第四話(後編) 父親捜し

 そして、俺たちはイベント会場に辿り着いた。

 理々は走りっぱなしだったので、息を切らしている……それもそうだ、彼女はまだ小学生であり、ペンギン二羽の重さを抱えて走ればこうなるだろう。


 軽いわけがないのだ。

 彼女を楽にさせるために、服の内側から早いところ出たいけれど、しかしできない。

 大人に見つかればアウトである。

 こうして理々に包まれていなければ、船の中を自由に歩くこともできないのだ。

 これが最善。

 俺たちの『どうにか軽く感じさせてあげたい』という試行錯誤は、かえって理々の負担になってしまっていたようで――


「暴れないで。いまちょっと疲れてるから……そこに隠れてて」


 一瞬だけ、服から出る。壁際の陰へ……、理々の背中と壁に挟まれるように隠れる。覗かれたらすぐに見つかってしまうが、すれ違うくらいなら、見つからないだろう……たぶん。

 運だな。


「うんっ、もう大丈夫!」


 一休みを入れた理々が復活し、俺たちを抱えて移動を始めた。……本当に休めたのか? と心配になるが、彼女が大丈夫と言っているなら大丈夫なのだろう。

 そこは信じよう。


 イベント会場内を悠々と歩く理々。

 服の内側から、薄っすらと見える景色を見る――人が多い。

 ダンスパーティー……以外もあるのだったか。どうやらこの船には日本人だけでなく、外国人も乗っているらしい。……そもそも、この船がどこからどこへ移動しているのか、分からない。

 日本人以外がいてもおかしくはない船、ということになるし……それに、お金持ちが多いな。

 それに、有名人も――多くいる。


 名前が広く認知されている者ばかりが乗船しているようだ。

 世界各国のお偉いさんもいる――集合している。

 俺だったら緊張して、一歩も歩けない自信がある。


「……そんな中を軽い足取りで抜けられる理々は、一体何者なんだよ……」


 呟けば、すぐに返事があった。

 隣の恋敵だ。


「汚雲家の一人娘だからな、これくらいできるんだろ――、一人娘なら、汚雲家を継ぐのは理々ってことになる。幼い内からこういう場所に連れてこられるのは当然ってところだな」


 大事な一人娘なら、いなくなれば父親も必死になって探しそうなものだが……、これだけ歩き回っても父親とは出会えていない……ということは、父親は理々が迷子になっているとは思っていないってことか。きっと、どこかに遊びにいっていると思っていて……、他のお偉いさんと商談(?)でもしているのかもしれない。


 思えば、ボディーガードもいないのだろうか?

 一人娘なら、父親の目が届かない場所では、ボディーガードが目を光らせていそうなものだけど……、スパイを疑うなら雇わない……としても、目を離した隙に攫われでもしたら、スパイ覚悟で雇った方がいい気もする……まあ、どっちもどっちか。


 どちらにせよ、理々へ降りかかる危険は変わらない。

 だけど……もしもボディーガードがいれば……。

 現在も、遠目から見られているのでは?


「……理々、理々には、ボディーガードっていないの?」


 すると、理々が口を開けて……思い出したように「あ」と声を出した。


「そういえば、いない、かもしれない……いつからだろう? 途中まではいたような……? 迷子になる前に消えたのかな……、んぅ? なんで迷子になる、直前に?」


 ボディーガードがいたのは事実のようだ。

 でも、今はいない――遠目から観察しているわけでも、ない……ようだ。


 理々の護衛という仕事を放棄して、どこかへいったのであれば。

 ……他に優先するべき理由ができたのか?


 理々が撒いただけなら良いけど、そうでもなさそうだ。

 理々に撒けるボディーガードなら、いない方がマシである。


「…………なにか、水面下で起きているのか……?」


 迷子の理々を父親の元へ送り届ければ解決、という問題でもなさそうだ。

 ……もしかしたら。


 ……不気味だ。なにか、裏で進行しているような――不穏な空気である。


 その時だった。

 イベント会場が、一つの大きな音で、沈黙を作り出す。

 騒がしかった喧噪が消え、しーん、と、音が無くなる。

 音楽も途切れた。

 スピーカーが、壊されたのだ。


 そして――数ある中の一つのテーブルだ。

 その上にあった料理が、全て地面に転がっている。

 皿が割れ、甲高い音が視線を集めた。嫌が応でも、反応して見てしまうだろう。


 ――悲鳴が上がる。

 耳の奥に突き刺さる女性の声だ。


 理々は、悲鳴こそ出さなかったが、全身が震えている……、怯えている。

 体を丸めて、恐怖を寄せ付けないように、ぐっと体を小さくしている。だけど、そのせいで恐怖は、彼女の体の中に閉じ込められてしまっている。

 閉じこもってしまったからこそ、恐怖と正面から向き合うことになってしまい――理々の表情が、さっきよりも深刻に、歪んでいく。


「理々――」

「バツ、よく見てろ。誰が、どこでなにをしているのか――を」

「……分かった」


 今は理々よりも、相手だ。

 恋敵の反応の早さと的確な指示で、俺は視線を外に向けられた。


 理々の胸元から顔を出し、周囲を観察する――そして見えた。

 さっきまでの静けさと、今の混乱を作り出した犯人を。


 周囲から浮いているその人物の格好は、表舞台に出るべきそれではない。

 黒いスーツで、サングラスをかけており――右手には拳銃だ。


 ボディーガード――。

 理々の、かは分からないけれど、間違いなくボディーガードである。


 すると、黒スーツがこちらを向いた。

 理々を見ている……まさか俺の視線に気づいたのか? と思ったが、違うようだ。

 俺ではなく、恋敵でもなく、やはり狙いは――理々、か。


 獲物を見つけたような目だ――サングラスだけど、雰囲気でよく分かる。

 人間から鳥になったからこそ、野生の勘がより働くようになったのかもしれない。

 敏感に、敵意を感じ取る。


 その男は、子供相手にさすがに拳銃は使わないようで、腰にしまい、走り出した――理々に向かって、近づいてきている!


