17.示しがつかんでしょう

「ねえ石橋ぃ、ここあと十分で出れる? なんかさあ彼氏が川崎にアイス仕入れに行かなきゃっつってPASMO借りたいとか言ってんの。だから彼氏んアパートまで送って……あー高瀬さんじゃあん!」

 小さくて可愛いキャラクターのカバーをつけたスマホを掲げ、小柄な女——沙里奈はぶんぶん手を振った。へその見える黒いミニTシャツに、いっそホットパンツを履けと言いたくなるような露出多めのダメージジーンズ姿で、佐々木に美人局を仕掛けた時のいかにも夜の女といった服装とはまた違う風貌であった。

「沙里奈さん、歌舞伎町で見た三人組はこいつらで————」

「え、てか堀田さん?」

 沙里奈はスマホ画面をスクロールしながら、カマキリ男こと石橋を遮った。急に話題を振られた堀田は、

「え? ああ、まあ……」

「ユリ姉から聞いてるしー。東堂組の若頭からユリ姉寝取ったんでしょ? やば、ウケる」


「は?」

 数人の声が重なる。炎天下、アスファルトの熱気がむせ返る夏の外気が凍りついた。珍しく、堀田はしどろもどろに口を開いた。

「いやっ、それは」

「やるぅ。……あ、でもだいじょぶ、あたし口軽いけど東堂組の知り合いって斎藤くらいだったし。東堂組あっちにバラしたりはしないんだな、これが」

「……沙里奈さん、ちょっと」

 石橋がそっと沙里奈の肩を抱いて三人から背を向けた。彼はひそひそと話しているが、沙里奈の「そうそう、ウチがまだちっちゃい時にいたJK、あれユリ姉」、「今ぁ? 東堂組の君島と結婚……はしてない、かな?」、「いや奥さんか恋人かセフレかとか詳しく知らんし。まあいいじゃん人それぞれで。多様性っしょ(笑)」などと楽しげな返事がまあまあな大声で響くものだから、大方の内容は筒抜けだ。


「で、で。ウチさ、斎藤と組んでいろいろやらかしたじゃん? パパにバレた時、そん時まじユリ姉に相談してたんだよね。……あっでも悪いのは全部斎藤なんだけどね。まあそんな感じ」

 取ってつけたような言い訳を最後に、沙里奈はもう何も話すことはないとばかりにスマホへと目を落とした。

「……なる、ほど」

 佐々木はぼそりと呟いた石橋の手元を見た。真っ直ぐに下された先の掌は、真っ白になるほど握り込まれている。沙里奈が男であれば、組長の娘といえど一発くらい殴られていたかもしれない。

 石橋と沙里奈が三人に向き直った。さすがに石橋がぴりついているのを察したか、しかしそれでもなお、沙里奈はけらけら笑った。

「ねーもーほんとごめんて。友達の後輩が家出してお金に困っててさー。トー横で野宿するとか言い出すし、ほっとけないってなるじゃんね?」

「……その話はわかりました。ちょっと静かにしていてください」

 石橋の声は、静かな圧を伴っていた。指図された沙里奈は、「は? ウザ」と悪態をつくものの、それ以上何も言わずにスマホをいじり始めた。


「……な、俺たち関係ねえだろ」

「まあ俺たちはもともと関係ないっすけど、東堂組も悪くないことが分かったでしょ」

 高瀬を補足した佐々木を、石橋は黙ったまま一睨みした。

「その子……沙里奈さんの姉から、姉妹のメッセージのやりとりも見せてもらいました。この車も東堂組若頭のものなので、俺たちが戻らなければお姉さんが君島に事情を打ち明けるでしょうね。……その場合、俺との関係もばれるが」

 しかしその時はとっくに死んでいるか、もっと酷い目に遭っていないとも言えない。ということで、堀田は半ばやけくそのように悪あがきの交渉をはじめた。佐々木もそれに便乗する。

「そうそうそう! けじめだって言って東堂組の構成員殺して、俺たち使って報復なんてして、それが勘違いでしたってお互いの組長にバレた時どうするんですか!?」

「……」

 石橋が黙ったままなのを良いことに、佐々木が調子づいて唾を飛ばし続けた。

「しかもこの男、見方を変えたらおたくらの組長の義理の娘と仲良しこよしですよ!? そんな相手に手を出していいんですか!?」

「そこは別に問題ありませんが」

「あっそすか」

 さらっと返された佐々木は、隣から睨む堀田を「どんまい」と肘で小突いた。


「ただおたくら、ウチが斎藤を殺したってをすでに東堂組に吹き込んだんでしょう? どうせ戦争は避けられないなら、まずは斎藤がこっちのシノギを引っ掻き回した落とし前つけてもらわなきゃあ————」

「そうしなきゃあ、ここまで俺たちを追いかけ回した手前、格好がつかないってのはわかるぜ。俺もそっち側の人間だったからな」

 そう言ったのは高瀬である。やけにすらすらと話す高瀬を、堀田と佐々木は目を丸くして見守った。

「けど君島さんは今、斎藤がそっちに東堂組のシノギを勝手に横流ししたと思ってる。むしろ斎藤にキレてるってことだ。そっちが煽らなければ、俺たちから君島さんに斎藤は自業自得だったんだって弁解しといてやるよ。それと……沙里奈ちゃん」

