9.最低なのは俺じゃなくてこいつ

「藤峰は最初から、東堂組にシノギ横流しの件がバレるのを防ぐために、齋藤が使えなくなれば始末するつもりだったんだろう」

「情報を吐くだけ吐いて遠くに飛ばれたら厄介だしな。というか高瀬……おい高瀬!」

 梶野が店の奥まで行ってしまった高瀬を大声で呼び戻した。悪びれもせずに戻ってきた高瀬が「悪い悪い」と謝って、笑いながら赤いソファに座り直した。

「お前堅気に戻るって言いながら、何やったんだよ」

「俺が何かしたって決めつけんなよ。もともとは佐々木のつつ——」

 言いかけたところで、佐々木が高瀬の口を抑えた。梶野が目を細くして彼らを一瞥した。


「面倒そうだし、やっぱ聞かねえわ」

「そうした方がいい。……そうだ梶野さん。この金の横流しの件は、すでに東堂組は知っているんでしょうか」

 堀田が尋ねると、梶野はコーンロウの隙間を指で引っ掻きながらかぶりを振った。

「いや、俺からは話してねえよ。組には世話になってるが、厄介ごとは避けたいんでね」

「本当にそうですね」

「そういや梶野、東堂の若頭ってまだあの人?」

 と、そこで高瀬が話に割り込んできた。

「おうよ」

 梶野が頷くと、高瀬は大袈裟に肩を竦めて見せた。


「おー怖。そりゃ斎藤ちゃんも言いづらいわけだ」

「俺と堀田も話に混ぜてよ」

「すーぐプッツンしちゃう人なんだよ。藤峰連合に金が流れてるなんて知ったら、速攻で向こうの誰かしらが東京湾に沈むんじゃないか。何にしても、杉島会の傘下同士でますます険悪になっちまう」

「……すーぐプッツンて。それお前の親戚か?」

「違うよ。何でそうなるんだ」

 佐々木が遠回しに揶揄するが、高瀬はその意味を解さずぽかんとした。堀田がそれを見て嘆息し、梶野に情報をくれた礼を述べようとした時だった。


「そうだっ」

「なんだよ」

「東堂組に斎藤ちゃんの件をリークしようぜ。そんで見方になってもらおう。やっぱヤクザにはヤクザをぶつけるってワケ!」

 佐々木が拳を握ってそう熱弁すると、高瀬が鼻に皺を寄せて口をひん曲げた。

「まだそんなこと言ってんのか、俺やだって言っただろ。もうそっち側とは会いたくないっての」

「俺も反対だな」

「堀田は別に確執なんてないだろ」

「お前は知らなかったかもしれないが、普通の人間は、確執や因縁がなくたってヤクザとは関わりたくないんだよ」


 取りつく島もない二人を、佐々木は腕を組んで睨んだ。堀田は佐々木が黙っているうちに店を出てしまおうと、再び腰を上げかけた。

「でもお前さあ!」

「しつこいなっ、離れろ」

 佐々木が腰のベルトにしがみつき、堀田はその重量に耐えられず、なし崩しに赤いソファに再び尻を沈めることになった。仔犬のような目をしたデカい男が「あとちょっと聞いて!」と必死に堀田ににじり寄った。梶野はそのやりとりに苦笑している。


 佐々木は口元に手を当てて、顔を逸らす堀田へと耳打ちをした。

「堀田、お前セフレのストーカーに追われてんだろ? ぱぱっと始末してもらおうぜ」

 堀田がぴたりと固まって、それから銀縁眼鏡の奥から目だけを動かし佐々木の方を見た。佐々木は堀田に見えないように、口に手をかざしてにやりと口角を上げる。

「お前が助かるだけじゃない。あのドエロい姉ちゃんが完全フリーになるんだぜ」

「…………」

「ねえねえ、いいだろ弘海ちゃん」

「お前ら何話してんの?」

 高瀬が会話に入ろうと顔を寄せてきたところで、堀田が席を立った。座ったまま彼を見上げる佐々木と高瀬からは、眼鏡越しの表情は分からない。


「腹を括ろう高瀬」

「よし!」

「まじで言ってる?」

 両手でガッツポーズをする佐々木とは裏腹に、高瀬はソファの背もたれにだらしなく背を預けて不服そうだ。

「お前は顔を出さなくてもいいように考えるから」

「ええー……じゃあいいか」

「高瀬、その何も考えないで受け入れる癖、絶対直した方がいいぜ」

 梶野が不安そうに高瀬を見たが、当の本人は「だいじょぶだいじょぶ」と気楽な調子でヒゲの生えた顎を撫でた。


「エロってすげえや」

 店を出る前、佐々木がしみじみと呟いた。

「どういうことだ」

 首を傾げる梶野へ、堀田は親指で佐々木を示しながら表情を変えずに返した。

「こいつ、いかがわしい妄言癖があるんですよ。気にしないでください」

「最低か」

「最低なのは俺じゃなくてこいつ!」

 佐々木は信じられないと言わんばかりに目を見開いて堀田を指し返したが、梶野は高瀬の方を見ていた。

「じゃな、梶野」

「おう、気ぃつけてな」

 さっさと地上へ続く階段を登って行った堀田の後を追い、高瀬は憤慨する佐々木を引きずってトワイライトキスを後にした。

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