16.デートスポットみたいに言うなよ

 高瀬の運転は案の定、危なっかしいなんてものではない。ブレーキの存在を忘れているのか、左折右折はアクション映画さながらの勢いで車体をぐるんと揺らして曲がる。その度に堀田の眼鏡は外れかけ、佐々木の体が後部座席でぼよんと跳ね回った。

「佐々木ィ! 後ろどうなってる!?」

 焦燥に気が昂ったまま高瀬が怒鳴る。佐々木は座席の背もたれにしがみつきながら後方を確認した。

「全然いる——あれっ!? おいなんか二台に増えてるぞ!?」

 どうすんだよ、という佐々木の問いに高瀬は舌打ちを返した。彼は直線の続く片側二車線道路に出るとアクセルを踏み込み、走行する通行車両を縫うように走った。アシストグリップを握りっぱなしの堀田は、車酔いしたのか血の気の引いた顔で遠くを見ていたが、ふと通り過ぎた案内標識を目で追った。


「なあ今千葉に入らなかったか」

「そうか? 知らねえ」

「つうかお前どこ向かってんだよ」

「なんとなく見たことある道通ってるだけだよ」

 すると佐々木が「高瀬って道覚えられるんだ……」と妙に感心して呟いた。褒められたと思ったのか、高瀬は少しだけ苛立ちを落ち着かせ、得意げにふんと鼻を鳴らした。

「組にいた頃にな。あんまり人がいなくて、色んな始末だの取引だのに便利な港に行く道で」


「待て……てことは俺たち、そこに向かってるんじゃないか?」

 堀田がぼそりと呟く。バックミラー越しの佐々木も何かに気づいて「あっ」と口に手を当てた。

「あー、このまま行けばたぶんそうなるかも」

 高瀬だけが運転に集中したそうで、会話には気もそぞろであった。「引き返せ!」と堀田と佐々木の声が重なる。高瀬が肩をびくつかせ、一瞬ハンドル操作がブレた。

「急に大声出すなよ事故るだろ!」

 顔色の悪い堀田が、それでも目を吊り上げて「アホ!」と罵った。

「それじゃ何か、俺たちはノコノコとヤクザの揉め事処理の定番スポットに向かってるのか!?」

「デートスポットみたいに言うなよ」

「冗談じゃない!」

「事故った方がマシだよぉ! ……よし高瀬今すぐ中央分離帯に突っ込め。死なない程度に」

「おいおい、君島さんの車壊したらそれこそ死ぬぞ、考えろ馬鹿っ」

「お前が言うなっ」

 また堀田と佐々木の罵倒が重なった。


 そうこうしているうちにも、高瀬は体が覚えているままに車を走らせる。いつのまにか交通量はほとんどなくなり、左に防波堤、右には目隠しの街路樹が並んだ海沿いの道を走っていた。背後にはいまだ黒いアルファードがついて来る。距離を詰めるでもなく、車間距離を保って追いかけてくるそれを、佐々木が戦々恐々と見つめていると、

「おうわっ」

「んぎゃあっ!」

 高瀬が急ブレーキを踏んだ。シートベルトが引きちぎれるかという勢いで、佐々木が運転席の背面に顔から突っ込む。

「いってて……」

 佐々木は鼻を押さえながら正面を見た。後ろについてきていたものと同車種が、こちらのプリウスと衝突ぎりぎりのところで停車している。堀田は青白い顔で俯いているし、高瀬は「あちゃー」などと、焦っているはずなのにどこか間の抜けた声を漏らした。

 アルファードから降りてきた、背広姿の男が運転席側の窓をノックする。


「高瀬さあん、ちょっとお話しましょうよ」

 せっかくですからお友達も一緒に。そう言って口角を吊り上げるのは、つり目で細身、どことなくカマキリを思わせる、いかにも「インテリヤクザです」といった三十代くらいの男だ。彼の後ろには、彼と同じように背広を着た強面の若者や、半袖の柄シャツに金のチェーンネックレスをつけた中年などなど、各種ヤクザの見本市が展開されている。

