8.働いてたのはお前じゃなくて俺だけど
高瀬が数年籍を置いていたホストクラブ「トワイライトキス」は、池袋駅北口から数分足らずの雑居ビル、その地下一階にある。ビルの外壁は当時のものから改装されて、高く積み上がるキャバクラやスナックのネオン看板も、高瀬や佐々木に見覚えのない店がいくつかあった。しかし建物の構造自体は同じであるため、うろ覚えの高瀬でも当時使用していたスタッフ専用出入口を見つけることができた。
「ちゃーす」
「待て待て待て」
まるで昨日も出勤したかのような調子で中に入ろうとする男を、堀田が慌てて止めた。
「どした?」
「働いてたの10年以上前だろ。勝手に入んないで、さっき連絡を取ったやつ呼べよ」
「そうか? 別に入っていいと思うけど」
「客でも従業員でもないのにか」
ドアの前でもたもたしていると、店の奥から、同世代くらいのコーンロウヘアの男、おそらく高瀬が連絡を取った店長が近づいてきた。
「おい高瀬、そんなとこで突っ立ってないで早く入れよ」
「お、梶野。お疲れい」
梶野と呼ばれた彼と高瀬は、互いに片手を上げて軽く言葉を交わした。梶野もまた、高瀬とはつい最近まで交流があったかのような親さで声をかけてきたので、堀田は呆気に取られつつ、かろじて「どうも」と最低限の挨拶を返した。
「堀田は真面目なんだから」
門を潜る佐々木が愉快そうに声をかけると、堀田はニヤついた丸い顔を肩越しに睨み上げた。佐々木はより一層楽しそうに、堀田の肩に手を置いた。
「こういうところは、ああいうノリが普通なの。そのうち慣れるって」
「そんな非常識に慣れてたまるか」
「なあなあ、事務所じゃなくてフロアで話できるってさ」
二人が中身のない言い合いをしていると、先を歩いていた高瀬がそう言いながら振り返った。佐々木が目を輝かせた。
「え、酒もいいの?」
「それは無理だってさ」
もうすでに確認済みである口ぶりの高瀬。「何しにきたんだよ」と二人に届かない小声でぼやき、堀田は他の者たちに続いて薄暗い店内へと進んだ。
トワイライトキスの店内は、黒い壁と赤を基調としたソファが、オレンジがかった間接照明にぼんやり浮かび上がっている。高瀬はしばらく、興味深そうにうろうろと見て周り、それから梶野に向き直った。
「こんなんだったっけ」
「4年前に改装した」
「おれが蹴って空けた穴もなくなってら」
「それはお前がいるうちにさっさと修繕しただろ」
そんなやりとりの後、梶野は三人をボックス席の一つに案内した。
三人がソファに腰かけると、甘ったるい消臭剤と隠しきれないタバコの匂いが充満した。佐々木は恍惚と目を閉じて深呼吸する。
「懐かしい匂いだ」
「働いてたのはお前じゃなくて俺だけど」
「店の匂いなんてどこも似たようなモンだわ」
高瀬と佐々木が無駄口を叩いている間に、堀田は目の前で加熱式煙草を吸い始めた梶野という男が、高瀬の黒服時代にホストをやっていたこと、堅実さを買われて雇われ店長をしていることを聞いた。
「それで、お前から連絡なんて何年ぶりだ。またヤクザに戻る気じゃないだろうな」
梶野に尋ねられて、高瀬はぶんぶんと首を振って否定する。
「ちげえよ。俺はもう堅気でやってくって決めたんだから」
「実は、連絡を取るように促したのは私です」
堀田が話を引き継ぐと、梶野は眉を潜めた。小綺麗な私服、元夜職の男二人よりも、公園で妻子と連れ立っている姿の方が似合う風貌の男が、わざわざホストの店長に連絡を取りたがる理由が分からないのだろう。
「私は高瀬の友人です」
「俺は親友です」
堀田は咳払い一つ返して、くだらないことを挟み込んだ佐々木を放置した。
「…………実は、この三人で食事をした日に厄介なことに巻き込まれまして。警察も頼りにならなさそうなので、情報が欲しくて高瀬に頼んだんです」
「梶野、斎藤ちゃん覚えてる? よく店にも売りに来てただろ」
高瀬が単刀直入に問うと、梶野は咥え煙草のまま目を丸くした。そしてそれを口から離すと、大きく嘆息した。
「なんだ、ついに殺されたのか?」
今度は三人の目が揃って丸くなる。
「何か知っているんですね」
「いやあ、何ってほどのものじゃないが」
梶野は、「これ、俺が話したって言うなよ」と前置きをして、店内に他の店員がいないことを確認して声を落とした。
「ここ二、三年くらいになるけど。斎藤さん、東堂組のシノギをちょろまかして藤峰連合に横流ししてたんだよ。本人が酔ってゲロったんだから間違いない」
「その言い方はどっちをゲロったのか分かんないよ」
堀田は佐々木の指摘に小さく頷き、しかし話の腰を折ることを避けて無言だった。梶野は佐々木に構わず、一呼吸煙を吸ってまた続けた。
「家族か、女か、藤峰の誰かに金借りてたとか……。とにかく、何か弱みを握られていたんじゃねえかな。東堂組の若頭に相談したいって何度も俺に相談してきてさ。関わりたくねえから放置してたけど」
「まあそれが賢明ですよね」
すかさず同意する堀田に、つい昨日見捨てられかけた高瀬と佐々木がしらけた視線を向ける。堀田がそれを気にする素振りはなく、梶野の方だけ見ていた。
「でもな、ここ最近は藤峰と縁が切れるつって、キャバで豪遊してたって聞くよ。そんな都合のいい話あんのかなあって思ってたけど、やっぱりなあ」
「なるほど」
「つまり何?」
梶野の話に合点がいく堀田の隣で、佐々木がぽかんと口を開けて説明を待っていた。高瀬はすでに話に飽きて、店の内装をしみじみと見て回っている。梶野と堀田が眉間を押さえる仕草が被った。
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