「ん、なになに」

「沙里奈ちゃんの姉ちゃんって、昔はそっちで暮らしてたんでしょ。パパと仲よかったの?」

 問われた沙里奈は唇に人差し指を当て、眩しげに顔をしかめて斜め上を見た。

「んー……ユリ姉はうざがってたけど、パパがね。溺愛的な?」

 堀田が「あのう」と控えめな調子で石橋に声をかけた。

「俺が言うのもなんですが、そちらの組長の……義理とはいっても愛娘はですね、東堂組の若頭とそれなりに良い生活を送っているみたいでして……それを脅かすことを、そちらの組長はどう思われるか、ご想像していただけますと」

「それを言うなら、東堂組だって愛人の実家には手を出せやしないでしょう」

「だから、これまでどおり睨み合いでいんじゃないっスか」

 顎を逸らしてつっけんどんに高瀬が口を挟んだ。佐々木が「急にかしけえ……」と声を出さずに呟いた。


 高瀬の言い方と佐々木の野次が気に食わなかったようで、石橋は二人をじろりと睨むと、汗にてかった鼻の頭を苛立たしげに掻いた。

「そうは言っても……追いかけておいて勘違いでしたじゃあねえ」

 石橋の言いぶりははきとせず、どことなくばつが悪そうだ。三人揃ってきょとんとしていると、石橋は落ち着かなげに片足を揺らして言い捨てた。

「わざわざ追いかけてって、言いくるめられて引き下がったなんて示しがつかんでしょう、上に」

「…………見た目の割にプライド馬鹿っぽいんだ」

 佐々木が余計なことを口走る。いついかなる時にも脊髄反射でちょけてしまうのは、彼の個性あるいは病気あるいは業だ。佐々木は「アァ?」と凄まれると、すぐに「ヤクザらしい矜恃を持ってるんすね!」と苦しい訂正をした。


「————とにかく、東堂組への忠告は止めてもいいが、こっちもカタをつけてきたんだっていう証拠を持ち帰らなければいけません」

「そこをなんとかあ」

「なんとかしてえなら、指の一本や二本この場で詰めていただかないと。安心してください、写真撮ったら切った指は持ち帰ってもらって大丈夫ですので」

「そ、そんな……!」

 情けない声を上げる佐々木。やはりけろっとしている高瀬。堀田はと言えば、あわよくば暴力の対象から逃れようと思っているのか、他の二人よりも数センチ後ろに身を引いて無言を貫き、その存在を可能な限り薄くしていた。石橋が柄シャツの中年を振り返った。

「ドス持ってこい」

「へい」

「沙里奈さんは車に戻って」

「あーい」


「おっ、俺はごめんだ!」

 突如、佐々木が叫んだ。彼は両手を——銀の自動拳銃を握り込んだ両手を前に突き出している。

「テメェっ」

 対峙する藤峰組の構成員は表情を凍らせて後退りした。ただ石橋だけが、スーツの懐に右手を差し入れんとしていた。


「佐々木それどっから持ってきたんだっ」

「に、にが、逃してくれなきゃ撃つぞ、本気だ!」

「やめろ佐々木!」

 高瀬が肩に触れようとするのを血走った目で睨み、佐々木は声を上擦らせた。

「俺だけでも助かりたい!」

「最低だぜ佐々木!」

「俺はこんなとこで指切り落とすために上京したんじゃないんだよ!」

「十年以上だらだら住んでるやつが言うなっ」

 堀田が反射で突っ込むと、「いい加減にしろよ」と石橋が三人に一歩にじり寄った。


「あんたそれを抜いた意味分かってんだろうナァ!?」

 先ほどまでの不気味なほど丁寧な態度は消え去り、声を荒げる石橋。

「ひやあああほんとに撃つぞ!」

 震える指を引き金にかける佐々木。

「待て待て待て俺で良いなら指でもなんでも——」

 力尽くで佐々木腕を下ろす高瀬。引き金にかかった太い指に力が込められるも、その銃口が下方に逸れる。


「がああっ!」

 銃声、そして絞り出すような悲鳴を上げた。堀田である。

 左手を押さえて膝をつく堀田を除き、その場の全員が茫然と動きを止めた。


「馬っ鹿野郎、大丈夫かよっ」

 ややあって、高瀬が佐々木を突き飛ばし堀田に駆け寄った。

「あっちゃー、指が吹っ飛んでら」

「ご、ごめん堀田……」

「ふざ……ふざっけんなよ、テメエ。殺すぞ……」

 堀田から漏れ出るのは、いつもの捻った毒舌ではなく直球の怨嗟である。生白い顔には大量の汗が吹き出し、彼は怒りに目をギラギラさせて佐々木を睨み上げた。佐々木はと言うと、慌てふためき「あー」だの「んえー」だの鳴きながら、唖然とする藤峰連合一同と苦悶する堀田を交互に見やる。どうするんだこれ。誰しもが狼狽し沈黙する中、佐々木はやがて気まずそうにへらっと力の入らない笑みを浮かべて、

「……えと、これで、自分たちで落とし前つけたってことで……だめスか」

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