく分かった。


 心がざわつく……。

 三十代、か。小学生くらいの子供がいても、おかしくはない――。


「……ここは素通りしよう、俺は、関わりたくない……」

「それはおれだって一緒だ。だが、素通りか……ここを通るのかよ。音を立てず、気配を勘付かれないように? おれとおまえ、理々で、ここを通るのか? ――できそうもねえだろ」


 恋敵は言うが、しかし、じゃあここで止まれと言うのか?

 すぐにでもここから離れた方がいいだろう……、どれだけ危険があろうと、立ち止まるのは、一番やっちゃいけないことだ。

 そう、心がざわつくのだ。

 なによりも……理々に見られてはいけな、


「……え、なに、これ……――もし、かして……、ちが、う、よね……? だって、でも、あれって、ぜったい、に……」


 震える声が真後ろから。

 振り返らなくても分かる……この声は、理々だ――。


 さっき、ここで待っていろと言っただろう。……素直に聞いてくれたけど、やっぱり気になって動いてしまったのか……、かもしれないとは思っていた。

 分かってはいたけれど……今のタイミングとはな……。


 彼女はやってきた。自分の意思で。

 この光景は、理々には見せてはいけないものだった――。


 今とか後とか、時間は関係ない。

 いつだって、見せるべきではない光景だった。

 それでも、立ち直りかけていた理々には、今だけは、見せたくなかったのだ。


「……お、とう、さん……?」


 と、理々の声。

 震えながらも、しっかりと確信を持った声だった。


 俺たちに驚きはなかった。

 きっと、そうだろうと、心がざわついていたから……。

 家族の死だ。

 理々が、若くしてそれを見てしまっている……なのに、俺はなにも言えない。

 かける言葉がなかった。


 それに、敵に見つかってしまうからと、それを理由になにも言わない自分が、嫌になる。

 自己嫌悪だ。

 できることならあの血に沈むのが俺だったら――無駄な思考だ。

 逃げるな、現実から。


「――誰だ!?」


 理々の声が大きかったせいもあるだろう、単純に俺たちの視線が勘付かれる原因になったのかもしれない。――敵に見つかった。

 理々の父親を射殺した男が、天井にいる俺たちに気づいた。


 細かい位置を特定されたわけではないが、相手は拳銃を天井に向け、引き金を引いた。

 連続する銃声。


 弾丸は天井を貫き、俺たちを狙う……、いることが分かれば、テキトーに射撃しても一発くらいは当たるだろうと思っているのかもしれない――実際、ピンチだ。


 相手は潜んでいるのが理々とは分かっていないから……容赦がない。

 理々を捕まえようとしているなら、殺してはまずいはずだろう……? だから理々は殺されることはない、と思っていたが……、この状況だと相手は加減ができない。

 間違って当たることもあるし、一発でも当たれば、まだ小さな理々では致命傷になるだろう。


 それは、ペンギンである俺たちも同じではあるが……。

 それとも。


 事故かもしれない……。理々の父親を殺してしまったから、もう理々の生け捕りに意味がなくなったのか……――だから殺すことにした、という可能性も、あるのだ……。


 向かい風が強くなってくる。


「とにかく走るぞッ、恋敵――理々!!」


 俺たちは慌てて走り、弾丸が飛んでこないところまで避難した。

 ここまでくれば、もう大丈夫――と、安心したのも束の間。


 油断した……だからこそ、俺たちは踏み抜いてしまった――天井を。

 薄い天井の板が、俺たちの体重に耐えられなかったのだ。

 地面へ、真っ逆さまである――。


 俺と恋敵は、ペンギンだから平気なのかもしれないが、しかし理々は別だ……小柄ゆえにただでさえ高く感じる天井だ……。受け身も取れずに地面に叩きつけられれば、無傷とはいかない。

 理々は肩を押さえて、痛みを訴えている……。


 痛めたのは肩だけのようだ、足が無事なら、まだ大丈夫。

 走れないわけじゃないなら、逃げられる。

 しかし、ほっと安堵している暇もない。


 誰かの足音だ。

 やがて、近づいてくる――敵だ。

 理々を生け捕りにするつもりなのか、殺すつもりなのか、分からないが――敵だ。

 絶体絶命のピンチである。


「やべえ、ぞ、バツ!! 全方位から足音が聞こえてくる! 逃げられねえぞ、これ!!」

「――――ッ」


 詰んだ。

 終わった――これ以上の手は、俺たちにはなく……。


 もう、後は相手に、殺されるだけだ――俺たちも、理々も。

 たとえ生け捕りでも、理々に待っているのは苦しみだ……これまでには、戻れない。


 …………。

 いいや――ふざけんな。


 まだ終わってない、終われるか――終わらせてやるものかッ!!

 俺はまだ、諦めてねえぞ!?!?



「恋敵」


 言って、俺は二人から距離を取る。

 当然、聞こえてくるのは恋敵の「どこにいくんだよ!?」という声だ。


 どこにいくのか。俺もはっきりと分かっているわけではない。

 だが、進めば辿り着くと思っているのだ……、都合が良い展開だ……だけど、逆転の手はどこかにあるはずなのだ……この先にあるかもしれない――。


 進むことで見つかるかもしれない。


「恋敵は絶対に、理々を離すな。敵に捕まり、引き剥がされそうになっても、拳銃を向けられても――脅されても、殺されても、死んでもだ――絶対に理々だけは離すな。他はいいけど、理々だけは――」


「しつこいぞ、離すわけがねえ――それで? 勝算があるのか? そこまで言うんだ、確実に助かるんだろうな!? おれたちはよぉ!!」


「分からないけど、努力はする……一か八かの大きな賭けだ。恋敵は俺を信じるのか? それとも『ふざけんな』と、俺を責めるか?」


 俺の質問に、恋敵は言い放った。

 そんなこと、決まってんだろ――と。


「信じる、信じないの天秤には乗らねえよ。さっさといけ。助かる方法があるなら、たとえそれがゼロパーセントだったとしても、おれはおまえをいかせるぜ、バツ――」


 と、恋敵。

 その言葉は素直に嬉しかったし、やる気にも繋がった。

 命を託されたのだから、緊張しないわけがないが――それでも。


 なんだか、失敗する気が、まったくなかった。

 成功しか見えない。

 失敗は、ない――。


 俺は手に力を込めて、拳を作る――そして。



「さて、それではみなさん、先に謝っておこうかな――」



 俺は心の中で謝罪する。


 ――……ごめんなさい。

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