 三人が黙ったまま車から降りないでいると、カマキリ男は大袈裟に長いため息をついて「一番でけえ花火拳銃持ってこい」と部下を振り返った。高瀬が大慌てで車のロックを解く。

「おい高瀬っ」

「窓越しに撃たれるより命乞いした方がマシだろ」

 焦る堀田に言い捨てて、高瀬はさっさと運転席から出た。助手席と後部座席のドアを開けられて、堀田と佐々木もまた引きずり出される前に観念した。君島のプリウスを背にして、左から堀田、佐々木、高瀬の順で並び、藤峰連合の構成員たちと向かい合う。


「いやあ、お声がけしたかっただけなんですけどね……こんなところまでドライブすることになるとは」

 整髪料で横分けにした短髪を撫でつけ、カマキリ男の口角がますますにいっと吊り上がる。もともとつり目なので、顔の皮膚全体が糸で吊ったように引き上げられて見える。

「そっちの組員殴ったことならすいません。俺もカッとなっっちゃって」

 声を震わせずにまっすぐとカマキリ男を見据える高瀬。すっと光の消えた高瀬の目に、堀田はごくりと唾を飲んだ。一方の佐々木は、高瀬が庇ってくれたと思ったのか、「高瀬え」と感嘆の声を漏らした。カマキリ男は、高瀬に負けず劣らずの冷ややかな視線を三人それぞれに寄越し、フっと鼻で嗤って目を伏せた。

「ああ、美人局はどうだっていいんですよ。むしろ最近のガキは弁えることを知らなさすぎて……しかも組長の娘に協力させていたなんてね。この件を機に、奴は私たちの方でもきっちり『指導』しておきました。むしろご迷惑をおかけして申し訳ございませんね」

「い、いえいえいえお互い様ですよ、高瀬もあのあとやりすぎたなあって落ち込んでたんですよ、な、高——」

「ですがねえ、こちらが聞きたいのは別のことでして」

 カマキリ男は胸の前で手を揉んだ。


「あの夜に斎藤の自殺現場を見たでしょう」

 カマキリ男の言いぶりは白々しい。堀田と佐々木、高瀬でさえも彼から目を逸らして無言を貫いた。どう見ても突き落とされていたし、今思えば落ちる前から死んでいたような死体であった。

「組長の娘唆して援助交際ビジネスなんて、斎藤はとんでもないことしてくれましたねえ。困りますよお、東堂組そっちの組員はそっちできちんと躾けてもらわないと」

「俺たちは一般人だ。東堂組とは関係ない」

 口を挟んだ堀田を、カマキリ男は嘲笑で一蹴した。

「高瀬さんのお友達でしょう、堀田さん」

 歌舞伎町ホストだった佐々木はともかく、堀田のことまで調べはついている様子であった。

「た、高瀬だって出所した後はもう足洗ってんですよ……! それに斎藤ちゃんはむしろ、組長の娘に……」

「デブ黙ってろコラ」

「はい」


 背広を着た強面の若者にすごまれて、佐々木はしゅんと小さくなって黙った。カマキリ男はほつれた前髪を横に撫でつけながら「とにかく」と背後を振り返った。

「いい機会なので、貴方たちには東堂組への警告がわりになってもらいたいんです。信号みたいに、危険を知らせてあげる真っ赤な警告灯にね」

 無表情の高瀬、項垂れる堀田、泣きそうに身を震わせる佐々木。三者三様に絶望する様子を意に介さず、カマキリ男は首を伸ばして、プリウスの真後ろに停まるアルファードへと目を向けた。

「人違いでないか、念のため本人に確認してからですが」

 その言葉を合図にして、車両付近に待機していた藤峰連合の構成員が後部のドアを開けた。

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