15.うるせえのはお前だ

 爽やかな電子音のメロディと鳥の囀りが、エアコンの効いた六帖の一室に響き渡る。佐々木のスマホのアラームだ。床に敷かれたマットレスとタオルケットの間から、白くふとましい腕が這い出てスマホを掴み取った。

「高瀬ぇ、おきよよ、朝やよ」

 言いながら佐々木は大きく欠伸する。呼ばれた高瀬はというと、みの虫かさなぎのようにしてタオルケットを体に巻き、紺のビーズクッションに沈み込んで動かない。

「堀田もう起きたんかな」

 佐々木は眠たげに呟いた。由梨奈から三人一緒に二階のこの部屋で寝るようにと言われていたのだが、堀田の姿は忽然と消えている。


「おーいー、高瀬。早く起きないと堀田が俺たち置いて一人で逃げるぞ」

 佐々木からすれば、一緒にリビングに降りて欲しいがための口実であったのだが、高瀬は「堀田なら大丈夫だよ」とタオルケットの中からもごもごと言い返した。

「夜中便所行った時、洗濯物乾かねえって言ってたもん。パンイチで」

「なんであいつが夜中にパンイチでお前の便所付き合ってんだよ」

「ちげえよ。便所行った時にたまたま顔合わせたの」

「じゃあなんで堀田がパンイチで洗濯待ち……」

 言いかけてはっと目を見開く佐々木。高瀬もまたタオルケットから勢いよく羽化した。二人はドタバタと狭い階段を駆け下りリビングへ突入した。堀田は身嗜みを整えて、ソファで日曜朝のワイドショーを見ていた。彼は首だけ動かして佐々木と高瀬を振り返ると、呆れたように眉を上げる。


「二人してうるさいな。あと佐々木、十時にセットするアラームなんてセットしてないのと同じだぞ」

「うるせえのはお前だ! 昨日の夜どこで寝たんだよっ」

「いいだろ別に。だいたい、あんな部屋に男三人鮨詰めで寝られるか。……髭剃ってこいよ、汚いぞ」

 しゃあしゃあと嘯いて、堀田はガラステーブルからマグを手に取った。コーヒーをすすろうとする彼の肩を佐々木が掴み、茶色の液体が堀田の顎を伝う。

「ふざけんな飲んでるだろ——!」

「おま、お前まじで!? なんかもうすごいな、度胸と性欲が!」

「君島さんの女だぜ。さすがに俺も引いちゃったよ……」

「脳みそににちんこついてんのか!? いやちんこに脳みそついてんのか!?」

「それ、どっちがどうなってんだ?」

「龍司ちゃんは黙って!」

「一回ヤッたなら二回も三回も同じだろ。お前らと彼女が言わなきゃいいだけだ」

 かまびすしい三人。これを微笑ましげに見守りながら、由梨奈が佐々木と高瀬の分のコーヒーとシリアルをダイニングテーブルに用意した。

「仲良いんですね。でも、そろそろムッチャンとキョンキョン来ちゃうんで……ね?」

 表情は柔らかく温かいが、それがかえって由梨奈の言葉の圧を強めた。佐々木と高瀬は無言で頷き、遅い朝食をむさぼりはじめる。


 一時間もしないうちに、改造したエンジンのやかましい音が家の外から聞こえた。かと思えばすぐにエンジンは切られて乱暴にドアを閉める音が慌ただしく連なる。

「由梨奈さん! やべっす、マジやべーっすよ」

 フィリピーノ風マンバン好青年ことムッチャンが、リビングに飛び入るなりそう言った。玄関の方からキョンキョンが「早くしろよ」と急かす声もした。

「なあに、またミキちゃん怒らせたの?」

 由梨奈はからかうように笑ったが、ムッチャンは「そんな場合じゃねっす」と焦った声を張り上げた。

「藤峰っすよ! こっち来る時にアイツらのアルファードとすれ違ったんすけど、なんか追っかけて来たんす」

「はあ!?」

 佐々木が食い気味に叫んだ。堀田もまたソファから腰を上げ、その勢いでメガネがずれた。

「いったん撒きましたけど近くまで来てます、見つかる前に早く!」

「どうして? この人たちがいるから?」

「考えてる場合じゃないですって! とにかくすぐ逃げないと……!」

 ムッチャンは困惑する由梨奈の手を引いて連れ出そうとする。が、反対側から佐々木が由梨奈の腕を引っ張ってこれを止めた。


「お、俺たちは?」

「知らねえよってかお前らついてくんなよ!」

 佐々木を睨み上げたムッチャンは、由梨奈の腕に巻きついた白いソーセージみたいな指を強引に引き剥がすと、慌ただしく玄関へと向かった。

「あ、そうだ堀田さあん」

 と、去り際に由梨奈がリビングに戻ってきたかと思えば、ソファの傍で呆然としている堀田にチャリンと何かを投げてよこした。

「ミキちゃんの車の鍵です。頑張ってくださいね」

「由梨奈さん、いいから早く!」

 やがて玄関の扉が閉まり、彼らが到着した時以上に慌ただしくエンジン音が去っていく。


「ど、どうしよう堀田」

「俺に聞くなっ」

「いったん逃げてから考えね?」

 佐々木と堀田と比べれば、高瀬は平静を保っていた。何も考えていないようにも見える。しかし高瀬の言う通りにするほか選択肢はなく、三人は少ない荷物をまとめてばたばたとガレージに向かった。昨日停まっていたフルスモークのシャコタンはなく、黒いプリウスが残っていた。どうやら、あの改造車はムッチャンかキョンキョンが乗ってきたものらしい。


「じゃ、運転よろしく」

 いち早く後部座席に乗り込んだ佐々木がそう言うと、堀田と高瀬は顔を見合わせた。

「俺は免許持ってないし、運転なんてできないが」

「じゃあ俺運転するよ」

 そう言って堀田に鍵をくれと手を差し出す高瀬。堀田、そして車内の佐々木も意外そうに目を丸くした。

「お前、車なんて運転できたのか?」

「あー、まあ」

 高瀬が何か言いかけたところで、黒いアルファードがガレージを通り過ぎる。


 助手席の男と高瀬の目が合う。

 数秒して停車する気配がした。

「やべやべやべ! とにかく乗れ!」

 高瀬は堀田から車の鍵を奪うと、手近な助手席のドアを開けて運転席へと転がるように入った。堀田もまたその勢いにつられて車内に身体を突っ込む。

「おい高瀬お前運転——」

「できるって!」

 堀田を遮って高瀬がエンジンをかけた。

「そうじゃなくて免許」

「無いけどできンだよ文句あるか!」

「じゃああるわ! それできるって言わね——」

「ああああうるっせえンだよシートベルト閉めろ蹴り出すぞコラ」

 堀田に悪態をつく高瀬は、苛立ちのままにアクセルを踏んだ。プリウスが乱暴に、そしてふらつきながらガレージを出て左折する。バックミラーにはちょうどUターンしたアルファードがこちらに向かってくるのが映っていた。

「東京湾で不審死か交通事故なら、どっちが楽かな」

 後部座席でひとりごちる佐々木には、誰も返事を返さない。

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