7.歌うな
「お話は分かりました。情報提供ありがとうございます」
「信じてもらえていませんか」
「いえ、そんなことは。万が一事件性があると認められた場合、捜査にご協力いただけるようでしたら、お名前とお電話番号を——」
セフレとその元交際相手が警察官に同行していったその後、堀田は念のため新宿署へと昨晩の出来事について相談した。電話口の女性の声は、AIと大差ない丁寧かつ機械的な口調で手続案内を続けた。堀田は「いえ、大丈夫です。酔って勘違いしただけかもしれません」と結んで通話を終えた。
そして佐々木と高瀬に連絡を取り、三人は休日の昼間から駅前のカラオケ店で落ち合った。
「何歌う?」
フロントのドリンクバーですり切りいっぱいまで注いだメロンソーダを一口飲むと、佐々木がタッチパネル式のリモコンをいじり始めた。後から入ってきた堀田が、空調を調整しながら彼をひと睨みする。
「歌うな」
「カラオケ来たのにか?」
高瀬まで佐々木の手元を覗き込むので、堀田は大仰にため息をついて音量を絞った。既に入力されていたロックバラードのイントロが無情に消え去る。
「高瀬の言う通り。お前がここにしようって言ったくせに」
「人に聞かれたくない話だからだよ」
「お前、関わりたくないって言ってたじゃん」
高瀬が烏龍茶をすすりながら首を傾げる。堀田は膝の上で手を組んで、目の前の太ったのっぽと小柄な髭面から、座りが悪そうに顔を逸らした。
「状況が変わった」
不思議そうにしている高木とは対照的に、佐々木がにやりと笑った。
「なんだ堀田、ついに女から殺されかけたか」
「んなわけあるか」
「いや、お前なら十分ある話だよ」
「だよな? ほらみろ」
「……帰る」
佐々木は立ち上がりかけた堀田の腕を俊敏に捕らえた。親を引き止める子どもさながらの必死さである。
「ごめんごめん、ごめんて。聞くから助けてよ弘海ちゃん。高瀬も謝れ」
「俺何も言ってない……」
「殺されても仕方ないって言っただろ!」
「言ってねえよ」
「もういい。聞くなら話すから喋んな」
堀田が再びソファを軋ませて座る。佐々木と高瀬は、これ以上余計なことを言うまいと二人並んでドリンクを飲んだ。
「今朝、あの女の元交際相手が俺の家を訪ねてきた」
それから堀田は、二人に(特に高瀬に)理解できるよう噛み砕いてことのあらましを説いた。初めはいかにも真剣な様子で聞いていた佐々木であったが、堀田が説明を終える頃——といってもわずか5分程度のうちに——再び口の端を上げて苦い顔の堀田を鑑賞していた。高瀬は聞いているのかいないのか、時折無音の画面に集中が逸れていた。
ひととおり話し終えた堀田は、まだ熱いコーヒーを飲んだ。
「自宅も特定されたし、この件が片付かないことには、俺たちに明日はないってやつだ」
「堀田、それは自業自得というんだぜ。俺みたいに清く慎ましく生きろ」
「税金でデリヘル呼ぶやつのどこが清く慎ましいんだ。わきまえろ」
「ていうか堀田、俺思ったんだけど」
目くそ鼻くその応酬を遮り、高瀬が考えをまとめるようにゆっくりと確認した。
「俺と佐々木は死体見た件で探されてるんだよな」
「そうだな」
「お前だけ、死体関係なく付け回されることにならねえか?」
無言が堀田の答えである。
「お前、どさくさに紛れて自分の痴情のもつれも片付けようとしたな?昨日俺たちを突き放しておいて、都合が良すぎるぜ」
佐々木は鬼の首を取ったと言わんばかりに、電源の入っていないマイクを手に取って捲し立てた。
「一石二鳥なんだ、別にいいだろ」
「俺たちを見捨てようとしたくせに」
「まあいいじゃん佐々木。まるっと片付くなら楽だろ」
「高瀬の言う通りだ。それに」
堀田はコーヒを飲んでメガネの奥から佐々木を睨んだ。彼の声が少し潤い、低くなる。
「おれが奴らに捕まったら全部吐くぞ。お前の住所も電話番号もインスタのアカウントも全部だ」
にこりともせず放たれた宣告に、佐々木は身を引いてソファに背を預けた。
「お前のこと友達だと思ってんの、俺だけか」
「友達なんだから協力しろよ」
「ねえ俺佐々木のインスタ知らないんだけど……」
「えっそうだっけ。教えるよ。てか高瀬もインスタやるんだ」
「うん。ほらこれ」
堀田の目の前で、男二人が顔を突き合わせてSNSで繋がり合う光景が繰り広げられる。堀田は手に持ったままのコーヒーカップを、わざとらしく音を立ててテーブルに置いた。
「とにかく、俺たちが何に巻き込まれてんのか、状況が知りたい。まずは死体のおっさん」
「斎藤ちゃんな」
「死体の斎藤と藤峰連合とやらとの関係とか。高木、今でも連絡が取れる関係者に心当たりあるか」
すると高瀬は目を泳がせて顎髭に触れた。ひどく言い淀んでいる様子に、堀田が追い討ちをかける。
「あるんだな、心当たり」
「ああ、うん、まあ。じゃあ行く? 池袋」
「池袋……。高瀬が昔働いていたホストクラブ?」
佐々木が尋ね返すと、高瀬は口籠もりながら肯定した。
「まあそう。あんまアッチ側とは関わりたくないけど、もう仕方ねえな」
「決まりだ。今から連絡取れるか」
「ラインは持ってたはず」
「よし、移動しながら返事を待とう」
「あ、待って」
堀田がコーヒーを飲んで立ち上がる。しかし、佐々木はその図体をソファに沈めたまま、タッチパネル式リモコンに手を伸ばした。それを見下ろす堀田の目が、冷たく細められる。
「何してんだ」
「モンパチだけ歌いたい」
「俺もなんか歌っていい?」
「……そこの灰皿よこせ」
堀田が諦めて高瀬に指図する。佐々木がカラオケ本体の音量に手を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます