第三話(後編) 逃走劇

 扉が開く。


 荷物を見て男性かと思っていたが、持ち主は女性だったようだ。鼻歌混じりに笑顔で部屋に入ってきた女性は、隠れ切れていなかった俺たちを見て、笑顔が固まった。

 やがて歪む――、彼女の顔が崩れていく。


 ただのペンギンだけど、不意打ちで見てしまえば、驚きと同時に恐怖もあるだろう――女性の叫び声が響き渡る。

 その叫び声が合図だ。俺と恋敵は、なんの打ち合わせもしていなかったが、次にするべき行動をしっかりと理解していた。そして、一致する――。


 全速力で駆け抜ける。

 ペンギンなのに飛べるかも、と思えるような疾走感であった。まあ、飛べなかったけれど――俺と恋敵は、女性の股の下を駆け抜けていく。


 しかしその奥。女性の後ろには男性もいて……ああ、カバンの持ち主は、こっちか――もしかしたら部屋の主もこの人なのかもしれない。

 先に入ってきたのが女性だった、というだけで……――女性の叫びに、男性も慌てていたが、俺たちを見つけ、やるべきことに焦点が合ったようだ。冷静になるのが早過ぎる……! 女性を守る意思が、彼の動揺を消してくれたのか……男の本能だった。


 男性が狙いを俺たちに定め、追ってくる。


 でも、ちょっと待て。確かに俺たちは部屋の中に入り、カバンを漁ったが、しかしなにも盗んでいない。犯罪は犯していないはずなのに――。

 ペンギンなのだから人間の法律は関係ないとも言えるけど、中身は人間だから、そういうわけにもいかないのか? ――ともかくだ、追われる理由はないはずなのに……。


 ペンギンだから、駆除されることもあるだろうけど、だけど、たかがペンギンのためにこうもしつこく追ってくるか?

 大人が廊下を全速力で走るほどに、ペンギンに魅力があるとは思えない。

 どうして――。


 男性からすれば、なにか損をしている……しそうな展開だから、か?

 必死になって追いかけてくる理由は、一体……。

 恋敵を見る。

 並走していた相棒は――その体に、なにかを引っ掛けていた。


 よく見る。

 それは、布、紐――。

 あ、女性用の、下着……?


「…………恋敵、それ、なんだよ……」

「今はそれどころじゃねえだろ!! 逃げるぞ、おれの体に巻き付いているもんがなんなのかってそんなのどうでもいいだろ!!」


 どうでもよくはない。

 重要だ。

 ――それのせいだよ!!


 俺たちが追いかけられているのは――追いかけてくる側の損を、俺たちが作ってしまっているからだ。


 …………絡みついてしまっているから離れないのだろうけど……、本当に? もしかして恋敵、離したくないだけなのではないか……? 男って、そういうものだ。見つけたそれを反射的に掴んでしまって、結果、絡まってしまったのかもしれない。

 離したくても離せないなら、この損を引き剥がすのは難しい。


「――待ちやがれ、クソ鳥共ォ!!」


 鬼のような形相で追いかけてくる男――、女性には見せられない顔である。


「……はぁ、はぁっ、――ッ」


 体力の限界が近づいてきた。このままだと当然、追いつかれる。追いつかれるよりも早く、俺の足が限界を迎えるだろう――だから。

 並走する恋敵に、横から突進する……賭けだ。

 横に転がった恋敵から、絡まった下着が解けてくれれば…………頼む!


「うごっ!?」


 と恋敵の声。

 床をバウンド、そして壁に叩きつけられた彼の体から、下着がぽろっと落ちる――勝った!

 下着を奪われるという損がなくなれば、男は追いかけてはこないはずだ!


 身軽になった恋敵の首根っこを掴んで、走らせる……距離を取れ。

 追いかけてきていた男の反応は……?


 後方で、下着を拾った男がきた道を引き返していく。一般客なので、さすがに手間をかけて駆除までしようとは思わなかったらしい……命拾いをしたな……。

 ともかく、これで一難は去ったわけだ。


「す、すとっぷ、だ……」


 俺と恋敵、二人で地面に手をついてぜえはあと息を整える……、心臓の音が激しい、足もガクガクと震えていて……。このまま大の字で寝転びたいところだ。

 鳥だからって、鳥の字になるわけではなく。


 早く移動した方がいいことは分かっているが、それでも休憩をしたい欲求が勝って……この場から動けなかった。恋敵もまだ立ち上がれないらしい。


「もう、大丈夫、なのかよ……?」

「だろうね、下着を落としたんだから、さらに追ってくることはないだろうし……」


 う、やばい、疲れと共に眠気までやってきた……、このまま目を瞑れば眠れるぞ?

 ここで寝てしまえば、人間に見つかる……、今度は逃げられない……。

 分かっていても、意識はどんどんと、遠ざかる。


「恋がた、き……」


 遠くなっていく意識を引っ張り戻してくれたのは、不意に聞こえた声だった。

 幼い声――である。


 目を開けて見てみれば、天井の照明を遮る位置に、いた――少女だ。

 小さな、女の子……。


 彼女の不安そうな顔が目の前にあった。

 俺を心配している……? のではない。

 俺に、助けを求めているような顔とも言えた。


 ……頼りにならないことは分かっているけど、他に頼れる人がいないから、仕方なく俺に助けを求めている……。これに賭けるしかない、と覚悟を決めた目でもある。


 ――まったく。

 ペンギンの俺を、そんな目で見るんじゃないよ……。

 小学生くらいだろう。幼稚園児ではないはずだ。

 ……ペンギンに頼る小学生か……そんなの、初めて聞いたぞ。

 相当、切羽詰まっているってことか。


 俺は、戻ってきた疲労により、薄れていく意識の中で、少女を見て思う――。

 口に出していたみたいだけど。


「……そんな目で見るなよ、助けたくなっちまうじゃねえかよ――」


 ペンギンが喋ったことに、少女は目を丸くさせて――でも。


 ふ、っと、安心したように、優しく微笑んでいた。

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