「――理々ッ、すぐに会場から出ろッ、どっかの部屋に逃げるんだ!! このまま捕まれば、なにをされるか分かったものじゃない!!」


「うそ、だよ……っ、だってあの人は、だって――だってっ!! わたしのボディーガードだもんっっ!!」


 だからきっと助けにきてくれたんだよっ、と理々……、そうだったらどれだけ良かったか。

 あの男がボディーガードではない、と否定しているわけではない。理々が言うのだから、間違いなくボディーガードではあるのだろうけど……、けど、今に限れば、あの男は理々の味方ではないということだ――敵なのだ。


 呆然と立ったまま、動けない理々は、近づいてくる男を受け入れるような姿勢だ――いつものように彼に身を任せようとしているのかもしれない。

 理々は、それを望んでいる……? だとしても。理々が自分から危険に飛び込もうとしているのを見て、黙っていられるわけがなかった。俺はそこまで、がまん強いわけではない……!


 服の内側から飛び出し、俺は自分のその羽で、理々の頬を叩く。

 ぱちん、という音は鳴らなかったけれど、理々の注意を引くことはできたようだ。


「……バツくん」

「理々っ、とにかく走ってこの会場を出るんだ! そこから先は、もう考えている暇はない――なるようになる。いけるところまでいこう!!」


「そのためには、少しでも時間を稼ぐ必要があるよな、バツ印――」


 俺の横を通り過ぎ、恋敵が動き出す。が、なにも「ここはおれに任せて先にいけ!」ってわけではなく、恋敵はちゃんと戻ってくるつもりのようだ。


 恋敵はテーブルの上に並べてあった酒を床にこぼす……、アルコール度数が高い種類のものばかりだ。そして――ライターを。


 火を点ける。

 最小の火が、連鎖し、繋がり、やがて大きくなる。

 行く手を阻む、火の壁が出来上がった。


「……やり過ぎじゃないか? これじゃあ、他の人にも被害が……」

「んなこと気にしてる場合かよ!! とりあえず逃げるぞ、早くしろ!!」


 気になるところはあるものの、恋敵の言う通りだ。

 細かいところをいちいち指摘している時間など、今の俺たちにはない――。


 本当に命の危険を感じたのだから、他の客には悪いが、ここは利用させてもらう……これが俺たちの足りない鳥頭で考え出した最善だ。


 俺は理々の手を引き。

 恋敵も理々の手を引いて。


 二羽の力で、理々を会場の外へ避難させる。

 広い範囲に広がった火のせいか、理々は少し苦しそうだった。

 だが、ここが踏ん張りどころだ。弱音を吐いては、困る状況でもある。


「……おとうさん、いなかった……、もしかしたら、まだ部屋にいるのかもしれない――バツくん、恋くんっ、わたしは、おとうさんのところにいきたいっ!!」


 それは、できれば理々を父親の元まで送り届けたいが……しかし、その部屋が分からないからこそ、こうしてイベント会場まで足を運んだのだ。

 そして今、その会場は火の海となっている。


 加えて、理々を狙う黒スーツの男まで現れて……。

 色々と起きたけれど、事態は好転していない。困難ばかりが増えていく……。

 このままでは行き止まりに当たってしまう。

 既にその壁は見えているわけだ。


「――くそ、なんでもいい……、現状を打破できるようなきっかけがあれば――」


 恋敵がそう願った時――、神様が見ていてくれたのか、変化が起きた。

 だが――もしも神がいるのだとすれば、恨むぞ……っ。

 そういう変化はいらない。



 変化が起きて、手がかりもできた。

 ヒントだって得られたようなものだが……。


 神様は、俺たちで遊んでいるのか?


「……なに、どうしたの? バツくん、恋くん……なに、なんのよお……っ」


 理々は状況を理解できていない。

 それは、良かったのだろう――あの音を聞かせることは、できればしたくない。

 恋敵も同感のようで、頷いていた。


 俺たちは二人、顔を合わせて安堵の息を吐くが……まだ終わっていない。

 始まった、とも言えた――。


 プロローグが終わる。

 本編が始まる。


 そう、この船の中で、一か所で起こったことだと言うのに。

 それでも船内の全てに響いた音は、そう――――銃声。


 同時に、俺の中でなにかが砕けた。

 不快な音が俺の頭の奥で鳴り響く。


 しつこく、ひっついている――そしてその音をきっかけにして、俺は再び、過去の世界へ誘われる。記憶だ。思い出へと――俺は意識を吹き飛ばされた。

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